第二十一章 ぬくもりのある集団

焚き火の炎が、赤い花びらのように散った。

夜の闇は深く、月も雲に隠れていたが──それでも人々は光を囲んでいた。


「おい、点くぞ……! ……いけるか!?」


男がバッテリーの端子を古い発電機に繋ぐ。

金属同士がぶつかる鈍い音。

一瞬の沈黙。


──パッ。


村の中央の電球が、ぱっと光を放った。

それは頼りなく薄暗い明かりだったが、同時にこの世界で最も眩しい光にも見えた。


「……ついた……!」


「ついた……!」


誰かが呟く。

それだけで、空気が震えたように思えた。

ひとり、またひとりと声が上がり、気づけば小さな拍手が広がっていく。


カナメは、その光景を焚き火の端でぼんやりと見ていた。


心が、遠くの水面のように揺れていた。


都市では、人間は群れで壊れた。

欲望に負け、暴力に溺れ、理性を捨てた。

同じ生き物のはずなのに──

ここでは、ただ一つの明かりに、誰もが心を寄せていた。


(……何が違うんだろう)


わからない。

きっと理由なんてない。

ただ、ここでは「生きたい」という言葉が、まだ嘘じゃなかった。


「……お母さん、眠い……」


小さな声が聞こえた。

振り向くと、焚き火の向こうでマコが母親に身を寄せていた。


「そうだね……もう遅いもの」


母・ユウナは優しく言うと、マコをそっと抱き上げた。

二人の影が、火の光に揺れる。


(……)


何も特別じゃない。

ただ母親が子を抱いているだけだ。

それなのに、胸が痛かった。

何もかもが終わっていくこの世界で、

それだけは──どこまでも正しいことのように見えた。


「ここに……住む気はないのか」


いつの間にか男・トモユキが隣に座っていた。

その問いに、カナメは少しだけ首を振った。


「……僕は、たぶん……どこかにいたいんじゃなくて…逃げたいだけなんだと思う」


「逃げて何が悪い。人間はそうやって生き延びてきたんだ」


トモユキは焚き火に小枝をくべた。

火が、ふっと明るくなる。


「……ここにいると、忘れちゃうよ」


「何を」


「人間が終わってるってことを」


「……それなら、少しはここにいてもいいんじゃないか」


カナメは返事をしなかった。

でも、その沈黙は否定ではなかった。


「……ありがとう」


ただ…小さな声で呟いた。

自分でも、こんな言葉が出てくるとは思っていなかった。


遠くで、マコが母親に抱かれたまま、うとうとしているのが見えた。


その姿を見ていたら、頭の奥で何かが崩れていった。


──何を守るでもない。

何かを変えるでもない。

ただ、ひとりの子どもが母親に抱かれて、安心して目を閉じる。


それだけでいい。

それだけで、人間はまだ生きていていい。


理屈じゃなかった。

神に抗う意味もわからない。

でも、それでも。


(……僕は)


またこの世界を、嫌いになれなくなっている。


焚き火が少しずつ小さくなっていく。

その光が消える前に、眠ろうと思った。


生きることの意味なんて、もう考えなくていい。

ただ、目を閉じて──明日を迎えればいい。


それだけが、今の彼に許された、ささやかな救いだった。






翌朝、カナメが目を覚ますと、焚き火はすっかり冷えていた。




暗転していた黒い空は、嘘のように晴れていた。


裂け目のように空を覆っていた闇は消え、まぶしいほどの光が村を照らしている。




(……なんだ……これは)




昨日まで続いていた暗闇は何だったのだ?


人々の不安を煽るためだったのか?


それとも、ただの気まぐれか。


この世界を支配する“あの存在”が、少し退屈しただけなのか。




慈悲──そんなものではないだろう。


だが、他にどんな意図があるのかもわからない。




(……本当に、何もわからない)




まぶしい光が、むしろ不安を増幅させる。


昨日までの闇の方が、まだ正直だったようにすら思えた。




カナメは、ゆっくりと体を起こした。


かすかな土の匂いと、遠くで小鳥の鳴く声がする。




この音も、匂いも、すべてが“生きている”証拠だ。


それでもどこか、借り物のように感じた。




しばらく、そうやってぼんやりと世界を眺めていると


「……おはよう」


声をかけられて顔を上げると、昨日マコを抱いていた母親──ユウナが立っていた。

やわらかな笑顔は、どこか懐かしいものを思い出させた。


「あの……マコが、あなたと話したいって」


「え?」


カナメは反射的に飛び起きた。

まだ体の節々が痛むのも忘れて、立ち上がる。


「何か……あったの!?」


ユウナは目を丸くしたあと、小さく吹き出した。

その声は、焚き火の余熱のようにやわらかかった。


「ふふっ……違うわよ。ただ、遊びたいだけだと思うの」


「……あ。……そうか……」


肩から力が抜けていく。

何を想像していたんだろう、と自分でもおかしくなる。


「うん。全然……いいよ」


少し間を置いて答えると、ユウナは微笑んだ。

まるで何かを理解したように。


「……ありがとう。昨日も、助けてくれて」


「……」


カナメは少し視線をそらした。


彼はいつも“知性”を人から求められると思っていた。

問題を解決すること。答えを持つこと。

それが、自分が人と関わる理由だと。


だから、マコが何も望まずに“話したい”と言ったとき──

どうしていいのか、本当にわからなかった。


ただ求められるということが、こんなに重たいとは思わなかった。


(……でも)


それは少しだけ、心地よい重みだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る