第7話:黒鉄の木と意志持つ弓
旅の準備は、ほぼ整った。
背負子には燻製の魚がぎっしりと詰められ、肩から提げた樺の木の皮の水筒は、清らかな水で満たされている。シェルターのそばで揺れる焚き火を見つめながら、僕は最後の、そして最も重要な課題について考えていた。
「武器、だよな……」
ポケットの中で、先日拾った錆びた矢尻の、ごつりとした感触を確かめる。
この森に人がいた痕跡があるということは、同時に、人が狩りをしなければならないような「何か」がいるということの証明でもある。それがただの動物ならまだいい。だが、もし凶暴な魔物のような存在だったとしたら?
今の僕は、丸腰も同然だ。貧弱なステータスでは、逃げることすらままならないかもしれない。
最低限、自分の身を守るための武器が必要だ。
接近戦は避けたい。となれば、選択肢は投擲武器か、弓矢になる。
矢尻が一つ手元にあるのだから、作るべきは弓だろう。
「問題は、材料だ」
弓に求められるのは、ただの硬さではない。強い力で引き絞っても折れず、その反発力で矢を遠くまで飛ばすための「粘り」と「弾力性」が不可欠だ。
前世の知識では、イチイやカシ、あるいは竹などが弓の材料として有名だった。しかし、この森でそれらの木を見つけるのは難しいだろう。似た性質を持つ、未知の木を探すしかない。
僕は林業に携わっていた祖父の言葉を思い出していた。
『良い木はな、葉の色艶、樹皮の張り、そして森の中での立ち姿で分かるもんじゃ』
僕は焚き火の明かりを頼りに、拠点周辺の木々を改めて観察し始めた。
そして、奇妙な木の一群に目が留まった。
他の木々とは明らかに一線を画す、異様な存在感を放つ木々だった。幹はそれほど太くないが、まるで鍛えられた鋼のように、真っ直ぐ天に向かって伸びている。樹皮は黒鉄色で、金属質の鈍い光沢を帯びていた。葉は小さく、硬質で、まるで黒曜石のかけらのようだ。
「なんだ、この木は……」
試しに幹を拳で軽く叩いてみると、コン、コン、と石を叩いたような硬い音がした。とても木とは思えない密度だ。
僕は試しに、その木から伸びる手頃な枝に【植物操作】を使ってみた。
「しなれ……!」
MPを1消費し、枝を曲げるイメージを送る。しかし、枝はぴくりとも動かない。
「くっ……! もっと強く!」
MPをさらに2、3と連続で注ぎ込む。すると、僕の意思に抵抗するかのように、枝がぎしぎしと軋みながら、ようやく僅かにしなった。
とてつもない硬さと、それに見合わぬ驚異的な弾力性。
「これだ……! これ以上の素材はない!」
僕は確信した。この木を使えば、とんでもない強弓が作れる。
問題は、どうやって加工するかだ。ノコギリも斧もない状況で、この金属のような木を伐り出すことすら不可能に近い。
そこで、僕は発想を転換した。
「伐り出す必要はない。生えているこの枝そのものを、弓の形に加工すればいいんだ」
僕は弓にちょうど良い長さと太さの枝を選び、その枝にだけ意識を全て集中させた。
まずは、不要な小枝や葉を【植物操作】で全て取り除く。次に、枝の形状そのものを、理想の弓の形へと矯正していく。
「曲がれ……もっと、滑らかな弧を描くように……!」
MPを大量に消費しながら、少しずつ、少しずつ、木の繊維に語りかけるように念を送り続ける。ぎし、ぎしり、と木が悲鳴のような音を立て、汗が額から流れ落ちる。
MPが尽きると、HPがじりじりと削られていく感覚があったが、僕は構わずに続けた。
数時間後、僕の目の前には、木に繋がったままの、完璧な弧を描く弓の原型が出来上がっていた。
最後に、スキルで枝を根元から「分離」させる。まるで熟した果実が枝から落ちるように、ぽとり、と弓が僕の手に落ちた。
手にした弓は、ずしりと重かった。長さは1メートル20センチほど。表面は黒鉄色に輝き、まるで伝説の武器のような威容を放っている。
次に、弦作りだ。
僕は森の中で見つけた、麻に似た植物の茎から、スキルを使って丈夫な繊維だけを抜き出した。そして、その繊維の束を、これまたスキルで強力に撚り合わせ、一本の強靭な弦を作り上げる。
完成した弦を、弓の両端に作った刻み目に引っ掛ける。
ギリギリと弓がしなり、凄まじい張力で弦が張られた。
「できた……」
僕の初めてのメインウェポン、【黒鉄の木の強弓】が完成した。
しかし、問題はここからだった。
僕は試しに、弓を引いてみようとした。だが、弦に指をかけても、びくともしない。まるで鉄の棒を引いているようだ。僕の貧弱なステータスでは、1センチ引き絞ることすらできなかった。
「やっぱり、そうだよな……。でも……」
僕は諦めなかった。この弓は、僕のスキルで作ったものだ。ならば、僕のスキルで扱えるはずだ。
伐り出すのではなく、生きた枝を直接加工した。それはつまり、この弓がまだ「植物」としての性質を色濃く残しているということではないだろうか。
僕はもう一度弓を構え、今度は弦を引くのではなく、弓本体に意識を向けた。
【植物操作】を発動する。
僕が弦を引く動作に合わせろ、と。僕の意思と、弓の意思を同調させるイメージを、強く、強く描く。
――僕が弦を引くのではない。弓が、自らの力でしなるのだ。
そう念じながら、僕は軽い力で弦に指をかけた。
すると、信じられないことが起きた。
あれほど硬かった弓が、僕の指の動きに呼応するかのように、ぎぃぃ……と滑らかにしなり始めたのだ。まるで、弓自体が意思を持って、僕の力を増幅してくれているかのようだ。
僕はほとんど力を使わずに、月のように弓を引き絞ることに成功した。
「すごい……! これなら……!」
僕はポケットから矢尻を取り出し、適当な真っ直ぐな枝の先端に取り付けて、即席の矢を作った。
それを弦に番え、二十メートルほど先にある、大木の幹を狙う。
さらに、僕はスキルに新たなイメージを付け加えた。
――僕が狙うのではない。弓が、目標を捉えるのだ。
僕の視線が、大木の幹の中心に固定される。その瞬間、引き絞られた弓が、ぴくり、と微かに動いた。僕の狙いの僅かなブレを、弓自体が補正してくれているのが直感で分かった。
照準が、吸い付くように目標に定まる。
「いけっ……!」
指を離した。
弦が空気を切り裂く、短い悲鳴のような音を立てる。
放たれた矢は、黒い閃光となって一直線に飛び、僕が狙った場所――大木の幹の、まさにその中心へと寸分の狂いもなく突き刺さった。
ズドンッ!!
腹の底に響くような、重い衝撃音。
矢は、その半分以上が硬い木の幹に深くめり込んでいた。矢の根元は、衝撃の激しさで微かに震えている。
素の腕力では到底ありえない、驚異的な威力と、神業のような命中精度。
「……これなら、戦える」
僕は自分の手の中にある、黒弓を見下ろした。
それは、もはや単なる道具ではない。僕の意思とスキルによって、僕だけが使える相棒とも言うべき存在だった。
この弓があれば、どんな獣が来ようとも、きっと生き延びられる。
旅立ちへの最後の不安が消え、僕の心は確かな自信と、未来への希望で満たされていた。
僕は決意を新たに、昇り始めた朝日を見据えた。旅立ちは、もうすぐだ。
『植物操作』は地味スキル? いえ、前世の知識と組み合わせたら最強でした ~ブラック企業出身の僕が、異世界で始める快適サバイバル~ 志村太郎 @shimura_tarou
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