白い息

白川津 中々

◾️

 長く貧困を続けていてもひもじさは一向に慣れないものですし、お金を借りる時は、やはり後ろめたいものなのです。


下崎しもさきさん、随分借金をなさっているんですって」


 近くにある『ます口』という安いお店でお酒をいただいていると、そんな噂話を流す方がいました。彼女はます口で日頃の憂さを晴らす下働きの方で、お名前は存じ上げませんが、いつも誰かしらを悪くいうのです。ですから、これはまた、いつものご病気だろうと思い静かにしていると、今度はその隣の、やはりいつもます口にいる男が「俺も貸しているんだ」と粗野な口調で声を張り上げるのでした。


「まったく見栄っ張りなんだよあいつは。誰彼構わず奢ってやるから、生きていく分の金までなくなって、それで首が回らなくなっちまうんだ。それで方々へ頭を下げて、なんとか工面したと思ったら、また見栄のためにばら撒いちまう。馬鹿者だよ」


 私は男の言葉を訂正したくなりました。下崎さんは私の友人でよく知っています。彼は、男のいうような人物ではありません。人が良く、困っている人間を見ると大層気の毒なお顔をされて、「これで足りるかい」と、幾らか工面してくれる聖人なのです。見栄のためだなんて、とんでもない話です。

 私はその事実を突き付け、雄弁を奮って下崎さんの名誉を守るべきではないかと、義憤に駆られました。しかし、私も下崎さんにお金を借りています。彼のお金で、こうしてお酒を飲んでいるのです。勇猛果敢に飛び出して彼の人徳を証明するには、私自身が誠意ある人間であると信じさせて、綺麗さっぱり借金をお返ししなければなりません。懐からお金が消えていくのを想像すると血の気が引き、嘘のように臆病になって、思わず目の前にあるグラスを一気に傾けました。


「仕方がないじゃないか」


 胸の中でそう唱えました。私のような者がノコノコ出ていき、本人に代わって代弁したところで、返って悪い印象を与えてしまいます。だから私は、ずっと黙っているしかなかったのです。


「明日には返してもらうよ。俺だって富豪じゃないんだからな」


 男の言葉を聞いて私は心底から冷え切りました。明日、下崎さんに無理を言って、またお金を借りるお願いをするつもりだったからです。


「ご馳走さまです」


 私はお金を払って外に飛び出しました。急いで下崎さんのところへ行って、お金を借りるためです。


 情けない気持ちでいっぱいでした。行きたくないと思いました。けれど、下崎さんに頼らなければ、私は生きていけません。なにもかも、あのやかまし屋の女と、隣にいた男が悪いのです。二人があんな噂話をしなければ、私はこんな気持ちで下崎さんのもとへ向かわなくても済んだのに!


 足早に往来を進み、真っ白な息が上がっていきます。私は、借りたお金をどう使うか、そればかりを考えているのでした。

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