第十章 射程内のアリアン(後編)

「アロン、下から音が聞こえる。なにか来るわ」

「考えてみればここは『鏡の巨像』の本拠地手前。それなりの歓迎が用意されていて当然か」


 金切り声に似た振動が、僕の耳にも響き始めた。音はどんどん大きくなり、次の瞬間、暗闇から大量の刃物が姿を現した。


 刃渡り約九十センチの銀色の剣。「さや」どころか「つか」もない。そんな奇妙な刀身が三角形の空間に散らばり、鋭い切っ先を真上に向けて猛スピードでこちらに上昇してくる。


(この音は剣が空を切る音だったんだ)


 瞬間、赤巻紙が剣をさけるように位置をずらす。

 剣はそのまま上昇を続け、僕の右肩のそばを通り過ぎた。


 かすった感覚があった。その部分のジャケットが切れていた。


「この剣、無敵状態を無視して攻撃できるのか!」


 剣は時間差で次々と現れる。出現する位置もスピードもそれぞれで異なっている。


「アリアンは虹巻紙を持つ。その具現の力を使って、こちらの無敵を上回る剣を用意したんだ」

「だったら無敵自体を解除しない? さっきから赤巻紙の動きが激しいんだけど!」


 赤巻紙は落ちながら、あらゆる方向に剣をよけ続ける。僕とソーラも身をひねって回避するが、底に近づくにつれ剣の数が増していく。そろそろ、かわすのも限界だ。


 まるで弾丸のように撃ち込まれる剣の雨。地から天を目指す雨。

 十中八九、ここはアリアンの本拠地につながる通路。だからこんな防衛機能を有しているのだろう。


 ともあれ彼の本拠地を見つけたからには、もう巻紙を飛ばす必要もない。


「じゃあ君の左手の巻紙を手放して」

「だめ! それじゃアリアンに赤巻紙を渡すようなもの。あなたが直接ふれなさい。そうすれば巻紙はアロンが死んでいなかったことに気付いて正常に戻るんでしょ」


「わかった。ただ、地下に入って巻紙のスピードは落ちたけど、まだ勢いがあって僕は君の斜め後ろから隣に行けない。ここは青巻紙の『反動』で一気に」

「それもだめ。出力の調整に失敗すればあなたは串刺しよ。もっと簡単な方法があるわ。わたしの右腕をよじのぼりなさい! 袖じゃなくて中身の腕のほうをしっかりつかんで!」


 真っ逆さまに落ちているのだから彼女の頭のほうに「よじのぼる」のは正しい表現ではないのだろうが、このときの僕たちにそんなことを気にしているひまはなかった。

 風圧に似た力が前方から激しく全身を押してくる。それに逆らうようなかたちで、チュニックの長袖につつまれたソーラの右腕に、両手ですがりつく。


 そのあいだも赤巻紙とソーラは剣をかわし続けていた。

 灰色の袖は厚手でも薄手でもなかった。確かに細いが細すぎることもない彼女の腕を、僕はのぼりきった。


「そのままわたしの右肩をささえにして、手を伸ばして」


 レモンの香りとハーフツインの黒髪を間近に感じながら、僕は右手を彼女の肩に置き、左手を伸ばす。


 ソーラの左手とほぼ重なるかたちで、赤巻紙の黒いひもをつかむ。

 すると赤巻紙が、がくんと力を失った。


 僕たちは宙にほうり出され、逆立ちをやめ、通常のスピードで落下を始める。

 すかさず僕は青巻紙をひらき、飛行の体勢をとる。さらに赤巻紙も開放する。


(火炎を放射するだけでは剣の勢いに押される)


 使うべき魔法は、大量の剣を一掃可能なものであるべきだ。


「『指定』『拡大』『火薬』『装填』『起爆』!」


 暗闇の底から飛んでくる剣に向かって、広範囲の爆発を起こす。その刃を破壊し、壁にたたきつける。

 なぞった文字を声に出したのは、ソーラに僕の行動を伝えるためだ。


「とはいえ、せまい地下空間で赤巻紙の魔法は連発できない。火を使い続けると周囲の酸素が減る。その状態で大規模の不完全燃焼を起こせば、一酸化炭素中毒で僕たちが死ぬ」

「自明ね。しばらくあなたはよけることに専念しなさい」


 ソーラはすでに僕から離れ、ワープで空中を移動している。


 そして爆風が晴れたあと、休む間もなく新たな剣が突き上げてきた。

 切っ先が急速に拡大する。スピードは、さきほどまでの比ではない。

 しかも三角柱の空間すべてをうめつくすほどの数。よける場所がない。


「アロン、わたしの頭上に来て!」


 三角形の頂点の一つに背中を密着させた状態でソーラがさけんだ。僕は彼女の上に飛び、静止した。


「直立不動で一緒に落下しましょう。身を乗り出すんじゃないわよ」


 そう言って彼女は腕を組み、三角形のかどに背中を預けたまま落ちる。

 僕も青巻紙の「下降」をなぞり、同じ姿勢で彼女に続く。


 剣の切っ先は、ソーラの足下にせまっていた。


 しかし彼女のパンプスの底に当たる瞬間、剣は向きを変えた。

 刃先が真下に飛んでいき、次に突き上げてきた剣と衝突する。そうして勢いが殺された剣同士を彼女は靴底で踏みつけ、さらに真下にワープさせる。


「ワープの真髄は単なる位置の移動じゃない。エネルギーの方向を転換することにもあるわ」


 腕組みをしたままソーラは落下を継続する。現在、ワープによる空中移動はおこなっていないようだ。黒髪が逆立ち、チュニックのすそがめくれている。


 一方、僕たちの正面では林のように密集した銀色の剣たちが真上に向かって飛んでいる。

 彼女の黒髪やチュニックのすそが三角形のかどをはみ出て正面の刃にふれそうになるたび、そのぶんの剣までもが靴底付近にワープし、真下に発射される。


 剣が空を切る音と剣同士のぶつかり合う音が絶え間なく、この空間にとどろいていた。


 そして剣の林を抜け、周りの黒い壁が再びあらわになったとき、ソーラが僕の隣にワープしてきた。彼女は僕をかかえ、背後のかどを蹴り、中央に飛んだ。


「あとの処理は任せるわ」


 ソーラがいた場所の真下には数えきれないほどの剣がたまっていた。それらが縦長の銀色のかたまりとなり、落下を始める。そこを目指し、下からすさまじい勢いで接近する一本の剣も見えた。猛スピードを超えた猛スピードと表現するしかない速さだ。


 今、僕は彼女にかかえられた状態。飛行を気にせず青巻紙の別の魔法に集中できる。ここで「指定」「水」「膨張」「膨張」「凍結」を順に青白く光らせる。

 接近していた剣ごと、銀色のかたまりをこおらせたのだ。氷塊となったそれは少しだけ上昇したのちに勢いを失い、落ちていった。


「助かったわ。あのままだと固まった剣全部がはじかれてこの空間を無軌道に飛び回っていた。これまでは剣の林自体が壁になっていたせいで、変な方向に飛ぶ心配がなかったけれど」

「でも君は体に当たりそうになったらワープさせればいいんじゃ?」


「その防御方法も確実じゃないわ。いろんな方向から激しく攻撃されたり相手の動きに緩急があったりしたら、とくにね。さっきはワープ箇所を足下に集中することで切り抜けたにすぎない」

「ともかく、君の機転のおかげで全部さばけたわけだ」

「いえ、まだよ」


 ソーラは僕をはなし、少しずつ下方向へワープする。


「さっきの最後の一本の剣。ほかのものとは挙動が違ってた。剣のかたまりをねらって意図的に撃ち込んだようにも見えた。それがアリアンの意思によるものかはわからないけれど、剣を飛ばした魔法装置は侵入者を分析し、相手に合わせて対応策を変えている可能性がある」

「なら次の攻撃を警戒しないとね。だけど、もう底から音は聞こえない」


 下には正三角形の闇が広がっているだけ。なにも変わったところはない。


「いや、待った。あの暗闇、せり上がってきてないか。黒い三角形がだんだん大きくなっている。明るくなっていた範囲が、せばまっている」

「どういうこと? 底が間近ってわけでもなさそうだし、わたしたちを追い出すためにあかりをつけないつもりかしら。でも照明自体は防衛機能に組み込まれていないはず」

「もしそうなら、とっくにすべてのあかりを消して僕たちの視界を奪っているだろうからね」


 音もなく闇は上昇し続ける。


「闇と光のあいだの境界が、ぼやけてない。あの三角形、辺がくっきりしている。まさか」


 僕が事実に気付くと同時に、下からせまっていた黒い三角形が急速に大きくなった。

 その黒は闇ではなく物体だった。

 つやのない純黒が、飛んでいた僕たちの足に当たる。


 ソーラも僕も短くさけんで、その上に転んだ。

 光沢の一切ない黒いゆかがせり上がってきて、それが僕たちのもとに達した瞬間にすさまじい速さで上昇し始めたのだ。


「天井まで押し戻す気か。キュリアのググーを思い出す」


 赤巻紙をとじ、僕は黄巻紙をひらいた。真下のゆかを「指定」し、「電流」を放つ。


「おそらく、これは通路自体のエレベーター。こういう魔法装置は電気を流せば狂う」


 しゃがんだ状態で、さらに黄巻紙の「混線」も発動させた。これは電気内に複数の情報を付与する魔法。意味がありそうで無意味な、種々雑多の、自家撞着に富む、大量のデータを送り付ける。食らえば人も機械も混乱におちいる。

 黄巻紙をなぞり続けることで、少しだけゆかの上昇速度は抑えられた。が、その勢いはまだ殺しきれない。


(赤巻紙の無敵状態を捨てていなければ突破できたか。違う、そんな簡単な話じゃない。これも虹巻紙の恩恵を受けているはず。圧倒的な質量で僕たちをはばんでいるんだ)


 ソーラも体勢を立て直し、上昇するゆかに手をふれ、ワープ魔法を試みていた。


「さっきからエレベーター自体を下に転移させようとしてるけど、できない。これ、ものすごく長大で、中身のしっかりつまった三角柱みたい。さすがにこんな大きいものをまるごと移動させるのは無理ね。横に転移させるのも不可能。できたとしても、この通路がくずれるわ」


 ゆかが上昇するごとに、消えていた壁の照明がもう一度ともっていく。

 加えて、金切り声のような音がまた聞こえた。今度は真上からだ。


「少しずつ近くなってくる。通り過ぎた剣たちが僕たちのもとに戻ってきたか」

「上からは、剣の雨。下からは、せり上がる黒い三角のゆか。はさみうちね」


「ひとまず、さっきと同じように三角形のかどで剣をしのぐのは?」

「それだと、どのみち天井まで押し戻される。だから今は剣の処理、すべてあなたに頼むわ。ただし、ゆかの上昇スピードを加味して。剣の相対速度はさっきの比じゃない」


「やってみる。幸か不幸か今は足場がある。飛行に魔法の力のリソースを割かなくて済む状況だ。でもソーラのほうは、なにを」

「全体を転移させるのは無理とわかった」


 いったん彼女は中腰になり、ニーソックスのひざをはたいた。


「だから、このエレベーター自体を壊すことにしたわ」

「そっちも任せた。気休め程度ではあるけれど上昇速度の抑制も黄巻紙で続けておく」


 しゃがんだ体勢から僕はひざを伸ばし、立ち上がった。

 ゆかに下から押され、また転びそうにもなった。しかしなんとか踏ん張り、上をにらむ。


(まとめて青巻紙で凍結させるか。だめだ。氷塊が落ちてきたら僕たちがつぶれる。かといって赤巻紙の火は不用意に使えない。落ち着け、ソーラの戦い方を思い出せ。無理にすべてをさばかなくていい。ようは僕とソーラが無事であれば勝ち)


 彼女の隣に寄り、青巻紙の文字に指をすべらせる。

 そのとき、上空の闇に銀色の光がきらめいた。暗闇を切り裂くかのように剣の雨が戻ってきたのだ。再び切っ先をこちらに向け、隙間なく、ふりそそぐ。


(真上からの攻撃はシャットアウトさせてもらう)


 すでに僕たちの頭上には「それ」が出現している。

 そこに浮かぶのは氷の盾。


 青巻紙で位置を「指定」したあと「水」を出し、それに「滞空」をかける。さらに「指定」して水を横に向かって「膨張」させる。加えて中央部分をより高く、周辺部分をより低くして「凍結」を発動。


 出来上がるのは円錐形の盾。

 あるいは氷の傘。


(巻紙魔法の水は純水。凍結させれば氷の硬さは不純物の溶けた水よりも上になる。そして常に氷の盾を「指定」しつつ「冷却」の文字列をなぞり続ける。温度が低いほど氷はより硬度を増す。かつ、僕とソーラを「指定」して黄巻紙の「電熱」を使用。体温の低下を防ぐ)


 数本の剣が氷に当たった。それらは円錐を突き破ることなく傘の表面に沿って流され、音を立てて黒いゆかに落下した。すべったあと、壁に激突してとまる。

 立て続けにそそぐ切っ先も、同じように受け流されていく。


(あえて盾らしい扁平な形状にせず、斜めに力を逃がす円錐のかたちにして正解だった)


 なお、エレベーターのゆかも周囲の壁も強固なようで、猛スピードの剣が当たっても傷やへこみが一切生じない。


 ふと僕は、ソーラのほうに目をやった。

 彼女は僕と同じ氷の傘の下にいる。四つん這いでゆかと向き合い、精神を集中させていた。


 ここで、黒いゆかに衝突した剣の一本が僕たちのいる中央に向かってすべってきた。

 そのとき、彼女の近くにブロック状の黒い物質が出現し、その刃先をとめた。代わりに、ソーラの見つめていたゆかの一部がへこんでいた。


「部分ワープ、成功。アロン、わたしがコツをつかむまで上の防御よろしく」


 ソーラは、周囲に次々と黒いブロックを出現させ、剣の侵入をはばむ。

 それにともない、僕たちが立っている黒い足場が、どんどんへこんでいく。

 つまりソーラは、足下のゆかを切り取ったうえで、そのかたまりを周辺にワープさせているのだ。


(そういえば特訓で言ってたっけ。パンチするとき、手首から肩までを順にワープさせていると。元々、彼女のワープは全体だけでなく部分単位を指定して発動することも可能だったということ)


 僕は氷の傘の破損した箇所を「指定」「水」「凍結」で補強しながらソーラを観察する。


(彼女は部分ワープを連続させ、ゆかを切りくずしているんだ。剣が激突してもまったく傷つかないほど頑丈な素材がエレベーターには使われているようだけど、ソーラには関係ない)


 気付けば、僕の立っていたゆかも失われていた。周囲のブロックの位置が急に高くなった気がした。

 僕自身は、ソーラのあけたくぼみの底にワープさせられたようだ。


 彼女は僕にふれたわけではない。僕の立っている足場を介してワープを発動したと思われる。その際ソーラは、僕とその下のゆかの部分を同時に、違う場所に転移させたのだ。

 すなわち、僕を真下に、ゆかを斜め上に。しかしこのとき、僕は足場にしっかり靴底をつけていたつもりだった。



(あんまりぴったりくっついてたら、別々にワープさせることに失敗する場合がある)


 砂漠での戦いのあと彼女はそう言っていたはずだが、さきほどのワープを見るに、その弱点は克服済みのようだ。僕にとってのサイフロスト先生のように、ソーラにも魔法を見てくれる担当教員がついている。おそらく、その人に鍛えてもらった成果なのだろう。


 転移したブロック状の黒いかたまりが周囲に積み上げられていく。僕の出した傘のふちよりちょっと内側あたりに壁を作るかたちだ。

 横から侵入しようとした剣は、そのブロックの壁に妨害される。ブロックのなかには頑丈な黒い物質がつまっており、それを隙間なくソーラが配置する。


 氷の傘を元々の高度で維持しつつ、僕は彼女と共に下へ下へと転移する。足下のゆかが陥没するたび、傘との距離がひらく。


 僕たちに合わせて傘の高度を下げていくこともできたが、その場合ソーラの作ったくぼみに収まるように傘を小さくしなければならず、ふりそそぐ剣をかえって防げなくなる。


 無音で豪快に上昇するエレベーター。剣の雨が空を切る音。ゆかと壁と氷の傘に激突し、互いに金属音を響かせる無数の諸刃。すべての音と振動が一体になって、中央にこもる僕たちの身をふるわせ続ける。


 ソーラは傘の高さまでブロックの壁を組んでいた。ただし密閉はせず、壁の最上部と傘のあいだに隙間を作っている。なかにいる僕たちの酸素を確保するためだ。とはいえ、こちらに届く光も少なくなってきた。僕は黄巻紙の「照明」をなぞり、あかりをともした。


 現在、僕たちはソーラのあけた円柱状の穴の内部にいる。穴の入り口の周辺に壁を完成させた彼女は、部分ワープさせたブロックを、今度は内部の壁際に積み上げ始めた。黒いエレベーターのゆかをさらに陥没させていく。


 四つん這いのまま、彼女が僕に伝える。


「しばらく巻紙から指をはなさないで。まとめてワープさせるから。もうすぐコツがつかめる。そうなったら一気にいく」


 しかしこの瞬間、壁の最上部と傘との隙間がきらりと光った。そこから剣が数本こぼれた。僕はそれらの剣を水の砲撃で押し返した。


 いや、光はそれだけではなかった。

 次第に銀色の刃先が最上部の隙間全体から漏れ始める。その光は、穴のあいたドーナツみたいなかたちに見えた。


 冷や汗が背中をつたう。


「剣の雨が周辺のゆかにたまって、ブロックの壁の上にまで達したのか。もう勢いはないけれど、このままだとこちらに落ちてきて、僕たちは空洞の内部で無数の剣に飲まれる。かといって隙間をふさげば息が続かなくなって終わり。ソーラ!」

「了解よ。コツはつかんだわ。アロンは氷の傘とあかりを維持して! それと、わたしと背中合わせになりなさい」


 彼女は四つん這いをやめ、直立した。その背中に、僕は僕の背中を当てる。そこに揺れるソーラの長い黒髪を、引っ張ってしまわないよう気を付けながら。

 ここで上から、なにかがくずれる音が聞こえた。最上部のブロックの壁が決壊し、大量の剣があふれ出るのが見えた。


 ソーラは両腕を左右に伸ばす。ついで足場を部分ワープさせ、すり鉢状すなわち逆円錐形にへこませた。


 直後、黒い物体の群れが僕たちの斜め上に出現する。元々エレベーターのゆかだった部分が、分解された挙げ句に宙へと場所を移した格好である。三百六十度すべての方向から、こちらを取り囲む配置。それらは数多くの破片となって影を作った。


 すかさずソーラは僕ごと、すり鉢の底にワープする。すり鉢の斜面に両手をふれさせたのち、さらに深いくぼみを部分ワープで足下に作成。再び瞬時に底へとワープ。これを短時間でくりかえし、下に向かう。


 ブロックの壁からこぼれる剣では、もはや追い着けない速度。真上から落ちる切っ先なら彼女を追えるかもしれないが、そちらは氷の傘で防いでいる。


 右手の青巻紙と左手の黄巻紙に指を押し付けたまま、僕は彼女のすずしげな声を聞く。

 本当は息が乱れているが、あえてソーラは余裕そうな声を発した。


「まるで三角柱の黒い歯に穴をあけていく虫歯菌の気分ね。しかもエレベーター自体がわたしのほうに突き上げてくるんだから解体がはかどってしょうがないわ」

「移動ではなく破壊にもワープが使えるって僕は知らなかった。爽快だよ」


 ただ、懸念もあった。

 真後ろのソーラの邪魔にならない程度にあごを上げ、頭上の様子を確認する。


 あふれる剣や黒い物体の向こうで、氷の傘がどんどん小さくなっていく。あくまで距離の関係で縮小しているように見えるだけで、実際はその形状と大きさを保っているのだが。


 加えて、上から漏れる光が消え、傘が闇の向こうに飲まれた。


「ソーラ、穴も深くなってきた。ここまで離れれば、そろそろ僕と氷の傘のリンクが途切れる。瞬間、真上から切っ先が僕たちを襲う」

「ピッチを上げるわ」


 うなずいた彼女は、今までのものよりも急勾配のすり鉢を真下に作った。より深くなった底にワープする。

 結果、穴をあけるスピードがこれまでの倍以上になった。


「残る問題は出口ね。この黒い三角柱がアリアンのエレベーターだとすれば、必ずどこかにそれはある。どうやって見つければ」

「三角柱自体に透過魔法を発動させて周囲を見回すしかないと思う」

「それよ! 解体のスピードは少々落ちるけど、一定間隔で銀髪に切り替えるわ」


 彼女は「発」と唱えた。

 当たっていた長い髪が短くなったのを僕は背中で感じた。


 直後、周囲が透明と化す。三方から僕たちを囲む、つるつるの黒い壁があらわになる。黄巻紙の「照明」があたりを照らす。僕もソーラも、素早く首を動かし、周りを確認する。


「ソーラ、出口は確認できない」

「発。全部つるつるだったわね!」


 斜め上に転移させた破片が落ちてくる前に彼女は黒髪に戻り、透明ではなくなったエレベーターにすり鉢状の穴を再びあける。何回か黒髪状態で掘り進んだのち、また一瞬だけ銀髪になり、周囲の確認。これを反復しつつ出口をさがす。

 そして、上のほうから氷の割れる音が、かすかに聞こえた。


「傘が突破された。これでまた真上から剣が落ちてくるけど、僕がなんとかする」


 頭上にもう一度、氷の傘を作るつもりはない。今や、ソーラの解体の邪魔になる。破片の転移先のスペースを圧迫するおそれがあるからだ。

 そもそも彼女が破片を真上ではなく斜め上にワープさせているのは、視界を確保しつつ、できるだけ周りの空間に余裕を持たせるためである。


 僕は、上昇を続けるエレベーターを「混線」によって抑制しながら、「照明」であかりを維持する。なお、元々僕たちの体温を下げないように発動していた「電熱」については、氷の傘から離れた時点でとっくに解除している。


 猛スピードでせまる切っ先を見上げ、「水」「凍結」「指定」「砲撃」の文字に指をすべらせる。この動作を手早く連続させる。


 ねらったのは剣ではない。ソーラが解体した、落下中の黒い破片。

 大量に浮かぶ破片めがけて氷を撃ち続ける。それによって破片を斜めに押し上げる。すると破片自体が壁にはね返る軌道をえがく。果ては真上の剣に激突し、その勢いを殺す。


(氷塊で撃ち落とすよりも、頑丈な素材で出来た破片を利用して剣に当たらせたほうが確実)


 ただし、これは黒い破片を使う作戦。間接的に動かしている以上、いつまでも上手くいくわけもない。



 案の定、とうとう僕は失敗した。氷のかたまりに当たった破片の一つが壁にはね返ることなく、別の破片に激突して停止した。


 その合間を縫って数本の剣がこちらにつっこんでくる。

 やむを得ず僕が再び氷の盾を作ろうとした瞬間、あたりが再び透明になる。直後、ソーラがさけんだ。


「発! 出口が見つかった! 今からワープする!」


 ソーラは僕の後ろから背中を強く押し付け、黒に戻ったすり鉢状の穴の斜面を左手でなでる。その部分をまるごと頭上にワープさせ、せまっていた切っ先にぶつける。この部分ワープによって生じた斜め下の空洞にすぐさま転移。


 間を置かず、空洞内でさらに通常のワープを発動させる。



 すると周囲から黒い空間が消失した。

 代わりに、横に延びる通路に出た。そのゆかに落ちた。


 白い通路だった。もうエレベーターはそこにない。

 天井までの高さも幅も十メートルほどだろうか。やはり、つるつるの石で出来た壁や天井自体が人に反応して発光するらしく、僕たちの周辺だけが明るい。


 僕たちの服は乱れていた。黒スーツも彼女の灰色の「エセ喪服」も、あらゆるところが切れ、ほつれ、破れていた。肌の傷に汗が流れ込み、痛みを生じさせた。激しい呼吸を落ち着かせながら、僕はネクタイを締めなおした。


 そして横の突き当たりを見ると、そこに黒い壁があった。


「あれが僕たちを押し上げていたエレベーターの一部か」


 青巻紙と黄巻紙に封をして僕はその壁に近づいた。つやのない純黒。傷も音もないため、さわってみないとそれが動いているかどうか、わからなかった。


 が、ふれた瞬間に僕の手がその物体に引っ張られそうになったので、すぐに僕は手をひっこめて後ろにさがった。


 ソーラは、けげんな顔で問う。

 

「上に引っ張られそうになった?」

「いいや、下に引っ張られそうになった」


 それを聞いたソーラは、「ここから離れましょう」と言う。


「エレベーターは侵入者を排除する役目を実行できなくなったのよ。わたしたちが三角柱の空間から消えたことで。だから上昇をやめて下降し、元の高さに戻ろうとしてる。これが完了すればその突き当たりは、黒い壁から、さっきの空間に続く出入り口になるでしょうね」


 彼女は黒髪のヘアゴムを結びなおす。


「でもそのとき、わたしたちは攻撃される可能性がある。途中で突き上げてきた無数の剣は、どこから発射されたのか。おそらく三角柱の空間の底付近から出てきたものよ」

「武器庫のような場所があると仮定すれば、『エレベーターと接触する前に僕たちが落下させた剣がどこに行ったか』という問いへの答えにもなる」

「ええ。でも今わたしたちがいるのは、ただの通路みたいね。なら体力や魔法の力を回復させながら、ここを進んで」



「――わたしのもとに来るのかい?」


 その声が通路に反響すると同時にソーラは、黒い壁とは反対方向の闇を見た。


 低く、かすれた、落ち着きのある例の声。

 当然、僕のものではない。


 足音をゆっくり響かせたのち、「彼」が通路の奥から現れる。

 白髪交じりの金髪。あごひげ。オールバック。初老の男性。燕尾服。ふちなしの丸めがね。


 僕も彼をまじまじと観察し、その名前を口にした。


「クーゼナス・ジェイ」


 彼の姿は男子寮の寮長のもので間違いない。

 ただし目は灰色ではなく、赤かった。


「お父さ……と呼ぶとでも思った? アリアン」


 ソーラ・クラレスと彼が視線を交わしたとき、互いの瞳がきらめいた。

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