第九話


 波野なみの母娘に、いくつか医師が話しをしたあとで。


「ありがとうございま・し・た!」

「大変お世話になりました」

「お、お邪魔しました……」

 そういって、診察室を出ようとしたところ。


「あ……君。ちょっといいかな?」

「えっ?」


 ……まさかの、僕がとめられた。



「せ、先生?」

「いえいえ、ご心配なく。わたしはきょうの診察はここまででして……」

 単に僕の『ようす』が、気になったからだと。

「それほど長くはかかりませんので。お会計にでもどうぞ」

 その医者は先輩たちにうながすものの。


 ……心配するなというのは……無理じゃないでしょうか?



姫妃きき海原うなはら君、どこか悪いの?」

「感受性くらいで……あとは元気そうだけど?」

「それは単に鈍いだけよ、ここでは直せないわよ」

 波野母と先輩が、一切の遠慮なしに話しながら診察室を出る。


「あ、わたしひとりで対処できますので。次の先生のほうへどうぞ」 

 ドクターは、不思議そうな顔をしている看護師も退出させると。

「まぁ、座って」

 僕はなぜか、診療にきたわけでもないのに。


 ……患者用の椅子に座る羽目になった。



「さて、と」

「あの……見た目でわかるくらい……」

 僕に深刻ななにかが、あるのだろうか?

 いきなりいわれても心の準備が……まったくできていない。


「いやいや、心配しないでいいよ。ただのあいさつだよ」

「えっ?」

 そういわれた僕が思わず、医師の『名札』を見ると


 ……ま、まさか?


「娘が世話になっているね、海原君」


 ど、どうりで……『一年生の制服』に詳しいわけだ。

 市野いちのさんのお父さんと。

 こんな場所で、出会うなんて……。



「守秘義務があるから、千雪ちゆきは波野さんの担当だとは知らないよ」

「波野先輩も……市野さんのお父さんだとは、知らないと思います……」

「わたしも同感だね」

「僕からは、いいません」

「ありがとう、助かるよ」


 市野さんのお父さんは笑顔で。

「娘が放送部が楽しいという意味が、少しわかって安心したよ」

 そういってくれたのだけれど……。


「ただ確か……君の『ガールフレンド』は」

「えっ?」

「もっとこう、『落ち着いた名前』だった気がするなぁ……?」

 なんだか、とんでもないことを口にする。



「い、いえ! そ、それは誤解です」

「そうか、ではそれは娘にきちんと訂正しておこう」

「えっ?」

「となると……やはり先ほどのお嬢さんが……」

「え……」

「あぁ、これも患者さんの『プライバシー』かな?」

「えええっ……」



「……まぁ今後ともよろしく」

「こ、こちらこそよろしくお願いします」

 世の中、どこで誰に会うかわからない。

 とりあえず、怪我には気をつけよう。


 万が一なにかあっても、この病院だけは避けようと。

 僕はそんなことを頭で考えながら。

 診察室を、あとにした。






 ……受付に、少しだけ放心気味の海原君が戻ってきた。


「ねぇ。どこか、悪いところでもあった・の?」

 心配だから、すぐ聞いたのに。

「『運』ぐらいしか、ありませんでした……」

 もう、たまに彼って。『例え』がわかりにくいんだよねぇ……。



 会計が終わって、大きな病院の建物を出ると。

 真冬の青空が大きく広がっている。


「先にいきますよ」

 寒いからと、ママが早足で歩きだしてから。


「どう! わたしのお・で・こ?」

 わたしは思い切って、至近距離で。

 海原君に傷口『だった』ところを見てもらう。



 ……彼が平気だといえば。もう絶対気にしないと決めたか・ら。



「ち、近いですよ!」

 そういわれたって、こっちは必死な・の。

「近くで観察しないと見えないでしょ? で、ど・う・な・の?」

 しっかり、じっくり見て……お願い、『平気』だと答えて・っ!


「ま、前髪に隠れているので……」

 とはいえ、身長差があるのと。

 やっぱり少し……恥ずかくて。

 髪の毛をあげきれていないかったのを指摘されちゃった。


 でもここまできたら、もうひと踏ん張りするしかない。

「ど・う? これなら見えるっ?」

 わたしは近くの縁石に乗って、精一杯前髪をあげると。



 ……空に向かって、思いっきりおでこを照らしてみせた。



 海原君の、真剣な目。

 じゃなくて……それより『下』の顔の部分が。

 わたしのおでこに、とっても近くなる。


 観察しろと頼んだのはわたしで。

 彼はお願いどおりに、きちんと見てくれているだけだ。

 ただその息づかいを、おでこで感じているわずかな時間に。

 わたしの鼓動が……ものすごい勢いで早くなる。



 思わず、目をつぶってしまったあとで。

「いわれないと……わからないと思います」

 そんな声を聞けて安心しきったわたしが。

「やったぁ〜!」

 思わず叫んだ、その直後。


「キャっ!」

 『前向き』にバランスを崩してしまったらしく……。

 海原君の顔というか、その『口』と。

 わたしの『おでこ』が……。




 ……触れた『気がした』。




 いま……触れたの?

 たぶん、触れたんだよね?

 おでこに……ついたよね?


 前髪をしっかりあげていて、伸ばし切っていた皮膚だったのと。

 それにほんの一瞬だったから……判定が微妙だ。


 ただ、目の前の海原君の表情もわたし並みに。

 いや、わたし以上に。



 ……明らかに、戸惑っていた。



「ね、ねぇ海原君」

「は、はい……」

「い、いま。わたしのおでこに……」

「えっ……いや。でも……いまのはたぶん……」

「ちょ! そこでス・ト・ッ・プ・!」

「……え?」


 判定は……わたしだってわからない。

 でも、でも。

 これをねっ!


 ……怪我が治った『お祝い』にしておくか・ら・っ!






 ……あらあら。せっかくなら、もう一回アタックしたらおもしろかったのに。


 まぁ親の目の前で堂々とされても。

 それはそれで……目のやり場に困りますけどね。



 いずれにせよ、ありがとう海原君。


 治したいというポジティブな気持ちは、傷跡に効いたりするともいいます。

 だとしたら姫妃の場合は。



 ……すべて、あなたのおかげです。



 この先のあなたたちがどのように進もうとも。

 わたしはいただいたご恩を、忘れはしません。


 もちろん、娘の幸せを願ってはいますよ。

 ただ同じように、海原君。


 ……あなたの幸せも、願っています。





「ねぇママ、聞いてっ!」

 『完治した』娘が、赤い顔をしてわたしに駆け寄ってくる。


「海原君がね! わたしにねっ!」

「えっ……」

 まさかこの子、母親に『公式報告』する気なの?



「……おでこ、完璧だ・っ・て!」



「ああっ……『そっち』なのね……」

「ん?」

「よかったわね、姫妃」


 一瞬不思議そうな顔をした娘が、すぐにニコリとする。

 それは、わたしがこれまでに見たことにないくらい。

 親バカながら……最高の笑顔で。


「や・っ・た・〜・!」

 娘は、そう大声をあげると。



 わたしに思いっきり、飛びついてきた。





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