第4話
小学生の頃、いじめられ始めたきっかけは、友達の好きな男の子が、私のことを好きだと言ったことだった。
小学三年生の頃の、パソコン学習の時間。そのとき隣に座った男の子がこっそりと私に気持ちを伝えてくれて、それが隣の席の人に聞こえてしまったことが発端である。
私はその男の子のことが好きではなかったし、友達の好きな子でもあると分かっていたから、こっそりとお付き合いを断った。
しかしそれが気に食わなかったらしい。
友達は私をいじめるようになり、そして告白してくれた男の子も、何故か私を嫌うようになった。
「調子乗んなよブスのくせに」「誰もお前のこと好きじゃないから」「性格悪すぎるよね」「つまらない人間のくせに」「話す価値もない」「暗すぎ」
日々自身を否定され、物を隠されたり、殴られたり、嫌がらせはエスカレートした。
それは六年生になるまで続いた。
両親は六年生の頃に私の異変に気付いて、すぐに学校と教育委員会へ連絡、証拠を突きつけて、引っ越すまでにも時間は掛からなかった。
他人が嫌いだった。他人と深く関わることは、怖いと思っていた。
だから環境が変わっても、誰とも関わらず、ひっそりと過ごしていようと思っていた。
『牧野さんてどこ小? 初めて見たかも』
そんな私だったからこそ、キラキラとした笑顔を向けてくれた晴に本当にどれほど救われたか、きっと晴は知らないのだろう。
「あ、見つけた! 何泣いてるの!」
晴が居なくなったベンチで、一人ぼんやりと座っていた。
どれほど時間が経ったのか、千早には何も言っていなかったのだが、どうしてか必死の形相で千早が立っている。
そういえば、千早と授業に出る約束をしていたのに連絡が出来ていなかった。千早の顔を見て思い出し、慌てて立ち上がる。
「ご、ごめん! 連絡してなかった!」
「本当にね! あんたが約束すっぽかすとかないから、何かあったのかと思って探し回ってたんだけど!」
「ごめん!」
私のそばまでやってきた千早は、すぐに私をベンチに座らせた。その流れで千早も隣に座り、こちらにハンカチを差し出す。
「あ、大丈夫だよ。もう泣いてないから。これはなんていうか、えっと……」
「……高倉くんでしょ? 話したの?」
晴の名前が出て、無意識にピクリと背が震えた。
その反応を肯定と受け取ったのか、千早が心配そうに眉を下げる。
「いや、本当に大丈夫で……晴に恋人が居るっていう情報は間違いだったみたいでね。それで、晴から好きだって言ってもらえたの」
「え! そうなの!? 良かったじゃん!」
「でも晴、私のことを好きだと思ったきっかけが『居なくなって違和感があったから』なんだって。その違和感から『好きなんだ』って思ったって言ってた。それって、好きじゃないよね」
千早は少し考えるように視線を巡らせて、最後に腑に落ちない顔をして首を傾げる。
どうやら伝わらなかったらしい。
「ほら私、晴との距離感が掴めなくて、一ヶ月半くらい晴と会わなかったでしょ? そこで晴は違和感があったみたいなんだけど、私としては、一緒に居るだけなら別に友達でもいいんじゃないかなって思って」
「……でも、それだけで告白はしなくない?」
千早は訝しげな顔をしながらも、ハンカチをそっとバッグに戻す。
私は千早がそう思った理由を聞きたくて、黙ってその仕草が終わるのを待っていた。
「あたしの勝手なイメージだけど、高倉くんて結衣ほど鈍感じゃないよね? なんていうか、恋愛に関してもきちんと理解してそうというか」
「どう、なんだろう……晴と恋愛の話をしたのは今日が初めてだったから、中学生の頃に好きな人が居たのかとか、恋人がこれまでに居たのかも知らないし……」
「結衣は特別鈍いと思うよ。自分に自信なさすぎるし。でも、高倉くんならこれまで恋愛経験がなくても、ある程度は分かりそうな気がする。どう思ったら『恋』になるかとか……好きの基準とか」
「そういうものなの? 千早も、恋愛経験関係なく分かる?」
「分かるでしょ、基本的なことなら」
何が基本的になるのかが分からなくて、私には少し難しい。
だけど言われてみれば、晴は交友関係も広く、私が知らないことをたくさん知っている。恋愛に関しても、私なんかよりうんと詳しいに違いない。
それを思えば、千早の言う「それだけで告白はしないのでは」という言葉も、なんとなく納得が出来た。
「だから、高倉くんもすごく考えた結果、結衣のことが好きだって気付いたんじゃないかな。彼女が居るっていうのが間違った情報だったなら余計に」
「……その、万にひとつの可能性として……か、体の関係が恋しくなったから、とかは、ない……? あ、晴がそういう人だと思ってるわけじゃなくて、無意識にそう思ってるんじゃないかなって。だから、晴と付き合ったとしても、そういうことする時間がなかったら『なんか違う』とか『時間の無駄だな』とか思われないのかなって……」
ぎゅっと、千早の眉がキツく寄せられる。
「結衣さあ……それ、本人に言ってないよね? すっごい失礼だよ」
「言ってない。告白してくれたときには言ってない。……体の関係があったときはそう思ってたって、間接的に、伝わっちゃった、けど……」
あくまでも体の関係だけだったからそれが普通なのかと思っていて、悪気はまったくなかった。
(失礼なこと、なんだ……でも、体の関係だけなんだから、当たり前なんじゃないの……?)
千早の反応が怖くて、ぐるぐると目が泳ぐ。あまりに千早からの視線が痛くてそちらをおそるおそる見てみれば、やはり鋭い視線が向けられていた。
「やっぱりだめ? でも、今は思ってないよ、当時は思ってただけ。だからその話になったんだけど、晴、怒って帰っちゃって……」
「そりゃ怒るよそれはー……」
長くため息を吐き出しながら、千早はがっくりと肩を落とした。
「いや、あくまでも過去の話だから結衣は悪くないんだけど……だって、高倉くんからしたら、気付いたのは遅かったけど、『好き』って思った人との大切な時間だったわけでしょ? それがなんか、蔑ろにされた気がしちゃうというか」
「そんなつもりは……」
「結衣にはなくてもね。好きな人にそれ言われちゃうと、どうしても虚しくはなるでしょ」
晴を怒らせたと思っていたけれど、もしかしたら私は、晴を傷つけていたのかもしれない。
だけど、私が晴の手をとっても良いのだろうか。
晴が友達から馬鹿にされるのではないか。
一度傷つけてしまったから「もう好きじゃない」と言われるのではないか。
晴はそんな人ではないと分かっているのに、なぜか嫌な予感が離れない。
もしもあの男の子にされたように、晴にも突き放されたら。
「……私……い、虐められてたの」
無意識に、千早の手を握っていた。指先が震える。千早も気付いたのか、手を振り払うこともなく、静かに「そうなんだ」と言葉を落とす。
「小学生の頃……友達の好きな子が、私のことを好きになっちゃって……私は断ったんだけど、それが、友達も、その男の子も気に入らなかったみたいで、クラス中がみんな敵になった」
今もたまに夢に見る。
向けられる敵意の目。味方はおらず、小学生がするにはあまりに残酷な仕打ちを受ける日々。
「私、晴のことも傷つけたから、晴があの男の子みたいになるんじゃないかって、怖い。晴はそんな人じゃないのに……晴も『もう私のことなんか好きじゃない』って突き放して、『おまえと過ごした時間はつまらなかった』『全部無駄だった』って言うんじゃないかって、怖い」
告白を断ったあの日から、男の子は毎日毎日、ひと気のないところで私に何度もそう言った。
おまえには価値がない。調子に乗るな。おまえのことなんか誰も好きじゃない。関わる時間、全部無駄だった。おまえなんか誰も好きにならない。
告白を断ってからの三年間。今思えば異常とも思える期間執着され、繰り返し植え付けられたその言葉は、思ったよりも私の中に深く根付いている。
「……なるほどね。結衣が自分に自信がない理由、そういうことだったの」
私の震える手に、千早のもう一方の手が重なる。
「おかしいと思ってた。他人への警戒心、控えめで、自信がなさすぎる性格、あとすっごく暗いところを怖がるよね。人の目も嫌いだし、人が多いところにも行きたがらない」
重なった手に、ぐっと力が入る。
「話してくれてありがとう、結衣。少なくとも、あたしと高倉くんは大丈夫。絶対に、何があっても結衣の味方だから。……って言っても、信じるのは難しいかもしれないけど……まあ、ゆっくり信じみてよ」
おそるおそる、上目に千早を盗み見る。
すると想像よりもうんと優しい顔をしていた。
鬱陶しいと思われる可能性も考えていたから、こんなにも軽やかに受け止めてもらえて拍子抜けである。
「……信じたいって思ったから、話したよ。まだ、千早には言ってなかったから」
「あ、そうなんだ。じゃあ嬉しい。もう思い出さなくていいけどね」
あまりにも普通だ。気にした様子もない。そんな反応が返ってくるとは思っていなくて、どう反応すべきなのかと呆気にとられていた。
するとそれをどう思ったのか、千早が「安心して」と重ねていた手で拳を作る。
「あたし実は空手茶帯だから、結衣を傷つけたいじめっ子が来てもぶっ飛ばせるよ」
「……あ、ありがとう……」
「よし。じゃああたしの次は高倉くんね。勇気出せるでしょ?」
ぽん、と背中を軽く叩かれて、なんだか胸が晴れた気がした。
いつもより空が青い気がする。空気が澄んで、呼吸がしやすい。
すっきりとした思考には、なぜか前向きな言葉しか浮かばなかった。
「高倉くんなら大丈夫。もし高倉くんが最低なゲス野郎だったら、私がぶっ飛ばしてあげる」
きっと、こうして千早が強気に言ってくれるからというのもあるのだろう。
千早が笑ってくれたから、私は強く頷けた。
「……うん。今の気持ちも全部、晴を傷つけるかもしれないけど、それもひっくるめて伝えてくる」
「よし、行ってこい!」
ベンチから立ち上がる。
少し前の気持ちの重さはない。足も軽い。視界も明るく、早く晴に会いたくてたまらない。
千早に感謝を告げて、私はすぐに晴の家に向かった。
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