第18話 赤き証

 最初に違和感を覚えたのはギルベルトだった。

 法務庁舎の出入り記録を調べたが、イザベラという名は正式な研究員名簿に存在しなかった。


 アウレリウスもまた、研究所や市場で彼女と接触した使用人たちに話を聞き回った。

「聡明で、意志の強い女性だ」と誰もが口を揃える。

 だが彼女が語った故郷の地名を確かめてみると、地図のどこにも存在しなかった。


 さらに竜騎兵団が尾行した報告では、彼女が研究所を出た後に人目を避けるように道を変える姿が確認された。行き先は未だ掴めないが、素直な研究員の動きではない。


「……偽名かもしれない」

 アウレリウスの言葉に、ギルベルトも眉をひそめる。


 積み重なる違和感が、じわじわと輪郭を浮かび上がらせていく。

 偶然を装い、知性と美貌で人々の警戒を解き、標的の心を射抜く女。


「殿下に報告すべきでしょうか」

「いや」ギルベルトは低く首を振った。

「確証が得られるまでは待ちましょう。……だが必ず尻尾を掴む」


 中庭の夜風が、二人の会話をさらっていった。


◇◇◇


 夜のアルトフェン。港の方角からはまだ陽気な歌声が響いてくる。

 旧ローゼンタール邸の奥、執務室にアウレリウスとギルベルト、カールが集まっていた。


「……報告します」

 低い声で切り出したのはジークフリートだった。竜騎兵団の団長は、外套に夜露を纏ったまま、机の上に小さな布切れを置いた。


「先ほど、研究所からの帰路を尾行しました。彼女は人目のない裏通りで――かつらを外したのです」


 アウレリウスは思わず布切れを手に取った。

 光に透かすと、それはプラチナブロンドではなく、赤みを帯びた毛髪だった。


「……赤毛」

 珍しい色合い。侯国でもそう多くはない。だが、ただの染色や装飾ではなく、“隠すため”のかつらだった。


 ギルベルトが腕を組み、険しい声を落とす。

「殿下に近づくために髪を偽った。つまり、彼女は己の素顔を隠す覚悟で接触してきたということだ」


 アウレリウスの胸の奥に冷たいものが走る。

(エドは……彼女に心を動かしている。だが、その彼女は虚飾に包まれた存在だ)


◇◇◇


「殿下には?」

 カールの問いに、ギルベルトは即座に首を振った。

「まだだ。確証を得たのは今夜が初めてだ。だが……アウル殿、君の観察が要だ。彼女が何を求め、どこへ繋がっているのか。追うしかない」


 アウレリウスはゆっくりと頷いた。

「……承知しました」


 手の中の赤毛が、不気味に重く感じられた。

 その瞬間から、ただの偶然の出会いは「仕組まれた接触」へと変わる。

 エドワードの恋は、甘い夢ではなく――いつ醒めてもおかしくない、危うい幻影だった。

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