尾野の手記3(1)


飯田様


 なかなかお会いできる機会もないまま、今日まで来てしまいまして、誠に申し訳ありません。

 幸い、追っていた連続放火犯を逮捕することができました。

 もっとも、我々捜査陣が予想したものとはだいぶ違う形での逮捕となりましたが。


 本来であれば、捜査上の秘密を外部の人間に漏らすことなど決してあってはならないのですが、飯田さんには知っておいていただきたいのです。

 K署の人間は全く信用ならないのです。職場の仲間たちについて、そう言わなければならないことが、とても残念です。


 今回の事件について、私の知る範囲で(私の予想や推測も交え)、手記という形で飯田さんにお伝えします。

 もう犯人を逮捕したのにまだ忙しいのか、とお思いかもしれません。

 テレビの刑事ドラマなどでは、犯人を逮捕したその日に刑事が居酒屋や家で祝杯をあげるシーンがよくありますが、現実には、被疑者を逮捕した日にそんな余裕はありません。なにせ、逮捕から48時間以内に関係書類を揃えて検察官に送致しなければならないのですから。

 さらに今回の被疑者は余罪もたくさんありますので、今後、再逮捕、追送致が続きます。まだまだ捜査は終わりません。なかなか暇になることはないのです。

 とはいえ、先の見えない捜査は終わりましたので、間もなく時間にも多少の余裕ができると思います。

 その際にはぜひ、直接お会いして話をさせていただきたいのですが、まずはこの手記をお読みいただければと思います。

 どうぞ、よろしくお願いいたします。




 以前にも書きましたが、K署管内ではここ最近、連続不審火事件が起きていました。

 刑事課ではこれらを故意の放火によるものと断定し、発生時の周辺の防犯カメラ画像の確認などの捜査を徹底的に進めていました。

 最初は枯れ草やポスターなど、大したものは燃やされていなかったのですが、電力会社の敷地内の小さな稲荷神社のお社が燃やされると、話は変わってきました。

 急がなければ、いずれ人家にも被害は及ぶだろうと、捜査員の誰もが思ったのです。

 すでに綿密な内偵捜査の結果、一人の男が被疑者として浮かび上がっていました。

 保坂■■(29)。

 K市内の飲食店でアルバイトをするフリーターですが、SNSを確認すると、動画サイトの投稿者として一万人程度の登録者がいるようで、バイトをしていない日はスマホを片手に東京近県のあちこちで動画撮影にいそしんでいました。


 市内での不審火の発生は、夜の十時以降に集中しています。それは、保坂のバイトが終わる時間とも一致していました。

 私たちは裏番体制を組んで、毎夜、保坂の動向を監視していました。

 保坂がこちらの監視や尾行に気付いている様子はありませんでしたが、その行動は奇妙で、とにかく予想がつかないものでした。

 無論、普通の勤め人のように、朝の決まった時間に出勤して、夜、決まった時間に帰宅して夕食を食べて就寝する、というような生活を送っていないであろうことは最初から分かっていました。

 しかし保坂は、週三日のアルバイトの日以外は、恐ろしく不規則な生活を送っていました。

 バイト帰りの奇妙な動向は、先日の手紙でお話した通りですが、それ以外にも、自宅から突然寝袋を持ち出して、朝から晩まで公園や河川敷で過ごすこともあれば、奇妙なダンスを踊りながら、国道沿いを一晩中歩き続けることもありました。都心に出て、でたらめに地下鉄を乗り換え続けることもありました。

 かと思うと、アパートの自室から一歩も出ず、時折奇声を上げるだけという日もありました。

 私の目には、保坂は半ば正気を失っているように見えました。

 一度、何食わぬ顔で保坂のバイト先を訪れて食事をしたことがあります。

 保坂はほとんど厨房から顔を見せず、ホールのバイトの女の子の手が足りない時にだけ料理を運んでいましたが、営業スマイルとは程遠い無表情で、ほぼ無言で料理を置いていきました。

 幸い、それを気にするような客層の店ではなかったので、クビにもならずに続けられているといった感じに見えました。


 そしてやはり、保坂の行動範囲の中で不審火は発生しました。

 壁に貼られたポスターや、道端のバイクの防水カバー。

 ごくわずかな時間で火を点けられるものが、その対象になりました。

 残念ながら、それを捜査員は現認することができませんでした。

 もちろん、保坂が通った後に不審火が発生しているという状況証拠を積み上げることはできましたが、それだけを頼みに身柄を押さえるのは、最後の手段です。


 人員の潤沢ではないK署の刑事課では、安田が抜けて以降、他の課から応援をもらっていましたので、捜査をあまり長引かせるわけにはいきませんでした。もしも管内でほかに大きな事件が起きてしまえば、この態勢を維持することはできません。

 こうなったら、いちかばちかで状況証拠を頼みに保坂を逮捕するか。

 そんな意見が上がっては却下され、疲労感と焦燥感だけが募っていたある日のことでした。


 その日のことは新聞でも報道されていましたので、飯田さんもご存じかと思います。

 12日、保坂が逮捕されました。逮捕したのは、私です。

 その日、私は郡山とともに当直についていました。

 その日も裏番の捜査員は、保坂の後を追っていました。

 夜、9時半過ぎに110番が入りました。

「男が奇声を上げながら、つるはしで岩を砕いている」

 なんだ、それは。

 無線を聞きながら、私と郡山は顔を見合わせました。

「持凶器事案ですね」

「俺たちも臨場するぞ」

「はい」

 地域の警察官が無線で応答していましたが、私は彼らの現着第一報を待つことなく臨場を決めました。

 郡山の運転する捜査車両によって臨場したのは、奇妙な形の岩のある場所でした。

 どことなく、うずくまった獣のようにも見える形の(人の手で加工したわけではなさそうでした)、神社の狛犬より一回り大きいくらいの岩でした。

「有徳の狛石です」

 と郡山が言いました。

「何だそれ」

「いや、俺もよく知りませんけど。文化財? 名所? そんな感じの岩です」

「ふうん」

 それ以上、その場所について郡山から聞くことはできませんでした。

 そこでもう男が奇声を上げているのが見えたからです。

 地域課の警察官はまだ誰も来ていませんでした。

 私たちが第一現着でした。本当は人数が揃ってから動くのがベストなのですが、目の前で暴れている男がいる以上、そうもいきませんでした。

 私と郡山は車から下りました。

「さすまた、出します」と言って、郡山がトランクを開けました。

「車の鍵、抜いておけよ」

 私は郡山にそう指示しました。

 その頃ちょうど他の署で、警察官が酔っ払いを制圧しようとして逆にパトカーに乗り込まれて逃げられそうになるという事案があったばかりだったからです。

 私は警棒を伸ばして男に近づき、「おい」と声をかけました。

 カーキ色のトレーナーのようなものを着た男は、獣の鳴き声のような叫び声をあげながら、つるはしを狛石と呼ばれるその岩に振り下ろしていました。

 懐中電灯で男を照らした時、私はとんでもないことに気付きました。

 その男が、私たちが追っていた放火の被疑者、保坂だったからです。

 そういえば三十分ほど前、今日の裏番から、保坂を失尾したという報告が上がっていました。

 まさか、こんなところにいたとは。

「郡山、保坂だ」

「え!?」

 さすまたを持って駆けつけた郡山も絶句しました。

 保坂はもはや完全に正気を失っているように見えました。

 口から涎を飛ばしながら、保坂は何かを叫びつつ、つるはしを振り上げ、そして力いっぱい振り下ろしていました。そのたびに、狛石の破片が飛び散ります。

 私の掲げた懐中電灯に照らされた保坂の目は、ぎらぎらと光っていました。

「そげ!」

 保坂は、そう言っていました。

「そげ! そげそげそげ!」

 何かに憑かれたように、繰り返しそう叫んでいました。

「そげぇ!」と叫んで振り下ろしたつるはしが狛石に食い込みました。

「やめろ、保坂!」

 私が叫ぶと、自分の名前に反応したかのように、保坂がこちらを見ました。

「警察だ!」

 私は叫びました。ちょうどそこに、制服の地域警察官が二名、バイクで到着しました。

 これで警察官は四人。制服の姿を見て、保坂が怯んだように見えました。

 しかし次の瞬間、保坂はつるはしを振り上げ、私たちに向かって突進してきたのです。

「貸せっ」

 私は固まっている郡山からさすまたを奪い取ると、保坂に突き出しました。

 間一髪でした。私のすぐ目の前を、保坂の振り回したつるはしが掠めていきました。

 さすまたが押さえこみはしたものの、保坂はすさまじい力で暴れました。

「確保だ、郡山!」

 さすまたごと身体を持っていかれないように必死で力を込めながら、私は叫びました。

「はい!」

 郡山は返事をしましたが、保坂がつるはしを振り回すせいで近づけない様子でした。

「殺人未遂で現逮だ! 保坂、おとなしくしろ!」

 保坂は何事か喚きながらつるはしを何度か振り回した後、不意に体をねじりました。その一瞬、保坂の身体がまるで見えない何かによってねじ切られたかのように見えました。

 けれど、それは私の目の錯覚でした。保坂は奇声とともに、つるはしを狛石に向かって投げつけました。

 あの細い体のどこにそんな力があったのか、後から考えると不思議ですが、おそらく力のリミッターが壊れていたのでしょう。

 つるはしは狛石の側面に突き刺さりました。

 そしてなんと、そこを起点にして、狛石はばかりと二つに割れてしまったのです。

 それを見届けると満足したかのように、保坂の身体から力が抜けるのが分かりました。

 郡山と地域警察官二人が飛びかかって保坂を取り押さえましたが、保坂はもう一切抵抗はしませんでした。



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