第22話 王子の寵愛

「え、えぇっ⁉ なんで勝手に入ってくるんですか!」


 ミスティアはお湯の中に急いで身を深く沈めた。


「何度も声をかけたぞ。いくら待っても返事がないから、湯当たりでもしたのかと心配になって様子を見に来たんだぞ」

「こっちは裸なんですよ!」

「じゃあ、俺も裸になればいいか?」

「そういう問題じゃありません!」

「そうか? もうとっくに外の者には誤解されていると思うぞ」


 ヴィトーは意味深に視線を風呂の外に投げかける。控えている従者はもちろん王子が婚約者に会いに行くことを止められるわけがない。


「いいから出てってください!」

「湯が白いから裸は見えんから安心しろ」とヴィトーは許可もなく風呂の端に腰かける。

「そういう問題じゃありません!」

「だが内緒話をするには、誰もいないここが一番だろう」


 見えないことと自分が裸である恥ずかしさは別問題だ。その心細さを承知した上でヴィトーはミスティアに背を向けている。

「なんです、内緒話って……」


 ミスティアは顎まで湯に浸かりながら、油断なく王子の背中を睨む。


「晩餐会におまえも出ろ」

「はい?」


 素っ頓狂な声を上げてしまう。


「ドレス一式は用意してあるから、それを着ればいい。心配するな」

「なんで私が参加しないといけないんですか?」

「俺の婚約者だからだ」

「いや、それ噓でしょう」

「ここで顔見せをしておけば城内も好きに歩けるようになるし、体面の問題もある」

「ッ! 長居をするつもりありません!」


 ミスティアはついムキになる。


「だが、情報はすぐに集まらんなんぞ。時間はそれなりに必要だ。それまでの間どうするつもりだ? まさか部屋にずっと引きこもるのか?」

「魔女を賓客扱いする王子の神経の方が信じられません。街に降りて宿でもとりますよ」

「それは俺が困る。修行ができない」


 ヴィトーは大真面目な顔をしている。


「もうアンヴェイルは最低限使えるようになりました。おめでとう、卒業です」


 早口気味でおざなりな終了宣言。


「いや、あの森を切り拓くような一撃が自まだ力で出せていない」

「私が教えるといったのは基礎までです! それ以上のことは禁じます!」

「もしもまたドラゴンが出た時のために、あれを使いこなせるようになっておきたいんだ。この王国に聖剣がない以上、アンヴェイルのような力は備えておきたい」

「⁉ バカじゃないですか!」


 風呂場に響き渡るほど叱責だった。


「ほら、あなたはもう力に溺れている。私が指導を引き受けたのは、あなたに巣食う呪いを解くためです。モンスターと積極的に戦わせるためではありません」

「魔は魔を呼ぶ」


 その戒めを今度はヴィトーが口にする。


「学んだからこそわかるんだ。魔力を知覚できるようになって、少しずつ世界の見え方が変わってきた。鉄の剣を振るうだけでは守れないものがある。壊魔剣アンヴェイルのような魔法がなければ太刀打ちできない脅威がいるする以上、王となる俺は備えなければならない」

「この国にはモンスターがいないでしょう。不要です!」


 ミスティアはヴィトーの言葉を戯言として耳を貸さない。


「魔女はおとぎ話の存在じゃない。ここにこうして本物もいる。モンスターも同じだ」


 可能性はゼロではない。

 ミスティアに出会わなければ、ヴィトー・ラザフォードの潜在能力は開花しなかった。

 魔は魔を呼ぶことも、悪いことばかりではない。

 魔女によって、ヴィトーの壊魔剣アンヴェイルは発見されたのだ。


「俺の治世には出なくても、孫やその先の子孫たちの前にモンスターが現れるかもしれないだろう。ただの剣や矢では戦えない凶悪なものだ。代々受け継がれた聖剣が失われた以上、新たな対抗手段を用意してやらねばならない。おまえから教わった知識を、技術を、この血に宿る力をもって壊魔剣アンヴェイルを未来にまで遺すのが俺の義務だ」


 ヴィトーは未来を見ていた。

 自分の人生ですら誰かに明け渡すための繋ぎでしかない。

 自分だけの剣が欲しいと言っていた我欲すら取るに足らない。

 彼が真に剣に飢えているのは、未来を守るためだ。


「あなたは本物の剣飢えですね」

「変えられるものなら変わりたいさ」


 ヴィトーもまた己の定めをもはや受け入れていた。


「なぁ、ミスティア。俺は王位を継いだら、真っ先に魔女狩りを止めさせるぞ」

「え?」

「父上は間違っている。過ちは俺の手で断ち切る。それが魔女として殺された母上への弔い。目の前で助けられなかった俺の罪滅ぼしだ」

「あなたは子どもだったんでしょう。抱えこまないで」

「それでも、こんな悲劇の連鎖はもうたくさんだ」


 静かで力強い決意だった。

 この旅を通じて、ヴィトーが王としてなすべきことを見出した。


「王様を批判するなんて内緒話、ここでしかできないですね」

「あぁ。魔女狩りを止めれば、おまえの新しい居場所もできる」


 その言葉をどう受け取ればいいのだろうか。

 上手く反応できず戸惑っている間に、ヴィトーは言葉を紡ぐ。


「おまえと出会って、俺はよくよく魔法の価値を理解した。正しく使うにはこれからもおまえが必要だ」

「私は、三大厄災具を破壊するまで旅を終われません」


 自分では強く言ったつもりだった。

 だが、動揺は思いの外強かったらしく声が震えていた。


「コルレア王国を拠点にして探せばいいさ。それが俺にとってもおまえにとっても最善の選択だ」

「私は、こんな王宮暮らしができるような女ではありません」


「それはミスティア自身が、ヲウスの魔女だからか?」


「──なッ⁉」


 息が止まるかと思った。

 顔を上げると、ヴィトーもいつの間にかこちらを見ていた。

王子は曇りなき眼で真実を射抜いていた。

 彼は魔女の抱える秘密を知った上で、先に自らの望みを口にした。


「どうしてそう思ったのですか?」


 ミスティアは裸よりも知られたくないことを暴かれた気分だ。

 もはや羞恥心など湯煙と一緒に消えてしまい、沙汰を待つ罪人のような心地だった。


「三大厄災具について語るおまえは、まるで自分の罪であるかのように苦しそうだ」


 そう思ったのはやはりヴィトーの直観だ。

 だが、ヒントとなる心当たりはいくつもあった。


 王都へ向かう馬車の中、彼女が杖を直している姿を見ていた。

 素人目に見ても、凝った細工を施した杖を魔女はそもそも自作できるものなのだろうか? それほどの特殊技能があるなら、三大厄災具と呼ばれるような魔道具の作成も可能なのではないか、という疑問。


 あるいは創作者なら無葬剣フェイタルという剣の名前を知っていて当然という納得。


 もちろん、古い書物を調べれば判明するかもしれないが、長く旅をしていながら情報を求める彼女は既に八方塞がりの様子に見えた。


 どれもヴィトーの想像だ。

 穴だらけの推理を飛び越して断言できたのはヴィトーがひとえにミスティアを見つめてきた結果だ。


「……迂闊でしたね」

「取り返しのつかない痛みは理解できる。同じ傷を抱えているから共感したんだろう」

「王子が魔女に心を寄せてはダメでしょう」


 ミスティアは覇気なく呟く。


「罰が欲しいなら俺が好きなだけくれてやる。おまえを決して逃がさない。生涯をかけて俺がおまえを捕えておく」


 ヴィトーは服を着たまま風呂に入ってくる。


「どこまでも強引な人ですね」

「出会った時から殺し合った仲だろう。安心しろ、今は丸腰だ」

「そんな風には見えませんけど」

「不安なら確かめてみろ」

「とりあえず風呂に服を着たまま入らないでください」

「なら、裸の魔女の正しい扱い方も新しく伝授してもらおうか」

「必要ありません。ぶっつけ本番で勝つのがあなたでしょう」

「あぁ、危ない時ほど燃えるんだ」

「私は穏やかな方が好きです」

「そうか? 挑発しているようにしか見えないが」

「淫乱な魔女はごく一部ですよ」

「じゃあ、おまえは違うと証明してみせろ」


 ヴィトーの強引さは今に始まったことではなかった。

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