零時から始まる鎮魂歌(レクイエム)

nii2

第1章:72回目の目覚め

デジタル時計の赤い光が、闇の中でただ無機質に点滅を続けていた。


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三日間の始まり。そして、その終焉をすでに知っている、72回目の始まり。ユキ・ナガトはゆっくりと身を起こした。仮眠室の簡素なベッドが、彼女の体重を軋ませて解放する。首筋に張り付く寝癖の感触、壁の薄汚れた染みの形、淀んだ空気の匂い。そのすべてが、寸分違わず過去71回の朝と同一だった。


「…また、か」


掠れた呟きは、誰に聞かれることもなく、冷たい空間に吸い込まれて消える。着古した白衣を羽織り、無造作に束ねていた黒髪をさらにきつく結び直した。鏡に映る自分の顔には、極度の寝不足が刻んだ深い隈が、まるで顔料のようにこびりついている。28歳という実年齢よりも、遥かに老け込んでいることを、彼女は嫌というほど知っていた。


部屋の隅にあるコンソールに手を伸ばす。そこには、ループを重ねる度に彼女が書き殴ってきた、夥しい量のログが保存されていた。失敗の記録。アラン・バーク博士を救えなかった、71通りの結末。


Loop_001: 状況把握。博士、第3研究室にて胸部を刺され死亡。推定時刻、開始後48時間17分。

Loop_014: 博士を研究室に軟禁。しかし天井ダクトからの毒ガスにより死亡。

Loop_038: 施設全体の電源を掌握。全区画をロックダウン。原因不明の停電後、博士は感電死。

Loop_071: 博士と共に管理棟最深部に避難。突如発生した構造崩壊に巻き込まれ、博士死亡。私は瓦礫の下で意識を失い、リセット。

犯人は、まるで神の視点を持っているかのようだった。ユキがどんな対策を講じても、その裏をかくように、常に異なる手口で博士の命を奪っていく。この閉鎖された地下研究施設で、半径3kmの時空ごと、永遠に繰り返される72時間の牢獄。それが、彼女が置かれた現実だった。


「今度こそ…」


ユキは自分に言い聞かせると、重い足取りで部屋を出た。廊下の照明が明滅している。これもいつも通りだ。彼女は食堂へ向かい、自動調理機から冷え切ったコーヒーを受け取った。その苦い香りが、澱んだ思考を無理やり覚醒させる。


窓の外は、絶え間なく雨が降っていた。分厚い防護ガラスを叩く雨粒が、この施設の閉塞感をより一層増幅させる。この雨は、72時間、一度も止むことがない。ユキはこの無機質な景色を、もう何千時間も見続けてきた。


今日の計画は、これまでで最も大胆だ。博士を殺す「誰か」がいるのなら、その犯行時刻より前に、博士本人をこのループする時空の外へ連れ出す。クロノスの暴走が作り出した事象の地平線。その境界を突破できれば、ループから脱出できるはずだ。理論上は、だが。


冷めたコーヒーを飲み干し、マグカップを置く。乾いたセラミックの音が、彼女の決意を固めるように響いた。時間がない。博士が殺されるのは、いつも二日目の午後だ。猶予はまだある。だが、背中を焼くような焦燥感が、彼女の全身を支配し始めていた。


72回目の挑戦が、今、始まる。

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