インベーダーと私

姉森 寧

インベーダーと私

インベーダーと私


 これまで、私は普通に真面目に生きてきた。今日でようやく十八歳になったような人生経験の浅い私には、今後の事は想像もつかない。だからこそ、きっとこれまで通りに、普通に真面目に生きていくのだろうとしか思えない。


 十八歳の誕生日の朝、通学のために駅への道を急いでいる時に、いつもと様子が違う話し声が聞こえてきた。

「真面目に生きてる人が選ばれるんだってさ」

それは壮年男性のような声だった。私が真正面を向いて歩みを止めずに、耳だけを傾けていると、

「私は窃盗犯だから、無理なのかしら……」

次に聞こえたのは、男性と同世代と思しき女性の不安そうな声だった。

(え、「窃盗犯」?)

勿論、私は訝しんだ。通勤や通学中の人がそれなりにいる場所でのそんな発言は、通常なら考えられない。というか、そんな人が同じ最寄駅を使っている、もしかしたら近所に住んでいるかもしれない状況には恐怖するしかない。それなら、他の人たちもそう感じるはずで、それは知人と思われる男性も同じはずだ。なのに、

「これから心を入れ替えたら、選ばれるかもしれない。俺も態度を改めないとな」

男性は神妙な声でそう言うのみだったし、他の誰も騒いだりしなかった。


 おかしな会話を聞いてしまった後、私は駅に到着し、すぐにやって来た電車に乗った。乗客は私の通う高校と近くにある大学の生徒が多い。それ以外は大人ばかりだ。スマホをいじりながら無言の人と、小声で話す人たちと、たまに大きな声で話す老人たちで混んでいる。いつも通りだ。

 学校の最寄駅で電車のドアが開いて、高校生たちと大学生たちが一斉に降りる瞬間、

「選ばれたらいいね」

そのうちの誰かがそう言ったのが聞こえた。


 私はいつもと違う事に不安を覚えながらも、駅からはバスに乗った。なぜなら、そうする事しか思いつかなかったからだ。

 しかし、バスの中はいつも通りだった。いつも通り、おかしな会話を聞く事なく、同じ制服を着た人たちと、そうでない人たちと一緒に移動した。私が乗り込んだ時には既に満席で、立っているのもやっとの状態だ。バス停で止まる時に激しく揺らされ、危うく転びそうになったが、ポールを掴み、何とか事なきを得た。同時に、いつも通りである事についても安堵していた。


 それから、教室に到着した私はカバンを机の横にかけ、ペンケースを机の中に入れた後、席に座ったままぼんやりしていた。すると、いつも通り、ちっともおかしくない、普通の会話が聞こえてきた。

「おはよう、昨日の『divine』見た?」

女子Aが切り出したのは、きっとドラマの話だ。

「見た見た。やっぱり園っちはかっこいいね」

それに返した女子Bはその「園っち」のファンだ。女子が多いクラスなので、アイドル俳優の話は日常だ。私はドラマは見ないが、容姿については分からないまでも、名前くらいは覚えてしまうくらいに日常だ。

 その女子二人の会話に、女子Cが混ざった。

「でも、主人公が並ちゃんでしょ? 釣り合わないよ。演技下手だし、匂わせとかするタイプだし」

私には女子Cが話題に出した「並ちゃん」についても聞き覚えがある。クラスの誰かが、以前に「自分の推しのアイドルと付き合っている」と騒いでいたからだ。

「あいつ、園っちにまで手ぇ出したらやばいとか弁えてるよね? また他の子と撮られないかな? そしたら安心できるんだけど」

女子Bが苛つきながら、私のような門外漢の人間に、

(それは流石に酷すぎない?)

という感想を抱かれても仕方がない事を言うと、

「やめなよ。そんな事言ってると選ばれないよ?」

女子Aの声がそう言って嗜めた。

 私ははっとした。目を見開いているかもしれない。しかし、それ以外を動かす事はすんでのところで堪えられた。見開いているであろう目の力を徐々に緩めているうちに、

「まあ、他の子と撮られたからって、園っちに手を出してないとも限らないよ」

女子Cが更に酷い事を重ねたのが聞こえ、

「あいつ、そういう事しそう!」

女子Bが想像だけで激怒している様子も耳に入ってきた。しかし、女子Aは声を発さない。


 私がまた不安を覚えていると、チャイムが鳴り、しばらくしてから、ホームルームのために担任が入室した。

 朝の挨拶もそこそこに、

「期末テストの結果を踏まえて進路相談をするので、調査票を金曜日までに提出してください」

担任は背が高くて細身なのに、低くて太い声でそう話しながら、プリントの束を最前列の席に順に置いていった。それが後ろの席まで行き渡り、私の手元にも届いたところで、

「皆さん、塾などの予定があって忙しいと思いますが、大切な話をするので、よろしくお願いします」

後ろの席まで見回しながらそう言った後、軽く頭を下げた。

 私はすぐに調査票に名前を記入した。それから、第三希望までの欄があったが、「いつでも可」に丸を付けた。忘れる前に提出しておかないと、後々面倒だからだ。


 放課後、担任に呼ばれたので化学準備室へ寄ってから、校門の前にあるバス停へ向かった。時間はそれなりに遅いが、部活帰りの生徒がちらほらいる。

 私の前にはバレー部の男子たちが並んでいて、今日の部活の総括のような感想のような、簡単に言えば「あれはきつかった」という話をしている。私は運動が苦手なので、その話に出てくる事をやらされたら、きっと倒れてしまうに違いない。

 そんな風にバレー部員たちの話を何とはなしに聞いていると、

「普通にしてたらいいだけなんだって。そしたら選ばれるから」

私のすぐ前に並んでいる丸刈りの声がそう言った。

(また「選ばれる」……?)

私は少し後ずさったが、いつの間にか後ろにもバレー部員が並んでいたのに気づいた。もうこれ以上は下がる事ができない。

(いっそ、一旦列から抜けて最後尾に並び直すか、校内へ戻って時間を潰してから戻るか……)

そう考え始めた時、

「それが難しいんじゃね?」

丸刈りの前にいる短髪が苦笑した。会話はまだ続いているようだ。

「真面目にやってたら絶対大丈夫」

丸刈りは自信満々だが、

「俺、自信ないわ。お前はいいよな」

短髪は肩を落としている。


 結局、すぐにバスが到着すると、私はバレー部員たちに押されるようにして乗り込んでしまった。しかし、バスの中はいつも通りだった。どうやら、バスは安全らしい。


 それから電車に乗り、自宅の最寄駅で降りると、空は真っ暗になっていた。

 私は足早に帰路を進んだ。何となく普段は通らない狭い路地に入ったのは、いつもは夜に人気のない場所に行くのが怖いのに、今だけは人がいない場所が安心すると感じたからだ。

 人が一人通れるくらいの路地を抜けようとした時、

「やあ、根本円(ねもと・まどか)さん」

明るい男の声が私の名前を呼んだ。

 路地の出口の所に現れた男は背が高く、十月なのにまだ暑い異常気象の中、本来の十月であってもまだ早い黒い厚手のロングコートを着ていて、細いフレームの黒いサングラスをかけている。でも、私は被っている黒い帽子に目が行った。トップハットという形なのはどこかで聞いた事がある。それも異様だと思った。そうやって観察していると、

「こんばんは」

男はおっとりと挨拶した。

 私は無視して道を進もうとした。しかし、出口は男に塞がれているので、逆に男に二歩近づく事になってしまった。

(ここを抜けたらすぐ家なのに、どうしよう)

間抜けな私の前に、男は歩みを進めた。もう至近距離だ。

 絶体絶命かと思われたが、男は意外な行動に出た。

「俺は君を助けたいと思ってるんだ」

そう言ってから、

「君は真実に辿り着きそうになってる。それを危惧して、悪い奴らが君に近づこうとしてるんだ」

私の顔を覗き込んで、真剣な顔をした。

「そんな事言われても……」

困った私が口籠もると、

「まずはリラックスしようか。それで、落ち着いたら話を聞いて欲しい」

男は私の左肩に右手で触れ、優しくさすった。

 そんな行為で落ち着けるはずもなかったが、どうやら話を聞かないと帰れないらしいと悟った私は、

「何の話ですか?」

男と目を合わせないまま尋ねた。すると、

「この指輪を肌身離さず身に着けて。約束して」

訳の分からない事を言ったと思ったら、左の手のひらを開き、その上に乗った金色の細いピンキーリングを見せた。それから、

「これは君に何かあった時に俺に知らせる通信機だ。君の脳波を感知する。だから、『助けて』って念じるだけで俺が駆け付ける事ができる」

と言いながら、肩から離した右手で私の左手を取り、ピンキーリングを小指に嵌めた。

「こんな目立つ物、嵌められないよ」

私が当然の理由を挙げつつ拒否すると、

「ネックレスに通して首から下げるとか、最悪、制服の時は胸ポケットに入れるとかでいいから、絶対に持ってて。お願い、俺は安心したいんだ」

懇願しながら、私の左手から右手を放した。

 混乱する私に、男は更に混乱させるような事を話し始めた。

「俺は君にとっては、いわゆる宇宙人なんだ」

これがまず理解不能だ。

「だから、地球にない技術を持ってて、それを使える。この指輪もそう」

これも理解に苦しむ。指輪はただのピンキーリングにしか見えないし、こんな細い、家庭科で使った木綿の縫い糸二本分くらいの細さの素材のどこに未知の技術を仕込めるのか、想像もできない。

 それでも、話が終わらないと帰れないのでそのまま聞いていると、突然、男の話は私の理解が及ぶものになった。

「悪い奴らはこの星を自分たちの物にしようとしてる。君はまだそこまでは気づいてなかったかもしれないけど、でも、きっとすぐに気づいたはずだ」

内容は相変わらず荒唐無稽ではあるが、

「『気づく』って、もしかして『選ばれる』ってやつの事? えっと、『選ばれる』に気づいたから、これから他の事にも気づくとか、そういう話?」

この部分だけには心当たりがあったからだ。そして、私が辿り着きかけていたのは、

「無知で従順な地球人だけを選抜して、自分たちの船に乗せて連れ去って洗脳する。ここの言葉で表現するなら、『方舟計画』かな?」

私にとって暴力的で独善的な、いや、私以外の地球の人類全員にとっても耐え難い計画についてだったらしい。 

「しかも、船に乗せない地球人は残らず殲滅だ。それが終わると、洗脳し終えた地球人たちを戻して、自分たちの都合のいい星に変えるんだ」

続けて男が話した事は、私を含めた人類の尊厳を顧みない暴挙だった。

 私はこの話を信じかけていた。ほんの少しの心当たりが私にそうさせた。

「そんな話されても、信じていいのか分からない」

だから、歯止めをかけようとして、

「大体、宇宙人なんているはずがないじゃない。あなただって人間にしか見えない」

まずは男の見た目について指摘した。顔のほとんどは帽子やサングラスなどで隠れているが、見えている所は人間と同じ造形だ。体の方はコートで覆われているし、足元は黒いズボンと黒い靴で見えないが、二本の足で立っている。それに、先ほど見た手のひらは明らかに人間のものだった。

「宇宙人だって地球人と見た目はそんなに変わらないよ。地球みたいな環境で、地球と同じような進化を遂げたからね」

私の疑問に、男はこんな風に答えた。

 そして、畳み掛けるように次の話に繋げた。

「でも、俺たちの星は地球よりも大分早くに生まれたから、その分早く死のうとしてる。ここを都合のいい星に変えた後は、自分たちが移住するんだ」

それは「方舟計画」の目的についてだった。

「地球だって、自転の速度が遅くなってるとか速くなってるとか、太陽が爆発しそうだとか、そういう事言われてるけど、それはいいの? 今年は物凄く暑いじゃない。今だって、もう十月なのに最高気温が二十五度くらいある」

私が聞き齧った知識を使って質問しても、

「まだ数千年の猶予はある。そういうデータがあるんだ」

男は揺らぐ事なく、淀みなく答えた。

 私は迷った。信じていいのか分からないからだ。話を聞かないと帰れないらしいし、聞いても全てを理解する事ができないのに、理解できない大部分も含めて、信じる事に問題がないのかの判断がつかない。

「星が滅びるなら、それと共に自分たちも滅びるべきだって俺は考えてる。地球人には迷惑をかけられない。だから、俺は仲間を裏切ったんだ」

心の中でふらふらと揺れている私とは逆に、男はしっかりとした意志をもって行動していると話し、

「君はみんなが『選ばれた』って話してるのに違和感を覚えた。それは大切な事なんだ。みんなが洗脳されかけてるのに、君だけは正気だ。俺は君を信頼してる」

その強い意志を私にも向けた後、

「悪い存在に騙されないで。気を確かに持って。絶対に助かるんだ」

最終的に、私の頭の奥の方に声を響かせた。


 帰宅して着替えてから、私は机の中から出した細いチェーンの金のネックレスに指輪を通した。ネックレスには小さなサファイアが付いている。それは指輪にとてもよく似合った。元々こうだったみたいだ。

(宇宙人っておしゃれなんだな)

ほんの少しだけ感心してから、私はその指輪付きネックレスを首から下げた。


 誕生日の翌日以降、私はよく周囲を観察した。あの男、帽子の宇宙人の話を鵜呑みにするのは憚られたからだ。自分の目で、耳で確かめないと信じる事ができないと考えたのだ。

 私は毎日集中した。すると、集中すればするほど、周囲が「選ばれる」の話をしているのが聞こえてくるようになった。

「あの子は選ばれたみたい」

今日も、電車の中で若い女性の声がそう言う。

「羨ましい……」

そんな同世代くらいの女性の声も聞こえる。

「俺は詐欺師だから無理だ」

それから、少し上くらいの年齢の男性の声が落胆すると、

「私は売春婦だから無理ね」

もっと年上のような女性の声も諦めた。他のがっかりしているような吐息の音が聞こえ、数人の呻き声も聞こえたところで、

「そんな事はない。これからは真面目に生きるんだ。きっと認めていただける」

そんな老人の声がその場の全員を励ました。

 私はここで歓声でも上がるのかと思ったが、その後、車内は静まり返った。その静寂の中、

(犯罪者は洗脳しにくいとかあるのかな? 真面目で、これまで自分の環境に何の疑いもなく生きてきた人たちの方が扱いやすいって事かも)

私はそんな推測をした。犯罪者にも色々あるだろうが、特殊な思考の持ち主が多そうなイメージがある。ニュースで「そんな人には見えなかった」などと近隣住民に評価される犯罪者もいるが、それはただそうは見えなかっただけで、頭の中では絶えずおかしな事を考えていたのではないかと思った。


 私は気づいていた。通学に使うバスの中は安全だ。なぜなら、おかしな話をする人がいないからだ。しかし、気は抜けない。いつ状況が変化するか分からない。

 そして、バスを降りると、途端にまた危険になる。私は集中しながらも慎重に普段通りを装い、パスケースを機械に翳してから降車した。そう、バスを降りると危険なのだ。バス停も危険だし、すぐ目の前にある学校も危険な場所だ。

 校門を通過したところで、

「この計画に気づいてる奴がいるはずだ」

後ろから男子生徒の声がした。私が早足になりかけたのを堪えると、

「排除しないと」

女子生徒の声が恐ろしい言葉を使い、

「いくら選ばれないからって、邪魔するのは駄目だろ。俺は協力するぞ」

違う男子生徒の声が意気揚々とした。

(これ、私の事なのかな? それとも、私以外にも気づいてる人がいて、その人も含めて、「気づいてる奴」を探し出そうとしてるとか……?)

当然、私は不安になったが、今、ここで何かをするつもりはなさそうだと感じたので、バレてはいないらしい。


 ある日の放課後、担任に呼び出されたので、化学準備室へ寄ってからバス停へ急ぐと、部活帰りではなさそうな、少し派手に見える三人の女子たちがバスを待っていた。同じ学年ではないと思う。

 その派手な女子たちは私が近づくと、こちらをチラっと見てからヒソヒソやり出した。

「あの人……」

「ああ、……『お気に入り』か。そんな臭いしない?」

「うっそぉ、よくやるわ」

その「あの人」とは、もしかすると私の事なのかもしれない。後ろにはまだ誰もいないし、先ほどの視線の先にいたのが私だからだ。

(「お気に入り」って、つまり、あの宇宙人の「お気に入り」って事?)

私がそう思い浮かべたところで、

「大人しくしてたら選ばれたのに」

三人の中の一番大人しそうに見える女子の声がそんな事を言った。

 私は背筋が凍りつくのを感じた。

(これ、やばいんじゃない? 私があの宇宙人と繋がってるってバレてるんだったら、妨害してきたり、襲ったりしてこない?)

帽子の宇宙人とはあの誕生日の夜以来会っていない。それでも、私の首には今も指輪のネックレスが掛かっている。完全にそれが通信機だと信じ切れてはいないが、何となく肌身離さず着けている。それは「繋がり」だ。

 それから程なくして、バスが到着した。私は派手な女子たちに続いて乗り込み、一番後ろの座席に浅く腰掛けた。三人は前の方の席に座った。もうこちらの方を見もしない。何かを仕掛けてくる様子もない。安全なバスの中だからかもしれないが、だからと言って油断はできない。私は駅に着くまでずっと気を抜かずに、悟られないように三人と他の乗客たちを観察し続けた。


 バスを降りてからは、やはりおかしな会話がそこかしこから聞こえた。それでも、いつもの「選ばれた」やそれに類する会話のみで、私について何かを話している様子はなかった。

(よかった……)

何事もなく帰宅した瞬間、私は心底安堵した。


 しかし、その夜、自分の甘さを反省しなくてはいけない事態に陥った。

(……!)

熟睡していたはずの私は、突然、物凄い圧迫感で目を覚ました。こんな感覚は生まれて初めてかもしれない。起き上がって部屋を見回しても、勿論、誰もいない。誰もいないはずだ。

 ざわざわする胸を押さえ、冷や汗をそのままに、混乱している私は部屋を出た。それでも収まらないので、一階へ降りた後、パジャマのまま玄関へ走り、素足に母のサンダルをつっかけ、外へ出た。

 私は本当に混乱していた。庭を突っ切り、門を乱暴に開けた後、そのまま広い方の道路へ出るべきなのに、なぜか狭い方の道へ走った。

 すぐに到着したのは、帽子の宇宙人と出会った路地の前だ。しかし、そこにいたのは帽子の宇宙人ではなかった。

「!」

息を飲んだ私の目の前にいたのは、顔を半分覆う程大きな黒いサングラスをかけた、黒いスーツ姿の男たち三人だった。

「お前は邪魔だ」

そして、私の方に真っ直ぐに顔を向けてそんな事を言う相手の心当たりは一つだ。

(助けて!)

だから、そう強く念じた。

 すると、

「間に合ったか!」

空から声が聞こえたと思ったら、黒スーツたちが拳銃のようなそうでないような物を懐から取り出した。しかし、それは発射される事はなかった。上空からすとんと私の前に降り立った帽子の宇宙人が、何もない空間から細い刀を取り出したからだ。

 帽子の宇宙人が握る刀の刀身は、薄く青く光っていた。

(きれい……)

そんな事をしている余裕はないはずなのに、私は見惚れた。一方、帽子の宇宙人はそんな私を気にする事なく、

「お前――」

黒スーツのうちの一人が何か言いかけたところで、瞬間移動のようにそちらへ距離を詰め、あっと言う間に三人の体を横に真っ二つにした。

「うっ……」

私は込み上げる吐き気を抑えるために口元へ手を遣った。きれいに真っ二つにされた宇宙人の血は赤かった。青や緑ではなかった。骨も内臓も他の物もあった。つまり、私は生まれて初めて「人」の死体を見たという事だ。

 私が死体を凝視しながら震えていると、

「見なくていい。ここは俺が処理しておくから、早く家へ戻るんだ。それで、何食わぬ顔で布団に入れ」

帽子の宇宙人は私の目の前に自分の背中を向け、視線から死体を隠しつつ、穏やかながらも毅然とした声音でそう言った。


 部屋に戻り、ベッドに横になって布団を被っても眠れなかったが、目覚ましの音で目を覚ましたという事は、いつの間にか眠っていたのだろう。

 私は朝の支度をしてから洗面所へ行き、歯を磨いて顔を洗った。リビングへ移動し、

「おはよう」

既にテーブルに着いている双子の弟たちに挨拶したところで、

「おはよう、お姉ちゃん、自分の分持ってきて」

後ろから、母がトーストの乗った皿を両手に一枚ずつ持ちながら私に声をかけた。

「うん」

私は頷いてからキッチンへ行き、もう一枚のトーストの皿と、バナナにヨーグルトをかけた物が入っている器を一つずつ手に取り、リビングへ移動した。それと入れ替わりに、母は弟たちの分のヨーグルトの器を取りに行った。

 父は既に家を出たようだし、母も朝食を終え、出勤の準備をしている。いつも通りだ。弟たちはゲームの話をしている。昨日は夜遅くまで対戦していたらしい。それもいつも通りだ。

「二人共、今年受験なんだから、ちゃんと勉強もしないと駄目だよ」

私は姉らしい事を言ったりした。これもいつも通りだ。

 家族には変化はない。今ここにいない父も含め、「選ばれた」という話もしない。

(ああ、みんな殺されるのかな。選ばれないと殺される。私みたいに気づいても殺される。だから、みんなが気づいてないうちに、早く何とかならないかな……)

トーストを手に、私は無邪気な弟たちや慌ただしい母を眺めながら、心の底からの不安を感じていた。


 家を出て駅へ向かう途中、私は電柱に掲示してある町名が書かれたプレートに違和感を覚えた。

(これ、こんなところに傷なんかあったっけ?)

普段はじっくり見る事などないそのプレートが、自分に何かを示しているように感じた。


 それを機に、私の中で違和感が広がっていった。歩道の点字ブロックの汚れや、駅で改札に引っかかっている人や、ホームへ向かう階段の段数や、ホームにある電光掲示板もおかしい。声のように勝手に耳に入ってくるものとは違い、これらについては注意していなければ絶対に気づけなかっただろう。

 電車の中でスマホアプリで英単語の勉強をしていると、これにも違和感を覚えた。単語が出てくる順番が私に何かを伝えている。だが、それが何なのかまでは分からない。

(でも、私には洗脳は効かない)

今は分からなくても、気づいてさえいれば、これから分かるようになるはずだ。だから、私はそれからも色々な違和感について慎重に観察し、その結果をスマホのメモアプリにまとめる事にした。


 それから数日が経った。メモアプリには様々な違和感がずらずらと並んでいる。一見すると何という事はないが、そのただの羅列のように見えるものを眺めていると、たった一つの明確な何かが見えるような気がした。しかし、私にはまだそれが見えない。そんな気がするだけだ。


 さて、今週から進路相談週間だ。私の通う高校では、大学進学希望者が二割、専門学校進学希望者が五割、あと、就職希望者が残りの三割くらいらしい。私は就職希望なので、進路相談では担任とその話をする事になる。

 私の相談日は今日ではないので、ホームルームの後はすぐに教室を出た。下駄箱で外履きのローファーに履き替えようとしている時、

「選定が終了する前に、何とかして俺が選ばれるに値する人間だって分かってもらわないと」

という男子の声が下駄箱の裏側から聞こえた。

「俺も焦ってる。どうしたらいい?」

すると、別の男子の声がそう言った。ここまではいつも通りだ。決して気を抜いている訳ではないのだが、慣れてしまった。この程度ならスマホにメモはしない。

 でも、私がローファーを床に置き、上履きを脱いでしゃがんだところで、

「多分、スパイがいる。スパイかは分からないけど、少なくとも、邪魔しようとしてるやつがいる。だから選定が進んでないんだ」

今度は最初の男子の声がそんな事を話した。その事を確信しているような、断定的な話し方だ。

(普通に考えたら、「スパイ」とか「邪魔しようとしてる」のはあの帽子を被った宇宙人だけど、この間の女の子たちといい、この学校の生徒ばっかりがこんな話をしてる。じゃあ、学校に「邪魔しようとしてる」人がいるかもしれないって感じてるのかも)

私はそう考えたので、音を立てないようにカバンのポケットからスマホを取り出し、すぐさまメモアプリを起動した後、今の男子たちの会話を急いでメモしようとした。しかし、

「そいつを見つけたら、俺は選ばれるかも」

メモをしている最中、もう一人の男子の声が聞こえたと思ったら、

「俺も協力するから一緒に見つけよう。案外近くにいるかもよ」

最初の男子の声がはっきりと、堂々とそう言ったので、思わず、私はメモアプリを開いた画面のままのスマホを制服のスカートのポケットに突っ込み、ローファーを履いた後、走って玄関を出た。


 そのまま校門を通り過ぎ、バスに乗ろうとしたが、今発車したところだった。この後十五分ほど待たないと次は来ない。

(信号が赤になったら、もしかしたら間に合うかも)

だから、下り坂をひたすら走った。しかし、私は運動が苦手で、走るのも遅い。下駄箱から走りっ放しなので、息が上がってきた。確かにバスは赤信号で停車していたが、その信号を無視して走り続けても、次のバス停まで先回りする事が叶わないのは目に見えている。

 私がそれを悟り、諦めて立ち止まったところで、下り坂の方から男が二人走ってくるのが見えた。大きなサングラスに黒いスーツの男たちだ。

(見つかった!)

私は横断歩道の手前の道を折れ、また走り出した。

 肺が潰れるかと思うほどに苦しい。少し涼しくなってきたとは言え、まだ気温は高い。額から汗が流れ、目に入りそうになったので、ブラウスの袖で拭った。そうやって一生懸命走っていたのに、

「待て!」

すぐに黒スーツたちに追いつかれてしまった。

 疲れていたからか、私は足を止めてしまった。後ろを振り向くと、先ほどの黒スーツが二人共、こちらを向いている。

「こいつか?」

一人がそう言うと、

「そうだろう」

もう一人が頷いた。

 苦しいのと暑いのと、頭の中がごちゃごちゃしているのとで、私はもうどうしていいのか分からなくなった。

「はぁ、はぁ……」

肩で息をしながらも、黒スーツたちの動向を観察して、これからどうするのかを考えようとしたが、妙案は何も浮かばない。……浮かばなかったが、

(ああ、そうだ、通信機があるんだった)

ようやく思い出せたので、

(助けて!)

私は強く念じた。

 しかし、帽子の宇宙人は現れない。

「なぜ、お前は私たちの邪魔をしようとするのだ?」

黒スーツのうちの一人が首を傾げながら尋ねたので、

「はぁ、はぁ、……じゃぁ、邪魔なんかしてない……」

まだ呼吸が整わないが、私は反論し、

「私は、……このままだと死ぬ。はぁ、はぁ、……私以外も死ぬ。……はぁ、……それは避けたい、だけ……」

それから、思った事をそのまま口に出した。そもそも、そうなのだ。私は別に世界を救いたいだとか、そんな壮大な事を考えている訳ではない。ただ単に、周囲がおかしくなっている事に気づき、自分が巻き込まれないように、なるべくなら他の人たちも巻き込まれないように、何事も起こらなければいいと思っているだけなのだ。それは十八年間普通に真面目に生きてきただけの私にとっては当然の事で、それ以外には何もない。しかも、少し本気を出して走っただけで動けなくなっているような軟弱な体しか持ち合わせていないので、未知の技術がある宇宙人の邪魔をする手段などないのだ。

「そういう思考が我々にとっては邪魔なのだ」

なのに、黒スーツは私の話を聞いた上で、そう結論付けた。

 それを合図に、黒スーツたちは上着の襟元に手を入れたと思ったら、拳銃のような物を取り出した。今回は明るいのでよく見える。大人の手のひらくらいの大きさの黒光りしているそれは、私には本物の拳銃に見えた。

(ああ、……死ぬんだ)

私はまた諦めた。もう一歩も動ける気がしないからだ。

 その時、空から帽子の宇宙人が物凄いスピードで落ちてきた。通常なら、そんな事が起こればスピードに比例した空気の流れが起こり、かなりの圧の風が私を襲うはずなのだが、空気は一切振動せず、帽子の宇宙人は私を庇うように背を向けた状態ですとんと降りた。それはあの夜、路地の所でもそうだった気がした。しかも、今回は既にあの青くてきれいな刀を手にしている。

「あっちは陽動か? まあ、あっちはあっちでやっつけておいたけどな」

帽子の宇宙人は明るい声で言うと、あの夜のようにまた瞬間移動し、二人の黒スーツを瞬時に横に真っ二つにした。

 私はまた死体を見た。でも、前回みたいに吐き気を覚えたり、震えたりはしなかった。ただ安心した。自分が死ななかった事と、自分を殺そうとした人が死んだ事に心底安心した。

「間に合ってよかった」

帽子の宇宙人の言う通り、今回はギリギリだった。多分、ギリギリだった事で、より自分の命が助かったありがたみに意識が行き、グロテスクな死体が安全を象徴しているように感じたのだろうと思う。

 「昼間の襲撃なんて、あいつら焦ってるな」

帽子の宇宙人がそう言ったところで、私は我に返り、同時に、もう自分の呼吸が穏やかになっている事に気づいた。だから、

「色んな手段で洗脳しようとしてるしね。そこら中に仕掛けがある。これなら、私以外にも気づく人が出てくるよ」

傍の電柱の違和感をはっきりと感じる事ができたので、スカートのポケットからスマホを取り出しながらそれを伝えると、

「そうなればいいんだけど、そろそろ選定が終了する。間に合わないかもしれない」

帽子の宇宙人は渋い声になった。

「今週末、何かが起こる。何かは分からない。もう少し調べてみるけど、君も気をつけて」

それから、不穏な予定を伝えた。


 二度目の襲撃の後も、私は毎日そこら中の仕掛けを確認しながら周囲の声を聞いた。でも、その行動を誰にも気取られてはいけない。声のする方は絶対に見ないようにしながらも、何を話していたかを覚えて、何があったのかを覚えて、それらをこっそりメモアプリに保存していった。


 それからは黒スーツの襲撃は鳴りを潜めた。もしかしたら、週末の「何か」に向けて準備をしているのかもしれない。

 私の方も週末の金曜日の放課後には用事がある。進路相談だ。


 二人きりの教室で私と向かい合わせに座る担任は、しきりに廊下の方を気にした。しかし、誰もいない事を確認したのか、

「うん、何の問題もないよ。俺がちゃんと高橋先生にお願いして、君をちゃんとした会社に入れてあげる。うちの近くだったらなぎさ印刷かな? あそこは近所でも評判いいし、経営も順調だよ」

それから、穏やかな低くて太い声で進路相談を始めた。

「ありがとう。うちは弟たちを大学に入れたいらしいから、私は就職しないといけないの。弟たちの方が勉強できるからね」

私が自分の家庭の事情を話すと、

「学力だけなら進学もできそうだけど、俺の方も円には早く独り立ちしてもらって、将来に備えたいからね」

担任は満面の笑みになった。

 私が自分も笑うべきなのか迷っていると、担任はおもむろに私の左手を握った。

「明日も公園の前まで迎えに行くね。十時半でいい?」

それから、半年後の就職の話ではなく、それよりも随分と近い明日の話をした。

「うん」

私が頷くと、

「そうだ、ちゃんとあの指輪着けて来てね。もう『肌身離さず身に着けて』とかはお願いしないから、それでも、二人でいる時には着けて欲しいな」

担任は私の左小指を触った。

 私は左手を引っ込めた。

「何で、先生が指輪の事知ってるの?」

これまで、私は油断していた。よく知っているので、どうでもいい事まで何でもよく知っているので、この地味で冴えない四十二歳の男性の事を意識の外に置いていたのだ。今、それが大失態だったと理解した。

「え……?」

まずい事を言った事に気づいたのか、担任は狼狽え始めた。私の左手があった位置から自分の手を動かさず、目だけでこちらを見て、私が次に何を言うのかを確かめているような素振りだ。それなら、私はこの可哀想な男に種明かしをしてやるしかない。

「先生があの指輪の事を知るはずない。先生の前ではネックレス外してたから知るはずないのに、何で言っちゃったの?」

更に、なるべく余裕があるように振る舞うために、ゆっくり椅子から立ち上がり、

「そのノート、何が書いてあるの?」

担任の手元のノートを指差してやった。

「いや、普通に進路相談の……」

まだ慌てているのか、担任は嘘をついているような声音で取り繕おうとした。

 そこで担任が目を伏せたので、その隙に、私はカバンを掴んでから廊下へ飛び出した。


 私は上履きのままバス停まで走った。丁度誰もいない。時刻表の傍のベンチに倒れ込んでから、

「助けて……」

と呟いても、帽子の宇宙人は来ない。誰も来ない。誰も助けに来てくれない。誰も助けてはくれない。助けてくれる人などいない。わざわざ私なんかを助けてくれる人がいるはずもない。誰にも話していないから助けようがないのかもしれないが、誰か一人にでも話してしまったら、そこから私たちが「繋がっている」という事が広まってしまい、私の身に危険が及んでしまう。

「私は普通なのに……」

私は十八年間、普通に、大人しくしてきただけだ。それなのに、今、非常に特殊な状況に身を置いていて、置かされていて、それによって強い不安と耐え難い苦痛を感じている。それでもそれを乗り切ろうと足掻いているが、私のような普通の、いや、普通よりも力のないただの女子高生がどう足掻こうと、大きな脅威の前には無駄な抵抗でしかなく、悪足掻きとすら言えないのかもしれない。

 私が勝手に絶望していると、

「やはり、お前は危険だ。今後、力を付けられたら困る」

右上からそんな声がした。見上げると、いつの間にか黒スーツが一人、そこに立っていた。

「私には力なんかない。あんたに歯向かう力なんかない。でも、もうやめて欲しい。もう人間に何もしないで、お願い」

そんな懇願は聞き入れられるはずもなく、私は黒スーツに頭を押さえ付けられたと思ったら、そのまま気を失ってしまった。


 バスの近づく音で目を覚ました私は、頭が割れるように痛む事に気づいた。

(何かされたんだ)

気を失う前に帽子の宇宙人を呼んでいれば間に合ったかもしれないが、そんな隙はなかった。気を失ってしまえば何もできないのは当然だ。

 重たい頭と体を引き摺りながら到着したバスに乗り込んだが、それは駅へ行くものではなかった。でも、都合がいい。


 目当てのバス停で降りてから少し歩くと、そこはホームセンターだ。私には目的があった。ここにはそれがある。

 頭が痛い。体が重い。ホームセンターの白い床に反射した照明が眩しい。その光が目に入ると、余計に頭痛が酷くなってきた。

 朦朧としながら、私はDIYのコーナーへ行き、無骨なノコギリとスタイリッシュな電動ドリルを手にした。私が両手に持ったそれらに満足していると、近づいて来たのは黒スーツだ。

「あんたが何をしたのか分かってる。私の頭に何か埋め込んだんでしょ?」

私はそいつに確認した。激しく痛む頭を抱えたいが、両手が塞がっているのでできない。

「これがあれば取り出せる。私は簡単に殺されたりしない」

さっきまでは絶望していたし、何なら今も絶望しているのだが、それでも、私は殺されたくないので、非力な自分にできない事を道具にやってもらうまでだ。

 その時、黒スーツが手を伸ばしてきたので、

「助けて!」

私ははっきりと声に出した。でも、帽子の宇宙人は来ない。ここには空がないからかもしれない。だから、空のある外へ出ようとしたのに、頭が痛くて、両手が重くて、体全部が重くて上手くいかなくて、そこに走ってきた黒スーツ二人と、元々いたもう一人に囲まれた。

「この子が――」

一人目の黒スーツの声が言った。

「そんな事はさせない。発信機は脳幹に癒着している。お前になど取り出せるはずもない」

頭に手を遣って押さえただけでそんな事ができるのかは信じられないが、現に、私は今、頭の中に激痛を感じている。

「できる! 私にはできる!」

それでも、私の手の中にある二つの物さえあれば、私にはできなくても、これらの道具が願いを叶えてくれると信じた。空がないと使えない指輪などよりよっぽど信用できる。

「とにかくそれを渡して!」

「あの時に殺しておけばよかった」

「危ないから、早く!」

「お前は邪魔だ」

「落ち着いて、さあ、手を放して」

「このままでは、計画に支障を来す」

黒スーツたちが何かを話しているが、私の耳には入ってこない。頭の中には到達しない。頭が痛くて体が重くて光が眩しくて、空がないからだ。


 黒スーツたちに拘束された私は、そのままホームセンターの事務所に連れていかれた。

(ここも乗っ取られてたんだ)

落胆しながら事務所のドアから中へ入ると、壁際に帽子の宇宙人が立っていた。

「何でいるの?」

私が尋ねても何も喋らないし、何もしない。ただ壁にもたれて腕をくみ、私が黒スーツたちに囲まれているのに、それを眺めているだけだ。

「私は裏切られたの?」

長机の前のパイプ椅子に座らされた私は、帽子の宇宙人に尋ねた。

「それとも、元々、味方じゃなかったの?」

質問を重ねても、返事はない。

「どうして先生が指輪の事を知ってたの? 先生の前ではちゃんとネックレスごと隠してたのに」

壁際の方に向かって疑問をぶつけても、何も返ってこない。

 私は混乱した。頭痛が酷くて、きちんと筋道立てて考える事ができなくなっていた。

「何の話?」

だから、隣に座った黒スーツの一人が尋ねても、それに答えられない。その代わり、帽子の宇宙人を問い詰めた。

「先生が『明日、指輪着けて来てね』って言ったの。おかしいよね?」

壁は何も話さない。都合が悪いのか、黙ったままだ。

「あのネックレスは先生がくれたから隠さなくてもいいけど、指輪は隠さないと駄目だから、絶対に見せなかったのに」

でも、そこまで話してみて、私は違和感に気づいた。

「あれ? 先生はネックレスの他にも何かくれた? 進学したら結婚できないから就職先を見つけるって話はしたけど、他に何か『約束の物』をくれた気がする。『もう成人だね』とか言って……」

それが何だったかは思い出せない。頭が働かない。そこで、私は頭の中にある事をそのまま出してみる事にした。

「私は別に先生と結婚なんかしたくない。誰ともまだしたくない。だから困った。どんどん話が進んでいくから、凄く困った。先生に呼び出されて、『話を聞いて』って言われて、聞かないと帰してもらえないから聞いて、そしたらそれから何回も呼び出されて、休みの日も車で迎えに来られて、最初はキスしかしなかったけど、どんどんエスカレートしていくのが怖くて、ゴム着けてくれない時も最近あって、でも就職できないと家族に迷惑がかかるから我慢して、卒業したら終わると思ってたのに、先生の家の近所の会社に就職なんてしたら、私は逃げられない。でも、その前に人間はみんな死ぬんでしょ? 先生も死ぬのかと思ってたけど、先生が選ばれたんだったら、先生は生き残るんだね。私はここで死ぬのかもしれないけど、先生は生き残るんだ。私は真面目にやってきただけなのに」

しかし、そうやって吐き出したのに、何も変わらない。壁はそこにあるだけだし、男たちは私を囲んでいる。

 何をしても何も変えられない事を悟った私が黙り込むと、

「君、何の話してるの?」

「いや、これ、この子が学校の先生に……」

「学校に連絡した方がいいのか?」

「何言ってんだよ、『先生』だぞ? それより親御さんだろ?」

私を囲んでいる男たちは慌て始めた。でも、話が頭に入ってこない。

(早く頭の中の物を取り出さないと……)

それが頭の中にある発信機のせいだと思ったが、

(……ああ、でも、ここで死ぬんだったら関係ないか)

次には、全てを諦めた。


 私はホームセンターの事務所では死なななかった。その代わり、光る車に乗せられて、近くにある宇宙船に連れて行かれた。

 宇宙船には黒スーツたちが沢山いて、地球人と思われる普通の服を着た人たち数人もいた。既に洗脳されているのか、歓談しているように見える。

 私はその人たちとは違い、歓談したりはしなかった。狭い部屋で若い女性の黒スーツに言われるがままに何枚もの書類を書かされたり、指輪のネックレスとスマホを取り上げられたりしてから、雑談のような事はした。

 それから何時間経ったのかは分からないが、女性の黒スーツが出した何らかの細工がされていると思われるお茶を飲んでいると、母が宇宙船に迎えに来たので、やっぱり細工済みと思われるスマホを受け取ってから帰宅した。


 翌日の土曜日、私は母に病院に連れていかれた。そこはかかりつけではなく、初めて訪れる場所だった。

 診察室に入ると、白衣を着た三十代半ばくらいの鼻が高い女性の医者がいて、

「ここは安全だから、全部話していいよ」

にこやかにそう言うので、私は宇宙人と出会った事を素直に話した。本当に安全かどうかは判断できないが、どうせ、頭に埋まったままの発信機から黒スーツたちに情報は筒抜けのはずだ。バレているのだからと開き直っただけだ。

 私の話が終わると、

「あなたの心は凄く疲れてるの。これからしっかり休んで、ゆっくり回復させようね。そうしたら、宇宙人はいなくなるよ」

鼻が高い医者は、地球の危機を私のせいにした。


 それからしばらくして、担任は逮捕されたそうだ。その事は聞いていたが、ある日、自宅のリビングで母と一緒にテレビをみていると、昼時のワイドショーのいくつかあるトピックのうちのエピソードの一つとして、逮捕の件が短く紹介された。

「恋愛感情があった。卒業したら結婚する約束をしていた」

担任がそう話したという話題に、コメンテーターたちがやたらと食いついている。

 その時、昼食を作るためにリビングを離れていた母が慌てて戻ってきて、無言でテレビのスイッチを切ってしまった。

「でも、ニュースにはヒントがある。それを読み解かないと、人類は無事じゃいられない」

私が反論すると、

「それはあんたがやる事じゃないでしょ? 他の人がやったらいいの。あんたは休まないと」

母は反論し返した上、

「そうだ、K-POPとかアニメが流行ってるんでしょ? そういうの見なさい」

自分は仕事一筋で趣味らしい趣味を持たないくせに、私には無理矢理趣味を与えようとした。


 黒スーツたちはあの宇宙船から私を見張っているのだろう。定期的に母に連絡が来ているのを私は知っている。

 私の頭の中にはまだ発信機が埋まっているが、病院の薬のお陰で頭痛は収まっている。痛みを取っているだけで、発信機はまだ埋まったままだ。発信機は埋まったままで、私の思考は黒スーツたちに筒抜けだ。

 その筒抜けの思考で、

「先生は犯罪者だから、選ばれないよね?」

私は黒スーツの誰かに話しかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

インベーダーと私 姉森 寧 @anemori_nei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ