心地良かった
玄関のベルが鳴るより先に、扉が勢いよく開いた。
「あー!!蒼くん!本当にまた来てくれたのねっ!」
弾かれたように出てきた恭弥の母親が、満面の笑みで蒼の手を握った。
前回よりもずっと柔らかな雰囲気で、目尻にうっすら涙まで浮かんでいる。
「えっ、その……はい。お邪魔します」
「お邪魔だなんて!今日はうちの奥手な息子くんより蒼くんをおもてなしするんだから!」
恭弥の肩を軽く押しのけるようにして、母親は蒼をリビングへと導いた。
そこではすでに紅茶と焼き菓子が並び、蒼の座る席のクッションまでふかふかに整えられている。
「蒼くん、ほらこのクッキー、あなたの好きそうなやつ見つけたの。こっちは新しいブレンドのお茶よ、飲んでみて?」
母親はまるで本当の息子にするように、蒼の口元にまでお皿を差し出した。
蒼は恥ずかしそうに笑いながらも、少し震えた手でカップを受け取る。
「……ありがとうございます。こんなにしてもらうなんて」
「もうっ!遠慮しないの。うちに来たら、あなたはもう私の子なのよ」
その言葉に、蒼の喉がつまる。
体の奥がじんわり温かくなるような、今まで知らなかった種類の安心が胸に広がった。
そのまま母親が軽く肩を抱き寄せてくる。
頬に触れる温もりが懐かしいようで、涙がこぼれそうになった。
「……こんなに優しくしてもらうの、初めてで」
「なに言ってるの。恭弥は家ではそういう事してくれないの?蒼くんは、優しくされるの、当然でしょ?」
その横で、恭弥はというと、苦笑しながらソファに腰を下ろしていた。
彼の目の奥で、何かが静かに揺れた。
自分の家が、誰かをここまで安心させられる場所になるとは思っていなかった。
その後も母親は蒼の話に夢中になり、料理を追加し、アルバムを見せ、手をつないで庭まで案内した。
蒼は終始、少し照れながらもずっと笑っていた。
帰り際、玄関で母親が再びぎゅっと抱きしめてきた。
「また絶対来てね、蒼くん。次は泊まりで!」
「……はい」
扉を閉めたあと、蒼は小さく息をついた。
「なんか……帰りたくなくなりますね」
恭弥は苦笑しながら、ポケットに手を突っ込む。
「……そう思ってくれるなら、来た甲斐があるな」
母親は2人を見送ってしばらく2人の背中を眺めていたけど突然何かを思い出し、
「あっ!ちょっと2人とも!戻ってきて!」
まるで子どもみたいな声を出した。
蒼が思わず振り返ると、その笑顔は先ほどよりさらに明るくて、まるで本当に息子を見送るような優しさがあった。
「ちょっと待ってね、まだ見せたいものがあるの!」
母親はぱたぱたとリビングへ駆け戻る。
数秒後
母親の手にあったのは、一冊の雑誌。
それも表紙には大きく「ウェディングジュエリー特集」と書かれている。
「ねぇ見てこれ!」
母親はもう帰る準備をして寒い外にむけてコートまで羽織ってしまった蒼達を家に連れ戻して、蒼と恭弥をソファに座らせ、勢いよく雑誌を開いた。
指でページをめくるたびに、キラキラと輝く指輪の写真が目に飛び込む。
「ほら、これとかどう? このシンプルなデザイン、絶対2人に似合うと思うの!」
「母さん……頼むから落ち着いてくれ」
「だって見てよ恭弥! 蒼くんの指、細くて綺麗だから繊細なデザインのほうが絶対映えるわ。
でもあなたの手は大きいから、もう少し太めのリングでバランス取るのもいいかも〜!」
完全にノリノリだ。
母親のテンションに圧されて、蒼は耳まで真っ赤になっている。
「そ、そんな……僕、そういうのまだ……」
「なに照れてるの〜? あら、こっちのも可愛い! ほら、ダイヤが控えめなタイプもいいわね!」
「母さん!」
「何よ恭弥、真剣に選びなさい。息子の将来のために!」
恭弥は頭を押さえてため息をつく。
蒼はあたふたと膝の上で手を重ね、恥ずかしさで俯いていた。
ページの上には、まるで自分たちの未来を描いたかのように、輝くペアリング。
「……蒼、顔、真っ赤だぞ」
「そ、そんなの恭弥さんだって……」
「俺は……ただ……」
「でも……ちょっとだけ、嬉しいです」
小さく漏れた蒼の声に、恭弥は一瞬黙る。
母親はその一言を聞き逃さなかった。
「やっぱりね〜! もう決まり! 来月の宝飾展、一緒に行きましょう!」
「母さん!!!」
蒼は顔を覆いながら笑っていた。
その頬の赤みはまだ引かず、リビングに響く母親のはしゃいだ声と混ざって、
まるで家中が春の光に包まれたようだった。
「お金ならいくらでも出すからね〜!」
母親のそのひと言で、場の空気が一気に明るく弾けた。
テーブルの上にはまだ開かれたままの雑誌。ページの上には指輪の写真がずらりと並んでいる。
「お母さん、もう本気出しちゃうから! お父さんもそうよね、ね!」
「もちろんだとも」
父親は新聞をたたみ、にっこりと笑った。
「息子の門出だ、金のことなんて気にするな。いいものを選べ」
「父さんまで……」
恭弥は額を押さえて、あきれ半分、照れ半分の表情を浮かべる。
「まだ“門出”でも何でもないから」
「そうよ〜。でも準備って大事なの!」
母親はそう言いながら雑誌をめくり、指でとあるページをトントンと叩いた。
「見て、このプラチナのライン! シンプルだけど気品があって……蒼くんの雰囲気にぴったり!」
「えっ……あ、あの……」
蒼は両手を膝の上に乗せたまま、完全に顔が真っ赤になっている。
母親に見つめられるたび、視線をそらすこともできず、ただ小さく首をすくめた。
「ねぇねぇ、お父さんはどう思う?」
「そうだなあ……恭弥は白いシャツが多いから、この指輪みたいに艶のある銀色が合うかもしれん。蒼くんの方は…少し細めのゴールドも似合うだろう」
「そうでしょ! センスあるわ、あなた!」
母親が嬉しそうに父親の腕をぽんと叩く。
夫婦で盛り上がるその姿は、まるで子どもの結婚式の打ち合わせをしているかのようだった。
「ちょ、ちょっと待ってください……!」
蒼が慌てて両手を振る。
「そんな、本当に……僕たち、まだ……!」
「なに言ってるの〜。うちはもうそのつもりだから!」
母親のその明るい笑顔に、恭弥ももう何も言えなくなる。
「……母さん、本気で言ってるな」
「当然よ。」
「父さんまで止める気ないんだな……?」
「ない。」
父親は笑いながらコーヒーを口に運んだ。
「……恭弥さんの家族、勢いがすごいですね…」
蒼が小さく呟く。
恭弥は横目で蒼を見て、少しだけ口元を緩めた。
「そうだな。でも、悪気はない。むしろ……楽しんでる」
「は、はい……」
蒼は頬を染めながら、両親に向かって頭を下げる。
「ありがとうございます……でも、そんな、気を使わせてしまって……」
「気なんて使ってないわよ〜! 本気でやってるの!」
母親の明るい声が響く。
父親も笑ってうなずいた。
「……ほら、もう照れてないで笑え」
恭弥が蒼の耳元でそっと言うと、蒼はさらに顔を赤くして俯いた。
その様子を見た母親が、また嬉しそうに声を上げる。
「やだもう、初々しくて可愛い〜〜!」
恭弥は耐えきれず、頭を抱えた。
けれどその隣で、蒼の頬がほんのり笑みにほどけているのを見て、
結局、何も言わずにただ肩を落とすしかなかった。
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