1-4 祝賀会
情報科の早馬が着いてから大広間で着々と準備が進められていた祝勝会は、夕刻、空が女神の瞳色に染まる頃に開催のトランペットが吹き鳴らされた。
この夜は神界殿は大広間に限って解放され、凱旋した第三隊は一兵卒に至るまで残さず招かれる。大勝利を収めた勇士達を一目見ようと、あるいは夫の、恋人の、兄や弟の消息を確かめようと、代わる代わる、神界中の神界人が来たのかと思うほど多くの人が祝宴に詰めかけた。ざわざわ、ざわざわと絶えることのない喜びの声や泣き声、万歳や冥福を祈る声が、夏の夜風のように心地良く大広間に満たされる。
ディアネイラは未だ現れていない。人々は今か今かと待ち焦がれながら、勇士たちに彼女の話を求める。中でも最も話をせがまれるのは、ディアネイラの腹心たる第三隊の四人の副将であった。
「いやはや、何とも素晴らしいものです。ご自身で敵陣の真っ直中に突進したかと思いきや、ひらりと飛び上がり、飛び下りざまに魔界の輩どもをばさりと一太刀で切り伏せてしまうんですからなあ」
まるで自分の手柄のように頬を上気させて、副将のうちの一人が集まった人々に熱弁している。人々は吟遊詩人の歌に聴き入る子供のように目を輝かせて頷き、どっと笑い、感嘆の溜息をもらした。
「それに比べて不甲斐なき我が身、がっちりと組み合ってしまった敵を弾き返すことも出来ず、ディアネイラ様が空を舞うのをただただ見ているばかりで」
「けれど、レオン殿もお強いではありませんか」
「そうですよ、レオン殿こそ憎き魔界人どもを百人倒したと聞き及んでますよ」
「いやはや、百人とは大袈裟な」
「ディアネイラ様と張り合おうとする方が間違っているのですよ、ディアネイラ様を負かすことが出来るのは、クリストフ様と、第二隊の隊長だけではありませんか」
「そうですよ、気落ちなさらず、レオン殿」
「いやいや、私はただディアネイラ様の美しくも猛々しい戦いぶりにただひたすら感嘆の溜息をもらすばかりで。あの金の髪を靡かせて、緋く輝く邪剣を振るうお姿と言ったら!」
「レオン殿、もしや女神に見とれているうちに百体を屠りそこねたのでは?」
周囲に集まっていた一同がどっと笑い、副将レオンは苦い笑みを浮かべる。彼は大変な長躯で、クリストフと並んでも頭一つ飛び出すかも知れない。全身にがっしりとついた筋肉は褐色の鋼鉄のようで、例え鎧を着ていなくとも如何なる刃も受け付けないかのようだ。赤茶けた髪は、軍人らしく短く刈り込んでいる。
と、そこに副将のうちの二人が歩み寄ってきて、人々はわあっと歓声を上げる。
「フェンシェル殿とジュガル殿だ」
「本当だ、フェンシェル殿!」
「ジュガル殿!」
男二人は、どちらも困ったような笑みを浮かべながらも輪の中に入って来た。フェンシェルと呼ばれた男はレオンと大差ない大男で、こちらも全身は素晴らしく鍛えられている。中途半端に伸びた濃い緑の髪を適当に結んでいた。ジュガルはこの二人と比べたらそれほど高いというわけではないが、筋肉は隆々と盛り上がっていた。戦士にしてはどこか優しげな面立ちで、黒髪を適度に刈り、逆立てている。
「おお、フェンシェル、ジュガル」
レオンが歩み寄ると、三人はがっちりと互いの手を取り合う。
「まずはこの場でこうして再会できたことを互いに祝おうじゃないか」
「そうだな。お前はいつも危なっかしいから」
「同感だ。我らが女神に見とれるのは、戦以外の時間にして欲しいものだ」
「そんなことだから、作戦間違えそうになってディアネイラ様に怒られるんだ」
ジュガルとフェンシェルが互いの顔を見合わせて笑い、一同もさざ波のように笑ったので、レオンは気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「それは酷い言い分ですな、我が戦友よ」
「ならば次の活躍に期待するとしよう。次こそは頼むぞ」
フェンシェルが加減なしにレオンの肩を叩いたが、レオンはびくともせず、にやりと笑って相手の背を叩き返す。剛胆な二人のやりとりに、人々はほう、と感嘆の声を漏らした。
「……して、ディアネイラ様は?」
誤魔化すようにレオンは呟く。
「ティガロがお迎えに参りましたよ」
「あの伊達男、一番にドレス姿を拝むんだとか言ってな」
「何と」
レオンは慌てて周囲を見回し、どこへともなく駆け出そうとした。そのレオンを、フェンシェルでもジュガルでもない腕が引き留める。
「残念ながら追い返されてしまいましたよ。上官の機嫌を取る暇があったら他の貴婦人とお喋りでもしたらどうかとね」
レオンの腕を掴んでいたのは、青い髪を適度に短く切った、若い男であった。
「ティガロ」
名を呼ばれ、男は苦笑いしながらレオンの腕を離した。この四人のうちで最も線が細く、顔立ちも戦士と言うよりは詩人のそれに近いかも知れない。だが一つ一つの身のこなしには寸分の隙もなく、彼もまた百戦の勇士であることは一目瞭然であった。
レオン、フェンシェル、ジュガル、ティガロの四人こそ、第三隊でディアネイラの手足となって各部隊を指示する四副将であった。女神と讃えられるディアネイラには劣るものの、いずれも百戦錬磨の猛者ばかりである。第三隊が活躍すると共に自然と彼らの名も知れるようになり、彼らに憧れて戦闘科に入る少年も少なくはない。祝勝会に集まっている人々も例外ではなく、彼らを一目でも見よう、服の端にだけでも触れようと詰めかけ、四人の周囲は大変な混雑となった。
「フェンシェル殿、フェンシェル殿」
「ティガロ殿、お久し振りです、覚えていらっしゃいますか」
「出陣の時に護符を渡してくださった方ですね。勿論覚えていますとも、ありがとうございました。あの護符は今もここに」
「まあ、そんな」
「ジュガル殿、貴殿の活躍も聞き及んでおりますぞ」
「いや、僕はまだまだですよ。なあ、レオン」
「いやいや、ジュガル殿の剣裁きもなかなか見事ですぞ」
「お主はよそ見していなければ良いのだが」
「何と、フェンシェル殿は手厳しい」
人々と四副将がどっと笑ったあたりで、別の一角から歓声ともどよめきともつかぬ声が上げられ、皆がその声の許へと駆け出した。
「ディアネイラ様だ!」
「ディアネイラ様!」
近衛兵が開けた扉から颯爽と現れたのは、目も眩むような女神であった。
すらりとした身体に纏うのはぴったりとした紺色のドレス。優雅な曲線、露わな腕からはとても邪剣を振るう戦の女神とは想像もつかないが、背筋を伸ばして歩くさま、ふとした瞬間に振り返るさまからは、寸分の隙もない軍人としての機敏さも滲み出ている。だがそれらはディアネイラの美を蠱惑的なものから清廉としたものにし、見る者にとっては親しみを増していた。思わず溜息をつかずにはいられないほどの美貌。珊瑚色の唇は強気だが柔和な微笑みを浮かべていて、激戦を幾つもくぐり抜けたはずの肌には傷一つない。相変わらず高く一つに束ねた金髪は、今は月光の如くドレスの紺色に映えていた。唯一両耳に揺れる繊細な銀の十字架の耳飾りだけが、鎧を纏っている時と変わらない。
類い希な、夕焼けのように淡い紫の瞳が、周囲を見回す。
「お待たせ致しました」
少し低い、涼やかな声とともに、にこりと微笑む。
人々はわあっと歓声上げ、我先にとディアネイラへと駆け寄った。たちまちディアネイラのまわりは二重三重、あるいはそれ以上の人だかりが出来てしまう。ディアネイラは微笑み、談笑しながらゆっくりと歩みを進める。
「ディアネイラ様、おめでとうございます」
「お疲れ様でした、ディアネイラ様!」
「嫌だわ、疲れているように見えるかしら」
ディアネイラは二、三度瞬きをし、自分の顔に触れる。その指はさすがに戦士として少々骨張っていたが、長く美しい造形であることにはかわりはない。声をかけられた、少年とも呼べるような青年は、顔を真っ赤にして慌てふためいた。
「いえそんな! 相変わらずお美しい」
「ありがとう」
微笑んだディアネイラに、間髪入れずに別の者達が声をかけた。
「ディアネイラ様、よくぞご無事で!」
「お怪我はございませんでしたか、ディアネイラ様」
「ええ、大丈夫よ。そうでなければ今頃はドレスじゃなくて包帯を纏って皆様の前に参上しているでしょうね」
今度は悪戯っぽく微笑んだ女神を見て、一同はどっと笑った。
「包帯巻きのディアネイラ様は見たくないですなあ」
「そうだ、せっかくの美貌が台無しだ」
「それもそうね、このドレスが美しいから皆が誉めて下さるのね」
「いえとんでもない! 美しいのはディアネイラ様で」
「そうよ、ディアネイラ様、貴方は何を着ていても美しいですわ」
「鎧を纏った凛々しいお姿と言い」
「今夜のドレスと言い」
「何とお美しい!」
「皆、誉めるのが上手いのね。ありがとう」
そう再び微笑んだところに、四人揃った副将達が歩み寄ってきた。皆はわあっと歓声を上げ、互いにつつき合って道を開ける。ディアネイラは歩く足を止め、艶やかに微笑む。
「ディアネイラ様」
最初に口を開いたのは、赤毛を短く刈り込んだレオンであった。
「皆、ご苦労様」
「ディアネイラ様こそ、今回も見事なご采配でした」
ジュガルが畏まって頭を下げると、ディアネイラは苦笑いを浮かべ、ジュガルの黒髪を軽くつまんで顔を上げさせた。
「こういう席でまじめくさって言うものじゃないわよ、ジュガル」
「これは失礼を」
「お疲れではありませぬか」
ジュガルを引き戻しながら、フェンシェルが聞こえるか聞こえないか程の声で尋ねる。ディアネイラはああ、大丈夫、と手をひらひらと振って見せた。
「これしきで根を上げているようじゃ、あなた達を束ねてなんていられないわ」
「しかし」
「けれど皆、ディアネイラ様が心配なのですよ」
レオンが何か言おうとしたのをティガロが一歩前に進み出て遮り、恭しくディアネイラの手を手に取った。
「貴女様の類い希なる美貌が失われてしまわないかと」
ディアネイラは何も言わず、強気な笑みを浮かべる。
「我々副将一同、第三隊はディアネイラ様あってこそと心得ておりますので」
「まるで私が暴れ馬みたいな言い方ね」
「とんでもない」
「邪剣を扱うじゃじゃ馬と言いたいのかしら?」
ティガロが一瞬言い返せなくなった隙に、ディアネイラはするりと腕を外してしまった。
「手綱をかけなければ、じゃじゃ馬どころか普通の馬にも乗れないわよ」
「これは、参りましたね」
「見事、ディアネイラ殿」
「ティガロ殿、残念でしたのう」
「やはり女神は一筋縄では行きませんなあ」
「自由奔放な駿馬には、手綱は似合わないようです」
ティガロが苦笑いを浮かべたので、副将三人も、成り行きを見守っていた一同も、ディアネイラも声を立てて笑った。
「それにしてもディアネイラ様、今回の戦での活躍、幾つも聞き及んでおりますぞ」
「豪快に馬から飛び上がりざまに、三体も魔物を切り伏せたとか」
「布陣も見事だったと聞きました」
「是非ともディアネイラ様からもお聞きしたいなあ!」
「ええ、でも、神界が完全に勝利したわけではないのだから」
戦の女神は、僅かに美貌を歪めた。
「そうして一時の勝利に酔いしれているようでは、真の戦闘科とは言えないわ」
「そうは言わず、ディアネイラ様、たった一晩ではありませんか」
「明日また出陣というわけではないでしょう」
「なら、せめて神界の勝利の女神に、万歳を捧げようではないか」
「おお、いいな」
「万歳!」
「神界万歳!」
「ディアネイラ様万歳!」
「ディアネイラ様万歳!」
「我らの女神に万歳!」
「邪剣将軍ディアネイラ様、万歳!」
と、人々は口々に万歳を唱え始め、それは波紋のように周囲に広がり、凱旋した時と同じような熱気が大広間中に満ち満ちた。ディアネイラは多少困惑したが、万歳の声はしばらく終わりそうにもない。万歳、ばんざーいと何度も繰り返される声は、神界に真の勝利をもたらす呪文の詠唱であるかのように、いつまでもいつまでも繰り返されていった。
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