ファンタジーラボ〜科学の力で魔法をこの手に〜
広野鈴
第1話 魔法を作る
プロローグ
『十分に発達した科学技術は、魔法と区別がつかない』
──SF作家、アーサー・C・クラークはそう言った。
玉鋼ユウにとって、それはただの格言ではない。
それは、彼が人生を懸けて証明しようと試みた、魔法使いへの挑戦状だった。
作るって、楽しい。特に、誰も再現できないと言われたものを、自分の知識と手で作ることは。
そして今、ユウは、その挑戦の結晶である【巨大ファイアボール】の発射スイッチに、指をかけようとしていた。
◇
土蔵の大実験
深夜零時。茨城県笠間市の郊外にある、古い土蔵の窓から、青白い光が漏れていた。この土蔵と裏の使われなくなった登り窯は、世良ミクの実家の所有物だったが、現在は二人の高校生の研究室と化している。
正式な部活動ではない、秘密の魔法工作研究所。通称、『ファンタジーラボ』。
「ユウ。最終チェック終わったよ。熱感知センサー、起動! 圧力、問題なし!」
世良ミク(せら ミク)は、手元の熱量計から目を離さず、短くカットされた栗色の髪を揺らした。作業服の上からでもわかる、小柄で引き締まった身体つき。その表情は真剣そのものだが、どこか不安を滲ませている。
「サンキュー、ミク! これで準備は整った!」
玉鋼ユウ(たまはがね ユウ)は、土蔵の中心に据えられた巨大な装置の最終調整を終えた。寝癖で跳ねた癖っ毛と、実験の度に増える眼鏡の曇りが、彼のトレードマークだ。細身だが、工作で鍛えられたしなやかな腕には、いくつもの小さな傷が見える。
ユウが目の前にしているのは、古タイヤと廃材で補強された台座の上に、錆びたドラム缶を加工した本体が乗せられた、いかにも手作り感満載の『科学式巨大ファイアボール生成装置・試作四号機』だった。
「今回は火薬を使わずに、テルミット反応を連続発生させる。そして、発生した超高温の熱を、この特殊な曲面を持つ耐熱合金製の内壁で一点に集束・放出する! 熱を逃がさず、一点に叩きつけるんだ。これこそ、実際の魔法使いが使う【巨大ファイアボール】に近い原理だよ」
ユウは夢中で語る。彼の研究は、ファンタジーの魔法現象を現代科学の知識と、熱力学の応用で再現するという、一見無謀なものだった。装置の内部には、熱反射効率を極限まで高めたアルミホイルの多層構造(後の【炎熱集中鏡】の原理)が組み込まれている。
「実際の魔法使いはいないけど……ね。でも、ユウ。本当に大丈夫かな。前回は出力が高すぎて、体育倉庫のドアが融解しかけたんだよ? 今回は、熱の制御装置をちゃんと組み込んだんだよね?」
「大丈夫。今回は、熱変換材として、強い蓄熱特性を持つ鉱石を使っている。これなら、熱エネルギーを放出と同時に制御できる。場所も土蔵前だから学校に迷惑もかけない!」
ユウが装置の火炎剤投入口に、その透き通った青い鉱石の粉末を混ぜた触媒を流し込む。その瞬間、装置全体がブウゥンと微かな低周波音を発した。それは、熱が収束していく音だ。
「あのね、それでうちの蔵を吹っ飛ばしたら、あたし大目玉に遭うよ?」
「よし。ミク、準備完了だ。あとは、発火のトリガーを引くだけ。この瞬間を、しっかり記録してくれ!」
ミクは唾を飲み込み、スマートフォンの録画ボタンを押した。
「……わかった。ユウ、行くよ。……カウントダウン、スリー、ツー、ワン!」
◇
巨大ファイアボールと空間の歪み
ミクの「ワン!」という声と共に、ユウは点火用のフリント式トリガーを勢いよく叩きつけた。
次の瞬間、土蔵全体が昼間のように明るく照らされた。
ゴオオオオオオオオオオオオオオッ!!
地鳴りのような轟音と共に、ドラム缶の先端から、太陽そのものが噴き出したかのような、白く眩い超高温の火柱が立ち上った。火柱は一瞬で土蔵の天井を突き破り、夜空に向かって噴き上がった。
「成功だ、ミク! 熱の集束率も、想定の120パーセントだ!」
ユウは歓喜した。しかし、彼の作った装置は、彼の計算を遥かに超えていた。
ビリビリビリビリッ!!
火柱は、装置の特殊な耐熱合金製の内壁を超えて、ユウが安全装置として組み込んだはずの青い蓄熱鉱石にまで、過剰な熱エネルギーを帯びさせ始めた。強烈な熱と、それを一点に集めようとするユウの理論の力が、土蔵内の空間そのものをねじ曲げ始めたのだ。
「え……」
土蔵の壁、天井、そして床全体が、青白いエネルギーの光に包まれ、まるで波打つ水面のように歪み始めた。ユウの背後の棚にあった薬品の瓶が、音もなく空中に融けて消滅する。
「な、何これ!? 計算が合わない! ユウ! 熱を止めなきゃ!」
ミクの悲鳴のような声が響く。しかし、ユウが鎮火用のスイッチに手を伸ばすよりも早く、装置は制御不能な状態に陥っていた。
「それが……止めたくなかったし、調整もできてなかったんだ。スイッチが効かない……」
「ちょっ、何言ってるのよ! なんであんたはいつも! ……っ、嫌だよ。あたし、死にたくない……まだユウに想いも伝えてないのに!」
青白いエネルギーの球体が、突然、室内の空間そのものをねじ曲げ始めた。熱の歪みが、壁に貼られた元素周期表を波打つ水面のように揺らぎ、備品棚を歪ませ、消滅させる。
「馬鹿な……僕たちの熱力学が、空間を裂いた……? 物理法則が、許容範囲を超えてる!」
「嘘でしょ? そんな……!」
「すごい。とんでもないことが起きてるぞ、ミク!」
「ユウ、あたしの想いを聞いて!」
ユウは初めて、自分が踏み入れてはいけない領域に足を踏み入れたことを悟った。その時、エネルギーの球体は最高潮に達し、その中心に、漆黒の渦のような空間の裂け目を作り出した。
ドオォォォォォンッ!
凄まじい衝撃波と共に、ユウとミク、そして土蔵全体(ファンタジーラボ)は、光の奔流に飲み込まれた。
◇
異世界への漂流と目覚め
二人が意識を取り戻したとき、最初に感じたのは、日本の土蔵にはありえない、清涼な草木の匂いと、肌に当たる生温かい、湿度の高い空気だった。
「ん……うぅ……頭痛い」
ミクが呻き、ユウの横で身を起こした。
「ミク、大丈夫か? 怪我は……ないみたいだな」
ユウは全身を確認し、反射的に周囲を見渡した。そして、彼の思考は完全に停止した。
彼らがいたのは、紛れもなく、さっきまで自分たちがいたはずの土蔵だった。外の景色が完全に違っているにもかかわらず、実験台、備品棚、自作の道具入れなどは、転倒こそしているものの、元の位置に留まっていた。
だけどその周辺の景色がまるで違う。
世界が違う。
「嘘でしょ? なに、ここ……」
ミクは混乱して、スマホを取り出した。圏外を示すアイコンが、虚しく点滅している。
「ミク。見てごらん」
ユウが周囲を見渡すとそこには、コンクリートの塀も、ミクの実家の庭も、笠間市の夜空もなかった。
空は、朝焼けでも夕焼けでもない、淡いライラック(薄紫)色に染まっている。はるか遠くには、中世の物語に出てくるような巨大な石造りの城塞都市らしき建物が見え、その上空を、まるで伝説の生き物のように巨大な、翼を持つ影がゆっくりと旋回していた。
(ドラゴン!? グリフォン!?)
土蔵のすぐ横には、見たこともない樹木と、日本には存在しない色彩の花々が咲き乱れていた。精霊と思われる色とりどりの小さな光が浮かんでいる。
「僕たちは、この土蔵ごと、まるごと異世界に移動したんたわ。そして、外の景色は……僕たちがいつもゲームや小説で見ていたファンタジーの世界だ。きっとここには、本物の魔法がある」
「ユウ……?」
ユウは、自分たちが追い求めた魔法の再現が、まさか異世界への転移という、科学で説明のつかない現象を引き起こしたことに、戦慄し、そして興奮した。
「しかも、だ! ミク! 見てごらん。僕たちのラボの備品、全部無事だよ」
ユウは興奮して、棚から『フィンガーライト(指先発光剤)』のカバーを一つ取り出した。電力を使わない、小型の科学魔法だ。
「ここには電気がない。でも、僕たちの科学知識と、このラボが、本物の魔法に通用するのか試せるチャンスだよ!」
ユウの顔は、先ほどの恐怖などどこへやら、好奇心と探求心に満ち溢れていた。
「ちょっと! ユウ! 状況を理解してよ! あたしたちは、帰れないかもしれないんだよ!」
ミクの悲痛な叫びは、彼の耳には届いていなかった。ユウはすでに、崩れた土蔵の片隅に落ちていた、実験の残骸である青い蓄熱鉱石を手に取っていた。
「心配ないさ、ミク。僕たちの科学があれば、この世界でもきっと大丈夫だ。まずは、この土蔵を……異世界でのファンタジーラボとして、再建しよう! 僕たちが『文明』を作り出すんだ!」
ユウは希望に満ちた瞳で、異世界でのラボ活動を宣言した。
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