第一章 学園ファカルオン

「アロン、おまえ十六にもなって、はしゃぎすぎだろ」


 学友のハフル・フォートから、そう言われた。


 その日の夕刻、僕は学園ファカルオンの学生寮に帰ってきた。

 ファカルオンとは、魔法使いを育てる学校。

 僕ことアロン・シューは、そこに属する学生だ。


 カディナ砂漠でソーラと戦ったあとだったので、どうしても体がふらふらする。砂漠を出る際にできるだけ砂は落としたが、ジャケットもパンツも靴もぼろぼろ。すれ違った寮生たちはみんな僕を疑念のまなざしで見ていた。


 ルームメイトのハフルも例外ではなかった。彼は僕が部屋に入ってくるなり、ぎょっとして、自身の赤いツイストパーマを両手でかかえた。


「とりあえず着替えろ、シャワーも浴びとけ。おまえ、けっこうにおうぞ」


 僕は彼の言葉に従う。部屋のクローゼットから着替えを引っ張り出し、寮の共同シャワー室に向かう。


 シャワーは寮長の「水道魔法」によるもの。

 脱衣室で衣服を脱ぎ、奥のシャワー室に入る。それは白いタイルで囲まれた個室だ。


 個室の上部に設置されたシャワーヘッドの下に立つと、適温の水が出てくる。寮長いわく、その水には髪や体を洗浄する効果もあるとか。


(これは僕の青巻紙じゃ真似できない)


 疲れがとれていくのを実感しながら、髪と体を洗い終える。

 シャワー室に用意されているバスタオルで水分をふき取ったあと、脱衣室に戻る。


 黒いスーツではなく、もっとラフな格好に着替える。

 クリーム色のリネンのシャツに、紺色のリネンのパンツを組み合わせる。

 さらにパンツと同じ色の、やはりリネンの靴下をはき、唱える。


「赤巻紙」


 スーツパンツのベルトから外していた巻紙の一つをひらく。内側の白紙に浮かぶ「乾燥」の文字列を指でなぞり、髪を乾かす。

 ついで脱衣室に取り付けてある鏡をのぞき、ウルフカットを整える。


「赤巻紙・封」


 乾燥を終えた僕は、脱いだスーツ一式と巻紙三つをかかえ、ハフルの待つ部屋に帰った。

 とりあえずぼろぼろのスーツ一式をクローゼットに収納する。フェイクレザーの黒靴を脱ぎ、シューズラックから薄紫のスリッポンを取り出し、はき替える。


 そんな僕の一連の動きをハフルの青い目が追っていた。

 今の彼のアウターは、ねずみ色のパーカー。黒のスキニーパンツにカーキ色のブーツをはいている。なかでもブーツはお気に入りらしく、同室した初日にブーツのことを僕がほめたら、ハフルが照れくさそうに、はにかんでいた記憶がある。

 おおげさな抑揚をつけながら、やや高い声で彼が話す。


「さて、アロン。おまえの身になにがあったか話してもらおうじゃん」


 ハフルは口角を上げてベッドに腰を下ろした。片方のひざに右ひじを載せ、ほおづえをつく。

 僕も軽く笑いながら、ハフルと同じように自分のベッドに座る。


「実は、カディナ砂漠に」

「なんで、あそこ、なんもねえじゃん」


「帰ってきたときも寮長に問いつめられたよ。でも僕は砂漠で遊んでいたと答えた。門限は守っていたから、寮長はそれだけで解放してくれたけど」

「まあ、いいんじゃね。カディナは壁で囲われてるが、なかに入っちゃいけないって決まりは、ないもんな。そもそも砂漠も学園の土地らしいし、もう裏庭みたいなもんだ」


 そしてハフルは、ほおづえをやめ、僕のほうに身を乗り出す。


「しかしオンオフの差が激しいおまえが休日にスーツを着てどこに行くかと思ったら、よりによってカディナ砂漠とはな。おまけに、ぼろぼろになってのご帰還ときた。これは相当の難事に巻き込まれたと見える。ずばり、誰かと会ってたんだろ」


 そう言われた瞬間、僕は彼から目をそらしてしまった。

 ハフルはここで背筋を伸ばし、さきほどよりも口角を上げて僕を見る。


「図星だな。俺の観察眼を甘く見んなよ。おまえがぼろぼろの格好で戻ってきたとき、実は、砂とかのにおいにまぎれて、わずかにレモンの香りもしたんだぜ。たぶん香水だな」


 左右のブーツをぶつけ合わせながら、彼は笑って言葉を続ける。


「つまり、こうだろ。アロンはそいつとカディナ砂漠で会う約束をしていた。誰にも聞かれたくない真面目な話をするということで、きょうはスーツに身を固め、相手と砂漠で落ち合った。しかしなんやかんやあって、ひと悶着ののち、けんか別れってわけだ」

「まあ、そんなところ。でも後半は適当だね」

「そこはおまえの口から、と言いたいところだが、傷ついた人間の心をえぐる趣味は俺にはない。話は、こんくらいにすっか。あ、それとおまえに手紙、来てるぜ」


 さきほどからハフルのベッドの枕元には白い封筒が置かれていた。

 彼はそれを手に取り、差し出す。


「おふくろさんの。俺が預かっといた」

「ありがとう」


 僕は封筒のなかに入っていた手紙を、黙って読んだ。


(アロン、学園では上手くやれていますか。先日の手紙では、「もうすぐ虹巻紙を取り返せるかもしれない」とあなたは書いていましたね。それが果たされれば、亡くなったあの人も、わたしも喜びます。けれど絶対に無理してはいけません。では体に気を付けて頑張ってください)


 読み終わり、僕は手紙をたたんで、部屋のなかの机の引き出しにしまった。


「もういいか? んじゃ、メシ行こーぜ」

「そうしようか」


 ハフルと僕は部屋に鍵をかけ、寮の食堂に移動する。

 男子寮は四階建て。僕たち二人は三階のひと部屋に同室している。そこから食堂のある一階に向かう。

 食堂はそれなりに広い。ここの寮生百二十四名が同時に来ても、全員を収容できる。しかし今は、ほとんど誰もおらず、すいている。


 僕は激辛カレーを、ハフルはビーンズサラダとローストビーフとコーンスープと黒パンがセットになったものを注文し、席に着く。

 その椅子はベージュのスツール。テーブルクロスもベージュ。壁やゆかも同じ色。

 そんな食堂内をなんとなく見回す僕に、対面に座ったハフルが話しかけてくる。


「おまえ、きょうカディナに行っといて、その日のうちに激辛のやつをよく食えるな。あそこ、めっちゃ暑かったろ」

「きょうのことを忘れたくなくて、あえて」


 そんな雑談を僕たちは交わす。


 注文したカレーは、涙が出るほどの辛さだった。対してハフルは、ビーンズサラダの豆をひょいひょい口にほうりながら、肉とパンをかみちぎる。

 僕はカレーと一緒に出された水を口に含み、ひりひりする舌をうるおす。そのときだった。


「隣、いいかね?」


 低く、かすれた、落ち着きのある声が近くから聞こえた。

 見ると、テーブルのそばに「彼」が立っていた。


 白髪交じりの金髪をオールバックで整えた初老の男性。あごに蓄えたひげにも、金と白の二色が目立たない程度に交ざっている。

 こだわりがあるのか、彼はいつも同じ格好だ。燕尾服を身にまとい、ふちなしの丸めがねをかけている。


 それが、ファカルオン男子寮寮長、クーゼナス・ジェイの姿である。

 めがねの奥からのぞく灰色の大きな目がこちらを見下ろす。


 とっさに立ち上がろうとした僕たちに、彼は「そのままで」と言い、にこりと笑う。


「ともかく寮長。どうぞ、どうぞ」


 ハフルに急かされたクーゼナス寮長は、僕の斜め前の席に座った。


「二人の邪魔をして申し訳ないね、ハフル・フォートくん。アロン・シューくん。でも、たまには寮生と一緒のテーブルを囲みたいとも思うんだよ」


 寮長は激辛カレーを注文して食べ始めた。


「それ、アロンも頼んでましたよ。どんな感じですか」


 すでにほとんど食事を平らげているハフルが、余りの豆をつまみながら声をかける。

 寮長は、いったん水を飲んだあと、口元を隠しつつ無表情で答える。


「ああ、辛いね」

「いや、さすが寮長ですよ。顔色一つ変えてないですし」

「わたしは我慢してるだけさ」


 ここで寮長は、僕のテーブルに目を向ける。四分の三ほど食べ終わった激辛カレーと、水が半分以下になった透明なコップを凝視する。


「アロンくん。きょうは問いつめて、すまなかったね」

「カディナ砂漠に行っていた件ですか」


「ぼろぼろの服で帰ってきたから、なにかあったのかと気になってね。でも元気に遊んでいたのなら、それでいい」

「いえ、僕も、はしゃぎすぎました。心配をかけてすみません」

「君は、いい寮生だな」


 寮長の視線は僕の前のコップに釘付けになっている。


「アロンくんは自力で水が出せるにもかかわらず、ちゃんと出されたものだけを飲んでいる」

「この食堂の水も寮長の水道魔法によるものでしたね」


「そうさ、洗濯に使うものやシャワー室のやつとは処理方法が異なる。ちゃんとした飲み水だ」

「僕の青巻紙で生み出したものよりも、こっちのほうが、よほどおいしいんですよ」

「嬉しいね。でもわたしよりもアロンくんのほうが、すごい魔法使いだと思う」


 それからは、とりとめのない会話が三人のあいだで続いた。

 なぜ学園に入ったか、意中の相手はいるか、故郷が恋しくならないか。そういった、あたりさわりのない話をした。


* *


 翌日、僕は太陽がのぼる前に起き、身なりを整えた。


 ファカルオンには指定の制服がなく、学生は自由に服装を選ぶことができる。

 魔法を行使する際、「服」は重大な要素。好きな格好になれば、自身の気持ちが高揚する。結果、感情が魔法の力そのものを増大させる。


 当の僕は真っ黒なスーツを着て授業を受けることにしている。

 きのうと同じ黒いジャケットとパンツに身を固め、黒いネクタイを首元までしっかり結ぶ。黒い靴下で足をおおい、フェイクレザーの黒靴をはく。


 僕は同じ種類のスーツをいくつも持っており、それらをクローゼットに収納している。シューズラックに置いている複数の靴も、ほとんどが黒いフェイクレザーである。


 きょう着ているのは、きのうソーラ・クラレスと戦ってぼろぼろになったものとは別のスーツ一式。

 父の形見の虹巻紙を「鏡の巨像」から取り返すまで、この喪服スタイルをくずすつもりはない。寮長のこだわりが燕尾服なら、これが僕のこだわりだ。


(例外として、リラックスするときは、肌ざわりのいいリネンの上下を着たりするけど。確かに僕はハフルの言うとおりオンオフの差が激しいな)


 赤・青・黄の巻紙を腰のベルトにくくりつける。授業で使うテキストや筆記用具を黒いブリーフケースにつめこむ。


「よし」


 僕はつぶやき、部屋のドアノブに手を伸ばす。

 レバーハンドルの「とって」をにぎる。


 そのとき、彼の眠そうな声がベッドから聞こえてきた。


「アロン、おまえ、きょう授業なにがあんの。ずいぶん早いじゃん」

「おはよう、ハフル」


 いったんハンドルから手をはなし、僕は彼のほうにつまさきを向ける。


「僕は午前中に世界史と外国語を受ける。午後は倫理学」

「そうかい。倫理学は俺も受講してっから、そんとき、またな」


 ハフルは、ねずみ色の寝巻きを着たまま、あくびをした。目をこすりつつ僕を見る。


「ちなみに俺、きょうの午前に授業ない。いやいや、単位はだいじょうぶ。ちゃんと計算してるからな。とりあえず、まだ眠いし二度寝するわ」

「おやすみ、ハフル」


 あらためて僕はレバーハンドルをにぎって、ドアをあけた。廊下側から、それをしめる。

 食堂で朝食をとったあと、男子寮から出て東に向かう。


 灰色の砂利道を進む。


 空には朝焼けが広がり、赤と薄い紫がぼんやりと上空に浮かぶ。

 道沿いには一定間隔で、高さ十メートルのユズリハの木が植えられている。


 緑の葉に見下ろされながら、わずかな木漏れ日のなかを抜けていく。

 さらに女子寮のそばと、警備員たちが勤務する建物の横を過ぎる。


 しばらく歩いて目的地の前に立ったとき、朝焼けの色はすっかり消えていた。

 そこは研究室棟。先生たちの研究室が集まった横長の建物である。学園の教師は合計五十二人だが、彼等一人につき部屋が一つずつ割り当てられている。

 学園ファカルオンは魔法使いの教育機関にして研究機関でもあるのだ。


 僕は研究室棟の重い鉄製のドアをあける。

 廊下を進み、右に曲がり、階段をおりる。

 地上だけを見れば研究室棟は五階建て。ただし、それとは別に地下一階も存在する。


 かがり火がたかれた暗い廊下を抜け、突き当たりのドアの前に立ち止まる。

 このドアは銅製。全体が青緑色のさびで、おおわれている。それをノックする。


 すると向こうから、けだるげな声が返ってきた。


「このノックの力加減はアロン・シューさんですね。どうぞ、入ってください」


 ドアが下方向に沈み、突き当たりの先に道が現れる。

 僕が通り抜けたあと、さびたドアが背後でせり上がり、再び道をふさぐ。

 奥に歩を進めれば、僕がお世話になっている先生の研究室に入ることができる。


「失礼します、サイフロスト先生」


 赤茶けたレンガで囲われた部屋。四つのすみにかがり火が一つずつともる。壁際のほとんどは銅の器物でうめつくされている。銅鐸や銅鏡。古代に使われていたという「銅貨」でいっぱいの銅のつぼ。銅の斧、剣、鎧など数えればきりがない。

 青緑色のさび「ろくしょう」におおわれたものと、さびずに赤い状態を保っている銅が半々。


 室内には書棚が一つだけある。七段の棚すべてに冊子と巻物が無造作に置かれている。虫食いはないものの、それらの紙は薄赤く変色している。

 意外と部屋の空気は悪くない。嫌なにおいもしない。


 天井には通気口があけられ、そこを介して学園長の「空調魔法」が利いている。おかげで室内の空気が良好な状態に保たれている。


 そんな部屋の中心に腰を下ろしているのが、サイフロスト先生。

 本名はメアラ・サイフロスト。

 若い女性に見えるが、実年齢は不明。


 髪はダークブラウンで、やや乱れた毛先をボブカットに切りそろえている。

 紫のローブを身にまとっており、すその下からは、ぶかぶかの黒靴下がのぞく。

 本人いわく、レンガのゆかに気持ちよく座りたくて厚着しているらしい。


 そして先生は、つばの広い黒のとんがり帽子をかぶっている。

 レンガの天井からときどき破片が落ちてくるので、落下物から身を守るべく、帽子のつばを伸ばしたそうだ。それだけではなく、とんがり帽子のなかには衝撃を吸収するためのクッションがつまっているという。


 そんなサイフロスト先生が、人形のように整った顔立ちをのぞかせ、緑の瞳で僕を見る。


「用件はわかっていますよ、アロンさん。巻紙魔法を見てもらいに来たのでしょう。余計なあいさつは要りませんから、すぐに使ってください。あ、いつも言っているとおり、わたしがゆかに座っているからといって君も無理にしゃがんだりする必要はないですからね」

「はい。では、青巻紙」


 僕はブリーフケースを片手に持ったまま、腰のベルトの巻紙の一つをひらき、白紙に浮かんだ「水」「滞空」の文字列をなぞる。

 字が青白く光る。透明な液体が空中に現れ、静止する。


 ゆかに座ったまま先生は、室内に浮かぶ水のかたまりを観察する。


「成長しましたね。巻紙をひらき、字をなぞり、それを魔法として発動させる。この一連の動きのスピードが入学時よりも格段に速くなっています」

「先生のアドバイスのおかげです。肩の力を抜いて指を動かす、巻紙だけではなく魔法の対象自体を意識する。それらに気を付けるだけで、巻紙魔法の精度が上がった気がします」

「成長したのはアロンさん自身です」


 それからサイフロスト先生は、赤巻紙と黄巻紙の調子も見てくれた。

 赤巻紙の字をなぞって僕は小さな火を出した。黄巻紙のほうでは、パチッと感じる程度の静電気を発生させるにとどめた。

 あらためて三つの巻紙を腰のベルトにくくりつける僕に、先生は拍手する。


「巻紙魔法全体が強化されたようですね。次に開催されるダカルオンでも、いいところまでいくと思います。もう公表されていることですが、次の優勝賞品は自分の存在を一瞬だけ抹消できる古代の魔法装置だそうですよ、興味ありません?」

「どうも僕には使い道が思い付きません」


 なんとなく僕は、壁に立てかけられた銅鏡の一つに目をやった。鏡はさびつき、なにも映していない。


「ただ、これからのために、僕はもっと巻紙魔法を高めたいんです。先生、ほかにアドバイスをいただけませんか」

「いい向上心です。そうですね」


 ここで先生は、クッションのつまったとんがり帽子を両手で揉み始めた。深く考えるときの先生のくせである。

 何回も帽子を揉んだあとに腕を下ろし、手をたたく。


「組み合わせるのは、どうです」


 そう言って、僕の腰の巻紙三つを順に指差す。


「赤・青・黄。せっかく三種類あるのですから、状況に応じて使い分けるだけでなく同時に発動させるのも手ではないでしょうか。アロンさんの負担は増えますが、それができるようになれば今よりもさらに君自身を極められるはずです」


 先生は、僕が見ていた銅鏡に手の平を向ける。

 すると銅鏡から青緑色のさびが落ちた。ぴかぴかになったそれが、僕の顔を映し出す。


「ファカルオンの校訓、復唱してください」

「はい、『君を極めろ』です」

「よろしい」


 サイフロスト先生はふんわりと微笑し、帽子のつばをくるくる回した。


「では、きょうは、ここまで。なんでもかんでも先生がアドバイスしては学生の力になりませんからね。そもそもアロンさんの巻紙魔法とわたしのろくしょう魔法は違うものです」

「はい、本当にきょうも、お世話になりました」

「忘れないでください。最終的に君を高めてくれるのは、他人ではなく君だけです」


 背後で音がする。振り返ると、青緑色のドアが沈んで廊下への道をあけていた。


* *


 サイフロスト先生のいる研究室棟をあとにした僕は、そこから南東に延びる砂利道を進んで、学園の教室棟に向かった。

 通常の授業は、この教室棟で実施される。


 教室棟は四階建て。壁の色はベージュ。

 上から見ると、建物は内部に穴を持つ正方形のかたちをしている。


 その穴の部分は噴水付きの中庭。外側より、ひとまわり小さい正方形である。

 きのうソーラ・クラレスは、僕と会う場所としてその中庭を指定した。


(彼女との約束は正午。まずは時間割どおり世界史と外国語を受けよう)


 ファカルオンにはクラスや学年の概念がない。したがってクラス専用の教室もない。

 事前に自分なりの時間割を組む。そのうえで、希望した授業が実施される教室に各自が移動する。


 世界史の教室は二階にある。そこには、すでに多くの学生がいた。やや広い部屋に、五十人ほどが集まっている。


 室内のゆかに、赤みがかったダークブラウンのカーペットが敷かれている。

 中央にはマホガニー製の教卓が置かれ、それを囲むように百近くの机が配置される。


 学生用の机と椅子もマホガニーで出来ている。椅子のクッションはカーペットと同じ色。そこに座ると、中央の教卓が目に入る。

 多くの先生は、その教卓の周りを歩きながら授業をおこなう。


 研究室と同じく教室内でも学園長の空調魔法が利いている。


 僕は席に着き、ブリーフケースからテキストと筆記用具を取り出し、ノートをとる。

 先生の話を聞くだけでなく、調べたことや考えたことを学生同士で発表し合い、意見を交換し、レポートにまとめる。一回の授業は、だいたいそれで終わる。


 学生たちが、次のような意見を出し合う。


 ――わたしにはレザウェルの革命が正しかったとは思えません。


 ――確かに彼は『魔法使いは血統が第一』という考えを崩壊させたがそれは同時に混乱も招いた。


 ――僕はこの革命についてクウァリファットの動乱との類似点を指摘したい。



 それは純粋な世界史だ。魔法に関わる出来事も関わらない出来事も歴史には登場する。

 学園ファカルオンは確かに魔法使いの教育機関。しかし学園長は入学式の日に、こう言った。


「立派な魔法使いになるには、むしろ魔法以外のことをしっかり学ばなければなりません」


 だから世界史や外国語、倫理学といった、魔法とは直接関係のない一般教養をファカルオンは重視する。


 そもそも魔法は、個人によってその性質に差がある。僕の巻紙魔法、ソーラのワープ魔法、寮長の水道魔法に学園長の空調魔法、サイフロスト先生の「ろくしょう」魔法などを例にとっても、それぞれ特徴が違いすぎる。

 一見、似ている魔法でも、運用方法や力の引き出し方、デメリットなどが異なる。


 よって一律に魔法を体系化して教えることは不可能。

 魔法の基礎の部分を確立させるのは、学校教育よりもむしろ家庭教育の領分であり、それをどう応用していくかは最終的に本人が模索するしかない。


 ただし一般的な授業しかないなら、僕たちはここに入学していない。

 学園には世界最高峰の魔法使いたちが所属し、研究員兼教師として働いている。学生はその人たちから、じかに自分の魔法を見てもらい、アドバイスを受けることができる。


 ファカルオンに入る一番のメリットは、ここにある。

 自分の担当教員から魔法の上達具合などを評価してもらうことでも、卒業単位の一部を取得できる。ほぼ必修のようなものだ。


 一般教養の授業と違い、時間割に組み込むものではない。担当教員の都合のつくときなら、いつでも魔法を見てもらえる。

 その時間は三分のときもあるし数時間のときもある。なかには一日中付き合ってくれる先生もいる。一時間できっちり終わる一般の授業とは、ずいぶん違う。



 きょうの世界史も時間どおりに終了した。

 僕はその教室から出て、外国語の授業が実施される階に移動する。


(四階だったか)


 ひとくちに外国語といっても、言語はいろいろある。この授業は、外国語全般の特徴をまとめたり、自分の知らない言語を使う人と出会ったときにどうするか考えたりするものだ。


 階段をのぼり、その教室に入る。ダークブラウンのゆかや中央の教卓といった内装は同じだが、世界史の教室よりも、ひとまわり小さい。

 机の数も四十ほど。学生の数は二十人に満たない。


 僕は窓際の席に座り、ダークブラウンのカーテンをあけ、外に目を移した。

 そこから黄土色の砂漠が見える。

 きのう、ソーラと僕が戦ったカディナ砂漠である。


 今、僕がいる教室棟と砂漠のあいだには、「閉鎖魔法」でおおわれた白い壁が設けられている。高さ三メートル、厚さ二メートルの壁が横長に続く。

 魔法のおかげで砂漠の砂は壁を越えることができず、こちらには飛んでこない。その閉鎖魔法も、学園に勤務する魔法使いによるものだ。


(正門から学園を見た場合、教室棟は敷地内のもっとも奥に位置する。そのさらに奥に砂漠があるわけだから、確かに裏庭みたいなものだ。ハフルも上手いことを言う)


 そして、ほおづえをついてカディナ砂漠の遠くを見る。


(僕はソーラを、ここから見える場所の、ずっと向こうに呼び出した。話を誰にも聞かれたくなかったから。なのに、このあと中庭で彼女と会っていいものか。まあソーラも考えなしじゃないと思うし、重大なことを人前でしゃべったりはしないだろう)


 そんなことをぼんやり考えながら外国語の授業を受けていた。

 先生は記録媒体を学園の図書館から持ってきて、外国語の音声を再生した。それは最新の魔法媒体で、黒い扇のかたちをしていた。ひらけば音が出る。


 こちらの授業の流れも世界史とほぼ同じ。学生同士で意見を交換する時間も設けられている。


 やはり、こんなことを話し合う。


 ――クウァリファット語は、ほかのどの言語とも文法の規則が違っている。


 ――でも単語自体は周辺諸国からの派生が多い。ところで君はどう思う。


 ――そうだな。似た言葉が反対の意味に使われる例もあるようだから注意すべきかも。



 僕はノートをとりながら、ほどほどに発言し、ほどほどに聞き役に徹していた。


(外国語の授業はちょうど正午の五分前まで。終わったらすぐ中庭におりよう)

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