第2話 馬小屋の晩餐
迷宮から生還した俺たち『竜の牙』は、拠点にしている街『アークライト』へと凱旋した。街の人々は、Sランクパーティの帰還を歓声で迎える。レオンさんは胸を張り、セリアさんは優雅に手を振る。ゴードンさんは相変わらず無表情だが、その歩みは誇らしげだ。
俺は、その三歩後ろを、存在感を消すようにして歩く。まるで、英雄たちの影であるかのように。
「よし! 今夜は祝勝会だ! 『金色のグリフォン亭』を貸し切りにするぞ!」
レオンさんの号令に、仲間たちが沸き立つ。
『金色のグリフォン亭』は、この街で一番高級な宿屋兼酒場だ。一泊するだけで、俺の月収の何倍もするような場所。もちろん、俺がその豪遊に加われるはずもなかった。
「アイン、お前は外で待ってろ。荷物の番でもしてな」
「は、はい! わかりました!」
俺は力強く返事をし、言われた通りに酒場の裏手で待機する。中からは、楽しそうな笑い声や、吟遊詩人が奏でる陽気な音楽が漏れ聞こえてきた。
腹が、ぐぅ、と情けない音を立てる。今日の朝、固いパンをかじってから、何も口にしていない。
(でも、仕方ない……。俺は戦闘で何も貢献していないんだから……)
自分に何度も言い聞かせる。これが当たり前なんだ、と。
どれくらいの時間が経っただろうか。すっかり日も暮れ、空には月が浮かんでいる。酒場の裏口が開き、ゴードンさんが顔を出した。その手には、布に包まれた何かがある。
「……食え」
ぶっきらぼうにそう言うと、彼はそれを俺の足元に放り投げ、すぐに扉の向こうへ消えていった。
慌てて拾い上げ、布を開く。中に入っていたのは、テーブルで食べ残されたであろう、硬くなったパンの切れ端が二つだけだった。
「あ、ありがとうございます……ゴードンさん……」
誰にも聞こえない感謝の言葉を呟き、俺はそれを懐にしまった。
宴会が終わったのは、深夜のことだった。千鳥足のレオンさんたちを、俺は宿の部屋まで案内する。もちろん、俺に割り当てられた部屋などない。
「アイン、お前の寝床はいつもの場所だ。馬小屋だよ」
「はい! おやすみなさいませ、レオンさん!」
レオンさんは鼻を鳴らし、豪華な装飾の扉を閉めた。
俺は一人、宿の裏手にある馬小屋へ向かう。ひんやりとした夜風が、薄汚れた服を通して肌を刺した。
馬小屋の中は、干し草と馬糞の匂いが混じり合った、独特の空気が漂っている。俺は慣れた様子で隅に積まれた藁の上に腰を下ろし、ようやく今日の晩餐にありつくことにした。
懐から取り出したパンは、石のようにカチカチだった。馬用の水桶から水をすくい、パンを浸して柔らかくしながら、ゆっくりと口に運ぶ。味なんてしない。ただ、空腹を満たすための作業だ。
(……美味しいな)
本心じゃない。そうでも思わないと、惨めで涙がこぼれそうだったからだ。
(いつかきっと、認めてもらえる。役に立ち続ければ、いつか俺も、あの酒場のテーブルに……)
そんな儚い希望を胸にパンを咀嚼していた、その時だった。
不意に、馬小屋の入り口に人影が立った。月明かりを背負って現れたその人物は、息を呑むほどに美しかった。
「……リリア、様」
純白のローブに身を包んだ、パーティの新メンバー。治癒魔法の使い手である聖女、リリア様だ。透き通るような銀髪が、月の光を浴びてキラキラと輝いている。
だが、その神々しいまでの美貌とは裏腹に、彼女の顔は不快感で歪んでいた。細い眉をひそめ、鼻にシワを寄せている。
「うわ、汚い……。それに臭いわ。こんな場所にいたのね」
その言葉は、まるで鋭い氷のナイフのように、俺の胸に突き刺さった。
「も、申し訳ありません! すぐに離れま――」
「ええ、そうしてちょうだい。ねぇ、あなたみたいな人がいると、パーティの品位が下がるんだけど、自覚ある?」
追い打ちをかけるような、無慈悲な言葉。俺は何も言い返せず、ただ俯くことしかできなかった。
そこへ、慌てたような足音が近づいてきた。
「リリア! こんな所にいたのか! 探したんだぞ!」
現れたのは、リーダーのレオンさんだった。彼はリリア様の姿を認めると、途端にだらしない笑顔になる。
「どうしたんだ、リリア? ああ、こいつか。こいつが何かしたのか!?」
レオンさんは俺を睨みつけ、今にも殴りかからんばかりの剣幕だ。
「いいえ、別に。ただ、不愉快なだけよ」
リリア様は吐き捨てるように言った。
「Sランクパーティ『竜の牙』が、こんな薄汚れた荷物持ちを使っているなんて、他のパーティに知られたら笑いものだわ。レオン、あなたリーダーでしょ? どうにかしなさいよ」
「そ、そうだよな! リリアの言う通りだ!」
リリア様に媚びへつらうように、レオンさんは大きく頷いた。そして、俺に向かって唾を吐きかけるように言う。
「おい、聞いたかアイン! 聖女様がお前のせいで不愉快なんだとよ! どうしてくれるんだ、あぁ!?」
「も、申し訳……ございません……」
俺にできるのは、謝罪だけ。何度も、何度も。
するとレオンさんは、リリア様の肩を優しく抱き、安心させるような甘い声色で囁いた。
「大丈夫だ、リリア。お前のその清らかな瞳を、もうこんな汚物で曇らせたりはしない。……明日にでも、こいつは“処分”するから。約束するよ」
「……え?」
“処分”?
その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
レオンさんは俺に一瞥もくれず、リリア様と共にその場を去っていく。
一人残された馬小屋で、俺は呆然と立ち尽くす。
食べかけのパンが、手から滑り落ちた。
(処分……? どういう意味だ……?)
まさか。
クビに、なるっていうのか?
(そんなはずない……。俺は今まで、こんなに必死で尽くしてきたじゃないか……。俺がいなければ、大量の荷物は運べないはずだ……)
だが、レオンさんの目に宿っていた光は、いつもの苛立ちとは明らかに違っていた。まるで、壊れた道具を捨てる前の、冷え切った光。
言いようのない不安が、冷たい霧のように心を蝕んでいく。
その夜、俺は一睡もすることができなかった。
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