第4話:一夜の城と焚き火の番

串に刺さっていた最後の魚の身を骨から丁寧にこそげ取り、僕は満足のため息をついた。空腹が満たされるというのは、これほどまでに心に余裕を与えてくれるものなのか。焚き火の暖かさも相まって、今すぐにでも横になって眠ってしまいたい気分だった。


しかし、西の空を見れば、木々のシルエットを鮮やかなオレンジ色に染め上げていた太陽が、そのほとんどを山の稜線へと隠そうとしている。夜が、すぐそこまで迫っていた。


昼間は鳥の声で賑やかだった森も、今は不気味なほど静まり返っている。やがて闇が訪れれば、ここが昼間とは全く違う顔を見せることは想像に難くない。夜行性の獣も活動を始めるだろう。この焚き火一つで、夜を安全に越せるとは到底思えなかった。


「寝床、か……」


最優先で確保すべきは、雨風と獣から身を守れる場所だ。


理想は洞窟や大きな岩陰だが、この辺りを見渡しても、そういった都合の良い地形は見当たらない。となれば、自分で作るしかない。


僕は立ち上がり、焚き火の明かりが届く範囲で、寝床作りに適した場所を探し始めた。


「作るなら、簡易的なシェルターだな」


頭に浮かんだのは、前世で林業の手伝いをしていた頃、祖父から教わったサバイバル技術の一つだった。倒木や枝を利用して作る、片流れの屋根を持つ風除け、「リーントゥーシェルター」と呼ばれるものだ。あれなら、特別な道具がなくても作れるはずだ。


幸い、近くに手頃な太さの木が二本、3メートルほどの間隔をあけて並んで生えている。この二本の木を支柱として利用しよう。


僕はまず、シェルターの骨格となる材料を探し始めた。地面に落ちている枯れ枝をかき集める。長さと強度のある、しっかりとした枝が必要だ。


「高いところにある枯れ枝なら、乾燥していて軽くて丈夫なんだが……」


見上げると、木の高い位置に、まさにうってつけの枯れ枝が何本か引っかかっているのが見えた。だが、登って取るのは危険すぎる。


ここで僕は、自分のスキルを思い出した。


「そうだ、【植物操作】があるじゃないか」


僕は狙いを定めた枯れ枝のすぐ近くにある、生きている枝に意識を集中させる。


「動け……!」


MPを1消費し、生きている枝を鞭のようにしならせて、枯れ枝を叩き落とすイメージを描く。


バサッ!という音と共に、狙い通り枯れ枝が地面に落ちてきた。


「よし! これはいけるぞ」


僕は同じ要領で、次々と高い場所にある枯れ枝を叩き落としていく。MPの消費は気になるが、安全かつ効率的に材料を集められるメリットは大きい。


十分な量の骨組み用の枝を集め終えると、次はその骨組みを覆うための材料だ。屋根と壁になる、葉のついた枝や、大きな葉を持つシダ植物などを集める必要がある。


これもまた、【植物操作】の独壇場だった。


邪魔な下草をスキルで左右に「道を開けろ」と念じてかき分け、奥にあるシダの群生地まで楽に進む。手頃なシダを見つけると、その茎に意識を向け、「こっちに来い」と念じるだけで、まるで手招きされたかのように、しなって僕の方へと倒れてきてくれる。いちいち屈んで根元から刈り取る必要がない。


地味だが、確実に僕の労力を削減してくれていた。


MPが残り1になるまでスキルを駆使し、僕は大量の資材を確保することに成功した。


ステータスを確認すると、MPは1/15。さすがに使いすぎた感はあるが、致し方ない。MPは時間で回復するタイプだと信じたい。


いよいよ、組み立て作業の開始だ。


まず、支柱となる二本の木の、地上から1.5メートルほどの高さのところに、一番太くて長い枝を横に渡す。これが屋根を支える最も重要な梁、棟木となる。


通常ならここでロープやツルを使って固定するのだが、僕はその必要がなかった。


「【植物操作】!」


僕は支柱となる木の樹皮の一部に意識を向け、棟木を巻き込むように変形しろ、と念じた。MPはもう残っていないはずだが、なぜか身体の奥から力が湧き出るような感覚があり、木の幹から伸びた樹皮の一部が、にゅるり、と生き物のように動いて棟木に絡みつき、がっちりと固定してくれたのだ。


「うおっ!?」


予想外の現象に驚いてステータスを確認すると、MPは0/15になっていた。どうやら、MPが足りない分はHP、つまり僕自身の生命力で代用できるらしい。HPは10/10から9/10に減っていた。これは、無闇に使える機能ではなさそうだ。


しかし、おかげで強固な土台ができた。


僕はその棟木に、集めた枝を三十度ほどの角度で次々と立てかけていく。これで片流れの屋根の骨組みが完成だ。


「よし、あとはこれを葉で覆っていくだけだ」


ここからは地道な手作業だ。集めてきたシダや葉のついた枝を、下から上へと、瓦を葺くように重ねていく。雨が降った時に、水がスムーズに流れ落ちるようにするためだ。


隙間ができないよう、びっしりと、何層にも重ねていく。


日没との競争だった。


額に汗を浮かべ、夢中で手を動かす。森は刻一刻と闇の色を濃くしていく。


そして、ついに空が完全な闇に包まれる直前、僕の即席シェルターは完成した。


幅2メートル、奥行き1.5メートルほどの、大人が一人、なんとか横になれるくらいの小さな空間。だが、今の僕にとっては大豪邸にも等しい、大切な「城」だった。


僕は焚き火の燃えさしと熾火をいくつかシェルターの入口近くに移し、新しく薪をくべて火を大きくした。入口を塞ぐように焚き火を置くことで、獣除けの効果も期待できる。


完成したシェルターの中に、恐る恐る身体を滑り込ませてみた。


地面には敷物として柔らかい枯れ葉を厚く敷き詰めてある。ごつごつとした感触はなく、意外と快適だ。そして何より、壁と屋根があるおかげで、背後から吹き付けていた夜風が完全にシャットアウトされていた。焚き火の熱が屋根と壁に反射し、内部はほんのりと暖かい。


「……すごい。我ながら、上出来すぎる」


自分の知識とスキルだけで、このゼロの状態から、これだけのものを作り上げることができた。その事実に、僕は静かな興奮と、深い達成感を覚えていた。ブラック企業で歯車として働いていた頃には、決して味わうことのできなかった類の感情だ。


これが、自分の力で「生きる」ということなのかもしれない。


シェルターの中から外を眺めると、焚き火の炎がパチパチと音を立てて揺らめいている。その向こうの闇からは、昼間には聞こえなかった様々な音が聞こえてきた。高く澄んだ虫の鳴き声、正体の知れない生き物のカサカサという葉擦れの音、そして、遠くからは腹に響くような、低い獣の遠吠えのようなものまで。


一人きりだったら、きっと恐怖でまともに眠ることもできなかっただろう。


だが、今は違う。この小さなシェルターと、燃え盛る焚き火が、僕を守ってくれている。


僕は時折、薪をくべながら、ぼんやりと今日の出来事を振り返っていた。


転生、スキル、サバイバル。目まぐるしい一日だった。身体は疲れているはずなのに、頭は妙に冴えている。


やがて、蓄積された疲労が、高揚していた精神を上回った。強烈な眠気が襲ってくる。


僕は焚き火が簡単には消えないことを確認すると、シェルターの奥で横になった。


硬いはずの枯れ葉のベッドが、今はどんな高級なベッドよりも心地よく感じられた。


異世界での、最初の夜。


僕は燃える炎の暖かさに包まれながら、深い眠りへと落ちていった。

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