第五章 ダカルオンに向けて
「わたしたち、ダカルオンで優勝するわよ」
ソーラの声が、ガラス張りの部屋に反響した。
僕は首をひねり、彼女の言葉の意味を考えていた。
ここは図書館の地下二階にある自習室。
学園の東に位置する教室棟から出て、そこから延びる砂利道を南西に進めば、ファカルオンの図書館に着く。
そのかたちは四角錐。ピラミッドである。
紫の厚い布で全体をおおっている。
なかに多くの蔵書がある。学生用のテキストや先生たちの使用する研究資料、娯楽用の大衆小説に、普通の漫画まで読める。
世界中から収集されたもので、言語もジャンルも、さまざまだ。
本だけでなく絵画、彫刻、標本なども保存する。音声や映像を再生できる、魔法による記録媒体も保管されており、図書館ではなく資料館と言ってもいい。
館内には、ところどころに自習室が設置されている。
資料を閲覧したり、勉強したり、魔法の練習をしたりする部屋だ。
今、僕たちが入っている自習室にはマホガニー製の机一台と椅子四脚が備え付けられている。
僕とソーラは、そこに座って話しているところだ。
ソーラはガラスの壁に近い場所に着席した。僕は彼女の斜め前の椅子に腰かけた。
ケルンストに行った日の翌日。彼女と約束したとおり、僕は正午にその自習室に来た。
彼女は自習室の机の前に立って僕を待っていた。
透明なガラス越しに、彼女の姿がよく見えた。
黒のパンプスに、黒と白のストライプのニーソックス。灰色のプリーツミニスカートに、これまた灰色のブラウスを組み合わせ、その上に紺のカーディガンを羽織る。肩にはレモン色のかばんのひもをかけている。
長いまつげと整った眉は黒を帯び、彼女の白い肌と共に赤い目をいっそう際立たせていた。
その日のソーラは、黒髪でも銀髪でもなかった。そもそも頭部に眉とまつげ以外の毛が一本もなかった。
彼女の頭皮は赤い瞳にも負けず、白くきれいに輝いていた。
「この頭が目に入れば、みんな勝手にさけてくれるもの。わざわざガラス張りの自習室を選んだのも、外から見やすくするためよ」
よく見ると、室内の天井につり下げられた球形の照明器具が光を発し、ソーラの頭を照らしている。
部屋のドアノブは縦長のプッシュプルハンドル。これを奥に押したり手前に引いたりすることでドアの開閉をおこなう。
ドアをしめ、黙って机に向かう僕にソーラは言う。
「ちなみに眉とまつげが黒いのは、直前に黒髪のかつらをかぶっていたから。つるつる頭だからって、それに合わせて透明になるわけじゃないの」
「しかし意外だったよ」
反応に困った僕は、話題をそらした。
「実を言うと、きのう僕はちょっと、ひやひやしてた。アリアンに関する話を聞いた君が男子寮に乗り込んでクーゼナス寮長を締め上げたりしないかと。でも君はおとなしくしていた」
「当たり前でしょ。そんなことしたら停学処分を食らうだけよ。今は我慢するしかない」
ちなみに自習室の壁は、ほどほどに音を通さないように出来ている。普通の声量で話すだけなら、部屋の外から内容を聞かれることはない。
僕はいつもと同じスーツ姿。
黒いブリーフケースを椅子に載せ、髪の生え際を指でなぞる。
ソーラも彼女自身の生え際、だった線に指をすべらせる。
これが、きのうの帰り道で僕たちが決めたサイン。声を用いない合言葉。ソーラのアイディアである。
鏡の巨像アリアンがクーゼナス・ジェイの姿で現れたのを僕は見た。その瞳が灰色から赤に染まる瞬間も、赤から灰色に戻る光景も、目撃した。
(彼は自由に姿を変えられる可能性が高い)
僕やソーラになりすますことも、できるはずだ。
だから自分の前にいる相手が偽者か確かめるために、このサインが必要だった。
生え際をなぞったソーラは本物。僕も同様のサインにより、自分がアリアンの虚像魔法の産物ではないことを彼女に伝えた。
このあと着席し、本題に入る。
「で、きのうは聞きそびれたけど、アリアンをさがし出すための計画って」
「ダカルオンよ」
彼女は、そこで優勝するのだと宣言した。
ダカルオンとは、学園ファカルオンで開催される魔法競技の大会のこと。
基本的に一か月に一回ひらかれる。参加するのはファカルオンの学生。競技内容やルールは毎回違う。詳細は当日に発表される。
好成績を収めれば卒業要件単位の一部を獲得できるし、優勝者には賞品もある。
とはいえアリアンをさがし出すのに関係があるとは思えない。
「そこで実力を高めて、彼との決戦に備えるのか」
「まあ、それもあるけれど。本命は優勝賞品よ」
「そういえば」
僕はここで、前にサイフロスト先生が研究室で言っていたことを思い出す。
(次の優勝賞品は自分の存在を一瞬だけ抹消できる古代の魔法装置だそうですよ)
しかし使い道は思い付かない。一般の市場には出回っていない代物だとは予想できるが、世界中の名だたる宝物を盗んできたアリアンに対しては、交渉材料にもならないだろう。
「その賞品をなんに使うんだ、ソーラ」
「言ったでしょ。あなたに消えてもらうの。一瞬だけね」
ソーラは左右の腕を机に載せた。
「鍵は、あなたの巻紙よ。アロンが消えたら、巻紙は次の所有者のもとに飛んでいくんだったわね」
「ああ。仮に僕が死ねば、三色の巻紙は虹巻紙の現所有者であるアリアンを次の所有者と見なしたうえで、彼を目指して飛ぶだろう」
「あなたが死んだと巻紙が認識した場合も同様かしら」
「君の言いたいことがわかってきた。消えてもらうとは、そういうことか」
僕は彼女の代わりに説明を試みる。
「つまり、くだんの魔法装置によって僕を一時的に消す。すると巻紙は僕が死んだと勘違いしてアリアンのもとに飛んでいく。その巻紙を追うことで、やつの居場所を突き止める。これがアリアンをさがし出すための君の計画」
「そうよ。ダカルオンで優勝して装置を手に入れる必要はあるけどね」
カーディガンの左右の長袖を机の上でふれ合わせ、ソーラは続ける。
「ただし、この計画には不確定要素が二つ存在する。そもそも装置でアロンの存在を抹消できたところで、巻紙がそれを死と認識しないかもしれない。また、一時的に消えたあなたがもう一度現れたとき、巻紙がそれに気付いてアリアンを目指すのをやめる可能性も考えられる」
彼女の赤い瞳が、上目づかいで僕を見る。
僕は少し考えて答えた。
「装置の詳細がわからない以上、前者の不確定要素については、なんとも言えない。しかし後者のほうは心配ないと思う。巻紙は意思を持たない。いったん次の所有者のほうに飛び始めれば、簡単に方向転換できるほど器用じゃない」
口角を上げ、背筋を伸ばす。
「だから君の計画に乗る価値は、じゅうぶんにある」
「心強いわ」
机の上の両腕を胸のほうに引き戻し、ソーラも姿勢を整えた。
「あとはダカルオンで優勝するだけね」
「優勝者から賞品を譲ってもらう、あるいは借りることも視野に入れたほうがいいか」
「考えてなかったわ。次善策になりえるわね」
「とにかく次のダカルオンについて現在わかっていることをまとめよう。まず優勝賞品の魔法装置。アリアンの居場所を突き止めるためにこれを獲得することが今回の参加目的になる」
「魔法競技の詳細は当日にならないとわからないけど、前回のものとかぶることはないとわたしのルームメイトが言っていたわ」
「確か前回は徒競走形式。僕も出場して、すぐ敗退した。雨で巻紙が使い物にならなくなったから。今にして思えば、青巻紙で対応可能だった。そういえば君は二位で表彰されていたっけ」
「ワープ魔法を使ってね。でも次は通用しないかもしれない」
ソーラはひざに置いていたレモン色のかばんから、一枚の紙を取り出した。
「次回のダカルオンを告知するリーフレットよ。開催日や集合時間も記載されてる。図書館一階の受付カウンターのすみに置いてあったわ」
それを机の上に広げる。
「公表されている情報では、次は二人一組でのチーム戦らしいの。具体的にどんな競技をやるかなどの詳細については、もちろんまだ不明」
ソーラはリーフレットを半回転させ、僕からも見やすいようその向きを変えてくれた。
僕は少し身を乗り出し、そこに書かれた字を読む。
「確かに。そして組む相手は自由なのか学園側の指定によるのか。これも、はっきりしない」
「一応、わたしとアロンで組むことを想定して勝ちをねらいにいきましょう。言うまでもないけれど八百長を疑われたら失格になるから、敵同士になっても全力で」
「もちろん。あ、今回は優勝者が複数出るともリーフレットに書いてある。もらえる単位はそのぶん少なくなるけど、賞品に関しては優勝者の数だけ用意するみたいだね。ふむふむ、学生の入学時期によって参加者を五つのブロックに分け、それぞれで優勝者を決めるのか」
「わたしは先月の始めにファカルオンに入学した」
「僕も同じ。つまり、別々のブロックに分かれて各自で優勝を目指すというプランはとれない」
「しかも、見て」
彼女はリーフレットの下部の赤い文字列を指差した。
「今回、学生は全員、強制参加らしいわ」
「これで競技の規模の予想がつく。ファカルオンは全寮制。男子寮にいるのが百二十四人で、女子寮のほうは」
「百二十六人。これに『普通寮』の五十名を合わせる」
普通寮とは、男子寮にも女子寮にも属すことを希望しなかった学生たちの寮である。
「よって学生は総勢三百名。みんなを五つに分けると、各六十人ずつのブロックが出来る。つまり今回のダカルオンは、二人一組のチームが三十ある状態で優勝を目指す魔法競技になるようね」
「前回の徒競走形式とかぶるから、レースじゃないんだろうけど」
「トーナメントもない。三十チームだとシード枠を用意しなくちゃいけない。公平性を欠く可能性がある。総当たり戦もない。時間が足りない。強制参加させる以上、学生を長時間拘束するわけにもいかないし。だからバトルロイヤルが一番ありえそうじゃない?」
椅子から腰を浮かし、ソーラがリーフレットを手の平でたたく。
「とすれば優勝に必要なのは、純粋な戦闘力と乱戦における対応力!」
彼女は立ち上がってリーフレットをかばんにしまう。スカートを揺らし、ドアまでのわずかな距離を歩き、プッシュプルハンドルに手をかける。
「あ、忘れてた」
かばんからスーパーロングの黒髪を引っ張り出し、それをかぶる。
「ダカルオンは十日後。きょうを入れて前日までの十日間、毎日一緒に特訓しましょう。待ち合わせ場所は第一グラウンドで!」
そう言い残し、彼女はガラス張りの自習室から出ていった。
僕も椅子から腰を上げ、ブリーフケースを手に取る。
同時に、部屋のドアがまたあいて、ソーラが再び顔を見せた。
「ところで特訓の時間、いつにする?」
* *
このような経緯があって、その日からソーラと僕はダカルオン優勝に向けて特訓を始めた。
毎日、授業のない時間に、学園のグラウンドで魔法を撃ち合うのだ。
リーフレットによると今回のダカルオンの集合場所は、その第一グラウンド。
グラウンドは計六つある。五つのブロックに分かれることを考えても、学園がグラウンドそのものを魔法競技のフィールドに指定する可能性が高い。
なお各グラウンドの地面は、弾力のある赤いゴムチップで舗装されている。
そのそばに、ベンチや鉄棒が見える。
* *
「相変わらずの格好ね」
黒ずくめのスーツで特訓に臨む僕に対して、ソーラがうなずく。
「それで気持ちが引き締まって魔法の調子がよくなるのなら、構わないけど」
当のソーラが着ているのは学園から全学生に無償で支給されているトレーニングウェア。
スニーカーとハーフパンツ。タンクトップにウインドブレーカー。色は全体的にエメラルドグリ―ン。
学園に資金援助もしているゼルドルのブランドロゴがそれぞれに小さくあしらわれている。
彼女のハーフパンツの下からは黒いタイツが伸びている。そちらのほうは自分で用意したらしく、ゼルドルのロゴは見当たらない。
この格好で彼女は動き、魔法を用い、僕をさんざんグラウンドの上に沈めた。
「特訓の場にスーツで来たのはあなたなんだから、傷ついても今度は弁償しないわよ」
「問題ないよ。地面すれすれで体を浮かせてる」
僕は倒されるたび、青巻紙の「滞空」を指でなぞっていた。
今もあお向けの体勢ではあるが、背中は地面に接することなく宙に浮いている。
「思い起こせば今まで僕は『水』を出したあとに『滞空』を使ってた。出現させた『水』を浮かすことばかり考えていた。でも『滞空』単体を発動させれば、僕自身が空中にとどまるらしい」
「それ、わたしとカディナ砂漠で戦ったときは気付いてなかったの?」
「ああ。あの日、君に負けてから僕は実力不足を痛感した。このままだと、やつを見つけても、なにもできずに終わってしまうと思った。それで担当教員のサイフロスト先生に、これまで以上に魔法の強化に付き合ってもらった。そのなかで、見つけた」
続いて僕は「指定」「浮上」に指を移し、起き上がった。
「理屈は単純。人の体の多くは水分で構成される。その水を青巻紙であやつるだけ」
グラウンドに靴底をつけて、青巻紙に封をする。
「起き上がるのは難しかった。『浮上』だけをなぞれば体がそのままの姿勢で浮き上がって、さっきの場合だとあお向けから抜け出せなくなる」
「だから事前に『指定』を発動させ、下半身ではなく上体のほうだけを浮かす。そうすれば自然に立ち上がるかたちになる、ということかしら」
「そうだ」
「あなたも立ち止まっていたわけじゃなかったのね、アロン」
ソーラは左右の指同士をからめて、両腕を頭上に伸ばした。それを前後に倒す。
そしてグラウンドを蹴り、僕に向かってくる。
彼女は黒髪と銀髪を使い分けていた。
「発」
ソーラが唱え、僕がまばたきするたび、彼女の髪がすりかわっている。
黒髪時はサイドポニー。左側に作ったポニーテールの根元に赤いシュシュを巻いている。その先端が彼女の左ひじのあたりで揺れる。
銀髪時はツーサイドアップ。頭頂部付近の左右の髪を細くまとめ、水色のリボンで結ぶ。
かぶる髪によって、発動できる魔法が異なる。
銀髪の場合、ソーラが使えるのは「透過」の魔法。
きのうケルンストの細い道を出たとき、先に行った彼女の姿を僕は見失った。
(そしてソーラは、いつの間にか僕の背後に立っていた)
あれは彼女が透明になっていたからだという。
自分の体や、直接的または間接的に自分と接触しているものに透過魔法を発動させると、光がそれらを素通りする。結果、透過魔法の対象になったものは、目に映らなくなる。
自身を透明にする場合は、目に届く微量の光だけを透過させず、視界を確保するらしい。本人も自分の体を見失いそうだが、全身をおおう魔法の力が、自身の輪郭を教えてくれるそうだ。
僕は特訓において、透明になった彼女の攻撃も受けていた。
黒髪のときよりも打撃のダメージは小さいものの、手数で押し切られる。
最初、僕は思った。
(影をさがせばいいのでは)
しかし、透明化したソーラの影はどこにもなかった。
さがしているうちに、また彼女に倒された。
「透過してるってことは、光をさえぎるものもないってことよ。だったら影も生まれないわ」
また、彼女の透過はなかなか器用に使えるらしい。
「わたしは銀髪で日光に当たるとき、自分の肌によくない光線だけを透過させてる。中途半端に素通りさせたら逆効果なんだけど、まるごと透過させた場合は『最初から当たっていない』ことになり、その影響を受けずに済む」
ソーラは姿を現し、ほおの片方を指で押した。
「アロンも気付いてるでしょうけど、黒髪のときはその光線を肌に当たる直前でワープさせてるわけ。どっちも肌に優しい魔法で、ありがたいことね」
「いや、人によってはそれらの魔法はあくまでワープと透過でしかない。肌を守るという発想に至って、それを実用化しているのはソーラの努力なんだろう」
「わたし、ファカルオンの校訓、好きなのよね。『君を極めろ』って」
彼女が中腰になって、倒れた僕に右手を差し出す。
そのとき僕は青巻紙の「滞空」を発動しそこねていた。
ソーラは力を込めて僕を引っ張り、立ち上がらせる。
彼女のレモンの香りに汗のにおいが混じり、僕の鼻をつんと刺す。
「発」
すかさずソーラは銀髪から黒髪に変わり、僕に連続で打撃をくり出す。
移動速度もさることながら、攻撃の一つ一つに重さを感じる。
「黄巻紙」
黒髪時のソーラに対して不用意に火や水をぶつければ、ワープによって攻撃が僕に返される。
(なら黄巻紙だ。至近距離で高速の電撃を飛ばす。ワープで防がれる前に当てられるはず)
しかし、ねらった字をなぞるよりも早く彼女のこぶしが眼前にせまっていた。
パンチをまともに食らった僕は慌てて青巻紙をひらき、「滞空」によって受け身をとる。
ソーラはあお向けの僕を見下ろして、サイドポニーを手でとかす。
「無理に防御を優先させると対応がおくれるわよ」
「開閉の手間も、できるだけ減らしたいところだ。青巻紙の常時発動を考えるべきか。君が日光に対して、やっているように」
「無意識を鍛えてこそよ。たとえば、なんで黒髪のときのわたしの打撃が強いかわかる?」
「ワープを応用してるから?」
「そう」
彼女は僕の頭上でパンチをくり出した。
「わたしは相手をなぐるとき、こぶし自体を前方にワープさせてる。といっても、これによってパンチのスピードは上がらない。あくまでワープだから。むしろパンチにおけるワープは、相手の防御姿勢が整う前に攻撃を当てることに意味がある」
「確かにそれなら同じ威力で撃ち込んでも、結果的なダメージに差が出る」
「アロンもだけど、無意識に考えてるのよ、体って。『あと数秒後にパンチが来るな。よし、それに合わせて守りを固めよう』と予測する。普通なら防御に有効な反射よ。でも逆に言えば、想定よりも早く攻撃が来れば対応できない」
「無意識があだになることもある、か。僕は、つい青巻紙で受け身をとろうとしている。結果、よりよい対応策をとれなくなっているのかも」
「攻撃にも無意識は応用できるわ。たとえばわたしのパンチも素人が真似すれば、体を残してこぶしだけワープする。それで、どうなると思う?」
「どうなるんだ」
「ちぎれて血が出てぽとりと落ちる」
「笑えないね」
「だからわたしはこぶしをワープさせる瞬間、それに接続するかたちで手首からひじ、さらには肩までの部位も順にワープさせ、ちぎれるのを防いでる。タイミングやスピードが狂えば、部位と部位が奇妙なかたちに交ざったり、さっき言ったように、ちぎれたりする」
「そのシビアな作業をいちいち意識しては戦えない。だから君はそれを無意識にまで落とし込んだというわけか」
僕は巻紙魔法で起き上がり、ひらきっぱなしだった青巻紙と黄巻紙に封をしようとした。
「青巻紙・ふ」
「封をしちゃだめ」
瞬間、彼女の手の平が僕の前にワープし、口元を押さえてきた。
「疲れるでしょうけど、ずっとひらいたままにしなさい。常時発動を望むならまずはその状態に慣れなくちゃ。最初は、無理に文字をなぞる必要はないわ」
(こんな訓練方法もあったのか)
短時間なら問題はない。しかし、ひらき続けて三十分が経過したあたりで、心身に違和感を覚えた。なにも発動しなくても、徐々に疲労がたまっていく。
ひらかれた状態で僕のそばを浮遊する巻紙が、追加の魔法をまったく発動していないにもかかわらず、使い手から一定の力を吸い続ける。
呼吸を荒くする僕を見て、ソーラは言う。
「いきなり、きつくするのもよくなかったわね。ごめんなさい。今あなたは二つの巻紙をひらき続けてる。でも冷静に考えれば、一つから始めたほうがいいわね。そこから体を慣れさせて少しずつステップアップしていけば効率的なはず。だから片方だけ封をしなさい」
「わかった。黄巻紙・封」
青巻紙をひらいたまま、いったん黄巻紙だけをとじ、僕はソーラに向きなおる。
彼女は笑って赤い瞳をきらめかせる。
「油断してない。いいことね」
今度は足を上げ、キックを僕に撃ち込む。
とっさに僕は後退し、黒いタイツにつつまれた彼女の脚部をぎりぎりでかわした。
ソーラは足首を動かしてスニーカーの先端を僕に向ける。
「その調子で、かわし続けなさい。意図はわかるわね」
「常時発動の第一段階として、巻紙をひらき続けたまま動き回ることを体に覚えさせる」
それから僕は、グラウンドでソーラの攻撃をひたすら回避し続けた。
彼女は髪を切り替えつつ、パンチとキックを僕に当ててくる。
百発中、僕が回避できたのは三十発ほどだった。
「たいしたものよ」
ソーラは攻撃の手を休めず、僕と目を合わせる。
「わたしのほうも課題が見えてきたわね。ワープによる打撃は初見だとかわされないけど、使い続けると相手もタイミングを覚えてくる。この単調さをどうにかしないと」
彼女は手の甲で額の汗をぬぐう。
「アロン、あなたもわたしの至らない点を指摘しなさい。一方的にしごいてくる相手には、しごき返すくらいの気持ちで向き合えばいいの。言われっぱなしじゃ悔しいでしょ」
「君の透明化状態での攻撃」
呼吸を整えつつ、僕は赤い瞳をじっと見つめた。
「やっぱり黒髪時よりも威力が足りない。せっかくの透明なんだから、攻撃を当てるときは効果的にダメージを与えられる部位をねらったほうがいい。確かに透明による奇襲はアドバンテージ。でもその攻撃は、相手に自分の位置を教えるというリスクも持っているんだ」
「なるほどね、たとえば一度わたしの攻撃をあえて受け、位置を特定したうえで、追撃をかわしたり、こちらをつかまえたりする、なんてことも考えられる」
「透明化の弱点は、もう一つある。音だ」
「そっか。足音だけじゃなくて、衣服同士のこすれ合いや呼吸にも気を配る必要がありそうね」
* *
こうして僕たちの特訓の一日目が終わった。
二人とも、ひざを曲げ、グラウンドに腰を下ろした。
僕は青巻紙で水を出す。
それをごくごく飲むソーラを横目で見ながら、思う。
(魔法の特訓なのに僕たちのやっていることは、ずいぶん泥くさい)
しかし考えてみれば、魔法使いだからこそスマートなやり方ばかりにこだわるべきではないのだろう。
自身の魔法を鍛えるに越したことはないが、同程度の強さの魔法使い同士が戦う場合、最終的に勝敗を分けるのは魔法の力でも運でもなく、基礎の体と普段からの思考。
体力があれば移動一つとっても魔法の力を温存できる。長時間の戦闘においても集中力を切らしにくい。いざというときは自身の肉体による奇襲も可能だ。
とはいえ自分の体と魔法を活かし、運をつかむには、そこに思考を加えなければならない。
おのれの体と魔法をどう鍛えるか。実戦において具体的にどんな作戦を立てるか。相手の特性を正確かつ迅速に分析できるか。
もはやそれは個人の魔法ではなく、人類共通の思考。
ソーラも、確かにワープと透過の魔法を使用する。しかし彼女が人並み以上の戦闘力を有しているのは、自身の魔法を高めるにはどうしたらいいか考え、そのビジョンを実現できる体を作り、絶えず改善点をさがし、修正していく向上心を持つからだ。
僕は一つ気になった。
(彼女がそこまでして自分を鍛えるのは、なぜだろう)
アリアンから母親の遺髪を取り返すという目的のためか。
(もし「鏡の巨像」と呼ばれる彼との戦闘になった場合、力がなければその目的も達成できない。だから彼女は自身を高め、極めようとしている。そう説明することは、できるけど)
浮いている水を僕もすくって飲みながら、彼女にたずねる。
「ソーラ。君はやつを倒したあと、どうするんだ」
「気になるの?」
彼女はハーフパンツのポケットからハンカチを取り出し、口元をふく。
「そういえばわたしがファカルオンに入学した理由、アロンに話してなかったわね」
ソーラはグラウンドに腰を下ろしたまま、曲げたひざに上体を押し付ける。
「やつを追って、と言いたいところだけど、今まで手がかりはゼロだった。だからわたしがこの学園に来た理由は、あいつじゃない」
そのまま頭に両手を添える。
「あいつ抜きにして、単純に強くなりたかったからよ」
今の彼女は銀髪だった。頭頂部付近から垂れる左右の細い髪の束。それらをさわって、ソーラは続ける。
「わたしは、負けたくなかった」
鋭い声色と共に腰を上げ、ハーフパンツの後ろをはたいた。
「だからこれからも、負けないために生きるのよ」
彼女はグラウンドのそばのベンチに寄り、そこに置いていた自分のかばんからタオルを取って、汗をふく。
さきほどの彼女の声はいつものすずしい調子ではなかった。
少し低く、ふるえていて、熱かった。
そしてソーラはベンチの横に設置されている鉄棒をつかんで、地面を蹴った。足先を宙に突き出し、くるんと回って逆上がりをしてみせた。
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