第四話


 ……僕たちの部室に『ありがちな光景』が、そのあとはしばらく続いていた。


「三年生を送る会の企画、聞こえてしまってすみません」

「集中してたら、叫び声以外は聞こえていないから平気!」

 講習や自習教室の合間に、放送室で『自習』している都木とき先輩は。

 僕と目が合うといつも笑顔で。


「それなのにどうして、海原うなはらくんの声だけは聞こえているのかしら?」

「ちょっと月子つきこ。わざわざここで勉強中の受験生に勉強しろとか、嫌味だよ」

玲香れいかのそれもさりげなく、イ・ヤ・ミ・ー」

 波野なみの先輩を加えた三人は。

 なんだかんだ『受験生』にからみながらも。

 着実に仕事を、こなしてくれている。



「ちょっと千雪ちゆき、これ間違ってない?」

由衣ゆいのほうこそ、ここも違うよ」

 あのふたりは前より、『仲良く』なって……ってイテテッ!


「アンタさぁ、ブツブツ話してないで働きなよ!」

 高嶺たかねに足を踏まれて。

「そうだよ。予定どおりより、先に進めておいたほうが絶対いいよ!」

 市野いちのさんににらまて。

 でもとにかく……気が合うようでなによりだ。



「ねぇ。ちょっと五分、目を閉じてもいいかな……」

 高尾たかお先生は、受験生の追い込み担当として少々お疲れ気味で。

「わたし? わたし? わかってるよね、海原君!」

 まぁ、その分……。

 藤峰ふじみね先生は一・二年生の授業を増やしていて、大変『みたい』ですよね……。


「海原君、これとこれも頼むわね」

 あとなぜだかパワーアップしたのは、寺上てらうえつぼみ校長で。

「入試と年度末で先生たちが忙しいとはいえ、これじゃほとんど印刷部ですよ?」

「かわりに印刷機の優先使用権与えたでしょ? だから別にいいじゃない」

 さすが、元・放送部顧問だと……いうしかない。






 ……それから、さらに数日後。


「じゃあ、受験いってくるね!」


 突然のわたしの宣言に。

 放送室のみんなが、一斉に動きをとめてしまった。



「あの……都木……先輩?」

「うん、どうした? 海原君?」

「日程的には……そうでしたね」

「さすが月子、そのとおり!」

「でも、急にいうから……」

「カウントダウンされるのって、玲香だって嫌でしょ?」


「ねぇ美也みやちゃん……いっちゃう・の?」

「あのね姫妃きき。なんだかそのいいかたは……」

「だ、だって……」

「ゆ、由衣も……いきなりでごめんね〜」

「いえ、こちらはまかせておいてください」

「千雪は……立派になったよねぇ」



「ねぇすばる君、月子」

 玲香が立ち上がると。

「二十三分後に、並木道に集合ね」

 そういってから、わたしを見る。


「みんな、いくよ」

 玲香はあえて説明しないけれど、要するにそういうことだ。

「会議中でもなんでも、捕まえるから!」

 由衣と共に、姫妃と千雪も続いて。

 わたしのために、先生たちを探しに出発する。



「自由時間が、二十分ほどできたそうよ……」

 月子が、彼『だけ』を見て。

「海原くん、絶対に風邪をひかせないでね」

 ふたりでどこかにいけというけれど。


「あの……三藤みふじ先輩?」

「はじめてではないでしょう。どうぞご自由に」

 もしかして、それって。


 ……わたしを『あの場所』に案内しろといっているの?



「ねぇ月子。でも、あそこは……」

「『特別な場所』なので、『特別』にどうぞ」

 正直に答える月子と、その提案に。

 わたしは一瞬戸惑った。


 大切な場所、特別な場所。

 そんな場所に、受験前だからと月子を差し置いていくなんて……。


 それでは『フェア』ではないと思ってわたしは。

「ねぇ月子、お願いがあるの」

「なんですか?」

「それなら……三人で一緒にいかない?」


 ……それも『特別』だろうと。思い切って月子に提案した。




 中央廊下を、三人で並んで歩いていく。

 中央を歩く海原君は、『わたしの歩幅』に合わせてくれていて。

 月子はわたしと反対側を。

 あくまで『海原君の歩幅』に合わせるように、進んでいる。


 二階の、三年一組の教室前で。

 非常扉をゆっくり開けて、三人で非常階段をのぼっていく。

 三階を過ぎて、最後の踊り場をこえて。

 大きな重たい扉の前に、三人で立つのは……はじめてだ。


「せっかくなので……よろしければ」

 海原君の渡してくれた、金属製の鍵は。

 わたしの手のひらの上で、冷たいどころかほんわりとあたたかくて。


 ……思わずわたしは、それを握りしめた。



「きょうは『ひとりずつ』、これを使いましょう」

 そういわれて気がつくと。

 月子が、三つもペンライトを持っている。

「美也ちゃん……なにか?」

「あ、相変わらず。用意がいいねぇ……」

「念のためにと『昨日』、そろえておきました」

「えっ?」


 月子は、こともなげにサラリと答えると。

「なにか?」

 再度そういって、わたしを見る。



 ……三藤月子のことが、やっぱりわたしは大好きだ。




 ペンライトのあかりを頼りに。

 もう一枚の扉に向かって、暗闇の中をゆっくりと進んでいく。


 三人の光を、ひとつに集めて。

 屋上へとつながる、もう一枚の扉をゆっくりと開けると。



 ……どこまでも続く美しい冬空が、わたしたちを出迎えてくれた。




「月子……ありがとう」


 教室棟の『誰も立ち入ることのない』屋上で、

 流れてきた風を、少しまぶたを閉じて受けとめてから。

 月子は、わたしの声に静かにうなずくと。


「都木美也先輩……」

 ゆっくりと、わたしのフルネームを声にして。

「受験が終わったあとで、またお会いしましょう」

 そういって、すっと右手を差し出してきた。



 やや物憂げで、ほんのり潤みがちで。

 それでいてどこまでも澄んだ藤色の瞳がふたつ。

 まっすぐに、わたしを見つめている。


 つられて差し出した、わたしの右手。

 いや、わたしの右腕を。

 グッとつかんだ美少女が。

 はじめて感じるような、力強さで。



 ……思いっきりわたしを抱きしめた。



「ご武運を」

「あ、ありがとう……」


 月子は、わたしからそっと離れると。

 黒くて長くて、つやのある髪の毛を軽く手で払ってから。

 一度わたしにお辞儀をすると。


「残りの十一分は、ご自由にどうぞ」

 そういって、スタスタと歩いていく。



 ……あの華奢きゃしゃな体のどこにいったい、その強さはあるのだろう?



 声をかけるなと、その背中で語りつつ。

 強い意志と、深い愛情をわたしにわけてくれた月子は。

 こうして屋上に、わたしたちだけを残していった。




「み、見事に去りましたね……」

「格好いいよね、月子って」


 月子に深い尊敬と、感謝をしつつ。

 でも……その時間はここまでだ。


 残り時間は、あと十分。

 みんなが与えてくれた、ふたりだけの時間を。

 わたしは一秒も無駄にはしたくなくて。



「あの、お願いがあります」

 わたしはそういってから、海原君の真正面に立つと。



 彼の瞳を……ジッと見つめた。





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