第3話 聞き込みと信頼
次の日、木曜日の放課後、ゆいは重い足取りでいつもの帰り道を歩いていた。
昨日あった信じがたい出来事が、何度も何度も脳裏で反芻され、心を深く沈ませていた。
「お巡りさんが目の前で消えるなんて、そんなこと、誰が信じてくれるっていうの……」
独りごちた言葉は、アスファルトに吸い込まれて消えた。変わらない日常風景の中に、自分だけが置き去りにされたような孤独感。その時、少し先の路地で、見覚えのある人物が立ち話しているのが見えた。安立刑事だ。彼は年配の主婦らしき女性と、何かを熱心に話しているようだった。
「あら、刑事さん、ご苦労様ね。最近は物騒な事件ばかりで、ほんと困っちゃうわ」
主婦の声が、風に乗って微かにゆいの耳に届く。安立刑事は困ったように相槌を打ちながら、質問を続けた。
「ええ、そうですね。最近、この辺りで何か変わったこととか、不審な人物を見かけたりしませんでしたか?」
主婦は腕を組み、記憶を辿るように天井を見上げた。
「あら、特にないわねえ。でも、最近、あそこの空き地でボランティアの若い人たちが集まってるって噂は聞いたわ。なんでも、『ダアマン教団』とかいう団体らしいけど、ボランティアなんて今時偉いわよねぇ」
ゆいは思わず足を止めた。ダアマン教団。先生が言っていた人達だ。
「それに、最近は変な通り魔もいるって。黄色いレインコートを着てるんだって。うちの子も夜道は一人で歩かせられないし、本当に困るわぁ」
主婦はそう言って、心底うんざりしたような顔をした。安立刑事は真剣な表情で頷き、手帳に何かを書き留めた。
「なるほど、ありがとうございます。何か気になることがあれば、またご連絡ください」
「ええ、そうさせてもらうわ。お礼はちゃんとしてくれるんでしょうね?」
主婦のどこか計算めいた言葉に、安立刑事は苦笑いを浮かべながら、深々と頭を下げて主婦と別れた。
そして、ふと顔を上げた安立刑事の視線が、ゆいを捉えた。彼はまっすぐこちらへ歩いてくる。ゆいは、どうしていいかわからず、その場に立ち尽くした。
「やあ、ゆいちゃん。こんなところで会うとは奇遇だね」
安立刑事の穏やかな声に、ゆいはようやく「安立刑事」とつぶやいた。
「昨日は色々と大変だったね」
気遣うような言葉に、ゆいは小さく首をすくめた。
「はい、その、ご迷惑をおかけして、すみませんでした」
「いや、迷惑なんて、そんなことはないよ」
安立刑事は軽く手を振ると、ゆいの顔色を伺うように目を細めた。
「ちょうど聞き込みが終わったところだし、少し休憩でもどうかな。君の顔色もあまり良くないみたいだし」
「でも……」
遠慮しようとするゆいに、安立刑事はにこやかに言った。
「いいからいいから。僕が奢るよ。何か飲みたいものはあるかい? 僕はいつもの缶コーヒーでいいんだけど」
安立刑事の、少し強引だけど優しい言葉に、ゆいは戸惑いながらも小さく頷いた。
「じゃあ……コーンポタージュで」
「コーンポタージュか、若いのに渋いねえ」
安立刑事は面白そうに笑うと、近くの自動販売機に足を向けた。安立刑事は財布を取り出して、小銭を入れ、ガシャンと音がした後、温かいコーンポタージュの缶をゆいに手渡してくれた。温かい缶の感触が、冷え切った手にじんわりと伝わってくる。安立刑事は昨日のことを信じてはいないだろう。それでも、こうして気遣ってくれることに、ゆいの心は少しだけ軽くなった。
「それで、昨日のことなんだけどさ」
安立刑事は缶コーヒーのプルタブを開けながら、真剣な眼差しでゆいを見つめた。
「君が言ってた通り魔のことや、警察官が消えたっていう話……」
ゆいの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
「……やっぱり、信じてもらえませんか」
ゆいの声は、自分でもわかるほど震えていた。
安立刑事は一度言葉を切り、ゆっくりと息を吐いた。
「いや、まあ、正直なところ、常識で考えたらかなり難しい話ではあるね」
やはりそうか、とゆいは目を伏せた。だが、安立刑事の言葉はそこで終わらなかった。
「でも、僕もね、君の話を完全に幻覚だとは思えないんだ」
「長年の刑事の侃の日、木曜日の放課後、ゆいは重い足取りでいつもの帰り道を歩いていた。
昨日あった信じがたい出来事が、何度も何度も脳裏で反芻され、心を深く沈ませていた。
「お巡りさんが目の前で消えるなんて、そんなこと、誰が信じてくれるっていうの……」
独りごちた言葉は、アスファルトに吸い込まれて消えた。変わらない日常風景の中に、自分だけが置き去りにされたような孤独感。その時、少し先の路地で、見覚えのある人物が立ち話しているのが見えた。安立刑事だ。彼は年配の主婦らしき女性と、何かを熱心に話しているようだった。
「あら、刑事さん、ご苦労様ね。最近は物騒な事件ばかりで、ほんと困っちゃうわ」
主婦の声が、風に乗って微かにゆいの耳に届く。安立刑事は困ったように相槌を打ちながら、質問を続けた。
「ええ、そうですね。最近、この辺りで何か変わったこととか、不審な人物を見かけたりしませんでしたか?」
主婦は腕を組み、記憶を辿るように天井を見上げた。
「あら、特にないわねえ。でも、最近、あそこの空き地でボランティアの若い人たちが集まってるって噂は聞いたわ。なんでも、『ダアマン教団』とかいう団体らしいけど、ボランティアなんて今時偉いわよねぇ」
ゆいは思わず足を止めた。ダアマン教団。先生が言っていた人達だ。
「それに、最近は変な通り魔もいるって。黄色いレインコートを着てるんだって。うちの子も夜道は一人で歩かせられないし、本当に困るわぁ」
主婦はそう言って、心底うんざりしたような顔をした。安立刑事は真剣な表情で頷き、手帳に何かを書き留めた。
「なるほど、ありがとうございます。何か気になることがあれば、またご連絡ください」
「ええ、そうさせてもらうわ。お礼はちゃんとしてくれるんでしょうね?」
主婦のどこか計算めいた言葉に、安立刑事は苦笑いを浮かべながら、深々と頭を下げて主婦と別れた。
そして、ふと顔を上げた安立刑事の視線が、ゆいを捉えた。彼はまっすぐこちらへ歩いてくる。ゆいは、どうしていいかわからず、その場に立ち尽くした。
「やあ、ゆいちゃん。こんなところで会うとは奇遇だね」
安立刑事の穏やかな声に、ゆいはようやく「安立刑事」とつぶやいた。
「昨日は色々と大変だったね」
気遣うような言葉に、ゆいは小さく首をすくめた。
「はい、その、ご迷惑をおかけして、すみませんでした」
「いや、迷惑なんて、そんなことはないよ」
安立刑事は軽く手を振ると、ゆいの顔色を伺うように目を細めた。
「ちょうど聞き込みが終わったところだし、少し休憩でもどうかな。君の顔色もあまり良くないみたいだし」
「でも……」
遠慮しようとするゆいに、安立刑事はにこやかに言った。
「いいからいいから。僕が奢るよ。何か飲みたいものはあるかい? 僕はいつもの缶コーヒーでいいんだけど」
安立刑事の、少し強引だけど優しい言葉に、ゆいは戸惑いながらも小さく頷いた。
「じゃあ……コーンポタージュで」
「コーンポタージュか、若いのに渋いねえ」
安立刑事は面白そうに笑うと、近くの自動販売機に足を向けた。安立刑事は財布を取り出して、小銭を入れ、ガシャンと音がした後、温かいコーンポタージュの缶をゆいに手渡してくれた。温かい缶の感触が、冷え切った手にじんわりと伝わってくる。安立刑事は昨日のことを信じてはいないだろう。それでも、こうして気遣ってくれることに、ゆいの心は少しだけ軽くなった。
「それで、昨日のことなんだけどさ」
安立刑事は缶コーヒーのプルタブを開けながら、真剣な眼差しでゆいを見つめた。
「君が言ってた女の通り魔のことや、警察官が消えたっていう話……」
ゆいの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
「……やっぱり、信じてもらえませんか」
ゆいの声は、自分でもわかるほど震えていた。
安立刑事は一度言葉を切り、ゆっくりと息を吐いた。
「いや、まあ、正直なところ、常識で考えたらかなり難しい話ではあるね」
やはりそうか、とゆいは目を伏せた。だが、安立刑事の言葉はそこで終わらなかった。
「でも、僕もね、君の話を完全に幻覚だとは思えないんだ」
「刑事の勘ってやつかな」
顔を上げると、安立刑事の目は、真っ直ぐにゆいを見据えていた。それは、決して憐憫や同情の目ではなかった。
「君が見たものがもし本当にあったのなら、それをなかったことにするのは、刑事として僕の主義に反するしね」
その言葉の重みに、ゆいは思わず息をのんだ。信じてはもらえないかもしれない。それでも、この人は、真実を追おうとしてくれている。
「だからさ、もし君が望むのなら……昨日の警察官が消えた件を、僕なりにもう一度調査してみるよ」
安立刑事のまっすぐな瞳に宿る強い意志に、ゆいはただ、静かに頷いた。
「あと何かあったら、すぐに僕に連絡してくれ。君は先週起きた刺傷事件の目撃者でもあるし、用心に越したことはない」
安立刑事はそういうと携帯の電話番号が書かれた名刺を手渡してきた。彼の言葉が、ゆいの心に微かな光を灯した。
また、水曜日が来る。あの恐怖は、また来るのかもしれない。それでも、もう一人じゃない。少し安堵した気持ちが、ゆいの胸にじんわりと広がっていくのだった。
水曜日の通り魔 アナザーストーリー キリ子ゲームズ開発 @yuutarikirikosan
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