第八章 僕とハフルとキュリアとソーラ

「ハフル、もう回復した。下ろしてくれ」


 僕はかかえてもらうのをやめ、赤いゴムチップ舗装のグラウンドに靴底をつけた。


 約六メートル前方には、ソーラとキュリアが立っている。

 向かって左のソーラは左手首にミサンガをつけ、キュリアの右手首のミサンガと、白いひもでつながっている。


 かたや僕たちのミサンガのひもは、僕の右手首とハフルの左手首を結んでいる。僕は彼の左隣に立っている。くしくもソーラとは真正面で向かい合うかたちだ。

 正確に言えば、四人ともパートナーと軽い背中合わせの状態で立っており、互いにやや斜めの視線を向けながら敵の様子をうかがっている。


 あらためて服を見ると、ソーラのトラックジャケットはところどころ破れ、内側のタンクトップの白地の一部を露出させている。エメラルドグリーンを基調とするスニーカーには、全体的に焦げたような傷がついている。


 キュリアの白チュニックも黒っぽくよごれており、すそが、とくにぼろぼろだった。ただし白い刺しゅうの入った黒いニーソックスだけは、きれいなままだった。


 一方、ハフルのジャンパーとジーンズに目立ったよごれはない。彼の魔法で出しているブーツも無事だ。しかしジャンパーの隙間から見えるジッパー付きの緑のポロシャツが、汗のせいでどす黒く変色していた。


 そして僕のスーツ姿も、くずれている。

 黒靴の底が斜めにすり減っており、まっすぐ立ちづらい。すり切れたスーツパンツのすそをめくれば、ぼろぼろの靴下もあらわになるだろう。

 黒いジャケットとパンツとネクタイと靴についた多くの傷が、白っぽく跡を残す。

 案の定、ジャケットとワイシャツからはボタンがいくつかなくなっていた。


(まるでソーラとカディナ砂漠で戦ったあとの再現だ)


 しかし、あのときとは違うところもある。

 スーツ一式をぼろぼろにしたのは同じだが、カディナの黄土色の砂によるよごれはない。そして今回の僕のネクタイは、ほどけかかっていない。少し緩くなった程度。


「おい、アロン」


 ソーラたちを警戒しながら、ハフルが口元を隠し、向こうに聞こえない声量で話しかける。


「なんで向こうは仕掛けてこねえんだ。俺たち、かなり疲れてんだが」

「たぶん、それはソーラたちも同じだ」


 あらためて、僕も口元を手でおおい、声を落とす。


「この白ブロックにはファカルオンに最近入学した学生が集まっている。みんな強かった。僕たちも彼女たちも、少し展開が違っていたら、敗退していたかもしれない。そんな激闘のあとだ。ここにいる全員、相当の疲労がたまっている。不用意に動くと隙を突かれる」

「今のうちに罠、張れねえか」

「本当は僕も『感電』の仕掛けを設置したい。けれど赤巻紙から黄巻紙に切り替えようとした瞬間、確実に彼女たちは攻撃をかけてくる。動けない」


 ハフルと話しつつも、僕はソーラたちから目を離さなかった。

 ソーラは右のこぶしを構える姿勢。呼吸は乱れていないが、その両肩がずっと上下している。


「ソーラ・クラレスは黒髪のときにワープを、銀髪のときに透明化を使うんだったな」

「ああ。銀髪については正確には透過だけど」


 僕とハフルは、バトルロイヤル開始直前に互いの情報を共有していた。

 自分の知っている学生に関しての魔法や戦い方を相互に教え合った。そのとき、ソーラの魔法についての情報を僕はハフルに提供していた。


 ――それがソーラとの約束。

 戦いにおいて情報は、なにより重要。仲間と共有するのは当然。


(いい? もし、わたしたちが別々のチームになったら、そのときは遠慮なくわたしの魔法の詳細をパートナーに伝えるのよ)

(ああ。君のほうも、そうしてほしい)


 ダカルオン前の特訓のなかで、僕たちはそんな話もしていた。

 キュリアもソーラから僕の巻紙魔法の情報を聞かされたことだろう。こちらの三色の巻紙と指の動きを黒い瞳で逐一追っている。


「俺ら、たぶん攻撃されたぜ。ソーラが透明のときに」


 ハフルは青い目を、キュリアとソーラをつなぐ白いひもに向けていた。


「俺たちが上のやつと下のやつを同時に相手取っていたとき一本の槍が飛んできたろ。それを衝撃波で消した直後だ。どうも香水みたいなレモンのにおいがしてな。誰かいるのかと思って、とっさに俺たちのひもをかばった。そんとき、人の手の感触があった。すぐに払いのけたが」


「確かに君は、そんな仕草をしていた。レモンの香りも考え合わせると、こっそりソーラが奇襲をかけていたと思われるね。彼女は銀髪時に透明化を使えるとはいえ、位置がばれればそのアドバンテージを活かせない。だから一撃だけ入れて離脱したということか」


 特訓のとき僕はソーラに、透明状態における弱点を指摘していた。


(でもその攻撃は、相手に自分の位置を教えるというリスクも持っているんだ)


 僕は確かにそう言った。ソーラも僕との特訓をきっかけに戦い方を工夫し、強くなっているのだ。


「しかし厄介だ。君の話を聞く限り、ソーラは、ひもでつながったキュリアも消せる。かつ、キュリアはソーラのワープに頼らずとも相手の動きについていけてる」

「ある程度だと思うぜ。開幕直後の攻撃のときも槍のあとの奇襲のときも、ソーラとは対照的に、キュリアは俺たちに手を出していない。にしても実際のところあの子の魔法は、なんなんだろうな。前回のダカルオンには参加してなかったようだし、マジでわかんねえ」


 事実、このバトルロイヤルで、キュリア・ゼルドルはまったく自身の魔法を見せていない。少なくとも僕たちが観察していた限りにおいては。

 おそらく、それはキュリアが非協力的だからではなく、ソーラの指示。


 もしキュリア自身にやる気がなければ、ソーラとのコミュニケーションもまともにとらず、彼女たちが激しい動きをした時点でとっくにひもは切れていたはずだ。

 ぎりぎりまで情報を伏せ、最後の勝負どころでキュリアは魔法を使うつもりだ。


 それはソーラの負担を増やすリスキーな策でもある。

 絶対に優勝するというソーラ・クラレスの覚悟が、ここに表れている。


 一方、僕とハフルの魔法はすでに相手に知られた状態。情報面で有利に立つのは、彼女たちのほうだ。

 ソーラとキュリアは互いに会話を交わさず、じっとこちらの様子を見ている。

 僕かハフルに隙が出来た瞬間、即座に動くためだろう。


 今、第一グラウンドの外には、この白ブロックで敗退した学生だけでなく、別の黒・赤・青・黄のブロックで競技を終えた学生たちも集まっていた。

 あと残っているのは、僕たちのブロックだけらしい。


 学生も先生もひと言もしゃべらず、まさに固唾をのんで見守っている。

 野次はなかった。声援もなかった。

 そんな緊張感が、第一グラウンドの四人を取り囲んでいた。


 空は相変わらず、快晴。頭上からダイレクトに太陽が照り付ける。

 汗が目にしみ込む。服が重く、張り付いてくる。

 もはや誰も音を立てない。


 当の僕は、暑さと静寂に飲まれそうになっていた。

 そのせいで記憶が混濁したのだろうか、脳裏に声が去来する。


(本来、魔法は誰かを傷つけたり優越感を味わったりするためのものではありません)


 という学園長の舌足らずの声。



(自分以外の誰かも、自分も、君は傷つけないでください)


 というサイフロスト先生の、けだるげではない真面目な声。



(わたしよりもアロンくんのほうが、すごい魔法使いだと思う)


 なぜかクーゼナス・ジェイ寮長の声まで聞こえる。



 意味がないのかもしれない。これ以上の戦闘は。


 今回のダカルオンにおける僕とソーラの目的は、あくまで優勝賞品。自分の存在を一瞬だけ抹消できる魔法装置。

 二人のうちのどちらかの優勝が確定した今、露骨な八百長か危険行為でもしない限り、それは確実に手に入る。


 あとは僕を一時的に消し、巻紙を飛ばし、アリアンの居場所を突き止め、虹巻紙とソーラのお母さんの遺髪を取り返すだけ。

 だから、もう適当にやってもいいはずなのだ。


 しかし、同じグラウンドにいるソーラの赤い瞳は死んでいない。

 闘志にきらめいている。


(あいつ抜きにして、単純に強くなりたかったからよ)


 特訓初日が終わったあと彼女に言われたことが、僕の頭のなかに反響した。


(わたしは、負けたくなかった)


 ああ、そうかと僕は思った。

 彼女の目的は確かに母の遺髪を実の父のアリアンから取り返すこと。


 でもそれ以前に彼女は、ソーラ・クラレスとして、自分にしかできない生き方をしようとしている。普通の人が持っているとされる「それ」を持っていなくても、自身を卑下することなく誇りと共に高めていく。


 それがソーラの根幹。

 たとえどんな場面であっても、その自分の根本を曲げることはない。それが彼女のこれまでの生き方であり、これから先の生き方でもあるのだろう。


(だからこれからも、負けないために生きるのよ)


 誰かを傷つけるためではない。自分という存在をつらぬくために強くなる。

 すごい魔法使いがいるのだとすれば、彼女のような人だと僕は思った。

 そんなソーラを目にしたら、適当になんてやれない。目的だとかなんだとか、そんなことよりも。


「――君の輝きに、追い着きたい」


 そう僕が口にした瞬間、ソーラとキュリアの姿がふっと消えた。

 こちらも反応し、真上に飛ぶ。ひと息に上昇し、高度四十メートルに達する直前でとまる。


(ソーラは銀髪時の現在、ワープ魔法を使えない。つまり空中を移動することはできない。高所の敵に対して不利な状況にある)


 しかし僕はここまで考えたあと、その認識に違和感を覚え、直後、はっと気付いた。


(いや違う! ハフルの話によると、僕が空中で水の柱を頭上に噴出させているとき、透明なまま彼女たちは、浮いている僕たちに奇襲をかけている。姿を消した状態で空中移動したということだ。どうやって。キュリアの魔法か!)


 僕はハフルに小声で言った。


「赤巻紙・封。黄巻紙。備えてくれ。彼女たちは透明状態でも飛行が可能だ」


 そう言い終わらないうちに素早く指を動かし、黄巻紙の「感電」「設置」をなぞって周囲に罠を張りめぐらせた。


(目に見えないこの罠にかかった瞬間、わずかな悲鳴があがるはず。それを聞くと同時に攻撃を浴びせ、撃ち落とす)


 正直、僕もかなり消耗している。おまけに、ソーラとキュリアはここまで残った強敵たち。手加減を考える余裕はない。


「ハフル、僕は彼女たちをあぶり出す。青巻紙を使うから、ちょっと僕の浮遊が安定しなくなる。だけど気にせず君は周囲を警戒していてほしい」


 僕は数箇所、黄巻紙の罠に穴を作っていた。

 万一、罠が突破された場合の逃げ道にするためだ。


 この穴に通すよう水を発生させ、落とす。その後、青巻紙の「下降」「緩流」「膨張」「緩流」「膨張」「膨張」をなぞる。

 穴を抜けた複数の水がゆっくりと落ち、大きくなり、互いに合流し、非常な遅さで落下する。


(これをさらに、ふくらませる。さすがに水全体を不可視にすることはソーラにもできないだろう。ただし彼女たちの近くが空洞に見える、なんてこともなさそうだ。よって注目すべきは)


 徐々に落ちていく水のかたまりを見下ろし、目をあちこちに走らせる。


「気泡が見えたら言ってほしい」


 僕がそう言うと、ハフルもうなずいて水のなかの手がかりをさがし始めた。


(ハフルと僕がいるこの空中は高度四十メートルをぎりぎり超えない高度。彼女たちが透明なまま飛べるにしても、一辺が四十八メートルの立方体のフィールドから出るリスクを考えれば、真上に回り込んでの奇襲はできない。つまり下のどこかにいる)


 ソーラは「自分の体や、直接的または間接的に自分と接触しているもの」について光を透過させ、透明にできる。彼女とひもでつながれたキュリアもその魔法の対象だ。


(しかし逆に言えば自分の体から離れたものは透明じゃなくなる)


 たとえば服の一部がちぎれれば、それは可視化される。とはいえ、彼女もその弱点を理解しているだろう。この最終局面において自分の身につけているものを意味もなく手放すような真似をソーラがするはずもない。

 ただし人である以上、常に自分の身から切り離しているものが一つだけ存在する。


 息である。それは水のなかで気泡となる。

 水中において、どこからともなく気泡が出現した場合、近くにソーラがいると特定できる。


 僕とハフルは、彼女たちの気泡をさがしながら会話を交わす。


「おい、アロン。黄巻紙で弱い電気でも流して、このかたまり全体をいっぺんに攻撃するってことは、できねえのか」

「できない。青巻紙が出すのは純粋な水。電気を通さない」


「じゃあ全部、『凍結』するってのは」

「危険行為と見なされかねない」

「そうか? 俺にはあの子たちが簡単にやられるようには見えねえんだが。ん、あれは」


 ここでハフルが僕のジャケットをつまんで、ぼそりと言った。


「見つけたぜ、あそこだ」

「よし、逃がさない」


 ハフルの指差した方向を僕は見る。水のかたまりの中央部付近に小さい気泡が確認できる。

 距離があるので、目を凝らしても点のようにしか見えない。


「どうする、アロン。今すぐ行くか」

「頼む」


 僕は周囲に張った罠の穴を彼に教え、青巻紙で巻紙すべてと僕たち自身に「防水」をかけた。これで、水のかたまりに突入しても、おぼれたりする危険がなくなる。


 ちなみに「防水」は、僕自身の持つ水をはじかない。よって血液等は無事。汗もそのままである。またハフルに対しては、彼の全身を青巻紙の「水」で薄くコーティングしたうえで、その水の膜自体に「防水」を発動した。「こりゃ生きた心地がするな」と彼は笑ってくれた。


 そしてハフルのブーツが空中を蹴る。気泡の出現場所へと一直線に飛ぶ。

 青巻紙の「推進」により僕も彼の動きについていく。


 しかし、この刹那。

 僕が青巻紙で下方に出現させていた巨大な水のかたまりすべてが、まるでなにかに飲まれるみたいに体積を減らし、豪快な音と共に一瞬で消え失せた。


「どういうことだ、僕は『収縮』をなぞっていない」

「俺にもわかんねえ。ともかく逃げられる前に、つっこむ!」


 ハフルは空中を斜め下に走っていく。目標は、さきほど気泡が見えた場所。


「もうすぐ到達。って、なんだありゃ」


 彼の驚く声に反応して、あらためて僕も進行方向を確認する。

 そこではソーラとキュリアが姿をさらし、空中で直立していた。自分たちの位置が特定されたことに気付いて、透明化を解除したらしい。

 ソーラの髪はいまだ銀色のままである。


 当然ながらハフルは、彼女たちに対して驚いたのではなかった。

 彼女たちが乗っている薄桃色の球体のほうを見て、驚いたのだ。


 球体の大きさは直径三メートルくらい。この上にソーラとキュリアが立っている。

 さきほどまではなかった球体だ。これもソーラの魔法によって透明になっていたのだろう。


 ただ、普通の大きい玉なら驚く道理はない。「ソーラの隣にいるキュリアが魔法によって出したのか」と納得すればいいだけだ。

 奇妙だったのは、球体がこの世界のあらゆる人間になじみ深い「あれ」にしか見えなかったこと。


 その球体は、周囲の空気に自身の薄桃色をにじませている。

 ハフルは足をとめずに、僕の言いたかったことを口にしてくれた。


「ちょっと待て、あの丸いかたち、薄桃色。まんまググーじゃねえか」


 ググー。それはこの世界の貨幣としても利用される、魔法と生物の中間に位置する存在。

 僕やソーラだけでなく、世界中の人間に取り付いている。


 とても小さな生物であるググーは、個体同士を集合させて群体となり、薄桃色の球体として現れる。

 その名を呼べば、自分のググーが目の前に出現する。したがって彼女たちの近くにググーがいること自体は不思議ではない。


「二人のうちのどっちかが呼んだと見えるな。なんで戦闘中に。しかも、でけえ。圧縮を解除してんのか」


 通常、ググーを呼んだとき、その薄桃色の球体の大きさは直径五センチ程度。

 それは群体のググーが圧縮された状態。本当のググーのサイズを知るには「グー」と唱える必要がある。そうすればググーの圧縮が解除され、球体は膨張し、ググーの群体は実際の大きさとなる。


(でも目の前の「あれ」は五センチどころか三メートルほど。つまり彼女たちは「あれ」を出したうえでグーと唱え、サイズを大きくした?)


 ここまではわかる。だが本当の問題は、彼女たちがググーに乗っていることだ。

 魔法と生物の中間に位置する存在のググーを、人は手でつかむことができない。球体をさわれば、ほんのりとした感触はある。しかし、それ以上の物理的な接触は不可能なのだ。


 そのはずなのに、現に彼女たちはググーの上に立っている。というより、ググーが彼女たちの足首をくわえ込み、固定している。


(あれだと動けない。チャンスか。いや、ソーラたちは露骨に姿を現し、静止している。罠だ。考えなしに攻撃を飛ばしたら、即座に黒髪に切り替えられ威力を返される。接近し、ひもを直接ねらうのが最善)


 僕とハフルが彼女たちの目前にせまる。

 瞬間、キュリアの小さな口が動いた。


「グー」


 ささやいているわけでもないのに、こちらの耳をくすぐってくるような声だった。

 直後、彼女たちの乗っていたググーが膨張を始めた。それは急速に大きくなり、その表面を僕たちに押し付けてきた。

 膨張する球体の表面に胸部と腹部を押され、僕とハフルは飛んできた方向に押し戻されていく。


「待てって、これググーじゃねえのか! なんで、さわれんだよ!」

「十中八九、キュリアの魔法。ググーを物質化させている。そしておそらく、さっきまでのググーは圧縮されたもので、こっちが彼女のググーの本当の大きさだ!」


「はあ? 縮んだ状態で、あのでかさだったのかよ。あの子、どんだけ、ため込んでんだ」

「この攻撃を確実に当てるために、彼女たちは今までキュリアの魔法を隠し、僕たちを至近距離まで誘導したんだ。しかも球形のググーが存分に膨張できる空中に! ともかく、このままだとググーが巨大化を続けて僕たちがフィールドの外に押し出されるのは時間の問題」


 ググーの勢いが強すぎて、横に逃げることもできない。


(来た方向に戻される。あそこには「感電」の罠を張っていた。解除しないと)


 僕は首をひねり、後方を確認する。


(いや、もう近い! 至近距離で「放電」すると僕たちにもダメージがいく)


 罠にあけていた穴を通り抜けることもできそうにない。


(だったら!)


 右手で青巻紙の字をなぞる。「水」「指定」「膨張」「設置」により、罠に僕の水をかぶせる。


(これは純粋な水で、電気を通さない。しかも罠を水でおおっておけば、さっき僕たちにかけた「防水」により、水ごと電流をはじくことができる)


 ただし「指定」「断絶」の文字列にも指を置く。「断絶」には出現させた水と青巻紙とのあいだのリンクを切る効果がある。水の操作ができなくなるから今までは使わなかった。しかし罠をおおった水とのリンクを切らないと、「防水」がその水に対して発動しない可能性があった。


(サイフロスト先生によると、「防水」はリンクの薄い水に対する拒否反応。これで自滅は防げたはず。あとはキュリアのググーをどうするか)


 こうして黄巻紙の罠をリンク切れの純水でおおった結果、なんとか僕たちは罠のエリアを無事に抜けた。

 もちろん高度四十メートル以上に押し出されている状況は変わらない。現在の高度制限と思しき「四十八メートル」に達すれば、こちらの敗北が確定する。


「ちょい飛ぶ! ひもが切れないようにな!」


 ここでハフルがさけび、ブーツの底でググーの表面を蹴った。そして右足のかかとを肩の高さまで上げる。


「さわれるってことは」


 そのままハフルは、勢いよく右足を振り下ろした。


「ぶっ壊せるってことだよな!」


 ハフルのブーツが当たった瞬間、球体の表面がガラスのようにくだけて散った。

 続けざまに彼は左足で空中を蹴り、壊れた部分を右足で踏み続け、さらに崩壊させる。

 まるで地面を掘るように、僕たちはググーのなかに侵入する。


「でかした、ハフル! これで場外負けは防げた」

「いいってことよ!」


 ハフルは息を切らしながら、薄桃色の固形物に穴をあけていく。「防水」のコーティングは、さきほど罠のエリアを突破する際に、はがれたようだ。彼の皮膚に汗が玉のように浮き出る。


 毎秒、破片が飛び散る。ハフルの邪魔にならないよう、僕はそれらを青巻紙の水で後方に押し流す。ググー自体の膨張はすでにとまり、無抵抗にも見えたが、とにかく斜め下に道を作りつつ、僕たちは進む。



 そうしてググー内部を掘り進んだ先に、一つの「部屋」があった。

 穴を抜け、固いゆかに着地する。そこは薄桃色の「かすみ」で満たされた空間だった。


 ゆかから天井までの高さは四メートルほど。


「ここがググーの中心部。息はできる」


 薄桃色のかすみは視界をさえぎるほどの濃度ではない。日の光が届いていないはずなのに、なかは明るい。僕の右隣で激しく呼吸をするハフルはもちろん、前方の彼女たちの姿もはっきりしていた。言うまでもなく「彼女たち」とは、ソーラとキュリアのことである。


(ソーラは依然として銀髪か。黒髪に交換されてワープを使われるのが一番厄介。そしてハフルの体力や魔法の力は限界に近い。ここからは僕が主体になって勝つ)


 僕は彼女たちをみとめた瞬間に動いた。ハフルもそれについてきてくれた。

 ソーラとキュリアは、こちらに背中を向けていた。

 とはいえ罠の可能性もあるので、真後ろから仕掛けることはできない。僕とハフルは飛び、接近した。空中からの攻撃を試みる。


 が、ここでソーラがスニーカーでゆかを蹴ってジャンプした。

 隣のキュリアはミサンガをつけた右手を高く上げ、つま先立ちで背伸びし、ソーラのミサンガと連結するひもが切れないようにしていた。キュリアはソーラが少しでも高く飛べるようにサポートしているようだ。


 当のソーラは間髪をいれず頭を後方に回転させ、足先を宙に突き出す。空中で逆立ちをし、こちらに顔を向ける。

 それは逆上がりの挙動に似ていた。彼女は回転の勢いを弱めず、ひざをまっすぐ伸ばし、つま先を落とす。


 左右でタイミングをずらしている。右足の落ちるスピードのほうが左足よりも速い。

 彼女たちはその攻撃の直前、左に少し移動していた。ソーラのつま先は、僕とハフルをつなぐひもをねらっていた。


 ソーラの右のつま先をハフルが右手で受け流す。残った彼女の左足をとめるため、僕は左手の黄巻紙に指を走らせようとした。

 しかし、とめられた。


「レレー」


 キュリアの声が響く。

 すると一辺が十センチほどの黄色い立方体が彼女の前に出現した。それが僕に突進し、左手の指をはじく。


 僕は気持ちを切り替えるひまもなく、右手の青巻紙の「水」「砲撃」「反動」をなぞった。

 現れた水が彼女たちに向かって発射され、その勢いで僕とハフルは後ろに飛んだ。ソーラの左足は空を切った。


 後方に着地した僕たちは前方を確認する。しかし気付いたときには、ソーラもキュリアも消えていた。

 一方、キュリアが呼び出した「レレー」という黄色の物体はそのままで、僕をめがけて突進をくりかえしてくる。

 ひもを直接攻撃するわけではなく、僕の左手とそのそばに浮く黄巻紙とを重点的にねらってくる。これでは電撃の罠も張れない。


(もう一度、水のかたまりによって彼女たちの位置を割り出すか。いや、この空間の内部を水で満たせば僕たちも動きにくくなる。その隙にワープを発動されたら、一巻の終わり)


 とりあえず僕は耳を澄ましながら、透明になった彼女たちの足音をさぐる。

 無力化された黄巻紙に封をしようかとも考えたが、そうすれば今度はレレーが僕たちのひもを本格的に襲い始めるだろう。


(黄巻紙は、ひらいたままにしておくしかない)


 攻撃の合間を縫って、腰のベルトの左側にくくりつけていた赤巻紙を右にはじく。それをハフルがキャッチし、僕の右手に渡してくれた。


「青巻紙・封。赤巻紙」


 三色の巻紙を同時にひらけば僕の意識が飛ぶ。黄巻紙を発動状態にしている以上、実質、僕が使える巻紙は赤か青の一色のみ。


 そのとき、僕の左側で足音が聞こえた。ゆかを靴で蹴る音だ。

 すぐに僕は赤巻紙の「指定」「熱波」に右手の指を置き、音のしたほうに攻撃した。


 同時に、隣のハフルが左斜め前に吹っ飛んだ。

 僕はとっさに彼の左手首を右手でつかんだ。このまま彼が飛んでいけば、僕たちをつなぐひもが切れそうだったからだ。


 つかんだ右手でも、小指だけは動かせた。僕はその一本を使って、浮いている赤巻紙の「指定」「火」「放射」をなぞった。

 攻撃するのは、ハフルを吹っ飛ばした張本人がいると思われる場所。


(僕の右手がふさがることを読んだうえでの行動だろうが、甘い! ひもごと燃やす)


 ここで僕の鼻孔がふるえた。


(レモンの香り。ソーラが背後から!)


 においを感じ取って、僕は「放射」の向きを調整した。香りがただよってくる方向に火を撃ち込む。

 すると、今まで左手と黄巻紙とを攻撃していたレレーが僕の後ろに回り込むかたちで即座に移動し、発射された火の進行方向に立ちふさがり、その勢いをとめた。


 レレーは火を吸収したせいか、一メートルほど大きくなる。


 僕はこの隙をのがさず、フリーになった左手で黄巻紙を素早くなぞり、周囲に「感電」の罠を無差別に設置した。

 直後、「う」という声が聞こえた。キュリアが罠にかかったようだ。

 ついで体勢を立て直しているハフルを確認して、僕は彼の左手首から右手をはなす。


 が、このタイミングでソーラが透明を解除してきた。キュリアをかばうためだろう。ソーラは僕の目の前に移動しており、こぶしを振り上げていた。

 しびれているキュリアのいる右のほうに走って僕は攻撃をかわし、ソーラに直接「感電」を飛ばした。


 彼女の動きがとまる。

 もちろん間一髪でよけられた可能性もある。その場合、動けないふりをしていることになり、カウンターが怖い。


 だから僕とハフルはそのまま反時計回りに走り、ソーラたちの背後に回り込んで、ひもを手刀で落とそうとした。

 やはり下手に巻紙魔法を発動させれば、ソーラが黒髪になり、ワープによって攻撃を返してくるかもしれない。

 だからこその手刀。


(ソーラに勝った!)


 そう思った瞬間だった。

 またソーラが逆上がりのような挙動を見せた。


 キュリアはしびれており、つま先立ちもできない状況にあったが、僕の攻撃を吸って大きくなったレレーを自分の足場にして、それを浮かせていた。おかげでソーラが高くジャンプしても彼女たちをつなぐひもは切れなかった。


 ソーラ自身はゆかを蹴って飛び上がり、頭を後方に回転させ、空中で逆立ちの姿勢になって、僕たちの顔を見下ろした。


(もうその技は見ている。今の僕たちは浮いていないから、君の振り下ろす足も間に合わない)


 しかし、ここでソーラが唱えた。


「発」


 僕がまばたきして、もう一度まぶたをあけたとき、彼女の銀髪が黒髪に変わっていた。

 そのスーパーロングの黒髪が、僕よりも彼女に近い位置にいたハフルの目の前に垂れかかり、彼の視界をふさいだ。


 ダカルオンが開始されたとき、ソーラはその黒髪をシニヨンすなわち「お団子」にまとめていたはずだが、競技中にそれをほどいていたらしい。シニヨンでなくなった黒髪を隠しながら、今まで彼女は僕たちと戦っていたのだ。


 黒髪は僕のほうにもなびき、視界を邪魔した。風が吹いたわけではないから、これもワープ魔法の応用だろう。

 ついで彼女は、キュリアと共に僕たちから離れる。

 手刀を外した僕はすぐに体勢を立て直し、右手の赤巻紙と左手の黄巻紙で火炎と雷撃を立て続けに撃ちまくった。


 ただしソーラをねらったのではない。

 挙動から察するに、ソーラは「感電」をやはり回避していたようだ。であれば、黒髪の彼女を攻撃しても、ワープで防がれるだけ。だからといって、ひもを直接狙撃することもできない。一度切れれば負けなのだ。そこへの攻撃をソーラが警戒していないわけがない。

 ではキュリアに魔法を撃ち込むか。いや、まだしびれが残っている彼女を攻撃しても得られる効果は薄い。


 よって僕は、キュリアを乗せているレレーに向かって火炎と雷撃をひたすら撃った。

 レレーはさきほど赤巻紙による火を受けたとき、大きくなった。一辺十センチの立方体だったそれが、キュリアを乗せられるまでのサイズに変わった。


(つまりキュリアのレレーは魔法を吸収して大きくなる性質を持つ。彼女たちをあぶり出すために僕が用意した大量の水を一瞬で消滅させたのも、レレーだろう。おそらく水を飲み込む前の元々の大きさは豆粒以下。普通なら厄介な能力だけど、魔法を食らわせ続ければ!)


 大量の火炎と雷撃を浴びせられるごとに、レレーがどんどん巨大化する。

 ソーラも棒立ちだったわけではない。こちらのねらいに気付き、攻撃を防ごうとした。しかし、人のサイズを超えたレレーをかばうのは不可能だった。当たる直前に攻撃をワープさせようとしても、その前にレレー自体が僕の魔法を吸収する。


 こうなれば直接攻撃により敵の行動を封じるしかないが、相方のキュリアがしびれている状況のなか、ソーラが積極的に動くことは難しかった。

 黄色い立方体が薄桃色の空間に広がる。天井とゆかを突き破り、ググーそのものを内部から破壊しようとする。


 ここで、ソーラがキュリアに話しかけるのが聞こえた。


「まずいわね、このままだとレレーが大きくなり続ける。あなたのググーも形状を維持できなくなる。ググーとレレーをしまいましょう。キュリア、しびれはだいじょうぶ?」


 その言葉にうなずいたキュリアは、まずレレーの名を唱えた。

 黄色い立方体が薄桃色の空間から消え去った。しかしググーの崩壊はとまらない。


「ググー」


 そうキュリアが口にすると共に、あたりを取り囲んでいた薄桃色のかすみや天井、ゆかなどが一斉に消えた。


 気付くと、僕とハフルとキュリアとソーラはグラウンドの空中を落ちていた。

 太陽の輝く光が、再び頭上に差し込んでくる。


 僕は黄巻紙を青巻紙に切り替える。しかし、もう空中移動ができるほどの魔法の力は残っていない。「滞空」をなぞり、ゆっくり落ちるのが限度だった。

 ハフルも、ブーツで飛ぶことができなくなっている。しかし彼は足を振り回して落下のスピードを調整してくれていた。


 落ちながら、僕はソーラたちのほうに赤巻紙による攻撃を撃ち込んでいた。ほとんど威力はなく、牽制程度にしかなっていない。それでも、ソーラがワープでこちらに接近してきたら勝ち目がないのが現状だから、やるしかない。


 ソーラはキュリアをかかえて落下しつつ、僕の攻撃をワープで防いでいた。だが上空に逃げないということは、ソーラ自身の魔法の力も限界にきているということだろう。



 僕たちと彼女たちは、同時に赤いゴムチップ舗装のグラウンドに着地した。


 そのとき僕は、なにかを踏んだ。

 ツタの燃えかすだった。学生の一人が僕たちとの戦いにおいて出していたものだ。その後、僕の赤巻紙の火やほかの学生の爆発魔法によって、原形をとどめないほどの灰になってしまっていた。


(これは戦いに利用できるものでもない。でも、こうしてフィールドに残っているものが、ほかにもあるかもしれないね)


 僕はあたりを見回した。燃えかす以外で、一つだけグラウンドに転がっているものがあった。

 それは靴の片方だった。ゼルドルのロゴが入った、エメラルドグリーンを基調とするスニーカー。

 実のところ、ググー内部での戦闘の途中、いつの間にかソーラの右足からは靴がなくなっていた。さきほどまでは気にかけるひまがなかったが、今ならその意味がわかる。


(ググーのなかで、ゆかを靴で蹴る音が聞こえたとき。透明になったソーラがいると思って、僕はそちらに赤巻紙の魔法を撃った。しかし実際にソーラがいたのは別の場所だったようで、そこから彼女はハフルを吹っ飛ばした)


 つまりソーラは自分の居場所を誤認させるために、透明状態でスニーカーを脱ぎ、それを遠くに投げたのだ。自分から切り離したものでも、わずかな時間であれば透明化の影響は継続するのだろう。


(スニーカーによるかく乱が見込める時間はほとんどなかったけど、そこで生じた小さな隙を彼女は突いていた)



 そのスニーカーの片方を、ソーラの右手が拾う。


「キュリア、ごめんなさい。あなたのお父さんのブランドの靴を投げ出してしまって」


 ソーラのすずしく、悲しげな声が聞こえた。

 隣のキュリア・ゼルドルは、謝らなくていいという意味なのか、首を横にぶんぶん振って、金色のショートヘアを揺らした。


 赤い瞳の視線をその金髪に落として、ソーラが優しく声をかけた。


「ありがとう、キュリア。わたしがここまでこられたのも、ルームメイトのあなたのおかげよ」


 そしてソーラは左足のスニーカーも脱ぎ、右足のぶんと合わせ、その一足をグラウンドの上にそろえた。


「こうなったら、はだしのほうが動きやすいわね」


 白い靴下を、左右とも脱ぎ捨てる。

 靴下が赤いゴムチップ舗装にふれた瞬間、ソーラはワープを発動させた。

 ソーラとキュリアが、五メートル先にワープし、また消え、さらに五メートル先にワープする。その挙動を見て理解した。ソーラは黒髪のまま、ワープ魔法で決着をつける気だ。


(さっきの激しい首の振り具合を見るに、キュリアのしびれも、最低限は消えたか)


 そして向こうが動く前から僕たちは、「ある場所」の近くに移動していた。

 そこは黄巻紙による「感電」の罠を設置していた場所。ダカルオン中盤で張ったものだ。


 攻勢に転じる終盤前、僕はその罠の一部を「放電」して解除したが、大半の罠は発動させずに残していた。

 ほかの学生も、そこにあった罠にかかっていない。長時間話すなどして露骨に僕たちが罠に誘導しようとしていたため、他チームは警戒してそのエリアに入らなかったのだ。


 普通だったらソーラたちも、ひっかからないだろう。


(でも彼女たちも激しい戦闘をこなしてきたせいで、今さらこんな仕掛けに気を回す余裕はないはず。それに、罠を張ってからだいぶ時間が経過した。だったら「もう罠は自然消滅しているだろう」と考えたくならないか)


 だが事実として「感電」「設置」による罠は、僕が黄巻紙をとじても長時間継続する。そのことをソーラは知らない。


(おまけに、あれからグラウンドが縮まり、元々罠が張られていたところがどこなのか特定しづらくなっている。もしかしたら罠は全部場外に出た、とも思うかもしれない。しかし僕には場所がわかる。最初から僕はこの罠を、最終局面を想定して仕掛けていたのだから)


 元々のグラウンドは百メートル四方。それが一チーム脱落するごとに二メートルずつ縮小する。今回、この白ブロックに参加していたのは二十八チーム。


 最終局面で一対一の状況が作り出されるとすれば、それまでに二十六チームが脱落し、倍の五十二メートルが失われる。この時点でグラウンドは四十八メートル四方に縮まる。

 その一辺四十八メートルの正方形のはしに罠の一部が残るよう、あらかじめ僕は黄巻紙の仕掛けの位置を調整しておいた。一対一の最終局面を迎えた際に利用するためだ。


 これはハフルにもすでに伝えてある。


 僕たちは走って、ソーラたちをその罠に誘導する。さすがに罠の前で立ち止まれば彼女たちに気付かれるので、走るスピードを微調整しながら動く。

 向こうのワープの転移先がちょうど罠の位置と重なるまで、逃げ続ける。


 なかなか彼女たちは、かからなかった。が、長時間走り回ったすえに、ようやくそのエリアにワープした。

 キュリアが「う」と言い、ソーラも一瞬、片目をつぶる。彼女たちは体を少しけいれんさせて、動きをとめた。


 とはいえ、設置してから時間が経過しているため、罠の威力は落ちている。

 僕たちは逃げるのをやめ、彼女たちのもとに走る。

 すでに僕は赤巻紙をとじ、青巻紙だけをひらいていた。もう巻紙の常時発動に割く魔法の力さえ、ほとんどなかったからだ。


 たった一つの巻紙を、僕の右手に引き寄せる。

 ついで青巻紙の水を後方に撃ち出し、「反動」を使用。彼女たちとの間合いを一気につめる。


 ひもを切るべく左手を構える。

 瞬間、ソーラがグラウンドを蹴るのが見えた。

 それは学園から外出したときレンガの道で僕が気付いた、ワープの予備動作。目立った動きではないものの、確かに今、それを見た。


 ここで確信した。


(彼女たちは、罠にかかっていない)


 つまり本当はしびれていないが、しびれたかのように見せかけ、わざと動きをとめている。


(キュリアのググーが巨大化したとき罠も一緒につぶされていたのか。いや、それだと彼女たちに位置がわかるわけがない。ちょうど僕の想定していたエリアで罠にかかったふりをするなんて不可能だ)


 僕は、はっとした。


(じゃあ考えられる可能性は一つしかない。彼女たちは透明になってグラウンド内を動き回り、みずから「感電」の罠にかかって、その仕掛けを事前に発動させ、つぶしていたんだ!)


 しかし、それをやったのは、いつなのか。


(彼女たちとの戦闘を開始し、僕とハフルが高度四十メートル付近に上がっていたときか。違う。彼女たちが罠を見つけ、しびれがとれるのを待つじゅうぶんな時間はなかったはず)


 僕は上空に罠を張ったあと、すぐに水のかたまりを落下させて彼女たちをあぶり出そうとした。このとき彼女たちがしびれていたら、こちらの動きに対応できていないだろう。


(そうか、戦闘前だ。あのときソーラとキュリアはなぜか僕たちの前に姿を見せた。透明化による奇襲もせず、ずっと動きをとめて様子をうかがっていた。しかし実際は、僕の罠でしびれていたから動けなかったんだ。会話を交わしていなかったのも、そのせいか)


 つまり僕たちのチームと彼女たちのチームがグラウンドに残った時点で、ソーラたちは透明状態でグラウンドの罠をさがし当て、わざとそれにかかり、つぶしていた。

 つぶした理由は最終局面における不確定要素になりうるから。それを排除したうえで、動けなくなった自分たちをキュリアのググーで押し出し、僕たちの前に移動させたのだ。


 そして、あえて透明状態を解除する。ただしキュリアの魔法を伏せるため、ググーだけは透明なままにしておく。


(しびれた状態だからといって透明を維持すれば、姿を消してなお攻撃を仕掛けてこないことをあやしまれる。その場合、「彼女たちは罠にかかった」と気付かれ、この時点でソーラたちは負ける。だから思いきって姿をさらし、僕たちを牽制したのか)


 とはいえ、しびれがとれるまでに策を見抜かれていたら、ソーラとキュリアは敗北していたはずだ。


(それなのにあんな大胆に僕たちの前に)


 僕はそのとき、思わず口角を上げた。


(君のほうが僕よりも、よほど肝が据わっているじゃないか、ソーラ・クラレス!)


 ここまでの思考に、僕が何秒を費やしたかはわからない。しかし、それは一瞬の時間だったと思う。あるいはそのとき、僕はなにも考えていなかったのかもしれない。あとになって思い出したとき、「こんなことをその一瞬で考えていたのではないか」と憶測するばかりだ。

 でないと、そのとき僕が笑った理由が説明できないから。


 ともかく僕とハフルが彼女たちに接近したとき、確かにソーラは、はだしでグラウンドを蹴った。

 ソーラと僕のあいだの距離は五メートル。ちょうど彼女のワープ限界。


(今から彼女は僕たちの前に現れ、ひもを切り落としに来る)


 予想どおり、この瞬間、ソーラとキュリアが、ふっと消えた。

 もうハフルも限界で、キュリアもググーたちを出せず、戦えない。

 ここからは、ソーラと僕だけの戦い。


(これで、長かったダカルオンにも決着がつく)


 直後、ソーラが僕の前に現れると同時に、右ストレートを撃ち込んできた。

 そのこぶしを僕は左手で受け流す。

 すかさず、彼女たちのひもを切るための攻撃をたたき込む。左手は使えない。あいた右手を使用する。だが、ひもにつながった右手を前に出せば逆にそれを切られかねない。


(青巻紙で撃つ)


 しかし僕が右手の近くに浮く青巻紙の「水」「砲撃」をなぞろうとした刹那。受け流された右手を使ってソーラは自分のスーパーロングの黒髪をわしづかみにし、それをこちらの顔に投げつけた。


 視界がふさがり、巻紙の字が見えなくなる。

 それで僕は、指を一瞬だけとめてしまった。


(落ち着け、ただの目くらましだ。食らうのは、きょう二回目。対処できる!)


 頭を勢いよく揺らし、髪を振り払う。

 が、視界がひらけると同時に「それ」は起こった。


 まぶしい光が、前方から目に飛び込んできたのだ。

 焼けるような熱さが視界を襲う。反射的に僕はまぶたをぎゅっとつぶった。


 ここで、僕の右手がやや沈んだ。

 体がかたむいて、左に倒れ、グラウンドの上に横たわった。


 なにが起こったか、すぐにはわからなかった。いや、起こったことの意味を即座に理解したからこそ、青巻紙による受け身すらとらなかったのか。


 見ると、ハフルは右に倒れていた。

 僕たちのミサンガをつなぐひもは、切れている。


 僕とハフルのあいだには、白くて細い左手と小さな右手が差し出されていた。二つの手首につけられた白いミサンガを、同色のひもが結んでいる。


 そして上空から、舌足らずの大きな声が響く。


「白ブロック優勝は、キュリア・ゼルドルとソーラ・クラレス!」


 歓声があたりをつつみ、グラウンドをふるわせているのがわかった。僕は体を横たえたまま、視線を上にやる。


 そこに、ソーラがいた。


 彼女の顔は、頭上の太陽よりも輝いていた。

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