第2話 演説

「現生人類、ホモ・サピエンス・サピエンスの諸君!」


休日の駅前広場。

聞きなれない単語に道行く人が振り向き、待ち合わせしている人も手元のスマートデバイスから顔を上げる。

若い男が「聴衆」を見渡している。若者に顔を向けた「聴衆」は、目を合わせまいと慌てて視線を戻す。


関心を引いたことを確認すると、若者は演説を再開する。


「現生人類、ホモ・サピエンス・サピエンスの諸君」


若者は再度言葉を繰り返すと、広場にいる人を見回す。


「今はまさに、人類進化の分岐点なのです。今こそ、立ち上がるべき時なのです」


若者を横目に見ながら歩く通行人。

「サピエンスって2回いった?」

「こいつ、この前ショッピングモールで見かけたよ」

「なんなのこいつ?」


「聴衆」の反応を気にすることなく、若者は演説を続ける。


「今、人類はどのような状況にあるのか」

両腕を広げる若者。


「本年3月、地球外に居住する人類がついに10万人を突破しました」

表情を曇らせ、下を向くと頭を横に振る。


「更に、地球外で生まれる子供が年間100名を超え、今も増え続けているのです」

そういうと再度両腕を広げる。


「このような状況が続くと、いったい人類はどうなってしまうのか。皆さん、考えたことはありますか」


若者は周りを見回す。

何人かの「聴衆」がスマートデバイスのレンズを向けている。話の展開に興味をもち、若者に注目する者も増えてきた。


「ここから、人類という種の分岐が始まるのです」


演説の反応を確認するように聴衆を見回す若者。


「はあ?」

「おいおい」

「種の分岐って...」

「いったい何千年先の話だよ」

「いや、万とか10万年単位は必要だろ」

「やべっ、目があった」


若者は、関心を惹いたことにほくそ笑むと、話を再開する。


「地球と全く異なる環境に隔絶した人類は、疑う余地なく我々現世人類とは異なる種に分岐するのです」

そういうと両腕を広げる。


「更に、宇宙に進出した人類は、間違いなく、進化した人類だと主張し始めます」

空を指さす若者。


「そして、我々地球人類を見下すようになるのです」

言葉を止め、聴衆を見回す。


「我々地球人との間に対立が生まれ、やがて戦いが始まるのです」

握りしめた右手のこぶしで何かをたたくようなしぐさをする若者。


「え?」

「いやいやいや」

「別の種だから戦うって短絡すぎだろ」

「今から心配しても...」

「やべえやつじゃねえか」

「映画かなにかの宣伝?」


聴衆の言葉に反応することなく演説を続ける。


「皆さん、そのような未来を望むのですか。人類の歴史にとって暗黒の時代が始まろうとしているのです」

反応を見るようにゆっくりと聴衆を見る若者。


「私には見えるのです。それを食い止めるのは今しかありません。今がその分岐点なのです。人類進化の分岐点なのです」

こぶしを握りしめる若者。額には汗が浮かんでいる。


「さすがに飛躍しすぎ」

「仮定の上に仮定を重ねられてもなー」

「だからどうしろと」

「10万年後を今から心配してもな」


ほほ笑みながら若者は演説を続ける。

「今この時代に生きる我々地球人類は、人類の対立を生む暗黒時代の到来を食い止めねばなりません」


「それは、今、この時代に生きる、我々の、使命なのです!」


カメラを向ける聴衆が増えている。

男はカメラ目線で微笑みかける。


「軌道エレベーターの建設に向けた法案が今、国会で可決されようとしています」

男は空を指さす。


「このようなものができると、人類の宇宙進出は更に加速するでしょう。

人類の未来を守るため、何としてでも食い止めねばなりません。

人類の宇宙進出に反対する署名活動に協力を!」


「は?」

「なんだよ」

「政治団体?」

「NGOとか?」

「まじめに聞いて損したわ」

「こういうのも右翼?」

「反対してるんだから左翼じゃね?」


興味を失った「聴衆」が解散し始める。


時間をあけて演説を三回繰り返すと、期待を込めてあたりを見回すが署名に協力しようというものは誰もいない。

若者は落胆するでもなく、手に持った携帯端末を淡々と水色の鞄にしまい立ち去ろうとする。


「こんにちは」


男が若者に近づき声をかける。

署名か冷やかしのどちらだろうと、期待半分の表情で若者が顔を向ける。


「興味深い演説でした」


笑みを浮かべているが、目付きの鋭い痩せた中年の男性が立っている。

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