父になった日

@jiji-didi

父になった日

 令和7年10月27日月曜日 午前6時40分頃。

「たいきさん……陣痛かも」

 そんな妻の声で起床した。

 予定日は30日。

 昨晩の23時30分、布団に入る前には「陣痛無いねなんて」「予定日まだやから焦る必要は無いよ」なんて話していたのに?

 そんな事を思いつつも。

「間隔は?」

「……6分くらい」

 病院からは「間隔が短くなり、10分切れば連絡を」そう聞いていた。

 なのに既に6分。

「まじか! 病院に電話した?」

「まだ」

「なんで!?」

「6時くらいに痛みで目が覚めて……時間測ったらもう6分くらいだった」

 なんてこったい。

 そんな事があるのか。

 驚きはしたが。

「とりあえず病院に連絡して」

 と伝え、妻が病院に連絡している間に急ぎ家出る準備を済ませていく。

 病院にはすぐ電話が繋がり、もう来てくれと。

『何時頃に着きますか?』

 電話から聞こえる声。

 時計を見たら6時50分ほど。

「7時15分、20分くらいには」

「ではすぐ来てください」

 電話が切れ、俺は入院バックを車に乗せたり、着替えたり。

 妻は痛みの合間を縫って歯を磨いたり、家出る準備を済ませ、いざ病院へ。

 車で精々10分程度の近い産院までの道のり。

 しかし、その間にも陣痛の痛みが来ては引き、来ては引き。

 痛みが来るたびに。

「ふにゃ〜」

 と声を出す妻。

 そして、痛みが引くと。

「やべぇ。ぶりっ子みたいな声出た」

 なんて、まだ余裕を見せていた。

 病院に着いてからは、まず妻だけ先に上がり、俺は駐車場待機。

 しばらくして妻からの入電。

 しかし。

「もしもし? もしもーし」

 妻の声が聞こえない。

 もう一度かかってきても同じだった。

 こんなときに、通話アプリのトラブルが。

『もしもし? 子宮6センチ』

 そう送られて来たメッセージ。

 更に続けて。

『今から連絡事項伝えます。このまま入院の為、朝ごはんを買って来てください。今から30分は上がってこれません。朝ごはんはソイジョイのちょこで。あとはポカリ系とあったかレモン系の飲み物でお願いします』

 と。

『了解。すぐ戻るので上がるタイミングになったら言ってください』

 それだけ送り、すぐにコンビニへ。

 言われたポカリ、ソイジョイチョコを2本。ついでに妻の好きな塩握り、もちもちチョコパンを購入。

 しかし、残念なことに、あったかレモン系は無かった。

 ただ、まだ要した時間は10分。

 俺は2軒目のコンビニに。

 幸いレモンがあったので購入。

 しかし、巻き込まれた通勤ラッシュ。

 慌てても仕方ない。

 そう思っても焦る内心。

 病院に戻ったのは8時5分。

 3分超過。

 幸いにもまだ上がるように連絡は来ておらず。

 取り急ぎ。

『戻った。上がる時連絡下さい』

 と残し。

 俺は妻の朝ごはんとは別に買ったおにぎりを詰め込みながら、妻の両親。俺の両親へ。

『陣痛始まり入院しました』

 簡素ではあったが急ぎ報告。

 おにぎりを飲み込んだあとは、上司に即電話。

 予定日より3日早いが陣痛来たので今日休みますと。

 以前から陣痛来たら立ち会いのため休ませて欲しいと相談していた為、スムーズに了承を得る事ができた。

 とりあえず今日休んだら明日は出ます。

 そう伝え、俺はただ妻からの連絡を待つ体制に。

 8時8分。

 電話を切り30秒くらいだろうか。

『ますくして、にもつじんぶきて』

 切迫した状況の伝わるメッセージが来た。

 入院バッグ。買った朝食を持ち、すぐに病院へ。

「こちらが個室です」

 陣痛が始まったら個室で待機。

 いよいよ産まれるとなれば、分娩室へ。

 定期検診ではそう聞いていた。

 妻は大丈夫だろうか。

 そんな風に思い病室に入ると――

 誰も居なかった。

 あれ?

「旦那さんはソファーに荷物置いたらこちらへ」

 どんなに鈍感でも察しがつくだろう。

 そう、妻は既に分娩室にいた。

 手にはテニスボールを握り。

 陣痛を測る機械を装着して。

 分娩室に入ると、直ぐに。

「助産師を目指す実習生が立ち会ってもよろしいでしょうか」

 そう助産師さんから尋ねられた。

 俺自身、助産師ではないが、学生時代には実習生としてお世話になった身分。

 断れるはずもないが、妻はどうだろうか。

 余裕ない中で受け入れられるだろうか。

「もちろん大丈夫でーす」

 杞憂だった。

 妻の性格上、頑張る人間の為になら使ってくれ。そういうとは思っていたが、即答だった。

 そしたら直ぐに学生が分娩室へ入って来た。

 自己紹介を済ませ、同意書を読み上げていた最中。

「ちょっとま、くる」

 途端に歪む妻の顔。

 テニスボールを握る左手の指が白くなるほどの痛み。

 助産師さんのアドバイス。圧迫等で、一旦は落ち着いた。

「ごめんなさい。続き……」

 妻に促され、学生が内容を読み上げる。

 内容を要約すると、途中で断れる。助産師が、直ぐに手助けできる状態なので安心して欲しい。そんな内容だったと思う。

 説明後、俺は助産師さんに教わり、痛みが来た時の圧迫の仕方を教わった。

 直ぐに次が来た。

 妻の呻き声を聞きながら、ひたすらに圧迫する。

 また、痛みが来たら圧迫する。

 それの繰り返し。

 その間の会話は割愛するが、いきみたくなっても我慢。とかまだ大丈夫。上手に呼吸できているよ。

 など、助産師さんの妻への声掛けが9割だった。

 そしてついに。

「破水したからねー。次来たらいきもう」

 遂に来た。産まれる。

 妻の痛みも、病院に来た時の比では無いくらいになっており、その叫びに、呻きに、滲む汗に、真っ赤になる顔に。

 俺は泣かずにはいられなかった。

 泣きながら、妻がいきむのに合わせて枕で後頭部を持ち上げ、息吸うときにおろす。またあげる。

 そんな事しかできなかった。

 そして9時58分。

 陣痛が始まって約4時間。

 初産とは思えない早さで、娘が誕生した。

「強めに臍帯巻いてた。酸素」

 正確になんて言っていたか分からなかったが、概ねそんな内容。

 弱々しい産声をあげる我が子は真っ青で、直ぐに酸素マスクを当てられ、身体を拭かれていた。

 一抹の不安に心が揺れたが、まずは妻に言葉をかけたかった。

「おつかれ……頑張ったな……ありがとう……」

 もうね、言葉が出せないくらいに泣いてた。

 俺がね。

 妻の腕を、頭をさすり。

 労い、感謝を伝える。

 もうね、それくらいしか出来なかった。

 そして、酸素マスクで赤く戻った娘がタオルに巻かれ妻の胸に。

「へへ。初めましてー。赤ちゃんも頑張ってくれてありがとう。ママだよー」

 産まれてきた我が子を胸な抱き、笑う妻と娘を写真に収めたところで。

「そしたら赤ちゃんちょーっと連れていきますね」

 と、助産師さんに誘拐されました。

 そして。

「処置をするので旦那さんはお部屋でお待ちください」

 そう案内され、一人個室のソファーへ。

 産まれた。

 俺と妻の第一子。

 中々妊娠せず、不妊治療もして、やっと授かった子が。

 ついため息が出たが。

 あ、報告しなきゃ。

 と思い立ち、両家両親に連絡を。

 妻の両親からは。

『早い』

『早い!』

『おめでとう!』

 と直ぐに返事が来た。

 まぁ、入院と報告してから2時間30分くらいだからそりゃ早いよな。

 それから30分くらいかな?

 呼ばれて妻の元に。

 頑張ったね。お疲れ様。

 手を握り、そんなありきたりな言葉しか出せない自分に情けなく。

 妻の偉大さに感謝を伝えていた時。

 状況が変わった。

 娘の酸素分圧が安定せず、大きな病院に搬送になるかもしれないと。

 再度走る緊張に。

「大丈夫。鳴き声も上げてたし、いっぱい動いてたから大丈夫」

 今にも泣きそうな、不安そうな妻にそう声をかけるも、俺自身不安で仕方なかった。

 娘が再び分娩室へ連れられ、酸素マスクを当てられる。

 助産師さん達の隙間から見える機械には75の数字。

 ――低い。

 助産師さん達の会話より、マスクを外せば80を下回りどんどん下がってしまう。

 マスクを着けたらなんとか80超えて90行くかどうか。

 祈りながらも妻には大丈夫。大丈夫と。

 自分に言い聞かせるようにそう言っていた様に思う。

 そして。

「産まれて1時間経っても安定しないので搬送します」

 そう言われた。

 瞬間、血の気が引き、目頭が痛くなる。

 救急車が20分で来る。

 そう言われて、妻の手を握り20分。

 どんな会話をしたか全く思い出せない。

 次の記憶は11時20分。助産師さんの。

「救急車来ました」

 の言葉だった。

 タオルに包まれた我が子。

 救急車に乗る前にと、助産師さんが妻の顔に娘の顔をくっつけてくれた。

 移動前、最後の触れ合い。

 妻の不安で、泣きそうで、それでも気丈に振る舞うその時の顔を、俺は一生忘れないと思う。

「旦那さんは直ぐ車で搬送先の病院に」

 言われるがままに、俺は立ち上がった。

「行ってくるね。後は俺に任せて今はゆっくりしときな」

 ゆっくりなんて出来るはずもない。

 分かっているが、こんなときにかける言葉を俺は持ち合わせていなかった。

 病院から出ると、娘が救急車に乗る直前。

 ストレッチャーに乗せられた保育器。

 中には産まれたばかりの我が子。

 救急車に同乗していただく助産師さんに挨拶をして、俺は車に乗った。

 我が子を乗せた救急車はサイレンを鳴らし、直ぐに見えなくなってしまった。

 車の中は俺一人。

 俺はただ、産まれて直ぐの娘が乗った救急車を追い、祈るしか出来ず、何も出来ない自分を悔やみ、ひたすらに泣いていた。

 救急車を追うこの時間。

 俺は世界で一番無力な父親だった――

 病院に着き、受付にて。

「患者様のお名前は?」

「えっと……産まれたばかりでまだ名前が無くて……」

 自分が吐いたその言葉に胸が抉られた。

 そう。まだ娘は名前すらない。戸籍上まだ存在すらしないのだ。

 なのになんで。

 また涙を流しながら、案内されたのはNICU前の廊下。

「現在娘さんは処置中なので1時間ほどお待ちください」

 そう言われ、俺は待ち続けた。

 妻とメッセージで連絡を取りながら。

 そして暫くして。

 NICUの扉が開き、医師が現れた。

 名前を呼ばれ、俺は立ち上がり状況説明を受けた。

「現在の状態はかなり安定しており、手術や呼吸用の管を通す必要はない。ただ、エコーや点滴の準備に時間がかかっているのでお待ちください」

 これを聞いたとき、本当に安心した。

 もちろん、これからエコーなど本格的にするのでまだ分からないが、安定しているという言葉がどれだけ安心させてくれたか。

 急ぎ妻にも連絡をし、情報共有。

『よかったーーーー』

 本当に良かった。

 それから、妻は「個室に移動になったよ」とか「出血多かったみたい」とか「先にお昼いただきます」といって昼食の写真をくれたり、とりあえず母体も元気そうで安心した。

 結局その後、1時間20分くらい待ち、ようやく娘に会える時が来た。

 手指の消毒をし、靴を変え、ガウンを着て、また消毒をして。

 対面した娘は、眠っていた。

 バイタル測定の為に身体中に付いたコード。

 保育器越しにしか見えない顔。

 モニターに表示されるバイタル。

 全く不安がないと言えば嘘になるが、娘の顔を見たらため息が出た。

 良かった。本当に良かったと。

 そして、医師から受けた説明では、どうやら娘の肺に羊水が残り、それが呼吸を妨げているとの事だった。

 レントゲンにしっかり溜まった水が映っていたと。

 それ以外に異常は無く、羊水が肺から吸収されるのを待つ日にち薬です。

 そう言われた。

 その後、入院について様々説明を受け。

「保育器の中に手を入れて赤ちゃん触って大丈夫ですよ。写真も撮ってお母さんに見せてあげてください」

 看護師さんに言われ、俺はここでようやく娘に触れることが出来た。

 小さくて、あったかくて、柔らかくて、愛おしい。

 そんな命。

 もうね、涙ボロボロ。

 動画も回したけどずっと鼻啜ってる音が入っててうるさいくらい。

 父になった実感。

 これからの不安。

 様々抱えて。

「じゃあね。また明日来るからね」

 娘に声をかけ、俺は病院を後にした。

 その後職場に行って書類バタバタしたり、義母と妻の面会に行ったりしたが割愛。

 紆余曲折あり、ひと段落。

 家に着き筆を取った。

 さぁ、娘が産まれた日の事。

 俺と妻が親になった日の事。

 思い出せるうちに記録にしようと――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

父になった日 @jiji-didi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る