第2話 運命の輪 The Wheel of Fortune

あなたは息を飲む。なぜか、拒絶の言葉が出てこない。心の奥で、誰かが頷く。前世の記憶というやつか。それとも、予感とかいうやつなのか。


「…はい」


声が漏れる。


「ふふ。

 これだね。」


老婆は満足げに目を細める。


「では回れ、運命の輪よ!」


次の瞬間、カードの絵が大きな渦を巻き、積まれた本が嵐のように舞い上がる。カードの車輪が、あなたの視界を埋め尽くす——赤い渦巻が回る。椅子から模様の赤竜が飛び出す。渦が加速する。

——風が吹き荒れる。本が舞う。ガラスの割れる音。

視界が歪む。息が止まる。


これは夢か、幻か。


頭が重くなり、視界がぼやける。あなたは、ほんの少し、気を失う。暗闇が優しく包み込み、渦の音が遠くに響く。甘いハーブの香りが鼻をくすぐる。

時間が止まったように感じる。静かな空白だ。


ふと、冷たい手が頰に触れる。老婆の声が、遠くから聞こえる。


「…あんた、大丈夫かい?

 ふふ、素人さんにはちょっとばかり刺激が強すぎたかね。

"マリオネット"、この古いデッキは、時々運命の糸を引っ張りすぎて、こんな風に人の心を揺さぶるのさ。」


彼女の指が、優しくあなたの額を拭う。

湿った布で、埃と汗を払う。

ハーブの香りが濃く漂う。蝋燭の炎が穏やかに揺れる。


「全てこの世は舞台、人はみな役者。

じゃあ、観客はどこに?

…案外、目の前に居るのかも知れないねぇ。」


(一体全体、何のことだ…)


老婆は椅子に座り直し、カードをそっと箱に戻す。

彼女の顔に、祖母のような優しさが浮かぶ。目はまだ井戸のように深く、あなたの魂を覗き込んでいる。


「…運命は選んだ者に訪れる。


お代はいらない…また来な。

次は、もっと穏やかなカードで待ってるから。」


あなたはゆっくりと体を起こす。頭がぼんやりし、大渦の余韻が残るが、体は無事だ。


老婆に礼を言う。声が少し震える。

「ありがとう…ございます。」


彼女は小さく頷く。


「運命の輪は、なかなか回らない。

でも回り始めた輪は——。


…気をつけてな。」


扉が開き、外の冷たい空気が店内に流れ込む。あなたは店の外に出る。路地の夕暮れが、いつもより少し鮮やかだ。


「入ってみる?」


看板の文字が、風に揺れ、微かに笑っているようにも見える。

疲労で足取りは重いが、なぜか、心は少し晴れやかだ。どこかで、何かが変わった気がする。


——そして。


遠く、トラックのヘッドライトが白く滲む。

淡く光る白衣——巫女のような格好をした女がハンドルを握る。

轟音をあげて、あなたに向かってくる。


——トラックの車輪。

まさかこれが、占い師の言っていた運命の輪か?


衝突の瞬間、巫女姿の運転手と目が合う。

ハンドルを握る巫女の瞳に、ゆっくりと回る赤い車輪が映っている。

その瞬間、あなたは思い出す——あの占い師の指先を。


世界がひっくり返るような音。


強い衝撃とともに、暗い紫色をした闇が広がる。深い深い闇。


残響が、まだ耳に残る。車輪の回転音か、ページをめくる音か。


あなたのスマホに通知音が鳴る。

画面が光る。


"LUDWIG: The door is open."


痛みはない。全てが溶け合うような、柔らかな無。

あなたは、落ちる。


どれくらい落ちただろう。考える。いや、もう考えていない。沈む。沈んで、消える。


……遠くで鐘の音が鳴る。誰かの声がする。乾いた砂を擦るような声。


「ルートヴィヒ…あの子は正しかったのかもしれないねぇ。

運命は、騒々しく扉を叩くこともある……」


闇の中から、炎のような光が漏れ、その光が日輪に、そして瞳になる——あなたは、目を覚ます。


「ようこそ、ナロニアへ。」

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