第六話 不倫

『世の中には、知らなくていいことがあるとは、思いませんか?』


『話さないのかしら?』


『口にも出したくないですね。それに……黙っていても、いつかわかります』



 やや、沙良を気にする気配。沙良は変わらず、誰かと連絡を取っている。


『そうかもね』


『なんの、事だ?』


『いずれわかりますよ。いずれ、ね』



 結局それから、誰も口を開く事は無く。

 沙良は風呂に入り、その後俺らをハグしてキスする。


 寝る前の、ルーティーン。


 部屋は暗くなり、そのまま俺らも眠りについた。



 ふ、と夜中に目が覚めた。


 沙良の部屋は戸建ての二階部分に位置する。


 階下で、物音。というか、話し声?


 誰かが言い争っている……?


 漏れ聞こえてくる声――



「……んで、誰……」


「……、には、関係……」


「……るんだからね、これがその……」


「うるさいっ!!」



 ガシャーン



 何かが割れる音。

 大きな音に、沙良が起きたようだった。


 大きな瞳が、俺を捉える。そして俺を抱きしめ、顔をうずめる。


 小さな声で、つぶやく。

「また、だ……」

 彼女は目を瞑り、更に強い力で俺を抱きしめる。息苦しい。いや息は、してないのだが。



「お父さん、また、なのかな。お母さん悲しむのに。――ね。ピサメ、どう思う?」



 俺には答え、られない。


 ここ数日で、沙良が俺らに話しかけることはわかっていた。


 返事をしても、意思疎通はできない。


 俺らの話し声も聞こえていないようだった。


 だからこれは、沙良の独り言なんだ。


「お父さんまた不倫、してるのかな。毎日帰るの遅いし。前、してた時みたい。……脇が甘いんだよね、お父さんは。すぐにばれて、すぐに喧嘩になる」



「そんなにしたいなら、ばれないようにしたらいいのに。ね」



 沙良は目を瞑る。眠るためではない。


 現実を見ない為。シャットアウトするためだ。


 俺にじわりと、水分がにじむ。


 俺の体は彼女の水分を吸い取る、それに彼女は、慰められているようだった。



 彼女の悲しみが、俺に染み込んでいく。



 俺は彼女を受け入れる。彼女はやがて、寝息を立て始めた。


 ゆっくりと夜は、更けゆく。




 ああ、また喧嘩だ。


 怒鳴る父


 すすり泣く母


 物音が響く。家が軋む。


 毎回、これだ。


 階下の喧騒を、私は知らないふりをする。


 寝ている、ふりをする。


 そして明日、母に明るくおはようを言う。


 父は何事も無かった様にコーヒーを飲む。


 母も調子を合わせ、卵は何個がいいですかなどと聞く。


 子供には、私にはバレていない。


 夫婦の不和を。


 家族の不穏を。


 自らの、心の闇を。


 仮面夫婦。


 それが、うちのルール。


 気づいてはいけない。決して。



 翌日、沙良が大学へ行く前。俺は例によって鞄にぶら下げられている。

 玄関を出る、寸前。


「沙良」

 母親が、沙良を引き留める。


「今日も寄り道せずに、帰って来なさいよ」


「うん」

 沙良の表情は硬い……何かを、察知している。そんな、感じだ。そして。



「もしかして、お父さんは――」

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