好き

オレンジ色の光がリビングを柔らかく染める中、蒼は恭弥と並んで食事をしていた。

テーブルには簡単な夕食が並び、湯気がほんのり立つ。


「……そういえば、週末、暇か?」

恭弥の声はいつも通り低く、淡々としている。だが、最近はその口調に少しだけ穏やかさが混ざっていた。


蒼は箸を止め、顔を上げる。

「え、週末……ですか?」


少し驚いた声に、恭弥は「いや、急に思いついただけだ。出かけてみようかと思ってな」


蒼は少し戸惑い、箸を手のひらで軽く握る。

「そ、それって……僕と……ですか?」

声が小さくなり、顔も少し赤くなる。


恭弥は頷き、静かに目を合わせる。

「もちろんだ。……週末だし、どこか行きたいところはあるか?」


突然の問に驚いて蒼は完全にご飯を食べる手を止めて目はキョロキョロして汗も出てきて


「あっ……え、えっと……その…う…あの……」

声が小さく、目は食卓の上に落ちている。


「落ち着け。ゆっくりでいい」

恭弥の言葉はいつも通り低く、静かに響く。だがその声には、強く安心させるような響きがあった。


蒼は深呼吸をして、手元の箸をぎゅっと握り直す。

「その…ぼ、僕カフェに……行きたいです…」

小さな声ながらも、恭弥に一生懸命に行きたいところを伝える。


「カフェか」

恭弥は無表情のまま頷くが、瞳の奥にわずかな温かさが滲む。

「いいな。お前が行きたいなら、そこにしよう」


蒼は嬉しそうに顔を上げて、さらに勇気を振り絞る。


「あと……できれば、公園もっ……歩きたいです……」

小声だけど、意見を言い切ったその瞬間、蒼の胸はドキドキしていた。


恭弥は一瞬、静かに蒼を見つめる。

その目には、柔らかい笑みがほんの少しだけ浮かんでいた。

「……そうか。自分の行きたい場所を言えたんだな」

低く囁くように言ったその声に、蒼はますます頬を赤くした。


「はい…」

恭弥の前で、自分の意見を言えたことに、蒼は小さな達成感と照れを感じる。


「なら、カフェに寄って、そのあと公園でゆっくり歩こう」

恭弥の言葉は、静かで自然だったが、蒼にとってはとても温かく、嬉しい響きだった。


その日の食事の時間、二人の間には、少しだけお互いの距離が近づいたような、柔らかい空気が流れていた。


恭弥は静かに蒼の目を見つめ、低めの声で言った。


「服はこっちでその日までに用意しておくからな」


蒼は一瞬、目を丸くして驚いたが、すぐに小さく息を漏らしながら嬉しそうに沢山頷く。

「あ、ありがとうございます……!」

声はまだ小さいけれど、自然と顔が赤くなる。


「だから、服はもう心配するな。週末は楽しもう」

恭弥の声は穏やかで、でもどこか含みのある響きがあった。


蒼は箸を置き、両手で膝を抱えるようにしながら、足を少しパタパタして思わず口元が緩む。

「……楽しみにしてます……本当に、楽しみです」


その言葉を聞いた恭弥は、わずかに口元を緩め、軽く頷いた。

「そうか。なら、しっかり準備しておく」


蒼は胸の中がぽかぽかと温かくなるのを感じながら、目を細める。

週末、恭弥と一緒に過ごせる――そのことを考えるだけで、自然と笑みがこぼれた。


恭弥はその笑顔をじっと見つめ、静かに心の中で思う。

(やっぱり、蒼の笑顔を、もっと見ていたい。)


その日の晩、蒼は普段より少し早く布団に入る。

心の奥に、わずかに芽生えた楽しみの種を抱えながら、週末を待つのだった。





週末、蒼は恭弥が用意してくれた白のゆったりとしたタートルネックに茶色の髪色に合わせたカーディガン、青のデニムに身を包み、ドアの前で小さく深呼吸をする。

胸の奥がぎゅっと締め付けられるように熱く、でもまだ不安は残っている。


「……あ、あの……早川さん、準備できましたか……?」

声が思わず震える。自分でも、こんなに恥ずかしい声になるとは思わなかった。


恭弥は玄関で、軽く微笑みながら答える。

「もう待ってる。行くぞ」



外に出るのは、どれくらいぶりだっただろう。

玄関を出た瞬間、蒼は思わず足を止めた。


まぶしい陽の光。

街のざわめき。

冷たい風が頬を撫でる感覚。

全部、頭が追いつかないほど鮮やかだった。


「……外、って……こんなに、明るいんだ」

思わずこぼれた言葉に、隣を歩く恭弥がちらりと視線を向ける。


「久しぶりだからな」

淡々とした声。だけど、その横顔には少しだけ安心したような色が見えた。


今まで窓際にすら寄らせてもらえなかった。

理由はいつも「体温が下がる」「ガラス越しでも冷気は伝わる」そんな曖昧なものだった


だからこそ、こうして“外”を直接見て、歩いているだけで胸が熱くなる。


カフェまでの道が、まるで冒険のようだった。


そして店に着き、テラス席に座った瞬間、

薄い木漏れ日がテーブルに落ち、湯気を立てるカップの影が揺れた。二人でメニューを眺めてこの日は沢山のスイーツを頼んだ


頼んだスイーツが順調に届き2人のテーブルを埋めていく、スイーツがずらりと並ぶ。

苺のミルフィーユに、レモンのタルト。小ぶりなシュークリームまで。


「こんなに頼んで大丈夫なのか?」

恭弥が苦笑まじりに言うと、蒼はフォークを持ったままこくこくと頷いた。

「が、頑張って食べます…のでっ」

緊張と嬉しさで頬が少し赤く、フォークの先でミルフィーユをつつく。


「……無理すんな」

「だ、だいじょぶです。食べます!」


蒼はフォークを口に運び、小さな口でミルフィーユを頬張った。

「んっ……ん、っ……おいしいです……!」

美味しい美味しいと言いながら次のひと口、また次のひと口と夢中で食べ進める。

クリームが唇につくのを気にして、あわててナプキンで拭う仕草もどこか子供みたいで、見ている恭弥の表情がいつの間にか緩んでいた。


フォークを口に運ぶたびに、蒼の肩が小さく揺れて、嬉しそうに目を細める。

その無防備な笑顔が、どうしようもなく胸に刺さった。


「……好きだ。」


思わず、声が漏れていた。

恭弥自身、言った瞬間に息を呑む。

けれど、もう遅かった。


「……っ、んぐっ……!? ごほっ、ごほっ……!!」

蒼は口の中のミルフィーユをあわてて飲み込もうとして、盛大にむせた。

「だ、大丈夫か」

恭弥が慌てて水を差し出すと、蒼は顔を真っ赤にして両手でグラスを持ち上げた。


「……い、いま……なんて……」

「……聞こえたろ」


恭弥は、いつものように落ち着いた声でそう言う。

けれどその指先は、わずかにカップの縁を叩くように揺れていた。


蒼はそれ以上、何も言えなかった。

ただ、胸の鼓動が早くなっていくのを止められないまま、顔はもちろん真っ赤で、クリームを拭うナプキンもぎゅっと握りしめて離さない。


「……そんなに気にするな」

恭弥がそっと声をかけると、蒼はさらに俯き、声も出せずに小さく頷くだけ。


蒼はフォークを持つ手がすっかりぎこちなくなってしまった。


今までの勢いは消え、まるで壊れものを扱うようにスイーツをつついている。


あまりのかわいらしさに、恭弥は思わず吹き出した。

「…ふ…お前、さっきまであんなに食べてたのに、今じゃちまちまじゃないか、そんな食べ方初めて見た」


カフェでちまちまとスイーツを食べ終えた蒼は、恭弥の横で深く息をついた。

「……はぁ、やっと食べ終わりました」

頬はまだ赤く、手にはフォークの余韻が残っていた。


「頑張ったな」

恭弥は静かに微笑む。その視線に、蒼は思わず下を向く。


店を出ると、街は夕暮れの色に染まり始めていた。風が優しく頬を撫で、蒼は少し背伸びをして空を見上げる。


「……空、綺麗ですね」

「そうだな」


恭弥は短く答えながらも、蒼の後ろをゆっくり歩く。


二人は自然と、近くの公園へ足を向けた。

普段の生活では、窓際に近づくことさえ許されなかった蒼にとって、


こんなに広い空間にいるだけで心が高鳴る。


「……久しぶりに、公園、来ました」

小さな声に、恭弥はちらりと横顔を向けた。


「…気に入ったか?」

「はい……なんだか、落ち着きます」


ベンチに腰を下ろすと、蒼は少しだけ体を丸める。

恭弥はその隣に静かに座り、少し距離を開けているのに、蒼はその存在だけで安心することを感じていた。


「……景色、綺麗ですね」

蒼はゆっくり視線を巡らせる。木々の緑、遠くで遊ぶ子供たち、夕日に染まる空。

久しぶりに見る外の風景は、どれも新鮮で、胸にじんわりと染み入った。


恭弥は黙って蒼の横顔を眺める。

小さく息をつき、蒼が自然と笑った瞬間に、また心の奥がほんのり温かくなる。

「……いい顔してるな」

思わず漏れた声に、蒼はびくっと肩を震わせて、慌てて視線を逸らす。

「そ、そんな……」

「別に、恥ずかしがることじゃない」



蒼は外の空気と人の声、そして恭弥の存在に包まれて、初めて外で心から安心できる気がした。


「……また、外に出てもいいですか?」

蒼は少し勇気を出して、恭弥に訊ねる。


「もちろんだ」

低く落ち着いた声。蒼は心の中で小さくほっと息をつき、思わず笑みがこぼれた。


久しぶりの外の景色と、隣にいる恭弥。

蒼は、こうして一緒にいられるだけで、胸がぎゅっとなるのを感じていた。




夜風が肌を撫でる静かな帰り道。

カフェと公園を楽しんだ帰りで、蒼の頬はまだ赤く、少し興奮したように息を整えていた。


「今日は……楽しかったです」

蒼は小さな声で呟く。


「そうか」

恭弥は静かに答え、隣を歩く。


自然と同じ歩幅で歩けるこの距離感に、蒼は少し胸が高鳴った。


しかし、ふと背後から低く響く懐かしい声が聞こえる。


「おい。」


振り向いた蒼の視線の先には、

元彼の姿があった。


顔は険しく、目には怒りと執念が混じっている。

暗い街灯に照らされ、薄暗い表情が不気味に浮かび上がる。


「な……なんでここに……」

蒼の声は震え、体が硬直する。


恭弥は後ろに軽く目をやり、ゆっくりと蒼の肩に手を置く。

「……落ち着け」

低く静かな声。

その一言で、蒼は少しだけ安心したものの、恐怖はまだ収まらない。


元彼はゆっくり近づき、怒りを抑えきれない表情で言葉を吐き出す。

「久しぶりだな……?蒼。」

蒼は目を逸らすこともできず、言葉が喉に詰まる。

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