第15話 剣が壊れない安心感
「王子があの女に骨抜きにされている」
サムは主であるヴィトーの変わりように大いに嘆いた。
その横で焚火の炎を見つめながら、ヴィトーは聞き流す。
ヴィトーの過度な訓練に業を煮やしたミスティアから、今日は朝から丸一日を休養にあてるように申し渡されていた。
『魔法で体力回復させればいいだろう?』
『却下です。あなたの場合、心を休める時間の方が重要です。今日一日はアンヴェイルの使用を禁じます。私もあなたの訓練に付き合わされて、杖の修理が遅れているのですから』
師匠の命令は絶対です、と口を酸っぱくして言われてしまう。
疲労が溜まっていたのも事実だったので、ヴィトーも大人しく従う。
一行は王都まで目と鼻の先というところまで辿り着いた。
今宵は久しぶりにサムと焚火を囲みながらゆっくりとした時間を過ごす。
目下サムの頭痛の種はもちろんミスティアとの関係についてだ。
ここまでの道中、ヴィトーは休憩のたびにミスティアを連れ立って姿を消していた。
実際にはサムが想像するようなことはなく、すべての時間は壊魔剣アンヴェイルを使いこなすための修行に費やされていた。剣の作法を習い始めた時と同じような純粋さ、ひたむきさ、新鮮な情熱でヴィトーは新しい技術の習得に励んだ。
楽しいと感じられたのは最初の一瞬だけ。
第一段階。
未知の剣を融通無碍にコントロールするまで非常に地道な訓練が続く。
旅の序盤は剣の形を維持することにさえ苦戦。一撃で剣の形状が崩れ、あるいは歪み、不安定な状態が続いていた。あるいは剣の長さが極端に長くなったり、太くなったり、短くなったり、魔力量の多さゆえに広範囲に膨張して冷や汗を流すような危険な瞬間も何度もあった。
ここまで無傷で生きているのが奇跡に等しい。
第二段階。
ミスティアが新たなに用意した魔力の塊である訓練用デコイを相手により壊魔剣アンヴェイルによる実戦的な動きを学んでいく。
ところが一撃加えるどころかわずかな衝撃を受けただけで光剣はあっさり消失してしまう。
例によって赤い閃光が手元で爆散。
ただし、これまで実剣を砕いていた時と違って、大量の魔力がこめられているせいで反動は段違いに大きい。
それでも消えては何度も剣を顕現して、ひたむきに同じことを繰り返す。
魔力放出を一定に抑えるために自身の感覚を鋭敏にして、その状態にひたすら慣れていく。
日中の休憩だけでは足りず、夕飯後も夜遅くまで修行に明け暮れる。
途中からはミスティア抜きでも壊魔剣アンヴェイルと向き合う。
第三段階。
剣の出力が安定した状態で動けるようになると、ミスティアの魔法による攻撃への実戦的な訓練に移っていく。
魔女やモンスターを想定した戦いは、これまで命を晒すような無茶な戦いに慣れていたはずのヴィトーでさえ肝を冷やした。
ミスティアの指導は厳しい。決して手を緩めることはなかった。
人生でこんなに苦戦することは優秀なヴィトー・ラザフォードにとって初めての経験。
それでもヴィトーにとっては辛くはない。
ひとつの剣を、自分が疲れ果てるまで、好きなだけ振り続けられる。
──剣が壊れない安心感はこの上ない幸せだった。
「サム、おまえが心配するようなことは何もないよ」
「当たり前です。いきなり子どもができたなんて言われた日には、ヴィトー様の監督役として王様に申し開きが立ちません」
サムは渋面をつくって遺憾の意を示す。
「こう見えて物事の順番は守る方だぞ」
「けど、ずいぶんと痩せました」
意識的な魔力の消費は鍛えていた心身さえも大いに削った。
「太っているよりマシだろう。馬車に乗っているだけでは退屈なんだ」
「気に入らないのは、ヴィトー様の表情が以前より確実に明るくなっていることです」
「……そんな違うか?」
思わぬ指摘に、ヴィトーは面を喰らった。
「えぇ、あなたの友として断言します。ヴィトー様がどのような女性に心を開こうと構いませぬが、優先順位だけは間違えないでください。あのミスティアなる女はあくまでも遊び相手に留めておくように」
サムはこれ見よがしに釘を刺す。
「心配するな。自分の立場を忘れたことは一日たりともない」
忘れられるものなら忘れたかった。
王子であることも、母の死も父への復讐もすべて投げ捨てられるならヴィトー・ラザフォードはもっと心穏やかに生きられるのだろう。
悲しいかな、ヴィトーは王宮という場所に縛られている実感は尽きない。やがて収まる玉座を意識しない日はなく、故郷を離れることはあっても捨てるという発想はできなかった。
結局のところ幼い頃より剣を夢中で振るのは、いわば彼にとって一種の逃避だ。
王子でありながら類稀なる戦いの才能にも恵まれていたところがヴィトー・ラザフォードの不幸でもある。
己が喜びを感じることを知りながら、違う生き方から逃れられない。
「その根っこの生真面目さだけが、あなたに対する最低限の信頼材料であることはご承知しておいてください」
「おまえも面倒な主に仕えて苦労するな」
ヴィトーは他人事のように言ってのける。
「えぇ。あなたは昔から従順なふりをして、肝心なところでは無理を押し通す。初めて大量の剣を戦いに持ちこんだ時も、私に内緒で商人に手を回したりして」
その恨み節を聞き飽きて、ヴィトーも苦笑しかでない。
事あるごとに古い話を引き合いに出しては、愚痴るのはサムの悪いところだ。
「相談すれば反対しただろう?」
「私は御身の安全を守る命令を王様から直々に下されているのです。王子が命の危機に瀕しないように、私を筆頭に精鋭の騎士が従軍しているというのに!」
「おまえたちは我が王国の民だ。王子である俺が仲間を守るために先陣を斬って戦うのは当然じゃないか」
「良いことを言ってはぐらかさないでください! あなたが死んだ元も子もないでしょう!」
「演説の上手さは為政者に不可欠だろう」
法律で縛り、命令で強いるより、言葉による説得、自らの行動を示した方が人はやる気を出す。将であるヴィトーはそれをよくよく心得ていた。
「そうして王子の我がままに何度も騙されました」
「俺が戦ったおかげで何度も窮地を救っただろう」
ヴィトーは恩着せがましく言い放つ。
「──指揮官であるあなたが戦場で一番実力者であることが我が軍最大の弱点です」
今なお変えることのできない現状に、サムは苦虫を嚙み潰したような表情になる。
時々刻々と戦況が移り変わる中で、大量に剣を使い潰すことでしか戦えないという致命的な欠点があってなおヴィトーの存在は何物でも代えがたい。
一騎当千とも呼ぶべき圧倒的な突破力。
なにより未来の王が先陣を切って戦う姿は、仲間を否応なく鼓舞する。
その信頼と尊敬こそがヴィトーを将軍に置く軍の強さの源泉だ。
「気苦労の多い副官だな。おまえとて未来の騎士団長だろう」
サム・ダニエルの父親は王国の栄えある騎士団長として長年働いてきた。その長男であるサムもまた次の王であるヴィトーの右腕となるように厳しい訓練に耐えてきた。
「幼き日より共に学び鍛えた日々がなければこんな損な役回り、御免被ります」
「懐かしいな」
「あなたは訓練用の木剣ですら小枝のごとく砕くのですから、まともな練習相手にはなりませんでしたよ」
「今なら違うかもな。よし、試してみよう。久しぶりに決闘だ」
魔力のコントロールを覚えつつある今ならヴィトーは、剣を砕かずに戦えるかもしれない。
ヴィトーは思い立って、腰を上げた。
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