波紋
俺は、暗闇の中で一人立っていた。直感でこれは夢だな。と悟る。辺りを見回すとそこに、見慣れた白い制服の後ろ姿があった。
「...和泉」
俺は彼にそっと近づく。すると、ふわっと嗅ぎなれた匂いが鼻を掠める。...煙草の薫り。
和泉の姿が煙に霞んで見えなくなる。俺はその肩を捕まえようと必死で走りだした。やっとの事でその背中に追いつき、肩を掴んでこちらを向かせる。もう少しで彼の顔が見える。その時だった。バコンっと軽い音が脳天に響く。
「痛ってー」
「おい、どんだけ、起きねぇんだよ、後ろ。来てる。部活の後輩だろ?」
机に突っ伏していた俺はその声に顔を上げた。
視界を上げた先にクラスメイトの男子がいた。手には丸まった教科書、これで叩かれたらしい。
彼が指さす方に顔を向けると。あのいつもの無表情で立つ和泉がいた。
彼はこちらと目が合うとすっと瞼を伏せ目礼した。
俺は、あちこち机の足に体をぶつけながらなんとかドアの方に向かう。
「どした?なんか用か?」
「これ、次の練習試合の場所や日程のお知らせのプリントです。」
いつも通り変わらない、感情を悟らせない和泉の声。
「おー...わざわざありがと」
いえ、失礼します。それだけ言って帰ろうとする和泉の腕を思わず掴んでいた。
「...なんですか?急に」
見上げてくる真っ黒の瞳。その平然とした姿。
「あのさ...」
『イメージとは違うわな』
「お前...」
『ちょっと見方かわるかも』
「...」
『そういやこいつタバコ吸うんだって』
「先輩?」
俺の不自然な間に痺れを切らしたのか和泉は掴まれた腕を軽く振りほどいた。
俺は落ち着かなくなった手をポケットにつっこむ。
「...いやー悪い。なんか言いたいことあったはずなんだけど、忘れた」
和泉は俺のバレバレな誤魔化しを見抜いたはずだが、それに気付かないふりをするようだった。
「...そうですか。ではまた」
立ち去るその背中を俺は目が離せないでいた。
こちらを振り向くこともなく颯爽と去っていく。
和泉が廊下を曲がろうとした時だった、曲がり角からぬっと白い塊が現れた。
人だ。白衣を着た男。
「森セン...」
2人はぶつかりそうになった所を間一髪で免れたらしい。
和泉がさっと身を引く。森センはからかうように和泉に体をぶつけるとくしゃりと柔らかそうなその髪を掻き回すように撫でた。
ここまででもかなり衝撃だった。和泉には"そーゆー"のりをさせない雰囲気があったから。
少なくとも出会ってから2年経とうとする俺は和泉に"そういうノリ"を許される自信が無い。
さらに衝撃的だったのは頭を撫でられて顔を上げた時の和泉の笑顔だった。
いつも無表情に結ばれた口元は自然と弧を描き、目尻は柔らかく下がっている。
実に自然な笑顔だった。だが、そんな横顔を俺ははじめてみた。
あいつ、ふつーに笑うんだわ。俺が知らないだけで。
その事実にそれなりのショックを受けた。
森センと和泉はまだ何事か会話をしているようだ。
俺との会話では考えられないくらい和泉の表情がコロコロ変わる。
その姿に心がザワついて仕方なかった。
二人がすれ違う。和泉の背中が消え、モリセンのひょろりと細長い体躯が近ずいてくる。
「よぉ、にしじま。どした?目つき悪いぞ」
俺の心情など露も知らず、森センは俺の姿を見かけて話しかけてきた。この人には2年間化学を"ご教授"されている。俺が廊下で棒立ちしていたら気にされるくらいの関係値はある。
「いや、別に...てか、和泉とけっこー仲良いんすね」
「え?意外?」
「いや、和泉って誰かと絡んでるとこ見たことないし」
和泉は部活でも俺以外とはめったに口を聞かない。
「えー?まぁ独特の雰囲気はあるわな。話しかけるなオーラ?みたいな」
和泉をつつむそのオーラは他者を容易く退ける。
「でも俺とは普通に話すよ。好かれてんのかな?」
へへへ。と笑いながらモリセンが横を通り過ぎる。
「少なくとも、お前よりはあいつの内側、みえてるんじゃね?」
すれ違いざまにモリセンはそう言い放つ。
その言葉の衝撃の波が俺を揺らした。
俺が振り向いた時に捉えられたのは揺れる白い白衣の裾だけだった。
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