尾野の手記2
飯田様
ご無沙汰しております。
なかなかお会いする時間が取れず、申し訳ありません。
ご承知の通り、現在、私はK市内で連続発生している放火事件捜査に従事しておりますが、その捜査の過程で妙なことがありましたので、お伝えします。
私が素人判断で取捨選択した情報をお伝えするよりも、状況をなるべく余すことなくお伝えしたほうが飯田様の判断材料になるのではないかと思いますので、拙い文章ながらもだらだらと書かせていただきます。
現在我々が追っている被疑者のことを詳しく語るわけにはいかないのですが、とにかく我々は放火犯と目されたある一人の人物を追っています。
その人物の行動を監視し、放火するかどうかを確認するのです。
とはいえ、刑事ドラマなどと違い、現実の警察には人員的にも時間的にも限りがあります。
刑事ドラマならばその事件のみに集中することができますが、現実にはそれ以外の事件も日々発生しているわけです。そしてそれらを「今は手があかないから駄目です」とお断りするわけにはいかないのです。
ほかの業務をこなしながらの、極めて厳しい勤務となりました。
被疑者は、なかなか尻尾を掴ませませんでした。
そして我々はそれに伴って疲労していきました。
ついに私のバディの郡山が体調を崩し、急遽、安田とともに裏番に就くことになりました。
安田といえば、機動隊上がりの体力自慢でしたが、やはり連日の勤務で疲れた顔をしていました。
被疑者が今日も出勤していることは確認済みでした(捜査中の事案ですので、詳細は伏せます)。
我々は被疑者の勤務先の近くに捜査車両を止め、被疑者が退勤してくるのを待ちました。
車を止めて十分もすると、運転席に座っている安田がうとうとし始めました。
張り込み中の居眠りなどもってのほかですが、私が見過ごさなければいいことと思い、そっとしておきました。
しかし、その日に限って、被疑者はなかなか姿を見せませんでした。
いつもならとっくに退勤しているはずの時間を過ぎても、出てこないのです。
すでに深夜と言える時刻でした。
「おい、安田」
私は安田を揺り起こしました。
「見落としたかもしれないぞ」
「えっ」
安田は真っ赤な目で外をきょろきょろと見ました。
勤務先から出てくるところを万が一見落としていたのであれば、ここにいくら張っていたところで被疑者が現れることはありません。
とはいえ、その確信もありませんでした。下手に動いて、被疑者に勘づかれるわけにもいきません。
「先に自宅に回ってもらっていいか」
と私は言いました。
「もしかしたら、もうそっちに帰ってるかも」
「分かりました」
と言って、安田は車を飛び出しました。
本来は、勤め先から被疑者が出てくるのを確認し、安田と二人で追跡に当たるはずでした。
ですが、すでに退勤予定時刻から一時間が過ぎています。何かあった可能性も考えて動かなければならない時間でした。
私はじりじりしたまま、車内で張り込みを続けました。
被疑者の自宅は、徒歩圏内です。しばらく待つと、安田からメッセージが届きました。
『部屋、真っ暗です』
と書かれていました。
自宅にもいない。
まあそもそも、普段からまっすぐ家に帰るような人間ではないのですが。
『もう少しそっちにいてくれ。こっちももう少し粘る』
と私が送信しようとしたときでした。
不意に被疑者が姿を現しました。
数人の同僚も一緒でした。
疲れた顔で、ぞろぞろと歩き去っていきます。
どうやら急な残業があったようでした。
私は安田に『今出てきた 追う』と送信すると、車をパーキングに突っ込み、被疑者の尾行を始めました。
いつも、奇妙な動きをする被疑者でした。
ふらふらと道を変え、立ち止まり、反転する。突然走り出したかと思えば、数メートル先で何事もなかったかのように足を止める。
それは、尾行を恐れる人間がとる確認行動のようにも見えました。
現に、捜査本部では被疑者が警察の動きに気付いているのではないかという意見も上がったことがありました。
けれど私は、被疑者は尾行に気付いていないと感じていました。
被疑者に奇妙な動きをさせているものは、被疑者の外側ではなく内側にあるように思えたからです。
その証拠に被疑者は、奇妙な動きを繰り返しながらも、それとともに周囲を窺うそぶりは見せませんでした。
もし尾行を警戒しているのだとしたら、あり得ないことです。
着かず離れずの距離を保って被疑者を追尾していたとき、不意に私の公用携帯電話が震えました。
安田からの電話でした。
そのとき、被疑者と私の間は離れていて、周囲にはほかの通行人もいたため、私は電話に出ることにしました。
「メッセージ見たか、対象はこっちで追ってる」
小声でそう言いましたが、安田は返事をしませんでした。
「安田?」
呼びかけても返事がありません。
何か、がさがさとノイズのような音が聞こえていました。
これは、あれか。ポケットに入れておいた携帯が何かに触れて、間違って私に発信してしまったというパターンか。そう思いました。
私の視線の先では、被疑者がうろうろしながらも徐々に遠ざかっていきます。ここで失尾するわけにはいきません。
「安田、切るからな」
そう言ったときでした。
「何を?」
それは安田の声ではありませんでした。
くぐもった女の声でした。
「何を切るの?」
女の声は言いました。解像度が低い、とでも言うのでしょうか。ざらざらとノイズが入った、まるで昔のテープレコーダーの再生音のようなひどく質の悪い音声でした。
とっさのことで、私が何も言えないでいると、女は、
「何を切るの?」
と繰り返しました。
女の声は聞き取りづらく、ずっとがさがさとノイズが響いていて、どこか得体の知れない場所に電話が繋がっているかのようでした。
「ねえ、何を切るの?」
女の声は心底不思議そうな声で問いかけてきました。
「何を切るの? ねえ、何を」
かりかりかり。女の声の背後で、何かを引っかくような音がしていました。
「何を切るの? ねえ、何を切るの? 何を切るの? ナニヲキルノ」
不意に、女の声が早回ししたみたいな不自然な声になったと思ったら、音が途切れました。
「……安田?」
おそるおそる呼びかけると。
「そいで」
その声は、確かに私の耳元で聞こえました。電話の向こうではなく、すぐ耳元で。
背筋がぞっとしました。
どこかで聞き覚えがある声のような気もしました。
けれど、周囲を見回しても誰もいませんでした。
「長さん」
電話から、安田の声がしました。
「今、受け取りました」
「え?」
「確かに、受け取りましたんで」
妙に明るい声で、安田はそう言いました。
「受け取ったって、何を」
「長さんにも」
安田がそこまで言ったところで、電話は切れました。すぐにかけ直しましたが、安田は出ませんでした。
そんなことをしているうちに、被疑者の姿も消えていました。
その日、■■電力の敷地にある網間稲荷と呼ばれる小さなお
木像の古いお社は、全焼して跡形もなくなってしまいました。
安田は翌朝、河川敷に一人で座っているところを発見されました。
ぼんやりとした顔で川の向こうを見つめながら、
「そげよ、そげよ」
と呟いていました。
何か硬いものを必死に引っかいたらしく、両手の指の爪がすべて剥がれてしまっていました。
真っ赤な指で、小さな木片を掴んでいました。
安田は、今日まで職場に復帰はしていません。
以上が、私が捜査の過程で出くわした出来事になります。
放火事件の捜査で、なぜこんなことが起きたのかは分かりません。
ただ、こしえさんという女が自分の身近に迫ってきていることを感じています。
私は引き続き、こちらでの調査を進めます。
どうぞよろしくお願いいたします。
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