凍てつく心臓──復讐の女将軍は、王と王子に愛された

金燈スピカ

序章

邪剣の墓標

 神殿の廊下は長く、天井は高く、人の気配がなく、歩く度にかつん、かつん、と無機質な足音がこだましていた。

 地上とは異なる次元に存在する神界。何千年、何万年、あるいは地上が存在する遙か昔から、神界の統治中枢として機能してきた大神殿。総白石造りで、柱という柱には古めかしくも荘厳な英雄譚の一場面、今は亡き巨匠たちの名作などが施されている。内部は一見迷宮のように複雑に入り組んでいるが、中央には神界長の玉座の間、大広間があり、それより手前は各科の詰め所、会議室などが機能的に並び、奥は神界長の私宮、界長殿となっていた。

 その私宮の中でも奥の奥、神界長とごく限られた者しか立ち入りを許されぬ王墓の間。半分は地下に位置しているので日光が差さず、室内は薄暗い。その中で、消えることのない蝋燭の炎で浮かび上がる歴代の神官長たちの墓石は、死してなお見る者を圧倒する。

 かつん。かつん。

 足音は、王墓の間へと歩いて行っている。特殊な魔法技術を用いた界長殿の中では、見張りを立てる必要はない。そもそも界長殿に入ることを許されている者は数えるほどしかいないのだ。王墓の間までの廊下はどこまでも無機質で、足音が一つする度に、時代を一つ遡っているような錯覚を覚える。

 歩いているのは、未だ幼い少年であった。

 紅蓮の髪。端整ではあるがあどけない顔立ち。常の大人と並んだならばその胸まで届くかどうかの背丈しかないが、身に纏っているのは金糸の縫い取りを施した、紛れもなく神界長にのみ許された衣服である。そして銀に輝く瞳には、並の賢者では畏怖すら感じるであろう、理知的で全てを見透かしているような光を宿している。

 少年の名はハミルカル。

 現在神界を統べる神界長ハミルカルは、身に宿す力が余りにも強大なため、身体の成長が著しく遅いのだ。もう百三十歳を過ぎているのだ、翁と呼ばれても良い年頃だと当人は笑いながら言っている。

 かつん。

 かつん。

 どこまでも続く、もしかしたら果てなどないのかも知れぬと思わせる回廊にも、やがて終わりは訪れる。

 かつん。

 ハミルカルは回廊の突き当たり、真上を見上げてようやくその上端が見えるほど巨大な扉の前で足を止めた。ちょうど彼の目の高さ辺りにある、獅子の頭を象った彫刻に手をかざす。キィン、と硬質な音と共に獅子の頭は金色に光り、扉はゆっくりと内側に開いた。

 嘆息。

「──あなた」

 ハミルカルが歩き出そうとした刹那、絹のように柔らかな声がそれを呼び止めた。一瞬ぎくりと硬直したハミルカルは、何だ、といいながら振り返る。

 ハミルカルのような紅蓮とまではいかないが、淡い橙色の髪に緑色の瞳の女が、微笑を湛えて立っていた。

「サリサ。来ていたのか」

「ごめんなさい、好奇心には勝てなかったもので」

「良い。共に参れ」

 少年の泰然とした物言いに、サリサと呼ばれた女は黙礼と共に従った。完膚無きまでの絶世の美貌と、華奢だが均整の取れた身体。動作のひとつひとつは、そのまま固めたら彫刻にでもなりそうなほど、洗練された優雅な仕草だ。

 サリサは、神界長ハミルカルの妃だ。王墓の間に神界長の許可なく入ることが出来るのは、神界長本人、その妃及び子供らのみである。彼らの間にまだ子供はいないので、実際には神界長夫妻しか王墓の間に立ち入ることは出来ない。

 ひんやりとした空気。

 室内に鎮座する墓石は、沈黙をもって二人を出迎えた。蝋燭の炎がゆらりと映し出すのは、薄闇のせいで灰色に見える、どこまでも広がる茫漠たる空間だ。ハミルカルとサリサは墓石に向かって略式の礼を取り、更に奥に向かって歩き始める。王墓の間は空間が通常とは異なるので、果てというものが存在しない。標となるのは、歴代の神界長たちの墓石のみ。扉から順に初代、次代、三代、と続いている。

「……お父上の墓標へ?」

「ああ」

 二人の言葉もねじ曲がった空間に反射し、殷々とこだました。

 かつん、かつん、という足音は、今度は二種類きこえている。

「そなた、父上の墓参りは初めてであったな」

「四十回忌の時に一度参りましたかしら」

「ああ、あれは好かん。遠くから眺めて、下らぬ物言いを並べ立てているだけではないか」

 一瞬、ハミルカルは本当に子供のような表情になった。だがその瞳は相変わらず英明に輝いている。

「その割に、毎年欠かさず回忌を行っていらっしゃるのね」

「何も回忌は父上だけを弔っているわけではない。だから妃が父上の墓を十年前に一度見たことがあると言うようなことになるのだ」

「気をつけるわ」

 サリサがくすくすと笑いながら答えると、ハミルカルもふんと鼻を鳴らした。

 かつん。かつん。

 蝋燭の炎が、二人が通り過ぎる度にゆらりと揺れる。

「……そなた、父上の墓を間近で見るのは初めてであろう」

「ええ」

 何か言うのかとサリサは夫の顔を見つめていたが、ハミルカルは何も言わずに歩き続けていた。その不敵な横顔が、何かを楽しんで笑っているように見える。

 かつん。

 かつん。

 もう幾つ墓標をすり抜けてきたのかは、二人とも忘れてしまった。前を見ても後ろを見ても、右を見ても左を見ても、あるのは灰色の思い石の塊ばかり。その中でちらちらと揺れる蝋燭の炎は、闇夜に煌めく星のようにも思える。

「ここだ」

 ハミルカルがある墓標の前で足を止めた。その先の列には墓標とは形容しがたいただの石の塊が置かれているだけだ。それらはいずれ、ハミルカルの、あるいは彼の子供の墓石となっていく。

 ハミルカルが見上げているのは、墓標として形作られたもののなかでは最も新しいものであった。彫刻は細部に渡るまで精密この上なく、中央には飾り文字で今は亡き前神界長の名が刻まれている。


 第475代神界長

 クリストフ

 ここに眠る


「……父上。余の妃、サリサです」

 ハミルカルが墓標を見上げながらそう呟く。サリサは胸に手を当て、頭を下げる略式の礼をした。橙の髪が背中でさらさらと音を立てる。

「サリサです。ふつつか者ですが、お見お知りおきを」

 墓標は、沈黙をもって答えた。

 蝋燭の炎がゆらりと揺れる。ハミルカルは小さく嘆息し、墓標の左端へと歩み寄った。そこには固い岩を貫いて、一振りの剣が突き立てられている。数多くの戦場をくぐり抜けてきたのに違いない、柄は傷だらけ、飾りは殆ど取れてしまっていたが刀身だけは今でも鈍い光を放っていて、触れればたちまち斬れてしまいそうだ。そしてそれ以外にも、見た者をぎくりと凍り付かせるような何かを、剣それ自体が纏っていた。

 ハミルカルの銀色の瞳が、剣を映し出す。

 サリサも何気なく剣を眺めて、あら、と声を上げた。

「あなた、これ……凍てつく心臓フロズンハートという名の邪剣じゃなくて?」

「聖剣だよ」

 ハミルカルが微苦笑と共に答える。

 剣が纏っているのは、どちらかと言えば禍々しいものだ。首を傾げたサリサを見上げ、神界長はにや、と笑った。

「一つ、この剣にまつわる昔話をしようか」

「……ええ」

「妬くなよ」

「私が、何に妬くと?」

 ハミルカルはそれには答えず、ただにやにやと笑うばかりだ。そのまま突き立てられた剣に視線を戻した時には、銀色の瞳は過ぎ去った時間を追憶する、哀しげな、だがどこか憧れてやまないような老人の表情になった。

 サリサは話が長くなりそうだわ、と考える。

 どちらのものともつかぬ嘆息。

「善と悪、光と闇、陰と陽、これら対極を成すものが混沌と入り交じるのが地上だ。だが我らが住む世界は地上とは次元が異なる。我らは善は善、光は光、陽は陽と集い、相反する者は排除することで秩序を保ってきた。そうして生まれたのが善き世界、光ある世界、陽の世界。我らの住まう神界、余の治める神界だ。必然として、我らの対極として生まれたのが悪しき世界、闇ある世界、陰の世界──魔界だ。我らは常に対極を滅そうと、そして地上をそれぞれの秩序の元に支配しようと戦い続ける。未来永劫、どちらかが滅びるまでそれは変わることはない」

「…………」

「今からほんの百年ほど、いや五十年ほどだったか前に、突然魔界の力が増大した。我らは神界存亡の窮地となり、神界を守るために誰もが剣をとらなければならなかった」

「……聖魔大戦の事を仰ってるの?」

「そうだ。その聖魔大戦、つまり余の父上が神界長であられた頃、この剣を手にして戦う者がいたのだよ」

「…………」

 ハミルカルの顔が、一瞬苦渋に染まる。

「その名はディアネイラ。父上の右腕として剣を振るった女将軍だった」

 銀色の瞳が蝋燭の炎を映し、ゆらりと揺れたような気がした。






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