ハロウィンの亡霊
惟風
そして正装になる
「トリックオアトリート! お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!」
「おうボウズ……最高の仮装じゃねえか」
玄関を開けた深田のおじさんは、僕を見るとニッと笑った。
🎃 🎃 🎃
お母さんが離婚して越してきた団地は、ボロいけど住人は良い人達ばかりで僕は嫌いじゃない。
ただ、お隣のおじさん、深田さんはちょっと変だ。
大抵全裸で、そのまま外に行くもんだからしょっちゅうお巡りさんにどっか連れてかれてる。でも僕とか子供には優しくって、会うとちゃんと身を屈めて目線を合わせて話してくれる(おじさんの股間が気になって会話の中身が入ってこないけど)し、近所のコンビニの万引きしやすい時間帯とかこっそり教えてくれる(こないだそれが店長にバレてバチボコに怒られた後にまたお巡りさんに連れてかれてたけど)。
道徳的とは言えないけど、僕はおじさんのことかわりと好きだ。
そんな風に、他人のことはまあまあ好きだと思えるのに、お母さんとお母さんの連れて来る人のことだけは僕はあんまり好きじゃない。好き嫌いがどうとかより、怖い。
お母さん、元々怒りっぽい人だったけど、お父さんと離婚してからは余計に僕に当たるようになった。
どこで知り合ったかわかんない男の人を家によく連れてくるようになった。しかもすぐに相手が変わる。変わるんだけど、似たり寄ったりな嫌な奴等ばかり。つまり、お母さんと一緒になって僕を邪魔者扱いして怒鳴りつけたり意地悪してきたりする。
お母さんは家に男の人を連れてくると、僕を押し入れに詰め込む。僕は膝を抱えてぎゅっと目を閉じて両手で耳を強く押さえて、歯を食いしばって、音も振動も気づかないようにする。
たまに運が良いと、深田のおじさんが壁をドンドン叩いたり壁越しに叫んだりして、男の人がビビって帰ってくれる。僕は押し入れから出て良くなる。最初はお母さんも男の人もめちゃくちゃ怒ってたけど、お隣に文句言いに行ったら全裸のおじさんが半狂乱で出てきたもんだからそれ以上何も言えなくなってた。
ただ、深田のおじさんは団地にいるよりお巡りさんに連れてかれてることの方が多いから、いつも助かるわけじゃない。
「ちゃんと勉強しないと隣のキ◯ガイみたいになるよ」ってお母さんによく言われる。なろうとする方が難しいよ、という言葉を僕は飲み込む。
そんなある日、お母さんが最近仲良くしてる男の人に、僕の薬を隠されてしまった。僕は肌が少し弱くて、塗り薬だけじゃなく飲み薬もないと全身に湿疹ができて夜も眠れなくなる。それを、男の人に取り上げられてしまった。どうしてああいう人は子供を目の敵にするんだろう。お母さんに言っても取り合ってくれないどころか僕が失くしたってことにされて、怒られた。
その日の夜は痒くて痒くて眠れなくて、お母さんも仕事で家にいなくて、頭がわーっとなって夜中に家を飛び出した。
外はひんやりとして、寒いくらいの気温なのに、掻きすぎてジンジンした身体が冷やされて全然気にならなかった。
団地の中庭にある小さな公園に行った。誰もいなくて、風もなくて、しんとしていた。
団地のベランダを見上げると、オレンジのイルミネーション装飾をしている部屋があった。それを見て、僕はやっと今日がハロウィンだということを思い出した。そういえば、クラスの何人かが仮装して集まってパーティをするって話してた気がする。
「……ハロウィン」
声に出してみると、自分に似合わない言葉すぎて恥ずかしかった。みんなが楽しむものはどれも僕の手の届かないところにある。
腕や首を掻きむしりながら、別の誰か、何かになることを想像してみた。冷たい空気が掻傷に滲みた。
「トリックオアトリート!」
「あー! うるせ……おま、何してんだボウズ」
インターホンを何度か押してしばらく待っても反応がなかったから、僕は思い切り叫んで玄関を蹴った。深田のおじさんはすぐに扉を開けてくれた。もちろん全裸で。おじさんの怒りの形相が、僕を見るなり固まった。
「仮装だよ」
僕は両手を上げて、威嚇するようなポーズを取った。
「トリックオアトリート! お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!」
おじさんは何度か瞬きをすると、合点がいったようにニッと笑った。
「おうボウズ……最高の仮装じゃねえか」
そう言うと、おじさんは真っ裸で廊下に立つ僕の肩を叩いた。僕は深田のおじさんの仮装をしたんだ。ぱちん、と素肌の音が小気味良く響いた。
おじさんは服を着て普通の人の仮装をした。今夜はハロウィンだからだ。
おじさんはお菓子を持ってなくて、僕の家にも無くて、だから二人でイタズラをすることにしたんだ。
遅くに帰ってきたママに、一緒に部屋に入ってきた男の人に。
服を脱いだ僕と、服を着たおじさんはハロウィンのお化けだ。僕達は包丁とバットを振り回して、天然の血糊で部屋を赤く染めるイタズラをした。僕は裸だったけど興奮して少しも寒くなかった。甘いお菓子をくれないお母さん達が悪いんだ。
僕達お化けのイタズラは近所の人達に通報されて、お祭り騒ぎはすぐに終わってしまったけれど、お母さんも男の人も子供みたいに泣いて震えてハロウィンのトリックは大成功だった。
僕はハロウィンの亡霊だ。深田のおじさんにはそれから二度と会えなくなってしまったけれど、僕はあの時の燃え盛るような熱狂を今でも身体の芯に抱えている。
だから、今の僕は服を着なくても寒くない。
ハロウィンの亡霊 惟風 @ifuw
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