バースデー

真白透夜@山羊座文学

バースデー

 三十万円で赤ちゃんを買ってきた。大型ショッピングセンターの一画。犬、猫が七十万円の時代に赤ちゃん三十万円は”お求めやすい”値段だ。


 「一家庭一赤子政策」によって、独身であっても二十五歳までに赤ちゃんを迎え入れなくてはならない。二十五歳の誕生日の今日までそのことを先送りにしていた俺にも、ついに年貢の納め時が来た。


 ガラスの向こうに並べられたベビーベッド。簡単な説明書きもある。遺伝子検査済み、生後三か月、識別コードCH1103、性別女、それなりに可愛らしく撮られた笑顔の写真。


 どれも同じに見える。女の子が良いか。途中でうまくいかなくなっても、女の子なら家事をやってもらえば。


「この子をください」


 白髪頭の女性店員に話しかけると、彼女は奥のドアからガラスの向こう側に行き、CH1103を抱き上げてすぐに戻ってきた。


「抱っこしてみますか?」


「……抱っこしないとダメですか?」


「いえ、ご希望でなければ。最近の赤ちゃんは滅多に泣かないように改良されてますから」


 良かった。子どもの泣き声は苦手だから。


 店員は「お掛けください」と商談用の椅子を勧めながら、脇にあるベビーベッドにCH1103を寝かせた。


「今、必需品を準備しますので、こちらの動画をご覧になってお待ちください」


 と彼女は言って、タブレットで動画を流し始めた。


――赤ちゃんを迎え入れた方へ。これから『人口計画法』の概要、契約から七日間以内に行うこと、および引取り直後の病気・事故・死亡についてご説明します――


 と、タブレットから女性の声が流れた。ぼんやりと音声を聞いていく。大体のことはエリーから聞いていて、その内容とは違いがなかった。


 店員が「チャイルドケアスターターキット」と印字された箱と、「ベビーベッド」と印字された大きく平たい箱を荷台に積んで持ってきた。そして向かいに座り、終了した動画を消した後、「重要事項の説明」と表示された画面を見せてきた。


「こちらがワクチンの接種状況です……。さらに詳しい情報、養育の仕方についてはこのQRコードからご覧ください……。こちらは、引き渡しから一か月以内に重篤な病気、怪我があった場合、または死亡した場合についての免責事項です」


 つまり、引き渡し後のトラブルについて店側は一切の責任を負わないということだ。「わかりました」と返事をして、タッチペンを使って『葦原レン』とサインをした。


「食事や子ども用品のサブスクはいかがですか?」


 「お願いします」と返事をする。店員はタブレットの契約画面にチェックを入れて、また画面を見せてきた。本体含めの月々の支払い金額が示されている。安月給なのにこれだけの支払いが増えるのだ。ため息をつきながらクレジットカードを切った。贅沢をしたいわけじゃない。働いていないわけじゃない。なのに生活はいつもかつかつだ。一体自分の何が悪いのだろう……と思う。そこにまた、こんな未知なものが入り込んでくる。恐ろしいだけだ。


 「手続きは以上です」と店員が言い、席から立ち上がったので俺もそうした。彼女はベビーベッドからCH1103を抱き上げて、手渡そうとする。抱き方がわからず躊躇っていると、彼女が抱き方を教えてくれた。なんとか両腕の中に収まった。思いの外、ずっしりとしていた。


「……無理そうな時は慈育会もありますので、ご相談ください」


 慈育会は、育て切れなかった親の駆け込み寺だ。養育の支援も受けられるし、あまりに難しい場合は購入した子どもに限り引き取ってくれる。


 慈育会のパンフレットを差し出す店員の眼差しは終始悲しそうだった。どんな気持ちでこの仕事をしているのだろう。彼女は子どもを産んだのだろうか。買った子どもを育てたことがあるんだろうか。それとも……。


 まあ、もしかしたら俺を変態と思い、CH1103の将来を憂いたのかもしれない。変態だろうが殺人鬼だろうが、金を払えば赤ん坊が買える。「人口計画法」が施行されると同時に、家族内の犯罪に関しての法律は一切無効となった。毎日どこかで子どもは虐待され、転売され、殺されてゴミ置き場に遺棄される。それでも無罪。正真正銘の親ガチャを政府が作り上げた。


 店員は荷台にさらにチャイルドシートを乗せ、俺にはベビーキャリーを押すようにと言った。「駐車場までお運びします」と言われ、二人で歩き始めた。


 店員が荷物をトランクへ入れ、チャイルドシートも手際良くセットした。俺はCH1103を抱いて見ているだけ。「どうぞ、乗せてください」と促され、CH1103をチャイルドシートに乗せて、ベルトを締めた。CH1103は我関せずと、ずっとすやすや眠っている。そういう仕掛けのおもちゃなのではないかと思えた。


「……もう、名前はお考えですか?」


「いえ、まだ」


「そうですか。直感でつける方もいますし、いざとなると調べているうちにすごく時間がかかることもあります。登録は七日間以内ですので、早めがいいかと思います」


 「わかりました」と言って、運転席に乗り込んだ。ゆっくり車を発進させバックミラーを見る。風に吹かれた彼女の姿がまだあった。



――アパートに入ると、エリーが遊びに来ていた。テーブルの上に、夕食のハンバーガーとナゲット、ポテトが広がっている。


「どうするのかと思ったら、買ってきたんだね。罰金で済ますのかと思ってた」


「罰金百万円なんて、払ってられるか。だったら免罪符として三十万円払うよ」


 CH1103をエリーに差し出す。エリーは「ええ……」とあからさまに嫌そうな顔をしながら、CH1103を受け取った。


「ダメだったらどうするの?」


「まだ考えてない」


 車に戻り、荷物やらベビーキャリーを運び入れる。


「……ベビーベッド組み立てる?」


 エリーがCH1103の顔を眺めながら言った。「そうだね」と言って、ベビーベッドが入った平たい箱を持ってくる。梱包を解いて説明書を見たが、一人では組み立てが難しそうだった。


「手伝おうか?」


「エリーにそんな優しい心があるとは思わなかった」


「はは。去年子殺しをした、私が優しいなんて」


 二十六歳のエリーは去年、購入した子どもを水につけて殺した。


「本当に優しかったら育ててたよ。世の中の上手くやっている人たちは本当に立派。”二十五歳”を意識して、どうせなら自分たちの子を……って、結婚したり出産する人が増えたのはいいことだと思う。そんな風に『適応』する人は人間だよ。私は無理だったけど」


 エリーはCH1103を脚の無いソファの上にそっと置いた。CH1103はまだ眠っている。


 エリーと説明書を読みながら組み立てていく。エリーとは半年前に付き合い始めた。それだけの仲。結婚するかなんてまだ考えたこともない。だけど俺は今日、父になった。そして、子殺しをした恋人とベビーベッドを作っている。愛情ではなく、労働でもなく、義務で。


「出来たね。さて、気に入ってくれるかな?」


 エリーはそう言いながら、CH1103を抱き上げてベビーベッドに寝かせた。起きる気配はなく、だからと言って死んでいるわけでもなく、胸を上下させながら横たわっていた。


「名前は決めたの?」


「まだ」


「一週間以内に決めて、登録しないと」


 エリーはCH1103の頭を動かして、首の後ろを見せてきた。


「ここにあるバーコードを読み取ると、登録画面に行けるから」


 俺とエリーにはバーコードがない。バーコードは売買対象の人間にしかついておらず、バーコードが無いということは産みの親と暮らしていたことを示している。俺の父とエリーの母はバーコードがある人間だった。そしてある日、二人は狂って家族に襲いかかってきた。家族の殺し合いから生還したのが俺とエリー。俺には腹を切られて飛び出た腸を押し戻した傷痕があり、エリーには顔の左側に大きく切り付けられた傷痕がある。


 バーコードチルドレンは、一定の確率で暴走する。それは確実な話だが、政府は認めていなかった。都市伝説として自衛が促される。エリーは買った子どもに情が移って来たからむしろ殺した。他人のままならその日が来ても抵抗できる。家族になってそうなったらまた地獄を迎えるだけだから。


「レンは優しいからな……。きっと、辛い未来しかないよ」


 エリーはそう言いながらソファに座り、テーブルのポテトを摘み上げてケチャップの容器の中に刺した。持ち上げたポテトから滴るケチャップは、血濡れたあの日のようだった。


「名前、何にしよう」


「凝った名前は良しなよ。思いなんか込めるもんじゃない。あと、日常の言葉も避ける。見ると思い出すから」


「……難しいな、名前」


「そのままでいんじゃない? CH1103」


「じゃあ、『チイ』にしよう」


「ああ、いいね。『チイ』」


 あぐ……っと、チイが手足を動いてあくびをした。小さな舌が覗く。彼女は生きていた。


「チイ……」


 名前を呼んでみる。チイが目を覚まし、こちらを見た。何を考えているのか、何も考えていないのか。いつか俺もチイから、名前を呼ばれる日が来るのだろうか。


 チイは視線を天井に移し、手足をパタパタさせた。



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