お前を生涯の伴侶にしたい
夜の静けさが、まるで世界の音をすべて吸い込んだかのように深かった。
リビングの灯りがやわらかく落ちて、カーテンの隙間から静かな光がわずかに差し込んでいる。
その夜、恭弥は、いつもより少し遅く帰ってきた。
けれど、いつものように仕事の疲れた様子はなく、どこか落ち着かないような、妙な緊張が顔にあった。
「おかえりなさい、恭弥さん」
キッチンからパタパタ出てきた蒼が、ふわりと笑う。
「今日は、遅かったですね」
「……ああ。ちょっと、寄り道してた」
「寄り道?」
蒼が首を傾げる。
恭弥は短く頷き、紺色の小箱を静かに差し出した。
「これを、取りに行ってた」
その瞬間、蒼の呼吸が止まった。
小箱を見つめる手が、わずかに震える。
恭弥はその様子を見て、ほんの少し息を吸い込み、低く穏やかな声で言葉を紡いだ。
「この間の“暫定リング”、覚えてるか」
蒼の頬が一瞬で赤く染まる。
「……も、もちろん、です」
「正式なものを渡す約束だったからな」
恭弥が小さく笑って、小箱を開く。
そこには、シンプルでありながらも繊細な輝きを放つプラチナの指輪があった。
どこか蒼らしい、控えめで優しいデザイン。
「……蒼」
名前を呼ばれただけで、胸の奥がぎゅっと熱くなる。
「お前と出会ってから、色んなことが変わった。
仕事も、家族との仲も、俺自身も……感謝してもしきれない。」
「…これから先も、朝起きたらお前がいて、帰ってもお前がいる生活がいい。それが俺の“普通”になってほしい。だから、俺と一緒に生きてくれ。」
言葉のひとつひとつが真っ直ぐで、どこまでも静かだった。
蒼は、気づけば涙をこぼしていた。
「……そんな、こと……言われたら……泣いちゃいます」
震える声で笑いながら、涙を拭う。
恭弥が一歩近づき、蒼の左手を取る。
その指先に、ゆっくりとリングをはめた。
「俺と、結婚してくれるか?」
蒼は、堪えきれずに泣き笑いのまま頷いた。
「はい……!」
その瞬間、恭弥の表情がわずかに崩れた。
硬さの抜けた笑みは、どこか安堵のようでもあり、優しさに満ちていた。
「泣くなよ。せっかくの顔がぐしゃぐしゃだ」
「だって……嬉しくて……!」
「……仕方ないな」
恭弥は静かに蒼を抱きしめた。
蒼はその胸に顔を埋め、嗚咽を漏らしながらも笑っていた。
「これで、正式にお前は俺のものだ」
「……そんな言い方、ずるいです」
「本気だからな」
恭弥が軽く笑い、蒼の髪に唇を落とした。
ティッシュの輪で交わした約束から二週間。
その夜、2人の約束は、正式な“婚約”になった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
翌日
報告のために2人は車で恭弥の実家へ向かう
玄関を開けた瞬間、いつものようにお義母さんの明るい声が迎えてくれた。
「いらっしゃい! 今日も寒かったでしょ、早く入りなさい!」
エプロンの裾を押さえながら駆け寄ってくるお義母さんに、恭弥と蒼は「お邪魔します」と頭を下げる。
そのとき。
「……あら?」
お義母さんの動きがぴたりと止まった。
目が二人の手元に吸い寄せられる。
恭弥と蒼、並んで差し出した左手の薬指に、同じデザインのリングが光っていた。
「……ちょっと。恭弥?」
「ん」
「蒼くん?」
「はい」
お義母さんは次の瞬間、胸の前で両手を打ち合わせた。
「まぁ〜〜!もう、そういうことなのねっ!!」
声がひときわ高く弾んで、蒼はびくりと肩をすくめる。
恭弥は苦笑して、「そういうことだ」とぽつり。
「そういうことだ。っじゃないわよ!もう……!やっぱりそうだと思ったの!」
お義母さんは瞳をうるませながら、ふたりの手を取ってリングをまじまじと見つめた。
「おそろいじゃないの、綺麗……ほんとに、ほんとにお似合いだわ」
「……ありがとうございます」
蒼が小さく頭を下げると、お義母さんはそのまま堪えきれずに抱きしめた。
「うちの子になってくれてありがとうね、蒼くん」
「お義母さん……」
胸に顔を押しつけるようにしながら、蒼の目尻がじんわり赤くなる。
恭弥はその様子を見つめながら、静かに息を吐いた。
「……母さん、泣くのはまだ早いぞ」
「だって……嬉しいのよ!ほんとにもう……! ああ、どうしましょう、お父さんにも見せなきゃ!…お父さーん!」
慌ててリビングに向かうお義母さんの背中に、恭弥が小さく呟いた。
「……やっぱり止められないな」
その隣で、蒼は照れくさそうに笑いながら、左手のリングをそっと指でなぞった。
その輝きは、言葉よりもずっと静かに
けれど確かに、「ふたりのこれから」を語っていた。
リビングのテーブルには、紅茶とお菓子が並んでいた。
お義母さんは雑誌を広げながら、興奮を隠しきれない笑顔でページをめくっている。
「ねぇねぇ、式はどんな感じがいいの?教会? それともガーデンウェディング?」
「母さん、まだ何も決まってない」
恭弥が苦笑しながら言うと、お義母さんは「だって楽しみなんだもの!」と声を弾ませた。
その隣で、蒼はカップを両手で包み込みながら小さく笑っていた。
お義母さんの勢いに気圧されながらも、温かい空気に包まれているのが嬉しかった。
「そうだ、蒼くんのご家族にも来てもらわなきゃね!」
その一言で、空気がわずかに変わった。
カップの中の紅茶が、静かに揺れる。
蒼の指が、ほんの少しだけ震えた。
「……あの」
言葉を探すように、蒼は唇を噛んだ。
「僕……家族とは、もう連絡を取ってないんです…もちろん来てほしいですけど」
お義母さんの手が止まる。
ページを押さえたまま、静かに蒼の方を見た。
「そう……なのね」
蒼は小さくうなずいた。
「ちょっと事情があって、僕達、もう家族とは呼べないというか…」
声が細くなっていく。
紅茶の湯気が、頼りなく揺れていた。
お義母さんはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと微笑んだ。
「……じゃあ、私が呼ぶわ。あなたの代わりに、うちの知り合いを、たっくさんね」
「え……?」
「蒼くんが来てほしい人たちは、もうここにいるじゃない。ね?」
その言葉に、蒼の目がわずかに潤む。
恭弥が隣で無言のまま、蒼の肩にそっと手を置いた。
その掌の重みは、どんな言葉よりも優しかった。
「……はい」
小さく、それでも確かな声で蒼が答える。
お義母さんは柔らかく笑いながら、もう一度雑誌を開いた。
「じゃあ、家族みんなで祝える式にしないとね。蒼くんも、うちの子なんだから」
その瞬間、蒼の中で
失われた「家族」という言葉が、ゆっくりと温もりを取り戻していった。
玄関までの道のりは、名残惜しい空気で満ちていた。
夜も更けていたのに、お義母さんはまだ頬を紅潮させたまま、話し足りない様子でいる。
「もう少しだけ……もう少しだけ話させて?」
そう言って、何度も結婚式の話に戻るのだった。
「ねぇ、花の色はどうするの?やっぱり白がいい?それとも淡いブルーとか?」
「母さん、もう時間……」
恭弥が苦笑して言うが、蒼は優しく微笑みながら頷いた。
「淡い色、いいですね。あんまり派手なのは似合わないと思うので」
「そうでしょう、そうでしょう!」
お義母さんは嬉しそうに両手を叩く。
「蒼くんは清楚で優しい雰囲気だから、きっとシンプルなのが似合うと思ってたの!」
父親が横で笑っている。
「お前、自分が主催するみたいな勢いだな」
「だって、息子が二人もできたのよ!盛り上がらないわけないでしょ!」
その言葉に、恭弥は目を逸らして小さくため息をつき、
蒼は顔を真っ赤にして俯いた。
「……あの、そろそろ本当に帰りますね」
蒼が小さく言うと、お義母さんははっとして頷いた。
「そうね、そうだったわ。ごめんなさい、つい嬉しくて」
玄関へ向かう二人を見送るため、立ち上がる。
靴を履きながら、蒼が一度振り返った。
「今日は……ありがとうございました」
そう言って深く頭を下げる蒼に、
お義母さんはゆっくりと歩み寄った。
「待って」
そう言うと、両腕を広げ、そのまま蒼をぎゅっと抱きしめた。
「おめでとう。そして、ありがとう」
蒼の肩が小さく震える。
「ありがとうって……僕、何も」
「あるのよ。恭弥を幸せにしてくれてる。それが、どれほど嬉しいことか」
お義母さんの声は、涙で少し震えていた。
「この子はね、昔から頑固で、人に心を開くのが下手だったの。でも、あなたといるときの顔は全然違うの。ずっと、それが嬉しかったのよ
親の私達ですら引き出せなかった恭弥の笑顔、見れてすごく幸せなの。全部あなたのおかげよ。」
蒼は言葉を失い、ただその温もりに包まれていた。
恭弥は少し照れくさそうに視線を逸らしながらも、その様子を見守っている。
やがてお義母さんは離れ、蒼の両頬を優しく包んで微笑んだ。
「これからもよろしくね、蒼くん。あなたのこと、必ずみんなで大事にするわ」
「……はい」
蒼の目には光るものが滲んでいた。
玄関を出る前、恭弥が一歩下がってお義母さんに軽く頭を下げる。
「母さん、ありがとう。……いろいろ、助かった」
「なによ、照れてるの?」
「いや」
「カッコイイお顔が真っ赤よ」
そのやりとりに父がまた笑い、穏やかな笑い声が夜に溶けていく。
外の冷たい空気に出た瞬間、蒼は小さく息を吸った。
頬にはまだ、お義母さんの温もりが残っていた。
「……あの人、すごいですね」
「だろ。うちの親、止まらないんだ」
恭弥は苦笑しながらも、どこか誇らしげだった。
「でも……嬉しかったです」
蒼が微笑む。
「俺もだ」
恭弥がその手を取る。
街灯の下、二人の指には同じリングが光っていた。
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