第九章 僕の話した三人あるいはダカルオンのあと

 こうしてソーラ・クラレスはキュリア・ゼルドルと共にダカルオン優勝を果たした。


 僕とハフル・フォートも準優勝ではあったが、二人とも虫の息だったため、表彰式に出ることは、かなわなかった。



「いえ、素晴らしい成績ですよ」


 人形のように整った顔立ちと、緑の瞳が、僕に向けられる。


「優勝賞品と単位は残念ながらありませんが、これは確かな実績です」

「そういう先生は優勝したそうですね。青ブロックで」


 ダカルオンが終了したその日の午後、白いミサンガを右手から外した状態で、僕は学園の保健室のベッドに横たわっていた。


 ベッドのそばには、薄桃色のクッションを持つスツールが置かれている。

 そこに、僕の担当教員が座っている。


 紫のローブをまとい、ダークブラウンのボブカットの毛先をやや乱れさせた、メアラ・サイフロスト先生だ。

 研究室のときとは違い、先生はとんがり帽子をかぶっておらず、ローブのすそから見える黒靴下の上に黄土色の革靴をはいている。


 サイフロスト先生は、けだるげな声を発しながら、僕から目をそらす。


「あれはですね。ほかに組む人が誰もいない学生さんがいたから、わたしが頑張らないとって」

「そうでしたか、ともかくおめでとうございます」

「ありがとうございます。とはいえ、ちょっとは疑ってください。本当は、ほしかったんです、優勝賞品。わたし、世間から無価値と思われているものに価値を見いだす趣味があるんです。今回の魔法装置もそうでした。そういうものに、目がないんです」


 先生は少し顔を赤らめて、僕のベッドの白いカバーをつまんだ。

 サイフロスト先生は力をかなりセーブした状態で戦ったという。それでも優勝してしまうのだから、やはり相当強いらしい。


「もちろん勝てたのは、組んでいた学生さん自身が頑張ったからですが」


 ちなみに先生のチームが優勝した青ブロックでは、準優勝の二人にも単位が付与されたそうだ。サイフロスト先生はファカルオンの教師なので、単位はもらえない。そのぶんの単位を、代わりに振り分けたかたちである。


「ときにアロンさん。わたしは見ていましたよ」


 先生はスツールを移動させ、ベッドのそばの、とくに僕の耳に近いところに座りなおした。

 ローブにつつまれたひざが、僕の横に突き出される。


「青ブロックでの競技を終えたあと、第一グラウンドに向かったわたしは、君たち白ブロックのバトルロイヤルを観戦したのです。そのときには、もう残り二チームになっていました」


 後頭部を枕に押し付けている僕に向かって身を乗り出し、サイフロスト先生は微笑する。


「四人とも、すごかったです」

「途中、僕たちは巨大なググーのなかで戦っていましたが、みんなはそれも見ていたんですか」

「魔法媒体がダカルオンの一部始終を音声付きの映像として記録しています。出力の加減によって、壁の向こう側も透けて見えます。その映像を巨大なググーの薄桃色の表面に投影して、わたしたちは戦いを見守っていたというわけです」


 興奮しているのか、ここで先生は自身のローブをぎゅっとつかんだ。

 とはいえ相変わらず、けだるげな声ではある。


「そのググーを出したキュリアさんの魔法、興味深いです。あの大きくて確かな質量を持つググーと、黄色い立方体のかたちをして魔法を吸収するレレー。ずっと彼女は冷静で一生懸命でした。最後まで刺しゅう入りのニーソックスを破ることなく守っていたのも、ぐっときました」


 先生は左右の手をやや丸め、それをローブに隠れた太もものあいだのくぼみに添え、続ける。


「ハフルさんは前回の優勝に引き続き今回も準優勝。自分のブーツでなにがしたいか、イメージがしっかりしています。だから自在に飛んだり走ったりできるわけです。自分になにができるか常に考え、実行しています。彼は素晴らしいルームメイトですね」

「はい。ハフルは僕の学友です。彼もダカルオンが終わってからこの保健室で寝ていたんですが、先生がここに来る前に、全快して寮に帰っていきました」


 学園の保健室は全部で十一の部屋に分かれている。

 そのなかの一つの部屋のベッドに僕は寝ている。今いる部屋には計八床の白いベッドが二列で並べられている。


 保健室のベッドは魔法装置の一種。横になっていれば勝手に傷が治る。体力や気力、魔法の力も回復する。

 ただし重度のダメージを受けている場合は、その限りではない。


 逆に言えばここで回復できたなら、元から致命傷を受けていなかったことになる。ググーのなかでハフルはソーラから豪快に吹っ飛ばされていたが、彼が僕よりも早く全快したことを考えると、ソーラは最低限の力でハフルをはじき飛ばしたのだと思われる。

 きょうのダカルオンで消耗してこの部屋のベッドに寝ていたほかの学生たちも、すでに僕以外の全員が回復し、ここを去っている。


 現在、ベッドに横になっているのは僕しかいない。

 保健室のなかでも、その部屋は魔法装置のベッドを置いておく場所としての側面が強いらしく、専門の先生は常在していない。


 僕は窓際のベッドに寝ている。

 学園長の空調魔法が利いた保健室のなかで、僕たちは二人きりで話している。


「ソーラさんは、ほかの学生さんの称賛を一身に浴びていました。合計十チームのひもを彼女自身が切ったということで。これは全五ブロックのなかでもトップの数です。そのうえで優勝したのですから、誰も文句を言えません」

「本当に彼女は、すごい魔法使いです」


「彼女は表彰台でみんなにこう言いました。『手の平返し、ご苦労さま』と。しかし学生たちも教師陣も彼女に対する拍手を惜しみませんでした。ソーラさんは自分に誇りをもって、堂々と自身を見せて、少しも臆することなく全員と向き合っていました」

「これでソーラを敬遠する学生も減るといいんですが」


 枕に置いた頭を少し動かして、僕は言う。


「長い黒髪をなびかせるクールビューティーというのが彼女の第一印象でした。確かにそれもソーラの一部です。でも本当の彼女は、色々な髪と、一本の筋のとおった心を持つ、誰よりも負けず嫌いの魔法使い。それをみんなには、誤解してほしくないんです」

「きっと、だいじょうぶですよ」


 先生はけだるげな声で、ゆっくりと、そう口にした。

 そして窓の外に目をやった。


 僕と先生がいる保健室は二階にあった。

 窓の外の眼下には、赤いゴムチップ舗装の第一グラウンドが広がっていた。今は元の百メートル四方の広さに戻っている。


「さてアロンさん。君への評価がまだでしたね」


 まぶたをとじて、まるで小さな子どもに言い聞かせるような落ち着いた声音で先生は口元を動かす。


「わたしは今朝、研究室を訪れた君に、『全力をつくしてきてください』と言いましたね。あらためて白ブロックの戦いの記録映像を最初からチェックしてみましたが、アロンさんは確かに、すべてを出しつくしていましたよ」


 ローブの上で先生は左右の手の指をふれ合わせていた。


「魔法の実力、作戦の立て方、仲間との意思疎通、相手および状況の分析、基礎体力、あきらめない精神力。どれも称賛に値します。とくに君、最後のソーラさんとの攻防のとき、にっと笑いましたよね。わたしは、とくにあれが気に入りました」


 先生は、目をとじたまま僕にやわらかな笑顔を見せた。


「わたしは嬉しかった。君がわたしの言葉を聞いてくれたからではなく、わたしの言葉とは関係なしに、君と君を取り巻くもののために、一生懸命頑張っていることがわかったから」

「ありがとうございます」


 僕は、歯切れ悪く、生返事の調子でその言葉を口にしたと思う。


「ただ、先生。僕は全力をつくせなかったかもしれません」

「優勝できなかったことですか。あれはソーラさんとキュリアさんが一枚上手でしたし、展開次第ではどうなっていたかわかりません。君もハフルさんも文句なしです」

「最後の最後で、僕はためらいました」


 そして僕は先生に話した。


「グラウンドでのソーラとの最後の攻防――彼女から目くらましを食らったとき、僕は青巻紙をなぞろうとした指をとめました」


 先生の返事を待たず、言葉を続ける。


「視界がふさがる前、なぞるつもりだった『水』『砲撃』の字がどこにあるかは確認していました。いや、使い慣れた巻紙だったんです。本当は目をつぶった状態でも字を正確になぞれます。そのはずなのに、目の前が暗くなった瞬間、巻紙魔法を使用するのが怖くなりました。……それもあの大事な局面で」


 対して、ソーラとハフルは真剣にダカルオンに臨んでいた。


(敵同士になっても全力で)

(俺はおまえを勝たせたい)


 こちらは先生には伝えなかったが、僕の頭には彼女と彼の言葉がこびりついていた。

 きっとキュリアも、ほかの学生たちも、僕の知らないそれぞれの思いを持っていた。


 一方、僕は本当に全力で勝とうとしたのか。みんなに「自分は頑張った」と胸を張って言えるのか。ソーラのように堂々と、誇りと共に自分をさらけ出せたのか。


「僕は、先生から言われたことを気にしていました。青巻紙の『水』を出すことなく、誤って『膨張』や『収縮』をなぞれば僕自身が死ぬ可能性がある。もし本当にそうなったらと。視界が暗くなった一瞬に、そういう不安が脳裏をかすめました」


 僕は先生のいる方向を見ることができなかった。

 今は、顔を見られたくなかった。

 ベッドの上の体を横にかたむけ、窓の外に目を移した。


「でも保健室で起きたとき、僕はこんなことも考えました。『サイフロスト先生があんなことを言わなければ、ためらわずに青巻紙をなぞれたのでは』と。実力不足を棚に上げて、『先生のせいで全力を出せなかった』と思ってしまったことが、なにより情けなくて」


 しめられた窓ガラスの向こうに、グラウンド周辺の道沿いに植えられた、ユズリハの木がいくつか映る。


「あるいは、ただの負け惜しみでしょうか。『本当はあのとき本気を出せば勝てていた』なんていう見当違いの妄想。あそこで僕が巻紙をさわれたとしても結果は変わらなかったかもしれないのに。こういったことが頭のなかで、ごちゃごちゃして、整理がつかないんです」


 僕はそのとき、黙って話を聞いている先生のわずかな吐息を耳にしながら、心にため込んでいたことを次々と、はいた。


 今まで僕は先生の前で、自分の弱音を隠してきたつもりだった。

 それなのに心情の吐露がやまなかったのは、赤茶けたレンガで囲まれた研究室ではなく、白いベッドが並べられた部屋に先生と二人きりでいたからだろうか。

 いつもとは違う環境。やわらかいベッドに体がつつまれている状況。そこに先生のけだるげな声が重ねられ、僕の思いが外にあふれる結果となったのかもしれない。


「きょうのような激闘は初めてでした。ここまで巻紙魔法を酷使したことは、ありません。僕自身も無理を重ね、とっさの判断で動いていた部分が多かったと思います。もし巻紙の危険性を意識しないまま戦いに臨んでいたら、僕は手元を狂わせて、きっと自分を殺していました」


 声と共に僕は全身をふるわせていた。

 その揺れを、ベッドのシーツが吸い込んでいく。


「だから本当は『先生のおかげで僕は守られました、感謝します』と、それだけを伝えたかったのに。愚痴みたいに、ひきずって。今まで、こんなことなかったのに」

「アロンさん、やっぱり君は全力をつくしていますよ」


 横を向いている僕の、背中に近いところのベッドのシーツが、ややへこむのを感じる。先生が、そこに片手を置いているのだろうか。


「だって君が感じていることは、『悔しい』という気持ちでしょう。悔しさは、一生懸命頑張った人の心のなかにしか、おりてきません。全力をつくしたことの、証なんです」


 真面目な声とけだるげな声が混ざったような調子で、先生の言葉が続く。


「負け惜しみ? 先生のせいにする? いいじゃないですか。本気で悔しかったなら、言い訳や愚痴の一つや二つや三つや四つ、言いたくなるのが人として当たり前です」


 僕の片耳に、先生の穏やかな息づかいが落ちてくる。


「あのときこうしていれば。状況が違えば。そんな仮定も無意味ではありません。むしろ負け惜しみにも聞こえるそれらのことを思うからこそ、次から、より最善に近く、より状況に応じた行動をとれるようになります。負け惜しみ、どんどん言っていきましょう!」

「もしそれが見当違いだったら」

「そのときは『なんだ勘違いだったか』と笑って済ませばいいんです」


 ここで、僕の体をおおうベッドカバーがほんの少しだけ引っ張られた。


「先生の言うことも本当に正しいかはわかりません。最終的に自分の魔法を高められるのが自分だけであるように、自分の心と本当の意味で向き合えるのは自分だけです。わたしは君じゃない。だから今も、君が望む適切な言葉を本当に選べているのか、不安でいっぱいです」

「サイフロスト先生の言葉は、なにも間違っていません」


「先生とは学生の成長を願ってその言葉を選択するものです。立場上、学生は感謝を返します。だけど実際は、口に出せないたくさんのことを心にかかえているはずです。それを持つことも隠すことも悪いことではありません」


 先生の、小さい呼吸音が聞こえる。


「でも、それを打ち明けてもらえることは、先生にとって、わたしにとって、なにより、ありがたいことなんです」

「嫌なことを伝えられても、ですか」


「心のなかでこの子は自分のことをどう思っているのだろう、本当に自分はこの子の成長をサポートできているのか、むしろ芽をつんでいないか、という不安をいつも隠しながら『おとな』という虚像を演じるのが、先生という仕事です」

「虚像」

「だから目の前の、見えない君の気持ちを知れたことに、わたしは言葉にできない感情を覚えるのです」


 少し言いよどみながら、先生は言葉を継ぐ。


「わたしは、本当は謝るべきかもしれません。ダカルオン本番当日に君の不安をあおったのだから。でも困ったことに君は、たぶんわたしからの謝罪を望んでいない」

「はい、むしろお説教を聞かされたほうが、楽なくらいです」

「いいんですか? では遠慮なくいきます」


 ひかえめにせき払いをして、先生は枕のそばのシーツをなでた。

 僕は相変わらず先生を見ることができないまま、横を向いて窓に視線をやっていた。

 しかしベッドのシーツ越しに伝わってくる感触だけで、不思議と先生の仕草がわかった。


「君は死を恐れた。だから視界がふさがった状態で、巻紙をなぞれなかったんですよね。だけど、それ、恥じる必要ないですよ。自分を守ることは立派なことです」


 なかば、こもったような、しっとりとした声音が、ほかに誰もいない保健室に反響する。


「そのとき君がためらったのは、周りのみんなを案じていたからでもあるのでしょう。巻紙魔法で人を簡単に殺せるともわたしは伝えました。そちらのほうも、君の心にひっかかっていたと思います。手元が狂えば自分ではなく周りの誰かに危害を加えるかもしれないと」


 そう言い終わって、先生は左右の手の平をうち合わせた。

 僕の片耳の上で、乾いた音が一回、聞こえた。


「君は自分も他人も大切にしていたのです。そんな優しい君に聞かせるお説教は、きょうのところは、もうありません。君は立派に戦い、全力をつくしたんです。だから『全部出しきって、すっきりした。よし、次を頑張ろう』と思っていいんです。胸を張って、いいんです」


 この言葉に対して、僕は返事ができなかった。

 頭のなかでごちゃごちゃしていた物事が、一挙に整理された気がした。


(僕は悔しがっていいし、自分をみとめてもいいんだ)



 しばらくして上体を起こし、先生と目を合わせた。

 とりとめのない雑談のなか、優勝賞品の魔法装置に関する話題が出た。僕が装置の使い方などについて質問すると、先生は嬉しそうに説明してくれた。


 話が終わったあと、サイフロスト先生はスツールから立ち上がった。


「では、アロン・シューさん。お大事に。きょうは、よく頑張りました」

「ありがとうございます」


 今度は、はっきりと、その言葉を口に出せたような気がする。


* *


 先生が保健室から出ていったあと、僕はこんこんと眠り込んだ。


 起きたときには、魔法装置のベッドによって全快していた。

 現在は夕刻。窓の外から光が差し、白いベッドカバーに赤をほんのり加えている。

 眼下に広がるグラウンドの赤いゴムチップ舗装が、昼間より濃く見える。周辺の道沿いに植えられたユズリハの葉も、燃えるように揺れている。


 窓外の光景を目に入れつつ、僕は足をベッドから出した。ついで、ベッドのそばに置いていた、傷だらけの黒靴をはく。


 そのとき、保健室のドアがノックされた。


「すみません、アロン・シューくんは、なかにいますか」


 聞き覚えのある声だった。ささやいてもいないのに、こちらの耳をくすぐってくる。

 バトルロイヤル中、まともに聞いた彼女の声は「グー」と「ググー」と「レレー」と「う」だけだったが、そこにいるのが当の「彼女」だとすぐに僕は思い至った。


「はい、アロンは僕です。なにかご用ですか」

「入っていいかな? 着替え中とかじゃないよね」


「いいよ」

「失礼します」


 この保健室のドアは引き戸である。

 それを横にスライドさせて入ってきたのは、小さな人影。


 金色のショートヘアの少女。

 きょうのダカルオンの最終局面において、ソーラと組んで僕たちと戦ったキュリア・ゼルドルである。


 キュリアはドアを全開にしたまま、二列に並んだ八床の白いベッドのあいだを抜け、僕の腰かけている、窓際のベッドのそばでとまった。


 夕日の光をきらきらと反射して、今の彼女の金髪はオレンジ色にも見える。ダカルオン開幕時とは異なり、もう髪の上部は、はねていない。彼女は自身の金髪を左右の耳にかけなおし、幼げな顔を僕に向ける。


「これ、アロンくんのだよね」


 そう言ってキュリアは、ブリーフケースを僕に差し出した。

 ダカルオン本戦が始まる前、競技に不要ということで僕が先生たちに預けていた、黒いブリーフケース。


 キュリアはその持ち手を両手でにぎった。


「学園長がルール説明をしてるとき、わたし、アロンくんが手に提げてた、これを見てたの。アロンくん、黒いスーツで目立つもん。その見覚えのある荷物がグラウンドのそばのベンチにいつまでも残っていたから、届けようとしてた先生に代わって、わたしがここに」



 彼女の小さな手が、ベッドに座っている僕の両目の前に来ている。


「確かに僕のバッグで間違いない。君が届けてくれたんだ。ありがとう」


 くりくり動いているキュリアの黒い瞳に目を合わせつつ、僕はブリーフケースの底に両手を添えた。

 しかし彼女は持ち手をはなし、目をうるませる。

 元々そういう瞳であって、泣いているわけではないようだ。


「アロンくん、軽いよ。それ。なかに、ほとんど入ってないんじゃないかな。盗まれたりしてたら大変だから中身を確認して必要なら学園と当局に届け出を」

「ああ、そこはだいじょうぶ。授業がある日は、これに筆記用具やテキストを入れてるんだけど、きょうは懐中時計だけ。あとは、からっぽ」


 僕はブリーフケースをあけ、時計だけを片手に持ち、キュリアになかを見せた。


「今回のダカルオンで僕は優勝賞品の魔法装置をねらっていた。五ブロックに分かれて競い、優勝者の数だけ賞品も用意されているとのことだったから、装置は元々たくさんあるものと予想した。おそらく比較的小さい。このブリーフケースにそれをしまおうと考えていた」

「わたしとソーラちゃんに一個ずつ渡されたから、たぶん合計十個あったんじゃないかな。でも実物はアロンくんが考えているより、ずっと小さい。ポケットに入るくらいのサイズ」


 その情報については、すでにサイフロスト先生から聞いていた。

 キュリアはスカートのポケットに右手を入れて、なかをまさぐる。


 彼女の今の服装は、ダカルオンのときとは違っていた。白のチュニックと紺のクォーターパンツではなく、タックブラウスとフレアスカートに着替えている。

 白のタックブラウスは、ボタンのないプルオーバータイプ。縦に入った浅いひだに夕日の光を落とし込み、前後の「みごろ」が、やわらかい濃淡に揺れていた。


 一方、薄桃色のフレアスカートは、ポケットをまさぐる彼女の右手が動くごとに、すそを少し浮かせながら、左右に波打っていた。スカートのすそがうねるたび、キュリアの黒いニーソックスと白い太ももの境界線がのぞき、その上で陰影と赤い光が絶えず入れ替わっていた。


 ニーソックスに関しては黒地のもの。

 ダカルオン本戦で、はいていたものと同じ。まったく破れていない。きれいなまま。ほどこされた白い刺しゅうに斜陽の光を集めている。刺しゅうの模様は黒地全体に広がっており、なにをモチーフにしているかは不明だが、おそらく蝶と波を組み合わせたかたちである。


 本戦の激闘を経たにしては、傷が一切ないのも変な気がする。おそらくニーソックス全体に、それを保護する魔法が付与されている。


 ただし保護魔法にも限界があるだろう。大きな攻撃を食らえば突破されたはず。

 したがって、キュリア自身が魔法の直撃をかわし続ける必要があった。ニーソックスを最後まで守り通せたのは彼女にその実力があったから。この点に着目してサイフロスト先生はキュリアについて「ぐっときました」と評価したのではないだろうか。


 ちなみに今、僕が着ている服はキュリア・ゼルドルの父親がファカルオンに無償で提供した「患者衣」である。保健室にかつぎ込まれたときに着せられたようだ。リネンで出来た薄緑の上下で、身にまとったときの感覚は、ゆったりとした寝巻きに近い。

 はいている靴下も同色のリネンであり、ゼルドルの店のもの。とはいえ彼のブランドのトレーニングウェアとは異なり、患者衣一式にロゴはついていない。


 ダカルオンでぼろぼろにしたスーツのほうは全部脱いで、この保健室には黒靴だけを残してある。


* *


 スーツ一式は現在、僕とハフルの寮の部屋のなか。

 ハフルはベッドで全快したあと、いったん寮に帰って僕のガーメントバッグを持って保健室に戻ってきていた。そのバッグに僕のスーツのジャケット、パンツ、ワイシャツ、ネクタイ、ベルト、黒い靴下を収めたハフルは「じゃ、これ俺らの部屋に運んどくわ」と言って去った。


 また、そのとき彼は、僕が寮で着ているリネンのシャツとパンツと靴下を持ってきて、それらをたたみ、僕の寝ているベッドの枕の下にすべり込ませていた。


(帰るときに着替えろよ。あと、おまえのスリッポンも持ってこようかと思ったが、寮の外で使うことを想定しているものか不明だったんで、やめといた)


 ――サイフロスト先生が保健室を訪ねる前の出来事である。


* *


 ともあれ、今はキュリアが僕の前でスカートのポケットをまさぐっている。

 僕は片手に持っていた懐中時計をブリーフケースに再び収め、黙って待っていた。


 果たして彼女がポケットから取り出したのは、黒い球体だった。透明な包装紙につつまれた、直径二センチ程度の玉である。キュリアはその球体を右手に載せ、僕に見せてくれた。


 ブリーフケースをひざに置いてから僕は、玉を観察した。


「これが、自分の存在を一瞬だけ抹消できる古代の魔法装置」


 反射的に僕は、つばをごくりと飲んだ。


「本当に飴玉にしか見えない」

「ね、小さいよね。正式名称は『デリングリン』だって」


 しかしキュリアは、その黒い球体をじっと見る僕に気付いて、慌てた声を出す。


「アロンくんには、あげないからね」


 彼女は「デリングリン」を持った右手を左の手の平に押し付けたあと、その勢いのまま、左足のかかとを軸にして反時計回りに体を回転させた。キュリアの動きに呼応して、彼女のタックブラウスがひかえめに、フレアスカートがふんわりなびいた。

 キュリアの靴はダカルオンのときの黒スニーカーではなく、黄色いモカシンだった。


 ただし彼女は体をまるまる一回転させず、僕に背中を向けたタイミングで停止した。

 デリングリンをポケットに入れなおしたあと、ひざを曲げ、背中を後方に倒す。


 それと同時にキュリアはスカートの後ろに両手を添えた。左右の手の平をすそに移動させ、そこを自身の太ももの裏側に押し付けつつ、そのまま、僕の腰かけているベッドに座った。


 彼女は僕の右隣で、スカートとベッドとのあいだにはさんだ両手をすぽんと抜いた。


「アロンくんって、人の服を観察するのが好きだよね」


 キュリアのブラウスは長袖だった。彼女は袖の先の手の平を、背中より後方のベッドカバーの上に置き、体のささえとした。


「きょうのダカルオンが始まる前から気付いてた。前にアロンくん、教室棟の中庭でソーラちゃんと一緒にいたよね。そのときわたし、二人の腰かけているベンチのあいたスペースに座って様子を見てたの。ちょっと離れたところから横目で」


 桃のような、それでいて主張しすぎない香りが、キュリアからただよってくる。


「ソーラちゃんの服装に向けられたアロンくんの視線は嫌なものじゃなかった。純粋に相手のファッションを確認している感じの目だった。今と、同じで」

「よく見てるね。僕は、人がどんな格好をしているか、つい観察してしまう」


 確かハフルによると、キュリアは若き天才ファッションデザイナー。

 学園ファカルオンだけでなく、そういう業界のなかでも生きている。人が服に向けるさまざまな視線にも、さらされてきたはずだ。


 だからこそ僕の目の動きにも、いち早く気付いたのかもしれない。

 キュリアのことをきょう初めて知った僕に彼女のなにがわかるのかと言われれば、それまでだが。


「基本的に僕はスーツだし、私服を着るにしても適当。だからかえって、ほかの人がどんな服装か気になってしまうんだと思う」

「そうなんだ、そして相手の髪の様子も見てるよね」


「ああ」

「わたしがとくに気になったのが、ソーラちゃんの黒髪を見るときのアロンくんの視線だった。たぶん無自覚だろうけど、髪だけじゃなくて、そこに隠れた頭部の輪郭をなぞるような目の動かし方をしてた。中庭でのカミングアウトの前からわかってたよね。ソーラちゃんの秘密」


「前日に、ソーラは本当の頭を僕に見せていた」

「アロンくんの視線を目にしたのは偶然だったんだけど、その日、わたしは二人の関係を知りたくなって、ベンチに座るほかの子たちに交ざって様子をうかがった」


 彼女はニーソックスにつつまれた両ひざをこすり合わせ、言葉を続ける。


「で、ソーラちゃんはカミングアウトに移った。でもこのとき、アロンくんは驚きもせず嫌そうにもしていなかった。むしろ『彼女ならこうする』という理解者みたいな顔してた。この人ならソーラちゃんと二人きりでも問題ないと思って、わたしはベンチを離れた」

「話してくれてありがとう、キュリア。君のこと、どこか見覚えがあるとも思っていたんだけど、それは気のせいじゃなかったらしい」


「わたしはあまり授業に出席できてないから、印象に残ってなくても無理ないよ。ともかく、アロンくんに聞きたいことがあるの。実は荷物を届けたのは善意じゃなくて、じかに会って話す口実だったんだよ。ごめんね」

「いや気にしなくていい。それで、聞きたいことって?」

「ありふれた質問」


 キュリアは上体を左隣の僕に向け、上目づかいで目を合わせてきた。

 そしてベッドカバーの上に置いていた右手を口元にかざす。彼女の小さな口がささやく。


「アロンくんはソーラちゃんのこと、どう思ってるの」


 ただでさえこちらの耳をくすぐってくる音が、ささやき声となって僕の右の鼓膜をふるわせた。いや、鼓膜を通り抜け、脳に直接ふれられ、そのシワの一つ一つに音を流し込まれたような感覚だった。


 時間差で、左の鼓膜が内から揺れた。僕は思わず、全身を微動させた。


「すごくて、誇り高くて、負けず嫌いの魔法使い。僕は彼女を、そう思っている」


 正直に答えた。


 かたやキュリアは上目づかいのうるんだ瞳を僕の顔に近づける。そのとき、彼女のくりくりした黒い両目が僕の視界の大半をおおった。その瞳は、つやのある金色のまつげでふちどられていた。しかしそれも一瞬で、そのままキュリアの瞳は僕の目のそばを過ぎた。

 彼女はベッドから立ち上がった。


「じゃ、わたしの用は済んだから、帰るね。ごめんねアロンくん、わたしの都合で余計な時間をとらせちゃって」


 キュリアと僕が話しているあいだに、すでに夕焼けは終わっていた。

 もう窓から赤い光は差し込んでいない。天井からつり下がる球体の照明器具が、保健室の白い八床のベッド全体を照らしつつ、あちこちに影を作っていた。

 キュリアの白いタックブラウスのひだにも、薄い灰色の影が何本か縦に刻まれていた。


 僕はベッドに座ったまま、彼女の背中を見ていた。


「さよなら、キュリア。きょうは荷物を届けてくれてありがとう。それと、これも伝えておきたい。優勝おめでとう」

「ありがとね。でも本命はソーラちゃんでしょ」


「彼女にも直接、会って伝えるよ。最後に、君のググーとレレーの調子は」

「ググーはもう回復したよ。でもレレーは元の大きさまで縮むのに、あと二日くらい必要」


 彼女は振り向かずに、そう答えた。

 最後に自身の左右の手をフレアスカートの後ろに回し、それらをふれ合わせながら、わずかに体を揺らしてみせた。


「まあアロンくんが、あんなにレレーに魔法を食らわせたからだけど、気にすることないからね。あれはあくまでダカルオン。ルールに則した魔法競技。お互い恨みっこなしだね」


 それから彼女は保健室のドアをしっかりしめて、女子寮に帰っていった。


* *


 思えばキュリア・ゼルドルはソーラ・クラレスのために僕と話をしたのだろう。

 キュリアは、きょうのダカルオンを経て、ソーラと僕のただならぬ関係に確信を持ったのではないだろうか。僕とソーラの最後の駆け引き一つとっても、互いに手の内を把握している者同士の攻防だったと思う。間近で見ていた彼女には、なおさらその事実がわかったはずだ。

 加えて中庭での一件が、まだキュリアの心にひっかかっていたとしたら。


 それでキュリアは、さぐりに来たのだ。最近になって急にソーラと関係を深めだした僕ことアロン・シューという人物を。

 親しくもないはずの僕に対して妙に距離をつめていたのは、おそらくこちらの反応を見るため。


 ソーラ以外の女子とどう接するかを確認することで、僕の人間性を見極めていたのだ。

 その判断材料に自分を使った。僕の隣に座ってみせたり、さりげなくスカートを揺らしたり、蠱惑的なささやき声を発したりしたのは、すべて僕を試すため。そう考えれば、さきほどの彼女の一つ一つの言動や仕草にも説明がつく。


 とはいえ僕は、どこか安心を覚えていた。


(ソーラも、いいルームメイトに恵まれた)


 話を聞いた限り、最初からキュリアはソーラの秘密を知っていたようだ。

 ルームメイトとしてキュリアはソーラ自身の口からそれを聞かされたのだろう。


 そしてキュリアは、良好なかたちで秘密を保持した。ばらすことも、笑うこともなかった。中庭でソーラがみんなに秘密をカミングアウトしたあとも、キュリアの態度は変わらなかったと思う。

 でなければダカルオン本戦中、ほとんど会話も交わさずに、ソーラと適切な連携がとれるはずがない。


 とくにググーのなかでの戦闘時。背後の僕たちにソーラが見せた逆上がりのような挙動があったが、あれに対して仲間のキュリアは即座に反応し、互いを結ぶひもが切れないよう背伸びし、つま先立ちし、右手をとっさに上げていた。

 ただのルームメイトにできる動きではなかった。


 間違いなくキュリアとソーラのあいだには、深い信頼関係が築かれている。

 そんな信頼し合える仲だからこそ、キュリアは心からソーラを思い、そのソーラと関係を深めようとしている可能性のある僕の人物像をさぐりに来たのだ。


 僕は思う。今回のダカルオンの前、僕とソーラは互いに組むことを前提にして特訓を重ねたが、もし本当にソーラが僕と二人一組のチームになっていたら、優勝できていたのだろうかと。


 もちろんソーラの実力は申し分ない。しかし僕が足を引っ張る可能性もあった。


 ソーラと僕のあいだに、連携をとれるほどの深い信頼関係はあるのか。

 アリアン・クラレスの奪ったものを取り返す。そんな共通の目的のみでつながった利害関係があるだけではないか。

 僕は本当にソーラ・クラレスの協力者にふさわしい魔法使いなのか。


(いや、もう気にする必要もない。ソーラが優勝し、くだんの魔法装置が使える状況になった今、僕たちはアリアンの居場所を特定し、虹巻紙と遺髪を取り返す。それで彼女との関係は終わりだ。ふさわしいとかそれ以前に、僕たちは互いを利用し合っているにすぎない)


 ここで目的を見誤ることがあってはならない。


(僕は父の形見を取り戻す。ソーラは母の形見を奪い返す)


 それだけである。やることは、最初からなにも変わっていない。


 僕はベッドの上の枕をめくり、その下にたたまれていたパンツとシャツと靴下を広げ、着替える。ハフルが僕のクローゼットから持ってきてくれた上下は、クリーム色のシャツと紺色のパンツだった。靴下も、紺のものにはき替える。


 今まで着ていた薄緑の患者衣一式は、十一ある保健室を統括する先生に直接返却した。

 僕が着替え終わったときに、その先生がちょうど部屋まで見回りに来てくれたのだ。戸締まりはこちらでしておくからアロンくんは早く寮に帰りなさいと先生は言った。


 ちなみに僕の三色の巻紙に関しては、ダカルオン後、その先生が預かってくれていた。僕はそれらを受け取り、いったんブリーフケースにしまった。


 そして建物から出る。

 十一の保健室は、一つの建物のなかに収まっている。それは第一グラウンドのそばに建つ。


 僕はグラウンドを踏んだ。もう暗くなっているため、その色は黒に飲まれている。しかし弾力のある感覚が靴越しに足裏を刺激してくる。ゴムチップ舗装であることがわかる。


 保健室とグラウンドが密集する地帯は、ファカルオンの南西に位置する。

 そこと男子寮とを結ぶ砂利道を、北北東に歩く。

 ブリーフケースを片手に提げて。


 リネンの上下の隙間から、肌寒い風がすべり込む。道沿いのユズリハの根元には照明器具が取り付けられており、それらの白い光が一定間隔で僕をぼんやり照らしてくる。


 男子寮に着き、僕はホールで寮長クーゼナス・ジェイの灰色の目と視線を交わした。

 だがアリアンと思しき彼は、「聞いたよ、アロンくん。ダカルオン準優勝だって。すごいじゃないか」とだけ口にした。


 僕は寮の部屋に戻る前に、シャワー室で髪と体を洗った。


(やはり例の文字列は、きょうも出てこないか)



 白いタイルの上でシャワーの水が「たすけて」というかたちになった件については、すでにソーラに話してある。

 僕たちはダカルオンに向けての特訓の合間にも、そういった情報共有を進めていたのだ。もちろん、周囲に人がいないことを確認しつつ小声で話していた。


(錯覚じゃなければアリアンによるかく乱かしら。本物の寮長がどこかに囚われていて、強制的に水道魔法を使わされている可能性もある。そんな彼自身が、あなたに助けを求めたのかも。でもチャンスはその一回だけだった。だから以降はメッセージを送れないとか?)

(本物がいるなら……自分の居場所とか、そういう具体的な情報を伝えてほしかったところだけど)


(その場合、彼は外の様子を知ることができない状態で囚われている可能性が高いわね)

(つまりアリアンの本拠地は、外と隔離された、たとえば地下にあったりするんだろうか)



 そんな会話を思い出しながらシャワー室をあとにし、寮の部屋に戻った。

 レバーハンドルを動かし、ドアをあけ、なかに入り、しめる。


 黒靴を脱いで、シューズラックに置いてある薄紫のスリッポンを取り、はき替える。


「おまえのぼろぼろのスーツを収めたバッグは、そこだぜ」


 自分のベッドに寝巻き同然の姿で転がっていたハフル・フォートが、僕のベッドの横を指差す。

 僕はガーメントバッグをひらき、なかを確認した。


「全部ある。ハフル、あらためて、運んでくれてありがとう」

「いいってことよと言っとくぜ」


「それだけじゃない。今回のダカルオンで僕たちが準優勝できたのは、君のおかげでもある。前回は早々に敗退した僕が」

「なに言ってんだ、アロン」


 ハフルは、ベッドにあお向けになった状態で両足を空中に上げ、はだしの足裏同士をくっつけた。


「俺もある程度は頑張ったから感謝は素直に受け取っとくが、大半はおまえが努力してたからだろ。寝るときも巻紙をひらいたままにしたり、遅くまで特訓を続けたり。実際、めっちゃ成長してたぜ、おまえ。そこんとこは、俺の手柄にできねえよ。おまえはおまえを誇ればいい」

「ただ、前回優勝者の君のポテンシャルに僕はついていけなかった」


 ぼろぼろのスーツ一式とガーメントバッグと、手に提げてきたブリーフケースをクローゼットにしまいながら、僕は思っていたことを言った。


「スピードを十分の一にセーブしたことで、君はかえって魔法の力を消費していたんじゃないか、ハフル」

「それが勝つための策だろ。チーム戦なんだから互いに合わせるのは当然だ。俺だっておまえの巻紙魔法の攻撃や罠に助けられたわけだしな」


 そして彼はあお向けのまま、空中でペダルをこぐように両足を動かす。


「あとダカルオンは、ほいほい優勝できるほど甘くないっての! 前回優勝しといて今回も準優勝ってのは、実際できすぎだぜ。いや、それを言うなら準優勝から優勝にランクアップしたソーラ・クラレスもだが」


 とはいえ実績を見ればソーラよりもハフルのほうが上と言える。ソーラは全学生を五ブロックに分けたうちの一つのブロックで優勝したが、ハフルのほうは前回参加した学生全員のなかでただ一人の優勝者。間違いなく、彼も相当な実力を持つ魔法使いである。


「ともかく、俺からもおまえに礼を言わせろよ。優勝はのがしたが、おまえと共に戦った時間は最高だった。本気で勝ちたいと心の底から思えた。熱かったぜ、あんがとよ!」


 ハフルは両足の動きをとめ、それを自身のベッドの上に振り下ろし、この勢いを利用して上体を起こした。


「次に機会があれば、また一緒に組もうぜ。あ、もちろんおまえが本当に組みてえやつを一番に優先しろよ。俺はおまえの道を邪魔するほど無粋じゃねえからな」

「ハフル」


 僕は自分のベッドに腰を下ろし、対面のベッドの彼を見つめた。

 このとき一つの考えが僕の頭をよぎった。


(アリアンの件。ハフルに協力してもらうのはどうだ。やつを見つけたとき、おそらく戦闘になる。その場にソーラだけでなくハフルもいてくれれば心強い。彼は僕とソーラの計画を先生たちに漏らしたりしない。相談すれば、確実に協力してくれる)


 そしてすぐにこの考えを打ち消した。


(だめだ。これは僕とソーラの戦いだ。彼を巻き込めない。学園や当局の許可をとらず犯罪者を捜索しているんだ。万一露見すれば、協力しただけで彼も罰を受ける)


 ハフルには、いい学友のままでいてほしい。

 そう思って僕は、次に切り出すべき言葉を失っていた。


 ここで。


「ちょっと見ろよ、アロン」


 彼が両手をひらき、その手の平を僕に向けた。

 ハフルの左右の手には、カーキ色の手袋がはめられていた。


「買ったものでも、もらったものでも、ねえ。きょうのダカルオンのあと、魔法でこれを出せるようになった。俺のブーツと同じようにな。どうやら俺の魔法は足だけでなく手のほうにもカーキ色のブツを出してくれるものらしい。まあ、まだ同時には出せねえんだけどな」


 さらに彼は手袋で自分のはだしをたたく。すると手袋が消え、足のほうにカーキ色のブーツが現れた。

 そのつま先を手の平に当てると、再びブーツが消え、また彼の手に手袋がはめられていた。


「バトルロイヤルを経て俺も成長できたってわけだな。競技中、さんざん俺は『もっと手も自由に動かせれば』と思ってたから、そのせいだろう」

「これ以上強くなるのか、さすがだ」

「まあな。ところで」


 やや高めの声を落ち着かせ、ハフルは僕を見つめ返した。


「おまえ、あした遠出するつもりだろ、スーツで」

「ああ、行く」


 これは、すでにソーラと約束していたことだ。

 魔法装置を使って僕の存在を一時的に消し、それによって巻紙を飛ばし、アリアンの居場所を突き止めるタイミングは、いつがベストか。


 それはダカルオンの翌日、あしたをおいてほかにない。


 装置を手に入れた当日にアリアンの本拠地に乗り込むのは、リスクが高い。僕もソーラも疲労から回復していない可能性があるからだ。しかし先延ばしにすると、こちらの意図をアリアン本人に気付かれ、対策されかねない。

 学園はダカルオンの次の日を休みとしている。作戦を決行するのは、この日しかない。すでに外出許可も、とってある。


「どうしてハフルがそれを」

「なんとなく思っただけさ。おまえ最近、休日にカディナやケルンストにスーツで出かけてたじゃん。だったら、ダカルオンが終わったあとも例外なく、どっか行くのかなと。ついこないだの休日は特訓してたようだから、余計にそういう欲求が強まるかと踏んだんだが」


「図星だよ」

「俺はおまえが、なにに気合いを入れてるかは知らねえ」


 ハフルはカーキ色の手袋を重ね合わせる。


「だが、かつてなく、おまえが『それ』に入れ込んでるってのだけはわかるぜ。我が友、アロン・シューのことだからな。そしておまえは俺に『それ』の正体をまったく打ち明けやがらねえ。いや、せんさくしねえって約束したのは当の俺だ。それでいいさ」

「ハフル、君は」


「気にならんと言ったら嘘になるが、できる限り人に頼らず、やりとげたいことは誰にだってあるもんだ。『それ』をおまえが選んだのなら、今回は、いや今回も俺は部外者だ。おまえに泣きつかれでもしない限り、邪魔はしない。だから」


 そして彼は右と左にこぶしを作り、自身の二つのはだしをたたいた。


「おまえがなにをするにせよ、俺のことなんか気にせず、思う存分かましてこい! そう言いてえんだよ」


 小気味いい音が部屋に響き、ハフルの手袋が消え、彼の足をブーツがおおう。


「ま、俺から熱弁されても嬉しかねえか」


 彼はベッドから立ち上がり、ドアの前に移動し、振り返る。


「とりあえずメシ行こーぜ。俺、今は寝巻きみてえな格好だけど、別にいいわ」

「ありがとう、ハフル。君とルームメイトで、君が友達で、よかった」


 僕は彼に聞こえないようにつぶやいたつもりだった。

 対して、彼は首をかしげてみせた。


「ん、なにか言ったか」

「なにも言ってない」



 しかし、そう答えた僕と目を合わせたあと、ハフルは陽気に笑いだした。


「ま、本当は全部聞こえてたんだけどな!」

「おい」


 僕は、楽しそうに笑う彼の赤いツイストパーマと青い瞳を見ながら、思わず顔をほころばせた。



 その日の夜、ハフルと僕は共に食堂で激辛カレーを食べた。

 やはりそれは、涙が出るほどの辛さだった。

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