文部省特別広報室
さわみずのあん
河童を信じているかという質問に、私は言葉を失った。
文部省特別広報室の扉を開けた時、
ああ、左遷させられたのだ、と思った。
机の上に積まれた古い資料は埃っぽく、
その向こうで、安っぽい椅子に、
中年の男が座っていた。
「河童、信じてる?」
重そうな太った体を、
壊れそうな細い椅子の背もたれに、
ゆるく、もたれかかって、
男は、言った。
「は?」
と思わず、私は言ってしまった。
上司であろうと思われる男に、
「失礼しました、本日付で、
こちらに配属されました、」
「鈴木」
「いえ、私は鈴木では、」
「名前ってのはさー、
分かればいい、
通じればいい。
私は君を鈴木と呼んで、
君は鈴木と呼ばれたら、
自分のことだと思う。
そこに何の問題がある?」
「私は、」と、
反論しようと思ったが、
上からの命令は絶対だ。
「本日配属になりました、
鈴木です」
「僕のことはさ、
課長? 係長?
あれ? どっちだったけ、
まあ、役職なんて、
何でもいいからさ、
好きな風に呼んでよ。
でさ、鈴木君。
君、河童って信じてる?」
「いえ、信じておりません」
「うちの爺さん、
曾祖父さんだったけな、」
私のことなど、お構いなしに、
課長(役職の高い方で呼ぶのが無難だろう)
は話し続ける。
「うちの爺さんは医者でね、
初めは、村の中で、細々と、
医院をやっていただけだったんだけどね、
かなり、腕が良かったらしくて、
一代で、あれよあれよと、大きくして、
医者を何百人も雇うような、
大病院を作るまでになったのよ。
でね、まあ、
誰かに聞かれるんだ。
『成功の秘訣は、何なんですか?』
なんて言われた時、
『河童だよ、
小さい頃、河童に会って、
そいつに医術を教えてもらったんだ』
そう、答えるんだ。」
長く、なりそうな話に、私は水を差す。
「失礼ですが、私はここに、
仕事をしに来たんですが」
課長は、ほんの少し、圧をかけた声で、
「
私は仕事の話をしている。
ちょっと、若い人にゃ、
馴染みがない話だったかな。
何だったか、同じ妖怪だと、
ああ、アマビエって、知っている?」
「ええ、一時期話題になりましたから」
「じゃあ、
オーバーシュート、
クラスター、
ロックダウン、
ソーシャル・ディスタンス、
なんてのも知っている?」
「ええ、知ってますけど、
それは、妖怪ではなく、
カタカナ語では?
一体何の関係が?」
「ジャーゴン」
「
テクニカルタームのこと、ですか?
確かにカタカナ語はジャーゴンですけど、
河童とアマビエは妖怪で、違うのでは」
「同じだよ、
ジャーゴンとは、
本質を掴ませないための言葉だ」
課長の言う言葉は、
今の所、
「Volatility(変動性)、
Uncertainty(不確実性)、
Complexity(複雑性)、
Ambiguity(曖昧性)、
VUCAの時代。
現代は予測困難な時代だ、
なんて言うけれどね、
そんなのは、昔からなんだ。
人々は、安心を、安全を、安寧を、
未来が、
「それが、ジャーゴン?」
「君みたいに、
ちょっと頭の良いやつは扱いにくいね。
分かってもらっちゃ、困るんだ。
分かった感じになってもらわなきゃ。
さっきの、河童の話。
爺さんが成功した理由は、
もちろん河童じゃないんだけれど、
理由がある、
これが大事なんだ。
説明がつくことが大事なんだ。
もし、何の理由もなく、
成功している人間がいる時、
人々は、理由を考える。
それも、悪い理由だ。
裏で悪いことをしているから、
あんなに金を儲けられてるんだ。
保険金詐欺とか、
内臓の密売とか、
理屈ってのは、いくらでもつけられる。
有象無象は想像する」
私は思わず、口を挟んでしまう。
自分が理解していることを示すために。
それこそが、
ジャーゴンの魔力だというのに。
「アマビエは、
コロナという、
どう対処すれば良いのか、
分からない問題に対して、
解決策を提示した。
私の姿を写して人々に見せよ。
何も解けてないのに、
何も分かってないのに、
分かったような気にされる。
オーバーシュート、
クラスター、
ロックダウン、
ソーシャル・ディスタンス、
エビデンスなども、
それらの言葉は、
口々に移され人々を魅せた。
自分は、分かっているから大丈夫だと。
理解している人間という優越感」
「理解したというのは、
疑うことをやめたということだ。
思考が
それ以外の
一つの論理に、
一つの理論に、統一される。
我々の仕事はね、
ジャーゴンを、
言葉を奪う言葉を作ること。
国民を
世界を、より良く、
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