第2話 羨望の裏、その実態


「な~つきぃ、今日もクラス委員の集まりとかないよね?」


 放課後。夏生はすぐにやってきた冴に捕まっていた。


 その光景はクラスメイトたちにとっても、とくに珍しいものではないのだろう。夏生の友人たちは、それぞれ部活や帰宅のために教室を出て行ってしまう。

 夏生と冴が幼馴染で、登下校はもちろん、学校でも、学校外でも、ふたりきりで過ごしていることは、もう周知の事実だから。


「う、うん。今日はなにもないよ」

「じゃ一緒に帰りますかぁ。あたしの部屋来るでしょ?」

「あ~ぅん、でもいいの? いつもお邪魔しちゃってるけど」

「なぁに遠慮してんの? 今更気にすることないじゃん」

「あはは、そうだよね」


 何気ない夏生の遠慮は、笑って流される。

 本来なら、今のようなことすら言わないように気を付けている夏生だが、最近はつい離れたいという気持ちが、口をついて出てしまうことが増えていた。


 普段の夏生は、話す言葉一つ一つに気を使い、冴の機嫌を損ねてしまわないように神経をとがらせている。

 今朝のように上機嫌でいてくれたらまだマシだが、機嫌が悪いときの冴は、文字通り人が変わるから。

 とにかく、今回の失言を冴が笑って流してくれたことに、夏生が密かに安堵していると、冴の友人がやってきた。


「さ~え、遊びいかん?」

「夏生も一緒に行くけど?」

「わかってるって、当然夏生くんも一緒で」


 冴は遊びにいくとき、必ず夏生も連れて行こうとする。それも今では、クラスの友人たちに、しっかりと浸透していた。

 冴に連れまわされ、女子だけの集まりに場違いな夏生が連れていかれることも、これまでに何度もあったから。


 はじめのうちは疑問を浮かべていた周りも、今では夏生がセットでついてくることに何も言わない。それはひとえに、冴の影響力の強さゆえにだろう。


 クラスの中でも上位の立ち位置にいる冴が、夏生を連れていくと言えば、誰もそれに意義を唱えることはなかった。

 女子たちの認識としては、よくて弟、悪くて子分とでも夏生は思われているのだろう。とにかく冴の付属品として、夏生の存在は受け入れられていた。


「で、どこ行くの?」

「まだ決めてないけど、てきとーに歌いにでも行く?」

「あ~、なら今日はパス。夏生そういうの苦手だから、今度夏生が委員会のときに行くわ」

「りょーかい。あんたってばホント面倒見いいよね」

「まぁね。夏生ってば、あたしがいないと家にも帰れないから」

「あはは! どんだけお子ちゃまだよ!」


 軽く笑われてしまう夏生。そんなことあるわけないと、本心では言いたかったが、それができない夏生は、愛想笑いでその場に溶け込むしかない。


「夏生くんも早く親離れしなきゃね?」

「そ、そうだね!」


 その返答をしたことは、夏生にとって本当に特別な意味はなく、ただの会話の流れだった。

 声をかけられたから、自然と同意しただけ。

 けれど、それが失敗だったと、夏生はすぐに理解することになる。


「ムリ無理! 夏生ってばあたしがいないとダメダメだから」


 まるで会話を断ち切るかのように、冴が間に入ってくる。

 そのとき、たしかに夏生は見たのだ。

 まるで笑っていない冴の瞳を。


「親離れなんて生意気~、この子は小さい頃からホント手がかかってねぇ」

「ふふ、マジのママになんなや。じゃうちら行くわ。また明日ね」

「じゃぁね~」


 表情だけは普段のままで、明るく友人に別れを告げる冴。

 その横で、夏生は必死に身体の震えを押さえていた。

 その場にふたりだけが残されて、しっかりと数秒後、


「そうだね、じゃねぇんだよ」


 周りには聞こえないような小さな声。

 先ほどまでの明るい声色とはまるで違う、別人のようなその声を、夏生だけが、はっきりと聞いたのだった。




 夏生と冴は幼馴染だ。

 幼い頃からお互いを知っていて、よく一緒に過ごしていた。

 当然、お互いの家も近い場所にあって、ふたりで帰ったあとは、冴の部屋で過ごす。それが長年、日々の積み重ねで身体に染みついた、当然の流れだった。

 今日もそれは例外ではない。夏生は黙って冴についていく。


 そうして学校を出てすぐのこと。

 あたりに生徒や通行人がいなくなり、この場にふたりきりになった途端、冴はその身に纏う空気を一変させた。


「持てよ」


 ボソッと聞こえたその一言に、夏生が返事をする暇もなく、顔面に向かってとんでくる鞄。

 夏生は顔面を強打しながらも、その鞄を必死に受け止める。

 万が一落としでもしたら、もっとひどい目に合うことになると知っているから。


 鞄を投げつけてきた冴は、苦悶の声をもらす夏生を一瞥もすることなく、無言でどんどんと進んで行ってしまう。

 夏生はそんな冴の背中を、小走りになって追いかける。

 グズグズしていると、どんなことを言われてしまうか怖かったから。


 明らかに機嫌の悪い冴に、夏生はびくびくとついて行く。

 こんなにも明白に居心地の悪い空間と、みるからにキレている相手。普通なら、自分から距離をとる人がほとんどだろう。誰だって好き好んで、こんな状況の中にいたいとは思わないだろうから。


 当然、夏生だってそうだ。けれど夏生には、冴から逃げ出すことができない。

 幼い頃から少しずつ、まるで調教されるかのように、夏生は逆らう気力を、冴に削り取られてきたから。

 だからどんなに理不尽なことをされても、どんなに気まずい空気でも、夏生は冴についていく。

 これ以上、冴の機嫌を悪い意味で刺激してしまわないように。

 夏生は、自分が下手なことをして、冴の機嫌をさらに悪化させてしまうことを、何よりも恐れていたから。


 それでも、そんな夏生の努力に、意味などまったくないのかもしれない。

 結局家に着くまで、不機嫌さをあらわにする冴が、一言も言葉を発することはなく、家に着いたところで、夏生が解放されることもないのだから。

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