第3話(終)

 10年以上前。

 父ウォルターとの関係が悪化し続けていた、ある日の事。


「ただいま帰りました」


 学校から帰ってきたエリッサが屋敷の扉を開けると、目の前には父ウォルターがいた。

 2階の自室ではなく、珍しく1階の広間にいたウォルター。彼は中腰の姿勢で、傍にいる1体の小柄なロボットを見つめていた。


 エリッサは眼前のロボットを見て、思わず愕然とする。


「お、お父様……?」


 父の傍にいたのは――幼少期のエリッサ自身を精巧に模して、ウォルター自らが新たに作り上げた高性能ロボットだった。


 エリッサを模したロボットは柔らかく微笑み、ウォルター自身も嬉しそうな表情を浮かべている。


「それ、私、ですか? 何でそんなロボットを……」

「金ならいくらでもやる。だから今すぐ出て行け」

「……え?」


 あまりにも唐突な言葉に対し、理解が追い付かないエリッサ。

 娘の動揺など意にも介さず、ウォルターはあくまで淡々と続ける。


「もうお前など、私の娘ではない」

「な、何を急に……えっ?」


 ウォルターはふと、エリッサを模したロボットの頭を優しく撫でた。

 まるで本物の、愛おしい一人娘のように。


「この頃のお前は良かった。私を敬い、私に憧れる……望んでいたのはそんな愛娘だった。だがお前はどうだ。私の方針や意見にいちいち口を出してくる、そんな生意気な小娘など不快なだけだ」

「そんな……お父様、私っ!」

「どうした? 出て行け、もう他に言う事はない」


 ウォルターは冷徹に告げると、ロボットの方を向いて再び楽しそうに話し始めた。

 立ち尽くすエリッサはひどく震え、声が出せなくなる。


 ウォルターはもう2度とエリッサを怒鳴ったりはしないだろう。既に、一切の興味を失ってしまったのだから。


 はっきりとした事実に、幼いエリッサの心は悲しみと絶望で潰れてしまいそうになる。


 長い長い、迷いとためらいの後。

 エリッサは目にいっぱいの涙を浮かべると、屋敷の扉を開けて外へと走り去っていった。





「12歳の時、父と会ったのはそれが最後です。今でも父は屋敷で、あのロボットと共に暮らしていると聞きます」

「そんな事が……」

「父が欲しかったのは私じゃない。自分の心を満たす道具、それさえあれば良かったんです」


 静かに落ち着いた様子で話すエリッサ。


 バレスには慰めも励ましも、気安くは出来なかった。

 事の深刻さが、バレス自身の予想を遥かに超えていたからだ。


「その後、ウォルター氏とは完全に絶縁したと」

「はい。その後はずっと奨学金で勉強を続けてきました」

「よく知っている。だが、確かウォルター氏からの資金援助があったはずでは?」

「父から渡されたお金には、一切手を付けていません……そんな気には、当然なれなかったので」

「……確かに、そうだろうな」


 バレスは冷めたコーヒーを飲み干し、少し考え込む。


「パラドール君。そもそもこれは、君の復讐なのか?」

「復讐?」

「君の開発してきた新型、N30は素晴らしいロボットだ。無事に完成して世に広まれば、きっとウォルター氏から業界シェアを奪う事も出来るだろう」

「……かもしれません」

「そうなればウォルター氏もようやく過去の人物になる。ロボット産業は常に最先端を求め、過去の遺物にはあまりにも冷たい。君のN30が生産拡大されれば、ウォルター氏の機体もすぐに世間から消えていく。同時に、彼の莫大な権力や資産も崩れ去るはずだ」

「……」

「それが君の目標ではないのかね?」

「私は……」


 空になったカップを見下ろし、エリッサは暗い顔で考える。

 長い思案の後。


「私は、母のいる墓地へ行きたいです」

「何?」


 呆気に取られてしまうバレス。


 エリッサは淡々と、静かに続ける。


「思えば、幼い頃に父と一度だけ。屋敷の傍にある墓地へ行ったのは、それが最初で最後でした」

「確か君のお母様は、君を産んですぐ……」

「はい。だからこそ墓参りがしたいんです。いつか、天国にいる母を安心させたい。私はもう大丈夫になったから……そう伝えるのが夢なんです」

「パラドール君……」

「でも、所詮は無理な話かもしれません。私は今……自分の育った家に帰る事も出来ませんから」


 バレスに向かって微笑みを浮かべるエリッサ。

 あまりにも辛苦に満ちた、悲痛な笑み。


 2人の付き合いは5年以上になる。バレスにも、エリッサの辛さは痛い程よく分かった。

 だからこそ――かける言葉など見つかるはずがない。


 バレスはもう、何も話す事が出来なくなった。





 第2研究室の中。

 既にバレスは去り、室内には再びエリッサだけが残っている。


 コーヒーの入ったカップを手に、ぼんやりと窓辺に立っているエリッサ。

 新しく淹れた2杯目のコーヒーは既に冷め、カップから湯気の1つも立っていない。


 窓の外に広がる夜の大都市、人々が暮らす街の輝き。

 エリッサは街並みを眺めながら、昔を思い返す。


 幼少期。仕事熱心な父のために、慣れない手つきでコーヒーを淹れていた日々。

 父はコーヒーを飲むと、いつも美味しいと自分を褒めてくれた。

 父の微笑みと、優しい言葉。頭を撫でてくれた大きな手――


「馬鹿みたい」


 エリッサは我に返ると、呆れたように自分自身を笑った。


 全て、偽りの記憶に過ぎない。

 世の中を知らず、父の本性さえも殆ど知らなかった。ひたすらに無知な、子供の頃に見ていた夢物語。

 エリッサ自身、今はよく分かっている。


 父と同じロボット工学の研究者になったのも、ウォルターの築き上げてきたものに対する、決別の意味を込めての事。

 例え苦難の選択だとしても、決めた道に迷いなど無いはず。


 エリッサは何気なく手元のカップを見下ろす。


 父のために淹れていたコーヒー。

 父に憧れ、いつの間にか飲むようになっていたコーヒー。

 今も変わらずに飲んでいるコーヒー。


「……」


 湧き上がってくる様々な感情。

 過去の淡い記憶。未来に対する不安や葛藤。今も捨てきれない迷いの数々――


「それでも、進み続けるって決めたんだから」


 独り言ではなく、自分自身に言い聞かせるための言葉。戻る場所が無いのなら、ひたすら進むしかないのだ。

 ずっと前から分かっているはずなのに。


 長い長い思案の後。


「……腕部チェック、終わらせないと」


 エリッサは迷いを断ち切るかのように、カップのコーヒーを一気に飲み干す。

 白衣を翻し、自らの試作品ロボット「N30」の置かれた方へ、エリッサは1人戻るのだった。

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愛娘と機械仕掛けの人形 ―とあるピグマリオンの悲劇― 西川ペペロン @nishikawapeperon

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