第四章 上位個体

見慣れた下位個体とは明らかに異なる存在。


二足歩行。





全身を白い膜に包まれた細身の異形。

骨と金属片が溶け合ったような、いびつな肢体。



両腕は、まるで刺突武器と融合しているかのように尖っていた。


仮面越しに見えるその穴が、じっとアルを見据えている。




ゾクッと血が逆流するような感覚。

——すぐにわかった。




一度だけ、遠目に見たことがある。

上位個体。

人間より速く、部隊をあっという間に半壊させた恐怖がよみがえる。

下位個体とは、動きも、知能もまるで違う。




——動いた。


一瞬だった。

上位個体は地を蹴り、空気を裂くようにアルへ突進する。




「!! クソ!…来るなら来やがれ!!」




ガキィン!!




短剣が刺突を受け止める。

だが、その勢いのまま身体ごと突進され、アルは吹き飛んだ。




半壊したビルの壁面に叩きつけられ、砕けたコンクリートが崩れ落ちる。


「——ッ!」

吐き出された息の音だけが響く。




ガラガラと壁が崩れ、土埃が舞う中——上位個体は無造作にアルの足を掴んだ。

そのまま、ずるずると引きずられていく。




(まずい!このままでは、誘拐される!)


「は、離しやが……れ!」




必死に上体を起こし、足を掴む腕に短剣を突き立てる。



(……だめだ! 刃が通らない!)




アルは即座に短剣を捨て、腕の端末を操作した。

強化スーツの出力を限界まで引き上げる。



人体が耐えきれる保証などない——それでも、迷っている場合ではなかった。


渾身の力で相手の腕を殴りつける。




ゴシャッ!!




上位個体の体勢がわずかに崩れる。

だが同時に、アルの拳も砕け散った。




「ぐあぁッ!!」




激痛。

だが、相手の腕も砕いた。




(い、今は痛みよりも、反撃が来る前に距離を取らなくては……!)




上位個体は痛みを感じない。

だが、そのわずかな知性のせいか——ちぎれた自分の腕を、理解できずにじっと見つめていた。




その隙をついて、アルは近くのショッピングモール跡を目指す。




スーツの出力は最大。

踏み込む脚力が強すぎて、関節が悲鳴を上げる。

右腕は半壊状態。

だが——止まるわけにはいかない。




後方から感じる圧迫感に、焦燥と恐怖が胸を焼いた。




振り向いた上位個体が、アルに標準を合わせる。

異形は加速した。


アルはスーツの出力を限界まで引き上げ、目いっぱい跳躍する。

砕けた窓を突き破り、施設内へ。



その瞬間、さらに関節が引き裂かれるような痛みが走った。——構っていられない。


侵入した先は広大なホール。

一面が開け放たれ、身を隠せる影などない。




「……くっ」




焦るアルの視界に、階段下の壁際に大きな亀裂が入った。

彼は迷わず”右手”を叩き込み、壁を砕く。



出来た空間に身をねじ込み、匍匐で奥へと進む。


暗闇の中、小さな亀裂から漏れる光だけを頼りに。


——ほどなく。

ホールに、上位個体が着地する重い音が響いた。




アルは息を殺し、急いで強化スーツをオフにした。

亀裂の隙間から、静かに外の様子をうかがう。




上位個体が、低くうなりながら周囲を見渡している。


……どうやら、無事に見失ってくれたようだ。




ふと、アルは自分の身体がまったく痛まないことに気づく。

(……? あれ……そういえば俺、壁を壊したとき、どっちの腕で殴ったんだっけ……?)


亀裂からこぼれる光に照らされた右腕には、かすり傷ひとつない。

それどころか、スーツを最大出力で使った反動も、体にはまるで残っていなかった。




(??)




「ガアアアアアアア!!!」




上位個体の咆哮がホールに轟き、アルは現実に引き戻される。


(クソ…さっさと諦めてどこかへ行ってくれ…!)




——その時だった。


亀裂の隙間から見える視界の端に、青白い光の縦線が浮かび上がった。


アルは目を凝らす。




瓦礫の山の上——。

縦二メートルほどの青い光柱が、確かにそこに立っていた。




(……なんだ、あれ?)




次の瞬間——空間が裂けた。

傷口が開くように、その場が鋭く割け、裏側が露わになる。

その向こうは、蠢く青光に満たされていた。




アルは息を呑む。胸の鼓動が、不気味な光に呼応するように速まっていく。

そして——裂け目の中から、何かが歩み出てきた。




……“影”。


人の形をしている。


鈍く冷たい青の仮面が、すべての表情を覆い隠していた。



紺色の衣——。

まるで神父の正装を思わせる衣に身を包み、後ろ手に組んで歩むその姿は、威厳すら帯びていた。

アルは言葉を失う。


だが、その奥に“瞳”はなかった。




一歩。

地面が軋む。

ただ歩くだけで空気が震え、大地が呻く。




本能が警鐘を鳴らす。

——違う。人じゃない。

今までの異形とも、上位個体とも隔絶した存在。



圧倒的な「存在圧」。


まるで——魔人。


そして、その背後から、もう一人が姿を現す。



人間の女。

美しい顔立ちではあるが、黒髪は無造作に伸び、全身を黒いボディスーツのような装束に覆われている。


女はゆっくりと歩を進め、上位個体の方へ——瓦礫の山を下りてきた。




(女……人間……なのか……?)


アルは喉の渇きを覚えながら、それでも必死に息を殺す。




「グルルル……」


先ほどまで怒り狂っていた上位個体が、まるで知性を取り戻したかのように跪いていた。




女が口を開く。

「この個体ね。」


魔人が続く。

「はい。なぜか帰投せず、この辺りをさまよっていました」

機械のようにくぐもった声だった。




女は膝をつき、上位個体の顔を覗き込む。

その仕草は、まるで拠点の技術員が機械を点検しているかのように見えた。




「右腕が破壊されている。……戦闘を行ったのかしら? 人間にV2を損壊させられるとは思えないけど…」


「この一帯の人間は、“強化スーツ”と呼ばれる装備で身体能力を向上させているようです。V1を研究され、戦闘技術が向上している可能性があります」




「……そうね。とりあえず、この子の中には“命”が最大までストックされてる。回収だけして、この個体は処分しましょう。V2は強力だけど……なまじ知性がある分、行動が読めないのが難点ね」




魔人は話を聞き終えると、わずかに首を傾げた。

その瞳が、ぎらりと蒼光を放つ。




次の瞬間——。


キィンッ!!


蒼い閃光が奔り、上位個体の身体を縦一文字に裂いた。

躯体は悲鳴すら上げず、静かに崩れ落ちていく。




(……な、なんだ今の!?)




目の前で上位個体が真っ二つになったというのに、女はまるで当然の出来事であるかのように、表情ひとつ変えなかった。




「人類が、私たちの技術を盗み、必死に抗おうとしている……。

ねぇ、アベル。私たちは……一体、何のためにこんなことをしているの?」




「それを話す権限は、私にはありません」




「もう…充分でしょう。一体いくつの命を集めれば気が済むの?」




その時。


地面に横たわる上位個体の亡骸から、緑色の光がいくつも浮かび上がった。




仮面の男は無言で手を差し出す。

まるで捕球するかのように——丁寧に、その光を受け止めた。




「……私にそれを話す権限はありません」


アルは凍りついたまま、生まれて初めて、自分の死を想像した。




あんなもの、勝てるはずがない。

戦うという発想すら、無意味だ。




会話の意味は理解できない。

だが——彼らが語っているのは、はるか雲の上の話なのは明らかだ。



(命を集める??)

人類など、あまりに小さすぎる。




魔人は静かに空間へ手をかざした。


ヴン——。


青色のゲートが再び開き、魔人はその中へと消えていく。




女も後を追い、ゲートに足を踏み入れた。

だが、ふいに振り返る。




(見つかったのか!?)

アルの心臓が跳ねる。


いや…違う。


彼女の視線は、こちらではなかった。



倒れた上位個体の亡骸を見つめている。


その瞳はまるで——悲しんでいるように見えた。

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