俺の応援(バフ)、どうやら「監督(の視点)」らしい ~エラーだらけの俺、異世界で美少女球団(パーティ)を率いて逆転勝利(ゲームセット)~
停止
第1話:9回裏(ここ)から始まる異世界(ビジター)
「山田くん! この分析レポート、クロス集計の数字が全部ズレてるじゃないか! 何度言ったら分かるんだ!」
重たい溜息が、キーボードを叩く音だけが響くオフィスに落ちた。
山田 慎吾(やまだ しんご)、社会人一年目。入社から半年が過ぎたが、いまだに簡単なデータ入力で致命的な数値エラーを繰り返し、今日も課長(男性・鬼)から公開説教を受けていた。
(……すみません、すみません。どうしてだ! 俺だって、頑張ってるつもりなのに!)
(昨日だって、このデータ(数字)が33-4(さんじゅうさんたいよん)みたいな惨敗スコアにならないよう、徹夜で検算したはずなのに……)
心の中で何度謝罪しても、現実は好転しない。同期は少しずつ仕事を覚え、楽しそうにランチに出かけていく。自分だけが、この灰色のオフィスに取り残されていく感覚。
「ああ、クソ……」
終電間際の駅のホームで、慎吾は思わず悪態をついた。
仕事がうまくいかない。上司にも同僚にも気を遣い、すり減るばかりの毎日。そんな慎吾に、たった一つだけ、心の底から熱くなれるものがあった。
プロ野球チーム「首都ピジョンズ」。
親会社は地味な食品メーカー(乳酸菌飲料)。金もなく、スター選手もいない、万年Bクラスどころか最下位が指定席の弱小球団。たまに2位になったと思ったら、翌年最下位に逆戻りする、あまりにも不安定なジェットコースター球団。
だが、それがどうした。
ファンは、俺は、このチームを愛している。勝てば狂ったように喜び、負ければ本気で悔しがる。水道橋タイタンズ(金満球団)の補強(カネ)にも、西宮ホワイトタイガース(人気球団)の伝統にも負けない、愛がそこにはあった。
そして、奇跡は起きていた。
あのピジョンズが、今年に限って、ありえない快進撃を続けたのだ。
ベテランが復活し、若手が覚醒し、ボロボロだった中継ぎ陣(自称:勝利の方程式)が鉄壁になった。
そして今日、10月。本拠地・首都スタジアムでのリーグ最終戦。
勝てば、優勝。
「うおおおおお!」
慎吾は、使い古したレプリカユニフォームを身にまとい、ライトスタンドの最前列でメガホンを叩きつけていた。
試合は、ピジョンズらしい泥臭い展開だった。9-0から追いつかれるなど、ファン(俺)の胃をキリキリさせる、まさに「9-0はセーフティリードじゃない」を地で行く展開の末、
1点を追う、9回裏。2アウト、ランナー満塁。
一打サヨナラ、いや、一打逆転優勝の場面。
打席には、今年引退を表明しているベテラン代打、青端(アオバタ)。
スタジアムを埋め尽くしたファンのボルテージが、地響きとなって空気を揺らす。慎吾は応援団のリード(トランペット)に合わせ、喉が張り裂けんばかりに叫んでいた。
「勝つぞピジョンズ! 絶対勝つぞピジョンズ!」
「青端! 青端! ここで決めろー!」
仕事の鬱憤も、将来への不安も、今この瞬間だけは関係ない。
ピッチャーが、投げた。
カァン!という木製バット特有の快音。
「いっけええええええ!!」
慎吾が叫び終えるより早く、白い球が夜空を切り裂いた。
打球は、ライトスタンドへ一直線。
だが、その軌道はいつもと違った。ボールが、まるで流星のように眩い光を放っている。
「え?」
光は、慎吾の顔面に向かって、一直線に。
(あ、これマズいやつだ……)
それは、サヨナラの、優勝を決めるホームランボール。
ゴッ、という鈍い衝撃。
歓声が遠のいていく。揺れる視界の中で、紙吹雪のように舞う仲間たちの姿がスローモーションになり、やがて、慎吾の意識はブラックアウトした。
翌日、ベンチで冷たくなっている慎吾が発見され、吉村と村田は病院内で静かに息を引き取った。
(……痛くない?)
最初に感じたのは、それだった。
あれだけの勢いの硬球が顔面直撃(デッドボール)したというのに、痛みもなければ、血の匂いもしない。
それどころか、さっきまで張り裂けそうだった喉の渇きも、メガホンを叩き続けた手のひらの痺れも消えている。まるでシーズンオフのようだ。
(あれ? 優勝は? 胴上げは?)
慎吾は、ゆっくりと目を開けた。
目に飛び込んできたのは、青すぎる空と、見慣れない緑色の天井。
「……は?」
コンクリートの天井でも、病院の白い天井でもない。鬱蒼と茂る、巨大な木々の葉だった。
慌てて体を起こす。
スーツではない。ピジョンズのユニフォーム姿のままだ。手にはメガホンも握りしめている。
だが、ここはスタジアムではない。硬い土の上。周囲は見たこともない植物が生い茂る、深い森の中だった。
「どこだ、ここ……誘拐? いや、でも、あのボールは……」
混乱する慎吾の耳に、聞き慣れない音が届いた。
甲高い、虫の羽音のような音。そして、野太い獣の咆哮。
「グルルァァァ!!」
「きゃあっ!」
悲鳴。女の人の声だ。
慎吾は反射的に音のした茂みの向こうへ走った。
茂みを抜けた先は、少し開けた場所だった。
そこで慎吾が見た光景は、常識を粉砕するものだった。
「オーク……? 本物の亜人(モンスター)か……」
ファンタジー映画で見たことのある、緑色の肌をした豚のような顔の怪物(亜人)。それが、岩石を軽々と投げつけている(剛速球投手かよ)。
その岩を必死に避けているのは、銀色の鎧をまとった女性だった。腰から下、特に太ももにかけてのラインがやけに逞しい、女性剣士。
(すごい下半身だ……ウチのチームのキャッチャーよりガッシリしてる……)
「くっ……!」
剣士――リゼッタは、焦っていた。
ギルドで見栄を張り、高難易度の『ロック・オークとバレット・フライの討伐』クエストを受けてしまったのだ。
仲間たちから「お前は肝心なところでミス(エラー)をする」と見限られ、ソロで実績を積むしかなかったのだ。
だが、敵の連携は想像以上だった。
岩を投げるオーク(パワー系投手)。その死角を補うように、高速で飛び回り、硬い体当たりを仕掛けてくる球状の飛行モンスター「バレット・フライ」(俊足かく乱系)。
「このっ!」
オークの投擲(ストレート)を躱した瞬間、バレット・フライ(変化球)がリゼッタの側頭部をかすめる。体勢が崩れた(エラー)。
そこへ、オークの次なる投石が迫る。
リゼッタは剣を盾にするが、あまりの衝撃に手がしびれ、愛剣が宙を舞った。
(ああ、まただ。私は、いつもこうだ!)
絶望が視界を覆う。丸腰のリゼッタに、オークがとどめの一撃を振りかぶった。
その、瞬間だった。
♪~(ファンファーレ)
どこからか、軽快な、しかしやけに耳に残るラッパ(のような音)が響き渡った。
「「へ?」」
リゼッタも、オークも、動きを止める。
茂みの中から、ユニフォーム姿の男――慎吾が、メガホンを口に当てて立っていた。(ヤケクソだった)
「な、な、な、なんだあれ!?」
慎吾はパニックだった。だが、それ以上に、絶体絶命のピンチに陥っている女性の姿が、9回裏の、あの場面と重なって見えた。
(諦めるな! 諦めちゃダメだ! ピジョンズだって、何度も絶望的な状況から逆転してきた!)
何をすべきか分からない。だが、叫ばずにはいられなかった。
慎吾は、腹の底から息を吸い込み、いつもスタンドでやっている「アレ」を叫んだ。
「かっとばせー! リ・ゼッ・タ!」
(え? なんで俺、この人の名前知ってるんだ!?)
慎吾が自分の発言に驚愕した直後、もっと驚くべきことが起きた。
慎吾の頭の中に、彼女に関する情報が、霞(かすみ)がかったデータシートのように、おぼろげに浮かび上がってきた。
(なんだ……? この感覚……。脚力(あし)はすごく速そうだ。まさに俊足(しゅんそく)の1番タイプだ。でも……なんだか焦りやすくて、致命的なミスが多いタイプ……? ウチのチームの、エラーの多いあの内野手みたいだ……)
(それに、なんだこの印象(イメージ)は……。全然ヒットを打ってない感じがするぞ。討伐率(アベレージ)は……下手したら2割あるかどうかだ。なのに任務失敗(エラー)の数は一軍(レギュラー)クラスって……)
(これじゃスタメンは無理だ……!)
「え……?」
慎吾がそのおぼろげな「印象(データ)」に戸惑っていると、リゼッタの全身が、淡い光に包まれた。
先ほどまで鉛のように重かった体が、羽のように軽くなる。オークの動きが、まるで止まって見える。
「な、なに、これ……力が、みなぎる……!」
慎吾も、目の前の光景に気づいた。
(おお!? 動きが変わった! 俺の応援が効いてるのか!?)
(そうだ、さっき感じた通りだ! あの人の悪いクセ(エラー)……バタバタした無駄な動きが消えて、最短距離で動いてる! まるで名手(ゴールデングラブ賞)の守備だ!)
(俺の「応援(ヤジ)」が……バフになった!)
慎吾は、自分の能力が「応援で人を強化する力」だと、この時思い込んだ。
「グルァ?(何だ?)」
オークが戸惑っている。
慎吾は、もうヤケクソだった。
「いっけええええ! ぶっとばせえええ!!」
慎吾は、ピジョンズの「チャンステーマ」を絶唱した。
「チャンスだ、振り抜けー! おおおー、オイ! オイ! オイ! オイ!」
聞いたこともない歌(チャンテ)が森に響く。リゼッタは「(な、なんだこの歌は!?)」と混乱するが、そのリズムは不思議と彼女の鼓動とシンクロした。
「はあああああっ!」
リゼッタは地面を蹴った。
先ほど落とした剣の場所まで、一瞬で駆け寄る。
「(速い!? 私が!?)」
剣を拾い、反転。バレット・フライが迎撃に来るが、リゼッタはそれを最小限の動きでいなし、オークに向かって肉薄した。
「(いける!)」
確信があった。
リゼッタは、鍛え上げた下半身(脚力A+)に全身の力を込め、渾身の横薙ぎをオークに叩き込んだ。
オークとバレット・フライが、同時に光の粒となって消滅する。
「……はぁ、はぁ……」
オークが倒れると同時だった。リゼッタを包んでいた光が消え、彼女はその場にへたり込んだ。
「……あ、あなたは、一体……?」
リゼッタは、剣を杖代わりにしながら、ユニフォーム姿の男を睨みつけた。「その奇妙な歌と服装は……?」
慎吾も、まだ混乱していた。
(俺の応援(ヤジ)が……本当にバフになった。しかも、あの人の特徴がなんとなく見えた……。これが俺の力なのか……?)
慎吾は、自分のユニフォームの胸にある「Pigeons」のロゴを見下ろし、答えた。
「俺は山田慎吾……。しがないデータ入力係(サラリーマン)で……」
慎吾は、リゼッタに向かって、メガホンを握りしめた。
「『首都ピジョンズ』の、熱狂的なファンだ」
二人の、9回裏(ここ)から始まる異世界(ビジター)での戦いが、今、始まった。
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません
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