第18話 隻耳の獣、復讐の一閃
スティレオは床に空いた穴から顔を上げると、魔法生物たちが控える入口近くへと移動した。
壁にもたれ掛かり、事の成り行きを見守るためにぽっかりと空いた穴へと視線を向ける。
(十中八九、来る――か)
危機的状況であるというのに、ディライトは最後まで余裕を貫いた態度であった。
弱点を突いた罠を敷いても、ディライトであれば危なげなく突破してくるだろう、という予感めいたいものをスティレオは感じていた。
流石ランク4、と称賛する気持ちが湧き上がるが、スティレオとて無策で挑んだわけではない。
万が一、策が突破されようとも、再びその身を曝け出そうものなら、5本の『水ノ噴流』が寸分違わずに襲い掛かるだろう。
更に切り札も備えているスティレオとしては、講じたディライト対策に抜かりはなかった。
そろそろ潰れたか、と確認するために壁から背中を浮かせた時、地下から床を吹き飛ばす程の衝撃が走った。
廃教会全体が震えるほどの余りの衝撃に、入口のドアは吹き飛び、ステンドグラスが粉々になって辺りへと振り注ぐ。
立位を保てなくなったスティレオは、思わず片膝を地面へと着いた。予想外の出来事に唖然とした表情を浮かべつつも、口端は喜色に歪んでいる。
「く、クク。……やはりランク4はそうでなくては!」
揺れの原因は間違いなく、ディライトの仕業であるとスティレオは確信をもって言える。
何をしたかは不明だが、地上まで余波が届いたことから、地下では凄まじい破壊が巻き起こっているに違いない。罠として配置した魔法生物である壁は退けられているだろう。
位階制度の上澄みであるランク4という存在が、この程度で終わらないことくらいは分かっていた。分かってはいたが、弱点を徹底的に追求して臨めば、限りなく細い糸のような勝機であっても掴み取ることができる、とスティレオは判断したのだ。
慢心が招いた現状に拳を握り締めて立ち上がると、スティレオは負の感情を払拭するかのように吠えた。
「来い、ディライト・ノヴァライト! 身体に風穴を空けてやろう!」
スティレオの声に呼応して、近くに控えた五体の魔法生物たちが魔法を放つための溜めに入る。
ディライトが一階へと戻るための
どちらから姿を見せたとしても直ぐ様に対応できるよう、魔法生物の狙い定める照準に隙はない。
スティレオの対応は、これ以上ないものであったといえる。
スティレオは魔術を有しておらず、魔法を数種類は扱えるが普遍的なものだ。個人という戦闘力においては、ディライトよりも圧倒的に引けを取る。
ここまで優位性を保てたのは、魔匠
地下室の一手が突破されることも、予測はしていた。
唯一の誤算は、闖入者の登場だろう。
スティレオの計算は、あくまでディライトとの一対一を想定したものである。ランク4にまで到達した実力者が、驕りゆえにそう簡単に他者に頼るとは思えない。
ゆえに、扉が吹き飛んで開きっぱなしとなった入口に、右手にナイフを携えた獣人族の少女がいることに、スティレオは気付かなかった。
最初に違和を感じたのは、突風を伴う程の衝撃音が聞こえたときだ。
人の手が入らなくなって久しい舗装路を駆け上がって、獣人の少女、サミアは一ヶ月近く寝床にしている廃教会へと辿り着いた。
予想通り、衝撃の発生源は廃教会だったようで、窓という窓が粉々に割れ、ただでさえ脆さを感じていた外壁には更に罅が加わり、建物全体が今にも崩落しそうだった。
「……お
サミアは、出自のよく分からない自分を快く迎えてくれた老人の呼称を口にする。
飲食に衣服に寝床と、決して満足のいくものではなかったが、自身の手持ちを渋ることなく差し出してくれた心優しき老人。まるで孫のように接してくれた彼に対して、サミアも情愛のようなものを感じ取っていた。
どうか無事でいてほしい――老人への憂慮が、ただただサミアの胸中を占めていた。
早鐘の如く鳴る胸を抑えて、扉が無くなっている正面入口へと赴く。
猫のように瞳孔が開いた両の瞳に、中の景色が映った。
余りの惨憺たる光景に、サミアは目を見開かずにはいられなかった。
「――なに、これ」
ぽつりと溢れた言葉に、サミアは文字通り、目前の状況を理解できずにいた。
外観もそうだが、廃教会の中は特に酷かった。
中央の床には爆発が生じたかのように大きく穴が空いており、寝台に使っていた多くの長椅子は、破損してそこら中に飛び散っている。教会の代名詞であったステンドグラスはバラバラに砕けており、無惨な姿を辿っていた。
そんな破壊し尽くされた場にいる者たち。きちっとした正装をこなす男と、どこか人を彷彿とさせる特徴を持つ、けれど全く違う生物であると断言できる存在が五体。
惨劇と呼べる状態を作り出した原因かどうかは定かではないが、幸いなことにサミアが帰ってきたことに誰も気付いていない。
他の皆はどこに行ったのだろうか、安否を確認するためにくまなく辺りを見回していくと、一点でサミアの顔が固まった。
視線の先に、よく見知った人物が地面に倒れていた。衝撃で飛び散った瓦れきに埋もれるようにして、上半身を曝け出している。着用している衣服に襤褸さはあれど、間違いなく老人のものだ。
「お爺」
一番心配していた人物が見つかったが、サミアに安心した気持ちはない。むしろ、安堵からは程遠い、悲しみに満ちた感情が呼びかけに籠もっていた。
当たってほしくなかったサミアの憂慮が、的中したからだ。
首元から広がるように赤い液体が衣服を汚している。今も止め処なく流れ出ており、行き場のなくなった液体が地面に溜まっていく。
「お……爺」
顔が、顔がない。行ってらっしゃい、といつものように送り出してくれた老人の柔和な顔が、そこにはなかった。
死んでいる。
未だ幼いサミアでも、それくらいは分かる。もう二度と話すことはできないと、満腹にはならずとも心が満たされるような食事を一緒にとることができないのだと、痛いほど分かる。
哀しみと、憤り。
サミアの胸中には、二種類の感情が渦巻いていた。
昨日であれば、この状況にサミアはどうすることもできず、悲しみを携えて逃げていたに違いない。だが、今は
右手に握った錆びついたナイフを逆手に構え直す。
理不尽に抗うため、不条理な結末に異を唱えるため、復讐を果たすための一刀を手に、サミアは抱え込んだ怒りを爆発させた。
獣人特有の脚力に身を任せ、奔る矢のごとく、一体の魔法生物へと瞬く間に辿り着くと、腕を横に振るった。
一閃。
鈍色の軌跡が描かれた途端、魔法生物の頭部が身体から分離して地面へと転がった。
「誰だ!?」
突然、一体が機能を停止したことにスティレオは驚嘆の声を上げた。
ディライトではない。再び現れるであろう場所への注意は怠っていない。つまり、外部の犯行であり、対応すべき人物が増えたということである。
凶刃に斃れた魔法生物の方へ振り向くと、一人の獣人がもう一体の魔法生物へと、握ったナイフを振り下ろすところだった。
発射口へと既に魔力を溜めていた魔法生物は、迎撃のためにサミアめがけて『水ノ噴流』を放った。
「チッ、やれ!」
予想外の乱入者に、スティレオは苛立ちを込めて舌打ちすると、残り三体の魔法生物に迎撃せよ、との命令を出した。
命令に従った三体が『水ノ噴流』を放つよりも早く、サミアは先程胴体から切り離した頭部を掴み取り、付近にいた二体の魔法生物へと狙いを定めて頭部を振りかざした。
魔法が放たれたままに頸部を切断したのだ。切り離された頭部は未だ『水ノ噴流』を放ち続けており、二体の魔法生物をいとも容易く切り裂きながら、スティレオへと高水圧のレーザーが迫った。
「ぐッ」
スティレオも真っ二つになるかと思われたが、そうはならなかった。
白い傘を取り出して開く。横薙ぎに振るわれた水線が、広がった傘を通るが、損傷1つ負っていない。
傘は、【互酬匣】を用いて生みだした魔道具であり、水の性質をもった魔力に対して防魔の効果を有する。先のディライト戦にて、グレッグが放った『水ノ噴流』を防いだのも、この魔道具のおかげである。
しかし、攻撃を防げたからといっても、スティレオの胸中は焦りに満ちていた。
今の一瞬で、五体いた魔法生物は、残り一体にまで減らされた。元々の標的であるディライトは、複数体いてやっと対等に渡り合える相手である。現状の戦力では、もはや敵うまい。
それに現状、最も驚異的な存在なのは、突如として現れた獣人の少女だ。
スティレオは傘を僅かに傾けて、自身を窮地へと追い込んだ人物を覗き見た。
「何なのだ、あの
獣人に身についた驚異的な身体能力で、魔法を避けたのは理解できる。問題は、魔法生物の斃し方だ。
スティレオは、サミアが右手に握った得物へと意識を向ける。果物用のペティナイフだ。それも刃先は錆びきっており、切れ味は最悪といっていい。魔力で硬化した魔法生物を切断できるものでは断じてない。
得物と呼ぶにも相応しくない、あのガラクタ同然の代物で魔力を使用せずに切断できる者がいるとすれば、それはもう数十年刃を振り続けた熟達者だけだろう。十年強の齢に見える少女が成せる技ではない。
在り方が矛盾しているサミアを前に、彼は排除すべき優先順位を切り替えた。
最早、負け戦だ。ディライトの対策が機能しなくなった今、自身へと差し迫る脅威を排除した後、この場を退く他ない。
「ふんッ」
傘を閉じてサミアへと投擲する。自身の魔力強化では、当たってもせいぜい打ち身程度だろうが、それでも打ち身だ。怪我をするには十分な威力がこもっている。防ぐには、回避か迎撃かの二択しかない。
スティレオは投擲の姿勢のままに、ニヤリと口端を上げた。
彼にとって、少女が取る行動はどちらでもよかった。どちらを選択するにせよ、一瞬の隙が生じる。そのほんの一瞬に、残り一体の魔法生物による『水ノ噴流』を叩き込めば、それで終了だ。
投擲された傘がサミアへと飛来していく。
回避か、迎撃か。
サミアが選択した行動は、そのどちらでもなかった。
スティレオの顔が驚きに歪む。
「何!?」
サミアがとった行動は、能動的防御であった。
飛来した傘を屈んで避けるだけでなく、下ハジキと呼ばれる傘の自動開閉ボタンを、すれ違いざまにナイフの先端で一突きする。
生地が横に開いたことで急激に減速し、脅威性を失った傘の取っ手をサミアは握った。
開いた傘の先端を最後の一体である魔法生物に向けた瞬間、サミアの行動を見計らって放たれた高水圧の『水ノ噴流』が傘に衝突した。
魔道具の作用で魔法を防ぎつつ、サミアは傘を構えながら魔法生物へと突進していく。
獣人といえど、まだ年端もいかない少女だ。傘から伝わる魔法の威力に、今にも取っ手から手を離しそうなほどだ。それでも、離しはしない。たとえ、両手が千切れようとも、復讐を遂げるまでは。
「――ガァアア゛ッ!」
咆哮をあげた、一匹の獣。
視界は傘で塞がれど、魔法を放つ音、鼻腔を侵す不快な臭いが、標的の位置を知らせる。
一閃。
傘を放り投げて魔法を潜り抜けたサミアは、最後の魔法生物の首を切り落とした。
ナイフに付着した血を振るって飛ばし、魔法を耐えきった手を労わるように一舐めする。
残りは一人だ。
廃教会に起きた悲劇の一連を直接見たわけではないが、元凶が
「最後」
獲物を狙う獣の視線が、額に汗を浮かべたスティレオを捉えた。
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