灰色の倫理

@syousetukaninaru

第1話 赤の予告状

ワインを一口こくりと飲むと、喉の奥にブドウの風味が広がる気がした。

だがこんなものは気晴らしにしかならない。そう思いながらも佐竹壮太は飲み進めるしかなかった。

目の前には冷たくなった遺体があった、彼女__いや、元カノと言ったほうがよいだろうか。

全てお前が悪い。そう自分に言い聞かせた。そんなことはないくらい分かっていても、そう思うしかない。

人一人を殺めてしまったのだ。 遺体は後日路地裏にでも廃棄するかと考えながらワインを飲み進めた。

それしか方法は思いつかなかった。 不思議だった。なぜか昔から酒を飲んだりすると頭がよく働いた。

それに、なんだか今日は人を一人殺めたせいか酒を飲まねば寝れない気がしたのだ。

本当はビールがある。そっちのほうが酔って寝るにはよいのだが、元カノ、秋山春がくれたこのワインも飲んだほうがいい気がしたのだ。 彼女との記憶もろとも、この世から消し去るために。 不意に男は考えた。いつからこうなってしまったのだろうか。

いつからこんな生活を送ることになってしまったのだろうか。 いつから人生という名のレールから脱線してしまったのだろうか。

考えるまでもなかった。男は今でも昨日の事のように鮮明に覚えていた。 頭を掻きむしった後に一つ大きな深呼吸をした。

もう後戻りは出来ない。 男は秋山に目を向けた。 もう人を殺しているのだ。 

どのみち、警察に見つかれば実刑判決くらい妥当だろう。

ならば恨みを晴らすまで。 すべてはあの女のせいだ。 男はグラスに溢れんばかりのワインを注ぎ一気に飲み干した。


木の間から眩しいくらいに太陽が差し込んだ。

小さく一つ作られた窓から外を見る。 今日は比較的忙しい。 休憩できるのはこの時間だけかもしれない。

トコトコと足音が聞こえた。 勢いよくドアを開けてきた。 

「先生。もうすぐで授業ですよ。早く準備してください。」

相変わらず爆発気味の頭だった。 今日は珍しく襟も少し立っている。

髙野秋はやれやれと思いながらその男をびしっと指さした。

「藤見君、襟が立ってる。あなた仮にも助教授なんだからきちっとしなさい。」

藤見君こと藤見晃は慌てたようにありがとうございます、といいながら襟を正した。

その後髙野は椅子に掛けてあった白衣を着て、先行ってるね、とだけ藤見に告げるとそそくさと研究室から出て行った。

藤見が急いで髙野の後を追って部屋を出ると、出て少しする所で髙野が誰かと話していた。

藤見が思わずどなたですか、と問うと、髙野は一瞬驚いたような顔をしたのち

「坂田正仁。この東帝大学の出身で私の同期。 今は…確か警察官、やってるのよね?」

髙野は坂田に問いかけるように言うと、坂田はまぁ。と言って小さくうなずいた。

次に髙野が坂田に藤見を紹介すると、で、と言って一つ疑問を坂田に投げかけた。

「警察官さんが何の御用?私今日忙しんだけど。」

髙野が少し不満気味に言うと坂田は呆れたように頭を搔いたあと、

「そんな問題じゃない。良いからついてこい。」

そう言って半ば強引に髙野を連れて行こうとするので髙野はちょっと待ってと言うと、

「概要だけでもここで聞けない?」

と、言うと坂田は仕方がなさそうに一つため息をつき、周りを見回した後、これだ、と言って一枚の紙を見せてきた。

どうやら手紙らしい。

『髙野秋准教授へ


この度はご愁傷様です。

貴方からすれば何を言っているか分からないかもしれない。

でも、これは貴方にとって悲劇が起こる始まりだ。

そして貴方にはこれを阻止する術はない。

私にとっては楽しみだ。

まあ安心して待っていればいい、そんなに苦しい殺し方は、今のところはするつもりはない。

                                              悪魔』


読み終わった藤見が顔を上げるともう既に髙野は顔を上げており坂田のほうをじっと見ていた。

「俺の要件は分かったか?」

髙野はまぁ…と言って続けた。

「殺人予告ってことだよね?それも、私宛の。」

坂田は何も言わなかったがその代わりと言うように小さく頷いた。

藤見はそこで腕時計を見てはっとした。

もう講義が始まる時間だったのだ。

「先生、時間が…」

藤見が髙野の耳元で囁くと、髙野は一瞬目を閉じて考え込み目をゆっくりと開くと藤見の肩にポンと手を置いた。

「藤見君、今日の講義、頼める?」

はい?、思わず藤見はそう言いそうになった。

だがその代わりにえ、?と言っていたらしく髙野はふっとした顔つきになり、藤見君、助教授でしょ?と始めた。

はい、と藤見は慌てて返事をした。

「助教授なら、もう講義は出来るはずだから…今日の私の講義を、代理でやってほしいの」

髙野の目は希望であふれていた。

無下にすることもできず、藤見はため息交じりに引き受けた。

髙野は今日は暇なことを知っているので頼んできたのだろう。そんな考えを巡らせながら、一つ、と言った

「気をつけてくださいね」

それだけだった。 だが、とても大事な事な気がした。

髙野は一瞬驚いたような顔をしたがふっと口元を緩めうれしそうな顔をして、ありがと、とそれだけ言って去っていった。

藤見も研究室とは反対方向の講義室へ歩みを進めて行った。


~研究室~

髙野は二人分のコーヒーを入れながら、それで?と坂田の顔を見た。

「どうして此処まで来たの?」

「どうして…か難しい質問だな」

坂田は熱いコーヒーを啜る。

あちっと言いながらも飲み進めて行く。

髙野は坂田が猫舌だった事を思い出した。

「だから、どうしてあの脅迫状が本物か分かったかってこと。そうじゃなきゃわざわざこんなところまで来ないでしょ。」

坂田は眉根をひそめた。

「お前なら、言わなくてもわかるだろう。」

髙野はドキリとして思わず目を泳がせた。

その通りだった。別に理由は分かっている。ただ、此処に呼ぶ口実を作ることと、単に髙野が坂田の口から聞きたかっただけだったのだ。

まぁね…と言いながら窓の外を見た。

さっきまでの晴天はどこに行ったのだろうか。

十一月ということもあるだろうが打って変わって雪が降っている。

「あなたたち警視庁があの脅迫状を本物だと思った理由は二つ。」

髙野は指を二つ立てて言った。

「まず、一つ詳しい情報が書かれていない事。悪戯で脅迫状を送る人間は詳細情報を書く。

なぜなら、脅迫状を送ってどう反応するかを見て楽しんでいるから。

二つ、要求が書かれていないから。

これでは、警察からすれば対応のしようがない。

これじゃ、犯人からすれば何にも楽しくないでしょ。

まぁ、どうやら私の命は狙ってるみたいだけどね。」

坂田は安心したようにああ、と頷いた。

「俺が聞きたいことは一つだ。

お前の周りにお前の命を狙うような輩がいるかってことだ。」

「いない。」

髙野は坂田が言い終わるとほぼ同時、いや、何なら言っている最中にそう言った。

はぁ…?と坂田は溜息と疑問を交えたような言い方をした。

コーヒーを啜っている髙野は知ったことではない。

坂田は頭を掻きむしった後に座っているソファから身を乗り出し、

「しつこい様だが、本当に?」

髙野は相変わらずコーヒーを啜りながらこくりと頷いた。

そうか…と坂田は言うと、では、質問を変えよう、と言い新しい質問をした。

「逆に、お前に親しくて殺されそうな奴は居るか?」

コップを机に置き髙野は心外と言わんばかりの顔でへっ?と疑問詞を発した。

「どういうこと?」

それまで石のように固まっていた坂田はやっと状況を理解したかのように動き出した。

「なるほど。 じゃあお前は俺が何を聞きたいのかが分からないんだな?」

うん、と髙野は頷いた。

やれやれ、とまたも頭を掻きながら坂田は丁寧に教えてくれた。

困ったときに頭を掻くのは彼の癖である。

「これがただの殺人予告じゃなくて、連続殺人の予告の可能性があるってことだ。」

予想していたのか髙野は驚いたような顔はしていなかった

その後、坂田はどこが連続殺人の予告かを髙野に話した。

租の訳は脅迫文に始まり、と書かれていること、そして、待っていてくださいと書かれていることだった。

つまり、今すぐに髙野を殺そうとしているわけではないのだ。

ならばその間に何があるというのか、それは想像に容易い。

だから髙野に先ほどのように問ったのだ、と話した。

髙野は満足そうに、了解、と言うと、

「要件はそれだけ?あと、この脅迫状。コピーとってもいい?」

坂田はあぁ、と言うとそれを調べるのか、と切り出した。

髙野がまぁね、というと坂田はふっとした顔つきになった。

「流石は天才教授だ。一応数学科の准教授ではあるが全ての科に精通している…非の打ち所がないと聞いたことがあるぜ。」

坂田がそう言い終えると髙野はあからかに嫌そうな顔をした後、はぁ…と溜息をついた。

「その呼び方やめてくれない?恥ずかしいのよ。それに私は天才なんかじゃない。れっきとした凡人よ。」

坂田は「それは違うだろ…」と思ったが言ってもめんどくさいことになるだけだとよく知っていた。

また、髙野はこれを本心でいう人間であることもよく知っていた。

あ、と髙野がいった。

坂田がどうした?という目を向けると髙野は一瞬考え込んだ後顎を上げた。

「一人、私の周りに殺される可能性が無いとは言えない人ならいるわよ。」

坂田はそこではっとした。

何となく察しはついていたが、髙野は続けた。

「藤見君よ。最近は私と一緒に行動してることが一番多いと思うから。

そんなに強い訳でも無いからもし犯人が相当強ければ…倒されちゃうでしょうね」

お前が言える事じゃないだろ、と坂田は思った。

髙野は昔から運動音痴なのだ。

中学からの同級生だが下校の時に不審者が現れたらイチコロだろうな、とよく心配していたものだ。

そうか、と軽く返しておいた。

坂田は少し冷めたコーヒーを啜り、ご馳走様、と言って部屋を出ようとしたが一つ言っておきたいことがありもう一度体の向きを髙野に向けた。

「何かあったらすぐに連絡しろよ。何なら何かあった後じゃ遅いかもしれないんだからな。」

髙野はふっと口元を緩めた。

相変わらずお節介だなぁと思ったが心配してくれるのは嬉しかったのでありがとう、と返しておいた。


~講義室~

藤見は気が重かった。

どんなに大きなため息を衝こうともこの重い気は晴れないだろうと言うほどには。

何せ髙野の代理なのだ。

本人は自覚がない様だが髙野は生徒からの人気が一番だった。

エリートで身長は約百六十センチ、やや茶髪の髪に平均的な大きさの目、

腰の途中までの長さのポニーテール、たまにお団子や普通に結んでいないこともある。

しかも彼女はほぼほぼメイクをしていない。

メイクなんて興味がないらしい。

藤見には姉がいるがもう中学生の頃にはメイクに興味を持っていた。

そのころの髙野はどうだったろう。

恐らくメイクへの興味なんてこれっぽっちもなかったろう。

そういう人なのだ。あの人は。

やはり変わり者だとは思うが言うことの筋は通っているし学べることも多い。

だから別に構わない。

だが、面倒だと思うのは今回のような時だ。

大学の人気投票一位。男女ともに尊敬の意を示している。

仕方がないか、と思いながら藤見は壇上に上がる。

「髙野准教授は体調不良ということで、代理でこの藤見が講義をさせていただきます。」

そう言って藤見は一礼した。

ええ~、そういう言葉にもなっていない不満が不思議と藤見の元に届いた。

中には露骨なまでに嫌だな、という意を表している者もいた。

何せ藤見は耳が良い。

そういう聞きたくないものまで聞こえてしまうのだ。

藤見は自身の耳が良いのを恨んだ。

マイクがあるので小さな声でも十分響いた。

そして何とか講義が終わった。

実に面倒だった。

やはり髙野でなければ皆の気力も少しは落ちていた。

ならば講義を受けるな、と思ったが言うわけにはいかない。

そう言いたい気持ちを押し殺して藤見は講義を終えた。

ヘトヘトの状態で部屋に戻るといるのは髙野だけだった。

「あの刑事さんは帰ったんですか?」

気になってそう問うと髙野はアイスクリームを食べながらうん、と言った。

アイスクリームを食べ終え、こちらを振り向いた髙野の顔は不思議なまでに真剣だった。

大事な話だということは何となく察した。

「藤見君、これから気を付けて。貴方も狙われてる可能性がある。」

藤見は首に汗が伝うのを感じた。

思わず唾を飲み込んだ。

その後、髙野は藤見に詳しく説明した。

なぜこの脅迫文が連続殺人の予告である可能性があるのか、なぜこの脅迫文が悪戯でないと判別出来たのか、藤見にも分かりやすく。

ちょうど説明が終わったころ、髙野のスマホが鳴った。

髙野はごめん、と言って部屋の隅へ移動した。

はい、はい。うん、分かった。待ってるね。それだけ言って通話を切った。

「誰か来るんですか?」

そう問うと、髙野はうん、と言った。

「正仁、来るらしいわ。なんか犯人から追加の脅迫状があったらしくて、それと、私の方にも送ったようなことが書いてあったらしいから確認してくれ、って。」

髙野はその格好のまま部屋を出て、階段を下りて行った。

あの人はあの格好のままで出ていくのか…と思ったが一応大学の敷地内にあるのでいいか、と藤見は納得した。

藤見もついていこうかと行こうかと思ったがそれよりも整理整頓下手な髙野が管理している研究室のほうが気になったのでどうせ来客があるなら、と思い軽く整理整頓しておくことにした。

まさか先生はここに刑事さんを連れてきたのか?と思ったが、あまり余計なことは考えないことにした。

それから五分もしないうちに髙野は戻ってきた。

外の空気がやや入った、冷たい封筒を手にして。

髙野はビリビリと封筒を開けようとしたがもう少しきれいに開けてくれ、と言うと仕方がなさそうに慎重に開け始めた。

下手をすればこれは証拠品の一つになるかもしれないのだ。そんな大切なものをお粗末に扱ってはいけないだろう。

そもそも開けていいのかも分からなかったがどうも許可は貰っているらしい。

しかし流石はB型だ。物の扱いが雑である。

藤見はAB型なのだが整理整頓は昔から好きなのだ。

そしてしばらくすると坂田がやってきた。

追加の脅迫状を見せろと髙野がせがむと坂田は胸ポケットから封筒を取り出した。

やはり丁寧に保管されていた。藤見は髙野に注意して置いて正解だったと安心した。


『警視庁の皆様へ


親愛なる諸君へ

君たちはあの脅迫状を本物だと判別出来たかな?

まぁ出来なくても出来ても君たちには私の計画を阻止する術はないから変わらないんだが。

君達が心の底からこの事件を解決したいと思っているのならば、例によって

東帝大理工学部数学科の髙野秋准教授に改めて相談してみるといい。

それと、彼女にも似たような手紙を出しておいた。

まあ君たちの事だからすでに相談しているだろうが、精々頑張りたまえ。

                                                  悪魔』

「…という内容だ。お前の所にも似たような手紙がないか?」

坂田は二人が顔を上げるのを確認するとそう聞いた。

あったわよ、と言って机の引き出しに入れた例の封筒を差し出した。


『髙野秋准教授へ


私は先ほど警視庁の方々にこれと似たようなを送った。

間もなく警視庁の人間が来ると思う。

私はこれから定期的に君に手紙を送る。

それで私の力を思い知って自殺をしてほしい。

君のような醜い人間には早く消え失せてほしいものだね。

                           悪魔』


ひどい…藤見が思わず出しそうになった第一声はそれだった。

髙野はもう事前に見ていたらしく驚く素振りはない。

「結構酷いな…」

藤見の気持ちを代弁する様に坂田が言った。

「犯罪者なんて、こんなもんじゃないの?それは貴方達警察が一番知ってると思うけど。」

坂田はまぁ、それはそうだ、と同意しつつ、もやっとしている様子だった。

坂田はそのままコピーだけとって警視庁へ帰っていった。

坂田が帰った後藤見と髙野は別の研究室に移り、実験をしていた。

もう夜の八時だったので大学生はおらず二人だけだった。

朝から降っていた雪はいつの間にか止んでいた。

そうだ、と髙野は始めた。

「明日、行きたいところがあるんだけど、着いてきてくれる?」

こんな時に…と思ったが言い返すのも面倒だったので「はい。」と言って行くことにした。


~翌日~

東帝タワーの近くにある芝生公園のベンチに座っていた。

腕時計を見ると約束の九時まで五分前だった。

髙野は連絡なしに遅刻はほぼほぼしないのでもうすぐ来るだろう。

ごめん!そう声がして腕時計から目を離し上を向くと髙野がこちらに走ってきていた。

今日は珍しくお団子でマフラーを首に巻き手には手袋をして茶色のコクーンコート、赤いセーターに白いスカートと言った格好だ。

相変わらず美人だな、と思いながら大丈夫です、とだけ伝えると、行こう、と言って東帝タワーの方向に歩き出した。

今日は十一月二十三日。 勤労感謝の日で木曜日。祝日だ。

受付でチケットを見せたりいろいろした後にエレベーターで一気に最上階まで上がった。

「先生、何で僕までここに連れてきたんですか。」

髙野は少しの間黙っていた。

「…何で…そんな事聞くの?」

それを聞いて藤見は奥歯をぐっと噛みしめた。

やはり聞いたほうがいい。藤見は髙野に今回この東帝タワーに誘われた時から不思議でままならなかった。

先生が一人で行くならまだ分かった。

彼女は比較的公私を割り切っているタイプだ。これまで髙野に何処かへ出掛けようといわれたことはなかった。

普通ならここまで疑問に持たないかもしれない。 でも、今回は事件もある。 だから気になって仕方がなかった。

藤見は一つ深呼吸をしてから髙野に考えていた理由を言った。

「単なる…興味です。」

彼女はそう…と言うだけだった。特に理由は教えてくれないのか、と思ったが髙野は続けた。

「教えるべき時が来たら、言うわ。」

藤見はそれ以上追及しなかった。いつか教えてくれるというのならその時をゆっくりと待とうと思ったのだ。

髙野がこういうことを言って、言わなかった試しは無かったのだ。

その後すぐに最上階に到着した。

此処は首都・東京だが、今年の冬は比較的雪が降ると天気予報が言っていた。

まさにその通りだった。北海道に比べれば、こんな物ありんこだろう。

だが、例年と比べると、少しだけ雪の量が多かった気がする。

そんなきれいな景色に見惚れている暇はなかった。

バリンと大きな音がした。

え、?と藤見は一瞬状況が理解できなかった。

だが次々にガラスが割れたことで藤見は状況を理解した。

同じ方角の窓ガラスが次々に割れたのだ。

先生、そう言おうとしたが声が出なかった。

髙野は何も言わなかったが藤見に頭を伏せさせた。

そして、藤見の手を引いて、壁の陰に隠れた。

今聞くべきでは無いと思いながらも藤見は好奇心を抑えきれず、拳銃ですか、とだけ問った。

髙野は、いや、と首を横に振った。

じゃあ何だと言わんばかりの顔の顔をしていると髙野はスマホを取り出しながらライフルよ、とだけ答えた。

藤見がええっ!と驚きの声を上げると髙野は左の人差し指を口元にあてシーッ、と言い、そのまま誰かに電話を掛けた。

電話をした相手に何度か返事をすると電話を切り、藤見に向き直った。

「まず、あれが拳銃じゃなくてライフルによる犯行なのは距離と、弾よ。」

弾?、と藤見が不思議そうにするとこくりと頷いて髙野は言った。

「一個弾が私の足元に飛んできてたの、その弾が細長かったし撃った方角から考えると近い所から撃っても約五百ヤード、メートルに加算すれば約四百五十七メートル。とてもじゃないけど拳銃じゃ届かないわ。

それと、君が聞きそうなことから推測すると、誰と電話したかは正仁よ。」

確かに藤見が聞きたいことだったのでやはりこの人は凄いと藤見は改めて感心した。

さて、と髙野は立ち上がった。

「じゃあさっさと脱出して私たちも犯人追うわよ。詳しいことは追々話すわ。」

藤見は聞きたいことが沢山あったが今は聞く

べきではないと思い唾とともにその気持ちを飲み込んだ。

その後タワー内にある売店に移動すると床下収納のような扉を開け、そこにあった梯子で下へ脱出した。

そこから少し歩くと髙野の愛車であるシトロエンのc3の白が隠すように置かれていた。

もう六、七年乗っている車だそうだ。

髙野が運転席に乗り、藤見が助手席に乗ると車はすぐに動き出した。

車が動き始め、ひと段落したところで物欲しそうな顔をしている藤見に気が付いたのか髙野はふふっと笑った後に、「じゃあ、状況整理をしようか。そっちから質問があれば言って。」と言い、藤見は多くあった疑問を出した。

藤見はまず、なぜあの場所で今回の作戦をしようとしたのかと聞いた。

「あそこなら、犯人から狙いやすいから、色々特定できる気がしてね。」

次に、人の命が危険にさらされる可能性を考慮しなかったのか聞くと、驚きの答えが返ってきた。

「あれは全部AI。機械学部と工学部が合同で作ってたのを貸してもらったの。何とか頼み込んでね。」

髙野が言うに東帝大のAIレベルは日本ではトップクラスだそうだ。

最後になぜこのタイミングで東帝タワーに行ったのかを聞いた。

犯人からの予告状には髙野を狙うのは終盤だということが書かれていたし、なぜ犯人が髙野と藤見の居場所を特定できたかが気になったのだ。

「確かに予告状には私を狙うのは終盤と書かれてはいたけど標的が見つかればさっさと私を倒そうとするんじゃないかと思ってね。居場所を特定できた理由は適当にSNSで拡散したのよ。」と、言うことだった。

そしてこの作戦を坂田たちにも知らせ、もしも犯人が現れたら逮捕してくれ、と言っていたそうだ。

また、藤田は自分を連れてきた理由は犯人が髙野の周りの人物も狙っているのなら、自分を連れて行けばより犯人が現れる確率が高まると思ったからだろうとおおよその察しがついた。

そしてその後、坂田から犯人の居場所は特定できなかったと連絡が来た。

そのままシトロエンは東帝大学へ戻っていった。


ちっと舌打ちをする音が部屋の中に広がった。

計画がうまくいかなかったからだ。

計画と言うのは東帝大学の准教授、髙野秋を殺害する計画だ。

なぜ上手くいかないのか、男にはさっぱり理解できなかった。

男からすれば髙野は死ぬべき存在だったのだ。

自分が第一の殺人をしてしまった理由も、全てはあの女のせいだと思うしかなかった、いや、そう思えば気持ちが少しは軽くなった。

男は自分の人生を振り返った。

自分は昔から神童、と言うよりも、天才と呼ばれてきた。

男は本当に頭が良かった。

中学生の頃には東帝大学の受験の過去問で合格ラインを余裕で超えたほどだ。

ではなぜ、この人生を歩むことになってしまったのか、なぜ『神童』ではなく『天才』だったのか。

『神童』ではなく『天才』だった訳は、男の幼少期に由来した。

頭はよかったが男はそれをずる賢いことに使っていた。

たとえばどんな悪戯をするかなど。

だが、頭が良いことは周知の事実だったために『天才』と呼ばれ続けたのだ。

そして佐竹は大人になり、皆の予想通り東帝大学に入った。

大学内でも成績はかなり良かった。

それ故自分は天才で神童だとずっと信じてきた。

だが、それは間違いだった。

他にもこの世には真の天才がいたのだ。

いうなれば佐竹は『偽物』の『天才』だったのだ。

大学で発表をする機会があった。

その時にあの女____髙野秋に出会ったのだ。

彼女は佐竹と同じくらいの実力を持っていた。

だが佐竹は彼女に劣るところがあった。

性格だ。

そして佐竹は元々彼女が気に入らなかった。

正確に言えば気に入ってはいた。

容姿に魅入っていた。

だが佐竹が乱暴をすると、だいたい彼女によって鎮火される。

それで佐竹は髙野に不満を募らせていた。

だがさすがにそれでは殺人をしようとは思わない。

決定的なことが一つあった。

いつだっただろうか。

恐らく佐竹が大学四年生の頃。つまりは髙野が大学二年生の頃だったと記憶している。

東帝大学の理学部全体での卒業研究発表会があった。

その時のために佐竹は何度も練習を繰り返していた。

こんな面倒なことはしたくなかったがもしそこで成功すれば大企業への就職が決まっていた。

しかもキャリア組として。

そのためならばと思い何度も何度も練習した。

練習してきたためプレゼン自体は上手くいった。

佐竹は心から喜びを感じていた。

そして、自分は人生のレールから脱線することはないのだと思っていた。

だがそんなに人生は甘くなかった。

残りは質疑応答だけだった。

的外れな質問から的確なものまで。いろいろな種類の質問が飛んできた。

そして大体の質問が終わったかと思ったとき後ろに座っていた女子大生が手を挙げた。

何かと思って質問を許可すると彼女はこういった。

「この初期宇宙の進化論にはビックバンとは具体的にどういう現象か、と言うことが細かく説明されていません。これでは企業などで発表することになった時に企業の皆様が分からないかと思います。 そのためその様な疑問を持たれた場合の回答を求めます。」

佐竹はそこではっとした。

盲点だった。

自分は絶対にプレゼンを失敗させないという自信があった。

そのために些細なことを見逃していた。

だからこの様な当然な質問にこそ答えられなかった。

佐竹が想定していた質問は全てプレゼンの内容に踏み込んで聞くものだった。

佐竹自身もうろたえている事は答えているときに分かった。

だがもうどうしようもなかった。

髙野は佐竹の答えを聞いた後一瞬考えた顔をした後に椅子に腰を下ろした。

そこで佐竹は確信した。

髙野は佐竹にまだ質問があったにもかかわらず、情けをかけて見逃したのだ。

それが佐竹の火に油を注ぐ事となった。

どうせなら情けを掛けずにすべて出し切ってしまってほしかった。

情けを掛けられるほうが余程恥ずかしい。

そのプレゼンでの失態により大手企業との契約は白紙となった。

中企業も同様だった。

そしてなんとか佐竹が就職出来たのは小企業だった。

どうやら発表会での噂はかなり広がっていたらしい。

一応キャリアとしての採用ではあったが実質的にはノンキャリアと同じような扱いだった。

無論そこで佐竹が恨むのは自身ではない。

髙野だった。

例の発表会から卒業までの間に髙野の事はある程度調べていた。

そこでいくつかの情報を得た。

まず髙野は父を殺されていた。

本人はあまり言ってないようだったがどこからか来た風の噂で少しばかり広がっていた。

本人も聞かれると否定はしていないようだった。

そして父が殺害された二年後、その事件の裁判が三審全て終わり、犯人の判決は証拠不十分により殺人罪の法定刑が執行されず執行猶予十年になった。

髙野の母親はこれに不満を抱きもう一度裁判をやり直すように書いた遺書を書きのこし首吊り自殺をした。

その後髙野は祖父母に引き取られ高校生まで生活していた。

それによって佐竹の怒りは激化した。

彼の家は元々そこそこの会社を経営していた。

残念ながら十年ほど前に倒産したが別の会社に就職してそこそこの立場を作っていた。

そのため佐竹家はどちらかと言えば富裕層だった。

だがその佐竹の父が数年前に死去した。

母はそれより数年前に亡くなっており、いとこや親戚もいなかったため

遺産は佐竹一人のものとなった。

暮らそうと思えばその遺産で暮らせたが金はいつか尽きる。

故に仕方なく働き始めたのだ。

だが彼は髙野が数学者として働き始め、その界隈ではやや有名になったことが気に入らなかった。

元々は自分の方が立場が上だったのに今はまるで真逆だからだ。

一瞬自分でも理不尽な理由かと考えた。

だがもう既に佐竹の人生のレールは完全に外れていた。

ならばもう失うものは何も無いと意を決して今回の計画を立てた。

また、当時彼女だった秋山春も協力してくれると思っていた。

だが計画を話すと彼女は当然のように別れを告げてきた。

佐竹はもうその時点でかなり頭に血が上っていたのか秋山と大喧嘩し、勢い余って扼殺したのだ。

遺体は夜に路地裏に捨てた。

燃やしはしなかった。

遺体が発見されれば警察は必ず自分に話を聞きに来ることがあるだろう。

だがそれならそれで楽しそうだと思ったのだ。

もはや愉快犯だ。

佐竹は警察に追いつめられるドキドキも楽しもうと思ったのだ。

それが第二の理由でもある。

この計画を始めてから不思議と寝つきが良くなった。

そのまま佐竹はベットに行くと数分で眠りについた。


トントンとドアを叩く音がした。

中からはどうぞ、という返事だけが聞こえた。

坂田が部屋に入ると髙野は回転いすに座ってコーヒーを飲んでいた。 

坂田が部屋に入るとよっ、と小さく手を挙げて見せた。

坂田が近くにあったソファに腰かけると髙野もそちらに移動した。

それで、と髙野が口を開いた。

「今回のご用件は?」

わざとらしく敬語を使っていた。

だが確かに用件は伝えていなかった。

用ができたから行くと言っただけだった。

「その前に、だ。」

坂田は小さくコホンと空咳をして入っていいと声を掛けた。

失礼しますという声とともに一人の女性が入ってきた。

スーツ姿で身長は髙野よりもやや低い。

目の下にほくろがあり小顔である。

坂田は座ったまま手を彼女の方に向けた。

「この子は俺の部下の下村美香だ。

俺も一応警部補でこの事件の主任だからな。

そこそこ忙しんだ。だからこれからは下村が来ることが多いかもしれねぇが、よろしく頼むぞ。」

下村はお願いしますと言うとまたぺこりと一礼をした。

髙野は思わずふふっと笑みが漏れた。

何だ、と坂田が怪訝そうに眉を顰めると髙野は子供っぽい笑顔になった。

「いや、そんなお忙しい警視庁の警部補さんがわざわざ時間縫って此処まで来てくれることが嬉しくってねぇ。」

この言葉のどこに一体煽りの要素があるのかは分からなかったが坂田は無性にイラっとした。

とにかく、と怒りが髙野にも伝わるように乱暴な口調で会話を再開した。

「お前に伝えないといけない大事なことは下村の事もあるがもう一個ある。」

なぁに?と髙野が上目遣いで聞いてきたため坂田は今にも爆発しそうな怒りを必死に抑えた。

「殺人が起きたんだよ。 遺体の名前は秋山春さん。 まだ犯人は見つかってなくて今頃捜査本部が作られてると思う。」

そう言いながら坂田は秋山の写真を机に置いた。

「その事件が私と何の関係があるの?」

髙野は肩をすくめた。

「今この事件の容疑者として捜査してる彼氏の佐竹壮太。

こいつがこの東帝大の出身で年はお前の二つ上。

お前が大学在学中に被ってた期間がある。

さらに言えば、この佐竹は物理学科だ。

それも、お前と同じ理工学部だ。

顔を合わせる機会くらいあったかもしれないだろ。

             偶然にしては出来すぎてる。」

坂田は問いを明確にはしなかったがつまりはこの佐竹と言う男が現在最重要容疑者として考えられている、髙野はそう推測した。

机に置かれていた佐竹の写真と睨めっこをした後、

目をつぶり、不意に目を開けた。

「何処かで見たことがあるような気もしなくはないわ。

でも、何処で会ったかまでは…」

髙野は思わず言葉を濁らせた。

だが坂田は満足げにソファを立った。

「ま、ありがとな秋。んじゃあ後は色々この下村がやってくれっから、俺は本庁に戻る。まぁくれぐれも気を付けろよ。」

それだけ言って部屋を出て行った。

「改めまして、警視庁の下村です。

色々と今回の事件について聞きたいので少々質問をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

下村はいたって真剣に聞いていたが髙野はふふふと笑った。

「じゃあ逆に私が断ったらどうするのよ。」

そう無邪気な笑みを作った。

下村はぐうの音も出ない様子だった。

相変わらずのからかい上手だ、そう思いながら気配を消していた藤見は下村にそっと声を掛けた。

「この先生がそう言うなら、全然良いってことですよ。」

やや呆れも含めながらそう言うと下村は一瞬びっくりしたような顔をしたがありがとうございますと小さな声で礼をしてくれた。

可愛い子だなくらいは思ったが特に特殊な心を抱いては居なかった。

「では、最初の質問をさせていただきます。なぜ、凶器がライフルだと分かったのですか?正確に言えば、タワーに行けば作戦を実行できると思った理由を知りたいです。」

単刀直入な質問だった。

髙野は少し考えた顔をした後真っすぐ下村の方を向いてはっきりと答えた。

「言うなら、凶器がライフルだとは分かってなかったの。

でも、何となくわかった。

まず、私がSNSであのタワーに行くって拡散したのは当日の朝。

爆弾のような小細工を仕掛けたりするのは無理に近い。

それならば可能性が高いのは外からの攻撃。

外から撃つなら大型のものを当日の朝に準備するのも無理だと思うからライフルやそこまで大きくない装置。

それに、大型だと通行人に見られる可能性も高いしね。

私が死ぬ可能性を考えなかったのかって言えば嘘になるかもしれないけど低いとは思った。

犯人がどっかの組織でスナイパーをしてきたような奴なら私が殺される可能性は高い。

でも、あんな感情論で手紙を出すような奴がそんなすごい業績のある人間だとは思えなかった。

たぶん犯人は私の近くにある人間を殺していってそこで実力をつけるつもりだったんでしょうね。

それと藤見君が殺される可能性は皆無だと思った。

確かに手紙には少しずつ殺していく、みたいなことが書いてあったけどラスボスが最初にあらわれて既にそのラスボスを倒せるくらいの実力があるなら中ボスなんて飛ばすでしょ。

まぁ、犯人はその実力はなかったみたいだけど。」

そこで一区切りつけると下村はメモ用紙に何かを書いていた。

もしかしたら今髙野が書いたことを書いているのかもしれない。

藤見はなかなか熱心だと感心していた。

「ありがとうございました。後は坂田さんにも言っておきます。

気になってらしたので。それと、坂田さん、最近すっごい髙野先生の事、気にされてましたよ。なんか…いい感じに。」

彼女の頬が少し赤くなっていたのを藤見は見逃さなかった。

残念ながら髙野は気づいていなさそうだったが。

少し話をしたのち藤見が彼女を見送った。

下村の年は二十六歳で坂田より一個下らしい。

髙野よりは六つ上だった。

因みに下村曰く、「よく『したむら』、ではなく、『しもむら』と間違って読まれて修正しているのですが面倒なので出来れば覚えてください。」とのことだった。

確かに間違われそうだなと少し共感した。

下村が帰った後藤見は疑問を髙野に投げかけた。

「先生、まだ少々質問があるのですが、良いですか。」

素っ気なく言うとうん、とこれまた素っ気なく帰ってきた。

「先生は先ほど自分が死ぬ可能性は低いと思った、と仰っていましたが、低い、と言うことは、自分が死ぬ可能性も少なくとも在るとは考えていたんですよね。でも、先生は確信が持てないとそういう作戦は行わないと思います。万に一つ死ぬ可能性は考えなかったんですか?」

何となく同じことを繰り返しているような気はしたが重要なことだと思ったので気にしていなかった。

髙野は少し黙った後、口を開いた。

「確かにその通り。私が絶対に死なないとは思ってはなかったわ。

でも、その時はその時だと思ってたし、死んでも何とかなるかな、くらいの感覚だったから。」

藤見は眉根を寄せているが自分でも分かった。

そのくらい、藤見にとって髙野が言っていることは違うと感じたのだ。

そして、藤見はその考え方が単に気に入らなかった。

「何でそんなこと言うんですか?」

気が付けばそう口を開いていた。

ようにパソコンから目を離し、こちらを見上げていた。

止めなければと思ったがもう止まらなかった。

「先生に何かあれば僕は…どうすれば良かったんですか?

幸い何もなかったので良かったですけど、万に一つ…億に一つ何かあったらどうしろと言うんですか?

それに、先生は少々勘違いをなさっているようですが、先生がいなくなって悲しむ人はいっぱいいます。

僕だってそうです。

坂田刑事だってそうですよ。

だから、まぁ、色々と気を付けてください。

最初で最後のお願いですから。」

髙野は口元を緩めパソコンに向き直ったがその頬に透明な何かが伝るのを藤見はしっかりと見た。

長い台詞を言い終えた藤見の溜息には安堵も少しばかり含まれていた。

それと同時に少し格好をつけてしまったと恥じた。

だが藤見の心の中は喜びに満ちていた。


佐竹壮太が逮捕されたのはそれから数日後だった。

決め手は東京湾に捨てられていた秋山のスマホを修理し、ついていたGPSをで彼の居場所を特定できたこと、また、秋山を殺害したとみられる包丁を佐竹に見せたところ、逃走したからである。

その際には髙野も同行した。

本来はそんな予定はなかったそうだが髙野が役に立てるのなら、と後日また東帝大学を訪れた下村に言い、坂田の知り合いと言うこともあり厳重な警備の上で承諾されたのだ。

因みに、秋山のスマホを修理したのも髙野である。

運動神経は皆無だが代わりに手先は器用なのだ。

髙野曰、彼女がついていったのにはその方が犯人が出てくるかと思っていたらしい。

あれ程危険なことはやめろと言ったのに、そう呆れながらもすべてが終わった後だった為、溜息を衝くしかなかった藤見であった。


後日、藤見は坂田に呼び出された。

約束場所の喫茶店に行くと坂田はもう既に席についていた。

藤見を見つけるとにっこり笑ってこちらに向けて手を振った。

藤見は軽く会釈を返した。

「一個、君に頼みたいことがあるんだ。」

坂田は少し冷ましたコーヒーを一口飲むといった。

「頼みたいこと?」

藤見が思わずそう返すと坂田は小さく頷いた。

「今回の事で君も分かったかもしれないが、あいつはトラブルに巻き込まれやすい。

まぁいわゆるトラブルメーカーみたいなもんだ。

嫌味がないからそれが良いか悪いかは分かんないがな。

それでまぁあいつを監視してほしいんだ。

嫌だったらもちろん断ってもらって構わんが、頼む、考えてみてくれないか。」

そう坂田は目を閉じてパチンと叩いた手を前に出してきた。

「坂田さんじゃダメなんですか?」

純粋に気になって思わず声に出した。

坂田は少し恥ずかしそうに頭を掻いた。

「まぁな、俺も仕事があるし、君の方が近くにいても怪しまれないだろう。

取り合えず考えてくれないか。

嫌だったらそれはそれでいい。俺のただの興味だし。」

思わず藤見はふふっと笑った。

言われてみれば少々興味が出てきたのだ。

それになぜか坂田の興味を満たしたいという気持ちもあった。

「その必要はありません。 お受けしますよ。」

そう言って席を立った。

藤見が胸元のポケットから財布を出そうとすると坂田が手で制した。

払わなくていいという意味だろう。

「こんな面倒ごとまでさせんのに払ってもらうわけにはいかねぇよ。

払ってもらったら格好がつかねぇしな。」

藤見は軽く礼をして店を出た。

スマホを見ると通知が大量に来ていた。

多くは髙野からだった。

今日買い物をするので付き合ってほしいそうだ。

どうせ荷物持ちだろうと思いながらそれに付き合ってしまうのはなぜだろうか。

十二月初めの風を不思議と温かく感じた。

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灰色の倫理 @syousetukaninaru

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