Ⅲ カボチャの殺人鬼
旦那は鍵を持っているから鳴らすわけないし、いったい誰だろう? 何かネット通販で頼んでいるものの配達だろうか?
「はーい。どちらさまですか?」
エプロン姿のまま玄関へと向かい、カメラ付きのインターホンでドアの前を確認する。
「トリック・オア・トリート〜!」
すると、甲高いこどもの声でまたしてもそんな言葉が返ってきた。
画面に映っているのはオレンジ色のカボチャのランプ──ジャック・オ・ランタンのかぶりものをして、全身をすっぽりと黒いマントで覆ったこどもの姿だ。
すでに時刻は七時近く。陽はとうに暮れ、すっかり辺りは真っ暗である。
おばけのこども達がお菓子をもらいにくるのは確か一回だけだと聞いている……予定の時間に間に合わなかったのか? あるいはいじめられてハブられているとか、なんらかの理由で先程のグループに参加できなかった子だろうか?
「今開けるからちょっと待っててね」
いずれにしろ、一人だけお菓子をもらえないのは可哀想だ。わたしは余っていたお菓子の小袋をキッチンからとってくると、すぐに鍵をあけて快くドアを開いた。
「悪戯されたら困るから、お菓子をあげるわね。はい、どうぞ」
そして、ジャック・オ・ランタンをかぶった可愛らしいおばけに、小袋を差し出しながらわたしは微笑みかける。
「……いや、やっぱりお菓子はいらない……だから悪戯をさせろ」
だが、おばけのこどもはそれを受け取ろうとはせず、その代わりに予想外のことを口にし始める。
「……え?」
「俺の望みはトリック・オア・トリートじゃない……トリック・オア・トリックだ」
ポカンとするわたしに対し、おばけのこどもはさらに言葉を続ける……しかも、その声はだんだんと低くなってゆき、最後にはしわがれた男の声に変わっている。
加えて、こどもの身体がさっきよりも大きくなっているような気もする……いや、気がするだけじゃない。みるみるその身体は大きくなってゆき、気づけばわたしよりも背の高い、2m近くある大男に変貌しているではないか!
「……!」
さらにマントの下から差し出したその手には、鋭利なサバイバルナイフが握られている。
「さあ、悪戯をさせてもらおうか……」
「……き、キャァァァァァァーっ…!」
外廊下の照明を反射し、ギラギラと輝く刃物を見せつけるおばけの言葉に、一瞬、唖然と立ち尽くしてから、わたしは絶叫した。
「トリック・オア・トリック……お菓子はいいから悪戯をさせろ」
そして、慌ててドアを閉めようとするが閉め切る前に隙間へと手を差し入れ、その縁をがしりと掴むと、ものすごい力で男はそれを阻もうとする。
「ひっ……!」
必死にドアを閉めようとするわたしと、逆にそれをこじ開けようとするおばけの男……その攻防の最中、カボチャに開けられた三角形の穴から覗く男の眼と、小刻みに震えるわたしの眼が不意にかち合った。
狂気を秘めたその瞳は、カボチャの中の暗闇に怪しげな赤い色を放って輝いている。
今さらだが、こいつは生身の人間ではない……人間の男でもハンデがあるというのに、こんな人外の殺人鬼に力でかなうはずがない。
ドアを閉めることを諦めたわたしは踵を返し、全速力で部屋の奥へと走った。
「クククク…… トリック・オア・トリ〜ック!」
無論、ドアを開け放った男もわたしを追いかけ、ドカドカと屋内へ侵入してくる……しかも、愉しげに不気味な笑い声をあげながらだ。
「キャアァっ! こ、来ないでっ!」
キッチンへと逃げ込んだわたしは、野菜やらお皿やらオタマや菜箸やら、そこらにあるものを手当たり次第に手に取ると、無我夢中に男へ向かって投げつける。
「クククク…… トリック・オア・トリ〜ック……」
だが、カボチャ頭の殺人鬼はどんなに投げつけてもものともしない……避ける素振りも見せず、いくら物がぶつかっても気にすらしていない様子だ。
「お菓子はいいから悪戯をさせろ……」
それどころか手にしたナイフを見せつけながら、カボチャの中でじゅるりと舌舐めずりまでしてみせる。
「い、嫌っ! こ、来ないでっ!」
それでもやたらめったら近くのものを引っ掴み、カボチャ頭に向かって途切れず投げ続けるが、男は刃物をギラつかせると、一歩、また一歩とジリジリ迫ってくる。
「トリック? ……オア・トリック?」
「痛っ…!」
そして、シュ…と風を切ってナイフを一閃させたかと思いきや、物を投げていた右手にわたしは激痛を感じ、同時に白い冷蔵庫の表面には赤い飛沫が直線的に模様を作る。
痛みに右手へ眼を向ければ、人差し指、中指、薬指の三本の内側がパクリと切り裂かれ、鮮やかな鮮血が溢れ出している……男の振り切ったナイフで斬られたのである。
「トリック? オア・トリック?」
「い、いやあぁぁぁぁーっ…!」
最早、選択肢のないあの台詞を口に、さらにまた一歩、距離を縮めてくるカボチャ頭の殺人鬼に、ドクドクと血の溢れ出す右手の痛みになんとか堪えながら、残った左手でなおもわたしは物を投げつける。
無駄だとわかっていても、わたしにはもう、それくらいのことしかできないのだ……。
「クククク…… トリック? オア・トリ…うっ!」
だが、くぐもった愉悦の笑い声をカボチャに響かせながら、ギラつくナイフを振り上げようとしていた殺人鬼は、何かが当たった瞬間、わずかに呻くような素振りを見せるとなぜか顔を背けた。
これまでには一度も見せたことのない反応だ……明らかに何かを嫌がったように思える。いったい何に反応した?
わたしは今、投げた物を掴んでいた左手に視線を向ける……すると、掴んでいたのは塩キャラメルだった。
こども達にあげるために作ったが、人数分以上に作りすぎたため、包装せずに切り分けたまま放置していたものだ。
塩キャラメル……男はキャラメルが嫌いなのか?
……いや、違う。塩だ。塩の方だ! 盛り塩とか、お相撲さんが土俵に撒く塩とか、古来より魔物や霊は塩を嫌うとされ、お清めなどにも使われている……カボチャ頭の殺人鬼は、キャラメルの中の塩成分に反応したのかもしれない。
一か八か。ガスコンロの傍に砂糖とともに並んでいる、粗塩を入れた壺の蓋を乱暴に取り除くと、中の塩を鷲掴みにして殺人鬼へ浴びせかけた。
「う、うぅ……」
大量の塩を浴びた殺人鬼は、見るからに苦しみもがいている……やはり塩が効くのだ。
そうとわかれば、わたしはさらに塩をひっ掴み、間髪入れずに二撃、三撃…と休まずなくなるまで塩を投げつけ続ける……。
「…う、うぅ……や、やめ……ろ……や、ヤメテ……」
と、身体を丸めて呻めき声をあげていた男は、みるみるまたこどもくらいの大きさにまで戻ると、声も最初に聞いた甲高いものへと変化してゆく……そして、徐々にその身体が透け始めると、いつしか霧散するようにして姿を消した。
「……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……はぁ〜……」
脅威が去ったことを認識したわたしは、上がった荒い息を安堵の溜息に変え、腰が抜けるようにしてその場へとへたり込む……危機一髪、なんとか助かったみたいである。
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