珍しい怒った顔
恭弥は一緒に寝ればさらに蒼を苦しませると考えてリビングのベットで寝ていた。
リビングのカーテン越しに、やわらかい光が差し込んでいた。
テーブルの上には、昨夜のままの食器。
冷めきった料理と、手をつけられていない皿。
ソファの上で恭弥が身を起こすと、キッチンから小さな音が聞こえた。
水道の音。皿の触れ合う音。
そして、短く途切れる息。
「……おはよう」
恭弥が言うと、蒼は振り向かずに答えた。
「おはようございます」
その声は、静かでどこか掠れていた。
「ソファ、寝心地どうでした?」
「悪くはなかった。」
「そうですか。1人のベッド、最悪でしたけどね。」
初めて聞いた蒼の皮肉を含んだ声。
恭弥は息を吐いた。
「まだ怒ってるのか」
「記念日だったのに。喧嘩して、別々に寝て、朝になってもそのまま。それで“怒ってるのか”って、どう思ってるんですか」
「一緒に寝たら余計ややこしくなると思って」
「それ!そうやっていっつも理屈で済ませるじゃないですか」
蒼が振り返る。
涙の跡が残った目が、真正面から恭弥を睨んだ。
「僕の気持ちとかどうでもいいんですよね、
恭弥さんは自分が正しいって思ってること以外、全部無視するから。」
「違う。俺はお前を大事に思ってるから」
「“思ってるから”って、もう聞き飽きました!」
蒼の声が鋭く響く。
「思ってるなら言葉じゃなくて、ちゃんと行動で見せてくださいよ。寂しいって言っても無表情で、僕がどれだけ頑張っても何にも気づかないくせに!」
「一緒にいてくれたら、それだけでよかったんです。何も話さなくても、何も食べなくても……ただ、そばにいてほしかったんです」
恭弥の喉が動いた。
けれど何も言えずに、視線をそらす。
蒼は続ける。
「この前、ちゃんと約束したじゃないですか。
今度の夜は一緒にご飯食べようって。だから僕、頑張って作ったんですよ。でも……全部冷めちゃって。でもずっと待ってて…」
言葉が途切れた。
涙がにじんでも、蒼はそのまま話した。
「僕、恭弥さんが忙しいのはわかってるんです。
でも、たまには僕のことも、もう少しだけ…思い出してほしくて……」
蒼は拳をぎゅっと握ったまま、唇をかんだ。
「恭弥さんが怒るのも、冷静に言い返すのも、全部わかってるけど……でも、僕、もう我慢できません。」
「……少し、外に出てきます。」
震える声でそう告げて、玄関に向かう。
靴を履こうと腰をかがめたその瞬間――
ドアの前に、恭弥の影が立った。
「どこへ行く」
「ちょっと……外の空気を吸うだけです」
蒼は視線を合わせようとしなかった。
「泣いたまま、その顔で出ていくのか?」
低く、静かな声。
責めるようではないのに、胸が締めつけられる。
「泣いてるのは……恭弥さんのせいですよ」
「そうだとしても、ひとりで出す気にはなれない」
恭弥は一歩、蒼の前に出た。
腕を伸ばせば触れられる距離。
だが蒼は一歩引いた。
「どいてください」
「落ち着いてから行け」
「落ち着けるわけないですよ!」
声が弾けた。
涙が頬を伝うまま、蒼は顔を上げた。
「僕がどれだけ寂しかったか、
恭弥さんは知らないくせに!」
「知らないとは言ってない」
「でも、わかってくれなかった!僕が待ってた時間とか、連絡がなくて何か事故にあったんじゃないかって心配してた気持ちとか、そんなのどうでもよかったんじゃないですか!」
蒼の胸が上下する。
息が荒くて、視界が滲んでいく。泣きすぎて頭が痛くなっていく。
恭弥は静かに息を吸い、口を開いた。
「……どかない。」
その言葉に、蒼の目がさらに潤んだ。
「なんで、そうやって勝手に決めるんですか……!」
「外に出ても、また泣くだけだろう」
「だから僕今泣いてるんですよ!恭弥さんが、わかってくれないから……!」
蒼の声が震えて、言葉が途切れた。
そのままうつむいた肩が小刻みに揺れる。
恭弥はため息をつきながらも、
ドアノブから手を離さない。
その姿に、蒼は唇を噛んだ。
「……もう、やだ……」
そう小さくつぶやく声が、
玄関の静寂に溶けていった。
蒼の「やだ」という言葉に恭弥が初めて動揺してしまった。
諦めたように静かに道を開け、「行け」とだけ呟く。
蒼は泣きながら急いで靴を履き、外へ出て、
閉じたドアの向こうで、恭弥が壁に手をついて目を閉じる。
互いに後悔を抱えたまま一晩が過ぎ、
朝になっても蒼は帰ってこなかった
一方蒼は泣き腫らした目のまま、公園のベンチに座っていた。
冬の風が冷たく、指先がかじかむ。
そこへ偶然、かつての恋人が現れる。
「……蒼?」
振り返ると、見覚えのある懐かしい好きだった穏やかな笑顔。
驚いたように目を瞬かせた蒼の前に、元彼が心配そうにしゃがみ込む。
「どうした、こんなとこで。泣いてた?」
「……ちょっと、喧嘩して」
「…アイツと?」
頷くと、元彼は小さく笑った
まるで人が変わったように、正確には昔に戻ったように、付き合っていた幸せな頃に戻ったように。
「相変わらずだね。蒼は優しい顔して、いつも我慢ばっかしてる」
「ちょっとまってて」とだけ言い残して近くの自販機から缶コーヒーを買ってくる。
蒼の手に温かい缶コーヒーを渡す。
優しさに一瞬ほっとして、
蒼はつい今日のことを話してしまった。
すると元彼が、苦笑交じりに言う。
「あんな不気味なやつ、最初からやめておけば良かったんだよ、俺ならもっと蒼を幸せにできる。」
蒼は黙ったまま、俯く。
「ほら、前みたいにちゃんと守ってやりたいんだよ。俺……最近怒ってばっかりで、それが原因で別れたけどさ、今はもう改心したんだ、考え直してさ…もう前みたいなことは絶対しないから。」
優しく暖かい手で蒼の冷たい細い指を温める。
優しい言葉。懐かしい手の温度。
けれど、その奥にどこか薄暗い恐怖を感じた。
蒼はスマホを握ったまま、暗い画面を眺めた。恭弥から通知が来ると期待して、けどそんな期待も虚しく、蒼の顔に反応して画面が明るくなるだけだった。
ロック画面に映るのは、蒼と恭弥が並んで写った写真。
それを見た瞬間、元彼の表情が一瞬で変わる。
「…本当にアイツと付き合ったのか。」
声は低く、笑っているのにどこか刺すような冷たさが混じっていた。
蒼は咄嗟に言葉を探す。
「はい…」
「そっか、でももう、そんな写真も要らないよな。」
画面に伸びる指。
蒼の手が反射的にそれを掴んだ。
「やめてください」
初めて、はっきりと拒む声だった。
元彼はわずかに目を見開き、次の瞬間、静かに笑った。
「強くなったんだな。あいつのおかげ?」
蒼は唇を噛む。
怖い。だけど、あの頃みたいに黙って従うことはもうできなかった。
「……帰ります」
そう言って公園の出口へ向かう蒼の腕を、元彼の手が強く掴んだ。
「行かせねえよ。お前、まだこの話が終わってねえだろうが。」
指の力が、痛いほど食い込む。
裏路地と同じ光景、同じ表情、また周りの人は見て見ぬふり、全てが同じで絶望して涙が溢れてくる。
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