第三話


 ……とんでもないものを、見てしまった。



夏緑なつみ、どうかした?」


 保健室に、バレー部用の湿布や包帯が届いたらしく。

 一番その場所に馴染みのあるわたしが、取りにいったとき。


 ……ウナ君と美也みやちゃんの姿を、窓から見てしまった。



「ここからの景色、夏緑は大好きだもんね〜」

 わたしがすぐに、返事をしなかったので。

 きっとまた鳥か雲でも眺めていると思ったのだろう。

 馴染みの保健の先生が、わたしの隣に並んでしまって。


「……そっちかぁ〜」

 そういって、苦笑いをする。



「美也ちゃんって、すっごい寒がりらしいのに……」

「マフラー貸したくなるくらい、『熱いん』だね」

 先生はそういうと。


「ほんと、読めない争いだよねぇ〜」

 楽しそうな声をあげて、わたしを見つめてくる。


「……陽子ようこちゃんとわたしは、『卒業』したんで」

「なにそれ。放送部のこと?」

 先生は、相変わらず楽しそうだけれど。

「でもあの子だけは、『本当に卒業』しちゃうんだよねぇ〜」

 美也ちゃんのことを、今度は少しだけ寂しそうな声で表現する。



「あの……先生、もしかして美也ちゃん推しですか?」

 わたしが思わず、聞いてしまうと。

「違うよ、それは佳織かおり『だけ』」

 ま、まぁ。そんな気はしていたけれど。

 サラッと、『ちょっとは秘密』にしておいてもよさそうなことを。

 わたしに教えてくれる。


「実は響子きょうことも、そこは意見が合わないんだよねぇ〜」

「ということは……先生、月子つきこちゃん推しでもないんですか?」

「やっぱ夏緑って、なかなか世の中見てるよねぇ〜」


 ……まさか、恋バナを先生としているなんて。



 先生は一応、教師がひいきしちゃダメなんだよといいながら。

「どっちも王道だけど。わたしは、もっと『ドラマ』にして欲しいからね」

 さすがに誰かとまではいわないけれど、

 それはそれで、重要な情報を教えてくれた。



「しっかし海原うなはら君って。いいヤツだけど、バカだよね〜」

 きっとウナ君に聞こえていたら、すっごく困った顔をするだろう。


「だって最低でもひとりとは、美人の彼女と付き合えたはずのにさ〜」

 先生は、窓の外に顔を出すと。

「わざわざややこしくして、どうするよ!」

 なんだか楽しそうに声にしてから。

「そう思わない? 夏緑?」

 なぜかそう聞いてきたけれど。


 ……いったいわたしは、どう答えるべきだったのだろう?



「恋愛に、正解も後悔もないよ。夏緑」

 先生は、パシッとわたしの背中を叩くと。


「ただ……大切にはして欲しいよね」

 取りにきた箱を、渡してくれて。

「じゃ、バレー部で、夏緑は夏緑らしく走っといで」

 そういってから、わたしに近づいて。


 ……少しだけ濡れかけていた目尻を、サッと脱脂綿で拭いてくれた。






 ……アイツの帰りが遅い上。千雪ちゆきが印刷から、なかなか戻らない。


 ようやく髪の毛から紅茶葉が取り払われたわたしは。

「追加の印刷もあるんで。ちょっと、見てきます」

 放送室を出ると、廊下を気持ち早足で移動する。



「あれ、夏緑?」

「あ、由衣ゆい。遅れてるからごめんね!」

 どの部活も、忙しいのだろう。

 それにしても、いまの夏緑の声。

 少し泣き声みたいな感じがしたけれど。


「……鼻風邪とかかな?」

 千雪の確認に向かったのだからと。

 そのまま印刷室に、急ぐことにする。



「千雪、どう?」

「あ……時間かかってごめんね。いま終わったところ」

 それならよかったんだけど。

 ひとりだと、まだ慣れないことってあるよね。


「次は、それ?」

「あ、いいよ。一回休憩してきたら? わたしやっとくよ」

 わたしは千雪の返事を待たずに、印刷機に原稿をセットすると。

「えっと……サイズよし。枚数は……」

 うれしくもないけれど、慣れてきた機械のボタンを押していく。



「ねぇ、由衣……」

 早速動き出してくれた、機械の音が大きくて。

 返事をするのが遅くなる。

「由衣……」


 ……なに、今度は千雪が涙声なの?


「鼻風邪、なの?」

 遠慮してそう聞いたけれど、千雪は黙って首を横に振ると。

「わたし、ちっとも役に立ててないよね……」


 ……なんだ、そんなことか。


「そんなことじゃないよ、悩んでるから!」

「はいはい。放送部あるあるだね」

 わたしは、答えると同時に。

 一度千雪を、ぎゅっと抱きしめる。



 わたしもとおった道だからさ……。

 千雪に、そう語りかけると。意外そうな顔で見てくるけれど。

「事実だから!」

 こんなこと、格好つけてもしかたないじゃんと。

 自分のことを振り返りながら話してみる。



 美也ちゃんは、人望熱くてかわいくて。手際もすっごくいい。

 無愛想な月子ちゃんは、事務処理能力が無駄に高くて。本当は頼りにもなる。

 最近クール系の玲香れいかちゃんだけど、本当は愛想はいいし頭もいい。

 その点? 姫妃ききちゃんは明るくて……ま、書類系は頼まないほうがいいかもね。

 わたしはさぁ、活動量で勝負だよね。

 だって誰と比べたって……勝てないもん。


「だから落ち込んだこと、いっぱいあるよ」

「そうなの?」

「当たり前だよ。おまけに『アイツ』って、そういうフォローとか絶望的だし」

 まぁでも……少しは。勇気づけてくれたりしてくれてるけど。

 ただいまは、ほめてもしかたないよね。



「そうかな? 海原君。意外と由衣のこと見てくれていない?」

「ちょっと千雪。まさかアイツの味方なわけ?」

 わたしはこのとき。


 ……千雪は、フラットにみんなを見ているのだとばかり考えていた。



「……味方もなにも、最初から敵じゃない」

「そう? わたしは敵みたいに思うときもあるけど?」


 言葉って、難しい。

 千雪のいう『役に立てていない』が。

 誰に対してのことかなんて。


 ……わたしは深くは、考えていなかった。




「それでもあのバカ、部長だから支えてあげないとね!」

 まだなにかいいたそうだった、千雪の話しを聞かないまま。

 わたしは彼女に。

「だから気にしないで! 一緒に頑張ろ!」

 そういって、もう一度ぎゅっと抱きしめた。


 ……千雪は、先輩たちみたいに動けない自分に落ち込んでいる。



 わたしは、きっとわたしたちふたりが。

 似たような経験をしているだけだと、勝手に決めつけていて。

 だから、わたしは。


「『そのとき』は……応援、してくれる?」

「もちろんだよ、千雪!」


 ……『また』、間違えた。



 この先も含めた、高校生活の中で。

 もし印刷室の中で『泣いた数』を競うことがあれば。

 きっとわたしが、トップであり続けるだろう。


 ただ、そんなことなんて。

 この頃のわたしには、ちっともわからなかったし。

 もちろん、そんな記録を重ねていくことだって。


 なにひとつ……想像さえしていなかった。





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