第30話 暴かれる奥の手

 一方その頃、ディライトとスティレオの戦場は、辺り一帯を荒廃に変えるほど戦火を広げていた。

 瓦礫と化した建物群の前に、もはや野次馬の姿はひとつもない。


 廃屋を突き破って現れた巨人化した魔法生物が、咆哮とともに巨腕を振り下ろす。

 破壊の権化とも言うべき一撃。だがディライトは、避けもせず片手を差し出した。


 卓越した魔力強化をもってすれば、巨人の拳など造作もなく受け止められる。

 ――だが、今回は違った。


「あれ? 通るね――急ごしらえになってんじゃないの!」


 その瞬間、ディライトの身体から鏡面のような“もう1つの巨腕”が突き出し、巨人自身を殴り返した。

 ディライトの固有魔術――【反触ノ域ドンタッチミー】。

 魔力を欠いた接触は、この術式が許さない。触れた瞬間、必ず反射されるのだ。

 巨人は、自らの拳を喰らった衝撃にたたらを踏み、体勢を崩す。

 なおも間違いを疑うように右脚で蹴りを放つが、結果は同じ。

 跳ね返った衝撃が自らの脚を挫き、巨躯は建物を巻き込みながら地へと沈んだ。

 隙を逃さぬディライトは、大きく跳躍し、巨人の顔面へと渾身の拳を叩き込む。

 強化された拳が果実のように顔を潰し、地鳴りのような轟音が広がった。

 

「やはり、粗末な素体では有象無象だな……」

 

 その光景を物陰から見ていたスティレオの額に、冷たい汗が一筋流れ落ちる。

 先ほどの巨人は、とある一家を素材に無理やり寄せ集めた急造の魔法生物――ディライトの言葉通り、肉塊を縫い合わせただけの欠陥品だった。

 魔力を欠いたそれは、どれほど巨体でも烏合の衆にすぎない。

 周囲に広がるのは、瓦礫に沈む街並みと、幾重にも折り重なる魔法生物の死骸。

 次の手を探ろうとしたその瞬間、影がスティレオを覆った。


「隠れてんなよ」

「なっ――ぐあッ!!」


 いつの間にか、背後の瓦礫の上にディライトが立っていた。

 気づいた時にはもう遅い。退避しようと身を翻したスティレオに、渾身の拳が叩き込まれる。

 瓦礫ごと吹き飛ばされ、転がるスティレオ。しかし、追撃を恐れて必死に立ち上がった。

 だが、左腕は不自然な角度に折れ曲がり、吐き出した血が地を染める。

 その姿は、満身創痍そのものだった。

 

「ハッ……ハッ、化け物め……!」

「その化け物を起こしたのはそっちでしょ。さっさと降参したら? ま、殴るけど」

「だがッ――」


 荒く息を吐き、折れた左腕を押さえながらも、スティレオの瞳にはなおも炎が宿っていた。

 ディライトが訝しげに目を細めた瞬間、スティレオの全身から魔力の奔流が噴き上がり、空気が震える。

 次の刹那、戦場の空間を埋め尽くすように、無数の光球が浮かび上がった。

 ひとつひとつが黒く濁った光を宿し、内側には灼けつくような魔力が渦巻いている。

 圧迫感に満ちた光景の中で、スティレオは血を吐きながらも、口元に残忍な笑みを刻んだ。


「――やはり“巨災狩り”、噂に違わぬ実力だ。誇るがいい、その両手を血に染めてきた数を」

「お前――」


 周囲を浮遊する光球が、不気味に脈動した。

 それはただの魔力の塊ではない。スティレオの魔法――死者の魂を強引に魔力へと変換し、怨嗟と共に形を与えられたもの。

 ひとたび標的を認識すれば、地の果てまでも追い続ける呪いの弾丸だった。


グレッグ【黒喰ノ銃】ッ!」

『もうしゃべっていいのかァ!』

「何一人でサイレントしてんの!」

『テメェが黙っとけって言ったんだろがァ!?』


 ディライトの叫びに呼応し、黒いネックレスが脈動した。

 瞬く間に鎖が解け、黒金属の塊へと形を変える。

 本来の姿である魔銃――魔道具【黒喰ノ銃】がその手に収まった。

 右手に構えた瞬間、銃口が黒く輝き、迫り来る光球を吸い込む。

 魔力は弾丸として圧縮・装填され、内部から脈打つ鼓動が伝わってきた。

 グレッグは引き金を立て続けに引き、次々と光球を吸収していく。

 だが数はあまりに多く、処理しきれぬものがディライトを襲う。

 回避を余儀なくされる中、ディライトは相殺を狙って魔弾を撃ち放った。

 ――その瞬間、銃口から放たれた黒い閃光は軌道をねじ曲げ、まるで意思を持ったかのようにディライトへ襲いかかる。


「なッ――!?」


 思わぬ裏切りの一弾に、ディライトは身を捻り、間一髪で回避した。

 吸収した魔法を撃ち返したはずが、なお自分を追ってくる。異常な光景に、銃そのものが悲鳴をあげる。


『ア゛ァ゛ッ!? 何だァ゛!?』

「……闇魔法の一種か、つくづく屑野郎だな」


 ディライトの視線が鋭く光り、この魔法の理を悟った。

 町内で繰り広げてきた戦闘で、スティレオがけしかけた魔法生物は二十を下らない。

 数がいかに多くとも意味はない。ディライトの前では、結局は烏合の衆に等しい。

 だが、その一体一体は、もとをただせば人間を歪め変じた存在である。

 スティレオの魔法は、死者の魂を糧に変える。

 その結果、ディライトへ殺到する闇色の光弾は、まるで犠牲者の数を数えるかのように、倒された魔法生物の数と一致していた。


「気付いたか。この魔法は消えない、当たるまでな。そして、その標的はただひとつ――自分を滅ぼした相手だ」


 闇光の群れに巻き込まれぬよう、瀕死の身を引きずりながら距離を取るスティレオ。

 しかし、その眼光は退路を求めるものではなく、なおも獲物を狙う獣のようにディライトを見据えていた。

 

(そして、使え。貴様の奥の手を。あの時、確かに使ったはずだ)


 スティレオの脳裏に蘇るのは、廃教会での一幕。

 魔銃では防ぎきれぬ状況――魔力の壁に四方を囲われ、押し潰されかけたディライト。

 それでも奴は切り抜けた。何か、自分の知らぬ手段によって。

 知らなければ、作戦の最終局面が崩れてしまう。

 だからこそ再び、同じ盤面を整えた。

 今度こそ、ディライトに隠された手を暴くために。

 確信めいた笑みが、スティレオの口端をわずかに歪めた。


『ディ! さっさと使えよォ!』

「……」

『おいディ!』

「うるさいな、分かってるよ」


 もはや回避以外に術がなくなった状況で、グレッグが焦りの声をあげた。

 ディライトもまた、それが唯一の選択肢だと理解している。

 だが同時に、その「選択」を敵に強いられていることにも気づいていた。


 ――視られている。


 距離をとったスティレオが、虎視眈々と動きを観察していた。

 魔法がディライトを葬ることを期待する眼差しではない。

 なおも勝利を諦めず、相手の奥の手を暴こうとする者の目だ。

 それでもなお、ディライトに奥の手を封じておく選択肢は残されていなかった。


「くそッ――『衝咆インパクト・ロア』」


 ディライトは固有魔術を展開したまま、右手でグリップを握り、左の掌をその側面へと叩きつけた。

 術式同士が触れ合えば、相反する力が反発し合う。

 その矛盾は肥大し、やがて収束することなく暴走的に膨張し、莫大なエネルギーを生み出す。

 それは魔術【反触ノ域】の極地。

 ディライトを中心に衝撃波となって解き放たれた。

 襲い来る闇光の弾は次々と砕け散り、瓦礫と砂塵を巻き込みながら周囲一帯へと弾き飛ばされる。

 脅威は一掃された。だというのに、ディライトの顔は晴れない。

 対照的に、満身創痍のスティレオが浮かべるのは、確かな満足の笑みだった。

 互いの視線が正面からぶつかり合う。


「奥の手は……魔術由来か。そうか、そうか……ハッハッハッ!」

『……おいおい、あのオッサン笑い出したぞ? 頭可笑しくなったんじゃねェのかァ?』

「いや――」

 

 距離を隔ててなお、ディライトの耳に届くスティレオの笑い声――それは嘲りの響きだった。

 グレッグは、その笑いを「打つ手を失った末のもの」と受け取った。

 だが、ディライトは違うと直感していた。

 あれは敗者の声ではない。むしろ、描いた勝利へと一歩近づいた安堵の吐息。

 そしてその確信を裏付けるように、スティレオが言葉を放つ。


「――舞台は整った。中央区大聖堂で待っているぞ、ディライト・ノヴァライト!」


 それは勝利を確信した者の捨て台詞――まるでこの場から姿を消すことを予告するかのような台詞だった。

 スティレオは折れていない右腕を掲げる。

 次の瞬間、上空から巨大な影が覆いかぶさった。

 鳥の姿をしていながら、輪郭の端々に人間の名残をとどめた魔法生物。

 無数の手の形をした翼をバサバサと羽ばたかせながら、スティレオを掠め取るように滑空してくる。

 スティレオはその怪鳥の足を巧みに掴み、宙へと舞い上がった。

 しかし――。

 ディライトとてその逃走劇を悠長に見守っているわけではない。地を蹴り、みるみるうちに距離を削っていく。


「逃がすとでも」

「だから言っているだろう、戦略的撤退だと。それに――魔道具を気にした方がいいんじゃないか?」

『デ、ディ……オレサマ、もう限界だァ!』


 スティレオの言葉に、ディライトがグレッグへと目を向けた瞬間。

 銃口が震え、黒光の呪詛弾が7つ、堰を切ったように吐き出される。

 吸収して魔弾へと変えてもなお、攻撃性は失われていなかった。その凶弾を7つも抑え込んでいたグレッグは、ついに限界を迎えたのだ。

 容赦なく迫る魔弾に対し、ディライトは先ほどと同じく『衝咆』を放つ。轟音と共に闇光の塊は粉砕され、脅威は一掃された。

 だが、視線を戻したときには、スティレオの姿はすでに上空、遥か彼方。

 今から追撃するのは不可能だと悟ったディライトは、銃器型のグレッグを静かにペンダントへと収めた。


『すまねェ……』

「いいさ。謀略は気になるところだけど……グレッグ自分で言ったこと覚えてないの?」

『……オレサマ何か言ったかァ?』

「全部ブッ飛ばしちまえばいい、だろ?」

『……ハッ! そりゃオレサマの流儀だァ!』


 復活したグレッグと共に、スティレオの待つ大聖堂へ。ディライトの足取りは、確かな決意を刻んでいた。

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