第17話 衝咆、白亜を裂く
「……割と落ちたな。半分くらいか」
ディライトの口にした“半分”とは、一階の高さのおよそ中ほどを指していた。
廃墟と化した教会は、朽ち果ててなお声が響き渡るほどの広さを持つ。天井は常人が飛び上がっても到底届かぬ高さにあり、たとえ半ばの落下であろうとも、普通の人間ならば重傷は免れない。
それでも無事に立っていられるのは、やはりディライトの常人離れした身体能力の賜物であった。
ディライトが頭上の穴を仰いだ、その瞬間――。
『うおおおっ!』
反響する声とともに、
「おかえり。首尾は?」
『ただいまァッ! ブチのめしてやったぜェ』
「いいね。投げ甲斐あったよ」
落下してきたグレッグを難なく掴み取ると、ディライトは上階での顛末を尋ねた。
魔力を糧に『
だが、その退き際にグレッグを放り投げ、吸収した魔法を逆にスティレオへ撃ち返させる――そんな奇策を仕掛けたのだ。
どうやら策は見事に的中したらしい。
勝ち誇ったように笑みを浮かべるディライトへ、グレッグが銃身から小さな黒い手を突き出し、人差し指を振ってみせた。
『調子こいてんじゃねェよ、ディ。休暇ボケで鈍ってんの、オレサマは見逃さなかったからなァ』
「……バレてた?」
『動きが半拍遅ェ。前のテメェなら、さっさと仕留めてたハズだぜ』
「耳が痛いね。慣らすまで、もうちょっとかかりそうだ」
『まァ、オレサマがついてるから問題ねェけどなァ!』
軽口を叩きつつも、グレッグの声色には相棒への苛立ちと同時に、確かな信頼が滲んでいた。
ディライトは眉間に皺を寄せ、次の一手を探った。
床を穿った時と同じく、魔力で身体を強化すれば、落下地点から元の階層に戻るのは造作もない。
だが問題は、その後だ。
ディライトの魔術は物理の反射こそ可能だが、魔法そのものを弾き返すことはできない。再びスティレオの前に躍り出たとしても、魔法生物に狙われれば瞬く間に蜂の巣にされるのは必定だった。
ならば――別の経路を探し、地上へと戻るしかない。
視線を巡らせても、差し込む光があるとはいえ、廃墟の地下はなお暗く、肉眼では端の様子をはっきりと見定めることはできなかった。
『ピカー』
足を踏み出そうとした瞬間、右手から間の抜けた声が漏れた。
次の瞬間、銃口から灯った光が地下を照らし出す。先を見通すには十分な明るさだった。
「……あったね。そんな機能」
『
「そうだ喋れなくなるんだ! 神機能じゃん」
『
「ごめんて」
カチカチと光を点滅させ、不満を訴えるグレッグ。
それを照明代わりに掲げながら、ディライトは周囲を探り歩いた。
長らく使われることのなかった廃教会――地下室もまた荒れ果てていたが、居住空間として整えられていた一階と比べれば、散乱と呼べるほどの物は少ない。
注目すべきものは何もない。だからこそ、ディライトの視線は自然と壁へと引き寄せられていった。
そこにあったのは、風化の痕跡を一切見せぬ、純白の白亜の壁であった。
「おかしくないか?」
『
「綺麗すぎる」
地上と違い、人の手が及びにくい地下では、経年劣化の進みも幾分か遅れる。
それを考慮しても、十数年も経てば罅の1つや2つは必ず現れるはずだった。だが――この壁には、劣化を示す痕跡がまるで見当たらない。
まるで新築同然。しかもそれは一面だけでなく、部屋を形作る四方すべてが同じ純白の壁で覆われていた。
築年数を踏まえれば本来あり得ぬ光景に、ディライトは違和を覚える。
その時、不意に――視界の端で何かの“視線”を感じ取った。
壁の右上。
ディライトはそちらへ、グレッグという明かりを向ける。
そして、常人であればその瞬間に卒倒していただろう。
白亜の壁に溶け込むように――人間の顔が、あった。
形成されているのは、眼と鼻、涎を垂らした半開きの口。
輪郭はなく、まるで糊で貼りつけられたかのように、顔の部位だけが壁に浮かび上がっている。
感情を欠いた両の瞳が、ただただディライトたちを覗き込んでいた。
最初に反応したのは――グレッグだった。
『ゆ、
「馬鹿野郎、人間だ。よく見ろ」
「――その通りッ! 彼らは自分の空間が欲しかったようでね。簡易的な仕切りを渡したのだが……どうやら誠実ではなかったようだ」
「お前――」
震える銃口を宥めながら、霊的現象を否定するディライト。
その意見に追従するように、光が差し込む穴から、惜しんだ感情を滲ませた声が響いた。
穴から顔だけを覗かせ、見る者にとって不快感を与える嘲笑った表情をスティレオは浮かべていた。
勝ちを確信した顔。だが、その中に一抹の不安が混じっていることをディライトは見逃さなかった。
「辛そうだね。ちょっと休んだほうが良いんじゃない?」
「この程度、疲れたうちにも入らんさ。それよりも、だ。ディライト・ノヴァライト――」
スティレオは一拍を置くと、視線をディライトの周りへと向けた。
「――この状況をどうする?」
スティレオが周囲を指し示すと、先程よりも部屋が小さくなっていた。
否、中心に居るディライトへと四方の壁が迫ってきているのだ。
今の幾ばくかで、暗い部屋の子細が分かるほどには狭くなっている。
押し潰されて、白亜の壁が真っ赤に染まる――そんな結末を迎えることは、ディライトの持つ魔術が許さない。
だが、天井の穴から響く声がその選択肢を否定した。
「ああっと、一見ただの壁に見えるが、それらの大部分は魔力で構成されている。あとは……分かるな?」
「だろうね」
つまり、四方の壁は魔法物質であり、ディライトの有する魔術は通用しないということだった。
今の問答中にもズズズッ、と壁は迫ってきており、辺りを見回せば何処にも逃げ場はない。
上へと跳んで戻れば、圧殺しようとする壁からは逃れられるだろうが、今度は死の水線がディライトの身体を貫くだろう。
迫りくる壁に、先に穴が呑まれようかというタイミングで、四方の壁が静止した。
最後通牒が、スティレオの口から告げられた。
「君の誠意を見せてほしい。その魔銃と〈冒極〉が持つ魔匠連番を全て差し出せば、命は助けよう」
「え、何? 聞こえなーい。ちょっと下まで降りてきてもらえる?」
「……どこまでいっても、不誠実な男だな君は」
慈悲をかけたというのに、相手を馬鹿にしたような態度を最後まで貫くディライトに、スティレオは呆れた表情を浮かべる。
ぽつりと零した言葉を最後に、スティレオが覗き込んでいた穴は壁の中へと消えていった。
今度こそ、ディライトを押し潰さんと四方から壁が迫り来る。
差し迫る絶望的な状況にもかかわらず、ディライトは両の手を開き指の先端だけを重ねて、悠然と構えていた。
ネックレスの形状に戻ったグレッグがディライトへと尋ねる。
『
「しかないでしょ。神経使うから
できることならばしたくない、そんな表情を浮かべるディライトであるが、魔法弾の残数がない以上、自身の力で切り開くしかない。
ディライトは、自身の魔術――【
【反触ノ域】は、物理的質量を有した実体が身体に触れた瞬間、反面鏡となった身から同等のベクトルを以ってして跳ね返す、という術式だ。
魔力で構成された仮想的質量は跳ね返せないという弱点はあるが、拳、刃物、岩石、水――視認できる全ての物質が術式対象である。
そんな高性能な魔術を有するディライトであるが、彼の中で1つの疑問が生じた。
もし、魔術を発動させたまま、両拳を打ち合わせたらどうなるのか。
そんな実験を行った暁には、滞在していた宿の屋根が吹き飛んだ――そんな記憶が残っている。
グレッグも同様のことを思い浮かべたのか、ディライトへと檄を飛ばした。
『盛大にいけよォ〜』
「うっさい」
合わさった指が少しづつ離れていく。
ディライトが意図して離しているわけではない。指と指の間に、確かに何かの力が働いている。
物体を跳ね返す術式が同時に作用するという矛盾。
その矛盾を、世界の理に則って修正しようという力が働くことで、莫大なエネルギーが生じる。それこそがディライトの指間に生まれたエネルギーの正体だった。
エネルギーの波はやがて、指との間だけに留まらず、掌の間にまで広がっていく。
渦巻くエネルギーの塊を維持していたディライトは、両の掌でそれを押し潰した。
「――『
直後、押し潰されたエネルギーが衝撃となって周囲に伝わっていく。
衝撃の伝播は、床の木片を巻き上げるほどに激しく、ディライトを中心に空間を走っていき、四方から迫りくる壁を呑み込んでいった。
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