大魔女ヨハンナはかくしてこの世に生まれ出でた

難波霞月

ドンドンドン! 静かな森に音が響く。

 その日。フィーナは、激しいドアのノックで眠りを妨げられた。

 窓を閉め切った暗い部屋の中。

 ベッドからのそのそと這い出すと、眠い目でドアへと向かう。


(人がせっかく寝てるのに……くだらない用事だったらカエルに変えてやる……!)


 「……だぁれ?」


 ドアを少しだけ開けると、まばゆい日の光が室内に入り込む。

 その日の光を背に受けて、小さな人影が見えた。

 人影は、ドアが開いたのに驚いたのか、2,3歩後ずさる。


「……おや?」


 フィーナは、人影をじっと見て、思わず声を上げた。


(かわいらしい男の子)


 みすぼらしい服に、泥に汚れた顔や赤毛の髪。

 裸足で、やせっぽちの、小さな男の子。

 だけど、素材自体はいい。磨けば、宝石になるだろう。


「……あ、あの……」


 フィーナがじっと少年を見ていると、少年がおずおずと口を開く。


「青い森の魔女さんですか……ボ、ボクを、弟子にしてください!」


 少年が、大きな声で叫んだので、近くのリスや小鳥が驚いて逃げ出す。

 フィーナもびっくりして、眠気がすっかり飛んでしまった。


 彼女は、金色の瞳でさらにじいっと少年を見据えた後、

 

「キミ男の子でしょ。だからダメ」


 にべもなく一言告げて、バタンとドアを閉めた。



 男性が魔女になれるなら、魚だって鳥になれるはずだ。

 そんなことを思いつつ、フィーナは何事もなかったかのようにベッドに戻っていった。


(だいたい、魔女をおとなうのに、朝に来るなんてどうかしてるよ!)


 布団にもぐりこむと、すぐに、すやぁ……と泥のような眠気が迫ってくる。

 今日だって、明けの明星が出るまで作業に没頭していたのだ。

 だから、彼女が起きだすのは、早くて昼過ぎ。


(だから来るなら、せめて夕方……むにゃむにゃ……)


 ドンドンドン!


(ねむ……)


 ドンドンドンドン!


(うるさ……)


 ドンドンドンドン! ドンドンドンドン!


「ああもう! うるさい!」


 フィーナは暗闇の中で一声わめくと、空中に向かって、ちょいちょいっと指を振る。


「30分もすれば元に戻るから、これに懲りたらもうここには来ないこと!」


 急に静まり返った外に向かって、そう言い放った。


 静寂。鳥のさえずり。


 フィーナは布団を頭からかぶると、幸せな惰眠タイムに突入する。


(ああ……布団はやっぱり羽毛に限る……)


 柔らかくてあたたかな、おふとんのぬくもり。


 手先、足先からぼんやりと感覚が失われていき、頭の中がとろんとして何も考えられなくなっていく。この眠りに落ちるわずかな間が、フィーナにとってはなによりの至福だ。


 と、そこへ。


 すとん、と何かが布団の上に落ちてきた。


 それはぴょんぴょんと飛び回ると、


「けろけろ」


 フィーナの耳元でそうささやいた。


「だああ! まだあきらめてなかったの! もう!」


 フィーナは羽毛布団を跳ね上げると、枕元にいた赤色のカエルを捕まえた。


 ◇


 「……で、どうしてキミは、魔女になりたいわけ?」


 根負けしたフィーナは、椅子に座ってお茶を飲む少年に問いかけた。

 カエルの姿から戻った少年は、両手で持ったコップに目を落とし、


「……ボク、『み子』なんです」


 小さく、ぽつりと言った。


「両親はもっと小さい頃からいなくて、今はおじの家にいるんですけど」


「男の子なのに、力が弱くて、役立たずだって……」


「それで、逃げ出してきたの?」


 少年は、無言で小さくうなずいた。


「あきれた。家出なの。……それにしたってなんで、ウチに来たの」


 フィーナは、やれやれといった体で少年に問う。


「数十年に一度は、キミみたいな子が来るんだけど……たいていは女の子よ」


 そういってフィーナは、過去に自分が魔女として育て上げてきた愛娘たちのことを思い出した。


 少年は、フィーナの問いかけに、ぐっと押し黙った。

 何か言いたいけど、言い出せない。そんな様子がみてとれる。


「大丈夫。笑ったりしないから、いいなさい」


 フィーナは、少年の背中をそっと押すことにした。

 すると少年は、コップをテーブルに置き、空いた両の手をぐっと固く握りしめて、


「あの……ボク、本当は女の子なんです!」


 「はぁ?」


 数百年生きた魔女フィーナでも、予想外の返事に、そんな言葉がついて出た。


「……信じて、くれないんですか?」


 少年は、顔を真っ赤にして、泣きそうな瞳でフィーナを見る。


「いや、だって、キミ、その体……」


 フィーナが、少年が着ていた汚れたシャツを指さすと、


「え、えっ?」


 シャツがひとりでにめくれ上がり、少年の上半身が露になる。


「どうみても男の子の――」


 そう言いかけて、絶句した。


 少年の体には、無数の傷跡があったからだった。


 ◇


「ごめんね、ヨハン君。女の子の服しかなくて――」


 泥付きの体で家の中を汚されてはたまらないと、その後、フィーナは少年をお風呂に入れた。汚れた服も洗って干している。その間に、フィーナは少年がヨハンという名前であることを聞き出した。


(虐待児か……)


 加えてフィーナは、ヨハンがおじの家でひどい扱いを受けていることを聞いた。この時代、子どもは親権者の私有財産だった。いわば牛や馬と同じであり、甘やかすこともできれば、厳しく労働させることもできる。

 

(ましてや、男の体なのに、自分が女だって言いだすなら余計に――)


 忌み子扱いされるわな、とフィーナはひとりごちた。


 一方、ヨハンは、生まれて初めて着た女の子の服……それも、まるで領主の娘が持っているような可愛らしい服を着て、もじもじしていた。


 それをちょっと微笑ましく眺めながら、フィーナは、倉庫の奥から引っ張り出した小さな釜に水を張った。棚の瓶から、いろんな色の粉を取り出して釜に投げ入れる。

 最後に、親指大の水晶を放り込む。そして、


「ヨハン君。ちょっとこっち来て」


 着慣れぬ衣装を着てまごつくヨハンを手招きした。


「なんですか、魔女さん」


「今からちょっとおまじないを唱えるから、この釜の中を覗き込んでほしいの」


 そういって、フィーナは目を閉じ、息を吸った。


 《――Огледало на гърнето, покажи ми истинската форма на този човек……》


 かすかに息を吐き、わずかに目をあけながら、フィーナはまじないの言葉を唱える。三度繰り返し、指で釜に向かってサインを送ると、中の水が真っ白になる。


「ヨハン君」


 ごくり、と唾をのんだヨハンが、意を決したようにぐい、と顔を差し出す。


「ええっ!!」


「やっぱり……」


 釜の中には、赤毛の女の子の姿が映っていた。


(……この子、肉の座と霊の座が混濁してる)


 フィーナは、かつて読んだことがある禁書の内容を思い出した。

『人は、肉と霊でできている。肉の性と霊の性は通常一致しているが、そうでないこともある』


「ヨハン君。キミは、間違いなく、女の子だよ」


 フィーナの言葉に我に返ったのか、ヨハンが振り向く。


「え、じゃあ――」


「これまでの俗世を捨てるなら、弟子にしてあげよう。いずれ魔力が育てば、キミの肉体はいずれ女の子に変えられるはず」


 フィーナの言葉に、ヨハンは目を輝かせて大きくうなずいた。


 ◇


 それから1週間がたった。

 フィーナは、ヨハンが家事一切をてきぱきこなすことに驚いたが、それよりも、ヨハンが魔力を育み、蓄える力が尋常でないことに驚いた。


 そんなある日。

 青い森のフィーナの家に、招かれざる客たちが押し寄せてきた。


「森の魔女! うちのヨハンを返せ!」

「人さらいめ! 縛り上げて領主様に引き出してやる!」


 外の騒ぎの様子を聞いて、ヨハンは(おじたちです……!)と青ざめた。

 フィーナはヨハンに(隠れてなさい)と命じると、深呼吸してドアを開ける。


「何用ですか。こんなに騒いで」


 ドアの外には、フォークなどの農具を持った、十数人の農民の姿。

 その中から、ずい、と大柄な男が前に出る。


「お前、うちのヨハンを誘惑したな! 1週間も前から行方不明なんだ!」


「ヨハンが森に入っていくのを、ばあさんが見たって言ってたぞ!」


 (薬をねだりにきたり、占いに来るときは低姿勢なのに)


 フィーナは心の底で愚痴を言いながら、


 「ヨハンってだれ? 知らないわよ」


 とシラを切る。


 「だまされんぞ! 家の中にいるんだろう!」「あ、ちょっと!」


 男はフィーナを突き飛ばすと、ずか、と家の中に踏み入った。


 不意を打たれたフィーナは、思い切り突き飛ばされた拍子に転んで床に倒れた。棚にぶつかり、瓶が床に落ちて派手な音を立てる。


(いったぁ~っ……!)


「……師匠!」


 と、そこへヨハンの声がした。


(バカ! 隠れてなさいっていったのに!)


 こうなったら魔法を使ってごまかすしかない、そう思ってヨハンを見たフィーナは、唖然とした。


 そこには、長い髪が美しい、赤毛の美少女がいたからだ。


「なんだこのガキ……!」


「お前……師匠にひどいことしたら、許さないぞ!」


 ヨハンはフィーナをかばいながら、自分の養父だった男の前に立ちはだかる。


「邪魔だ、どけ!」


 男はヨハンを薙ぎ払おうと太い腕を振るった。


 そのとき「えいっ!」ヨハンが男を指さし叫んだ。


 すると……ぼんっという音とともに、


「?!」


 男の姿は、カエルになっていた。


 ◇


 村人たちは、カエルを手にして、ほうほうの体で逃げ出した。

 後に残ったのは、フィーナとヨハンの2人きり。


「ありがとう、ヨハン君」


「師匠……お怪我はありませんでしたか?」


「ケガはないけど……こんな騒ぎがあったら、もうこの場所にはいられないわね」


 すると、ヨハンは申し訳なさそうにしゅんとする。


「いいの。それよりも、キミ、女の子になれたじゃない」


 フィーナがそういったとたん、しゅわしゅわと煙が出て、ヨハンは再び男の子に戻っていた。


「あ、あれ……?」


 ヨハンがうろたえたのを見て、フィーナはフフッと笑う。


「まだ短時間しか変身できないのね……ま、これから成長すれば、もっと長い間できるでしょ」


 そういって、フィーナはヨハンをぎゅっと抱きしめてから、


「……よし。これからわたしたちは、旅に出ます」


 と言った。


 ――のちに大魔女と呼ばれるヨハンナの旅は、かくして幕を開けたのだった。

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大魔女ヨハンナはかくしてこの世に生まれ出でた 難波霞月 @nanba_kagetsu

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