第三幕:章9 絶望の毒
渋谷マークシティの屋上テラスは、2025年の夜に沈黙の墓標のように佇んでいた。商業施設の頂上、ガラス張りのフェンスが街の光を遮り、風が孤独を運ぶ。ユリは監禁の隙を突き、家族の車から逃げ出した後、ここに辿り着いていた。センター街のバトルから一夜、レイの重傷の報せがSNSで広がり、彼女の心は砕け散る寸前だった。テラスのベンチに座り、スマホを握りしめ、ベンからのメッセージを何度も読み返す。「レイ、ICU。タイのナイフ、深かった。ユリ、来れるなら…」
涙が画面を滲ませる中、ロレンスさんからの着信が鳴る。代々木公園での最後の密談—彼のヨガスタジオで、ユリは懇願した。「レイを救う方法を…家族の壁、壊せない」ロレンスさんは古い鞄から小さな瓶を取り出し、ユリの手に握らせる。「これは仮死の薬だ。睡眠薬の強力版。飲めば、死んだように眠る。12時間、脈が弱く、息が止まる。目覚めは解毒剤で。だが、危険だ。渋谷の闇が、君を試す」ユリは頷き、瓶をポケットにしまう。マークシティの屋上は、偽りの墓場としてぴったりだった。街の喧騒が下から聞こえ、ネオンが死の仮面を照らす。
ユリは立ち上がり、テラスの端に寄る。風が髪を乱し、眼下の渋谷が渦巻く。「レイ、ごめんね…これで、家族を騙して、君のもとに」瓶の蓋を開け、液体を一気に飲み干す。苦い味が喉を焼く。体が重くなり、視界がぼやける。スマホにタイへメッセージを打ち込む。「もう、終わり。マークシティの屋上で、私…」送信の音が、風に溶ける。ユリはベンチに崩れ落ち、息が浅くなる。仮死の眠りが、彼女を包む。街の光が、遠ざかる。
一方、病院のベッドでレイは目を覚ました。脇腹の傷が火のように痛むが、ベンが傍らにいる。「ユリが…来ないのか」レイの声は弱々しい。ベンが顔を曇らせ、スマホを差し出す。「見てくれ。タイの奴、拡散してる」画面に、ユリのメッセージと、マークシティ屋上の写真—ベンチに倒れる彼女の姿。キャット・クルーの誰かが、偽装の「自殺」を撮影したのだ。「ユリが…俺のせいで…」レイの目から涙が溢れ、傷口の痛みを忘れる。ベンが止める間もなく、レイはベッドから転がり落ちる。「待て、レイ! 医者呼ぶぞ!」
レイは病院の廊下を這うように抜け出し、センター街の路地へ。血の跡を残し、コンビニに飛び込む。棚からエナジードリンクを数本掴み、店員の制止を振り切って外へ。路地の壁に寄りかかり、瓶を次々と空にする。カフェインとタウリンの過剰摂取—渋谷の若者たちの「毒」だ。心臓が激しく鼓動し、視界が白く霞む。「ユリ…待ってろ。俺も、行くよ。この街の闇で、一緒に」液体が喉を滑り落ち、絶望の重さが体を蝕む。レイは膝をつき、アスファルトに倒れる。ネオンの光が、血と混じり、赤く滲む。
SNSが再び炎上する。「#渋谷の恋人たち」「#悲劇の終わり」—ユリの「死」とレイの崩壊が、街の噂を駆け巡る。ロレンスさんは代々木公園で瓶を握り、祈るように目を閉じる。「若者たちよ、渋谷の毒は甘くない…」マークシティの屋上では、ユリの胸が微かに上下し、仮死の眠りが続く。レイの路地では、通行人の叫びがサイレンを呼ぶ。絶望の夜が、二人の命を、細い糸で繋ぎ止めていた。
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