第29話 星牙の休日

休日の朝。

アストラ学園都市の空は、いつになく穏やかだった。

街全体を包む結界の輝きが薄れ、

鳥のさえずりと風の音が心地よく響いている。


星宮星牙は、その日も早く目を覚ました。

習慣――というより、もう癖に近い。


顔を洗い、黒いジャケットに袖を通す。

鏡に映る自分と一瞬だけ目を合わせて、

小さく呟いた。


「……今日くらいは、静かであれ」


そうして彼は寮を出た。



学院都市の中央通り。

休日の生徒や市民でにぎわう通りを、

星牙はひとり歩いていた。


店の前では新作魔導具の宣伝が響く。

子どもたちは浮遊石の上で遊び、

魔導騎士の巡回がゆるやかに進む。


そんな中を、彼はただ、

“目立たないように”歩いていた。


(……こうして人の中にいると、少し違う世界みたいだ)


誰かが笑い、誰かが怒り、誰かが手をつなぐ。

自分には無縁の“当たり前”。

けれど、それを嫌いだとは思わなかった。



魔導具店の奥。

星牙は、静かにショーケースを覗き込む。

並ぶのは杖の核となる魔結晶や、

最新式の魔力制御リング。


「……古い型でも、意外と安定してるな」


独り言のように呟き、

魔力の流れを確かめるように手をかざす。

指先から、わずかに淡い光が漏れた。


店員が驚いたように振り向く前に、

星牙は小さく笑って手を引っ込めた。


「すまない。少し見ただけだ」


会釈して、店を出る。


その手の中には、

試しに買った一本の古い万年筆。

魔導具ではなく、ただの“筆記具”。


「……こういうのも、悪くない」



昼過ぎ。

街角の喫茶店「ルミナス・クロック」。

星牙はカウンター席に座り、

ミルクの少ないブラックをゆっくり口にした。


香ばしい苦味が広がり、

ほんの少しだけ、肩の力が抜ける。


「静かだな……」


周囲の会話が遠く聞こえる。

誰かの笑い声、カップを置く音。

そのすべてが心地よいBGMのようだった。


彼はノートを開き、

淡いインクで文字を綴る。


──**“力を持つ者は、何を見て、何を守るのか”**


(……答えは、まだ出ない)


書き終えたページを閉じると、

窓の外にふと目を向けた。

通りを歩く学生たちが、笑顔で語り合っている。

その中に、赤髪の少女の姿を一瞬だけ見た気がして、

星牙の指が止まる。


だが、次の瞬間にはもういなかった。


(……幻覚か)


ふっと息を吐き、コーヒーを飲み干す。



夕暮れ。

街の灯りがひとつ、またひとつと灯る。

星牙は帰り道、緩やかに傾く太陽を見上げた。


空の端には、わずかに輝く一番星。


「……あの日も、こうだったな」


言葉にするつもりはなかったのに、

口からこぼれた。


静かに目を閉じ、風を感じる。

頬を撫でる風は、どこか懐かしかった。


“神環者”として生きてきた日々。

命令と戦闘、孤独。

それが全てだった過去の自分が、

今こうして穏やかな時間を感じている――


(……悪くない)


ほんの少し、唇が緩んだ。



夜。

寮の部屋に戻り、窓を開ける。

見上げた夜空は、深く、遠く、静かだった。


ベッドの端に腰を下ろし、

買ったばかりの万年筆を手に取る。

少し迷ってから、ノートを開く。


一行だけ書いた。


“今日の空は、やけに綺麗だった。”


そして、ゆっくりペンを置く。


部屋に響くのは、時計の音と風の音。

その中で、星牙は小さく息を吐いた。


「……また、あの空を見に行くか」


夜風がカーテンを揺らし、

月光が彼の横顔を照らしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る