第十六話 悪い魔法

 大学帰り。駅までの道を沙良と歩く、それは芳樹。


 沙良はおじさんとあんな事をしたのに、芳樹と、あんなに、あんなにも、楽しそうに。



 きもちわるい。

 りかい、できない。



 俺は、俺の精神はぐちゃぐちゃになりそうだった。いや。


 もうなっているのだ。


 気持ちの芯の部分を押しつぶされて、べちゃべちゃにされる。


 潰された俺は、もう形を保てないところまで、来ていた。


 みんながいるから、何とかか形を保っていられる。



 ただそれだけの、こと。



 思い出して、俺の心は何度でもつぶれた。


 もう――我慢、できない。


『ピサメ!』


『聞こえているんだろう、ピサメ! 沙良が、おじさんと、木村とかいうおじさんと、家で……。俺は、俺はどうすればいい? おれ、は』 


「…………」


「沙良ちゃん? このぬいぐるみ、目が取れかけているね。俺が、直してあげる。大丈夫、次会うときにでも、返せるよ」



 あ――通じ、た。



 沙良はありがとう! と明るく言う。純真、無垢。いつもの、彼女だった。


 それが、たまらなく――

 


■ 

 帰路は無言だった。芳樹は俺を鞄に入れて、黙って歩く。


 俺の家へ、久しぶりに帰った。

 懐かしい、というより、もはや別の家に感じた。


『芳樹、俺は――』


 部屋につくなり、俺は口を開いた。


『もう、ぐちゃぐちゃに、なりそうなんだ。いや――なったんだ。俺の気持ちはぐちゃぐちゃだ。沙良は俺の前であいつと。沙良は――』



 さらは。



 何を考えて、いるのか。

 

 芳樹は無言でソーイングセットを開き、俺の目を直し始めた。


『聞いたよ。お前も、そうだったんだってな。反射的におじさんと入れ替わって。でも』


「――そうです。沙良は、悪い魔法にかかっているんです。私が余計なことをしたから。だから私は、それを解くために――。誰かと入れ替わってしまう瞬間を狙っていた。誰かと入れ替わって、第三者目線で沙良を止めるしかなかったんだ。それが貴方だったのは不幸中の幸いでした。貴方は、沙良の事が好きで、入れ替わりに肯定的だった。まぁ、否定的だったとしても仕方ないですが。――そして協力的です。でしょう?」


『沙良を、止める――』


「そうだ。次、次こそは。おじさんと沙良が次に会うときはわかりますか?」


『わかる。電話で話しているのを聞いたんだ』


「いつだ?」


『最近な、家に、来るんだ』


「家に? 前は、ラブホで――」



『それは俺のせいだ。俺が、おじさんの体で沙良の家に帰ってしまった。そしてその状態で元に戻ってしまったんだ。だから。だから結果的におじさんが、沙良の家を知るところになってしまった』 



『そこからはもう、家に入り浸っている。俺は、俺の、責任だ』


「気に病まないでください。私も、似たようなものです」


『沙良のお母さんは土日いない。お父さんは最近帰ってこない。だから。その隙に来るんだ』


「土日?」


『ああ。沙良のお母さんがパートでいない昼間に堂々と来て、沙良を……』



 だから。

 

「今日は金曜。じゃあ……」


『ああ。おそらく明日の昼前ぐらいに来る、と思う』


「わかりました。私はそのタイミングで家に行きましょう。それで止めるんです。沙良を」


『俺も、俺も連れて行ってくれ。頼む』


「わかって、います」


 戦うんだ。共に――



 でも俺は、何にもできないけれど。



 次の日。土曜日。朝八時。


 芳樹が深呼吸する。

 白い息が、漏れゆく。


 俺らは沙良宅が確認できる路地の角に待機していた。


 おそらく十一時ぐらいに来るから、かなり早い待機なのだ。が、芳樹は見逃したくないから、と早めに来ていた。


 長丁場に、なりそうだ。



 芳樹はスマホを見て、何でもない風を装いながら通行人を慎重に見ている。


 この中にいずれ、異物が混じる。俺らにしか感じられない異物が――



 十一時の少し前。背景の中に、異物。



 土曜日には似つかわしくないスーツ姿――おじさんだ。



『きた』


「ああ」



 短い言葉。だが、最大限伝わる。

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